現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

虚無僧と南朝の因縁

2014-09-20 10:24:52 | 一休と虚無僧

「一休」を探っていくと、虚無僧の歴史にぶち当る。

虚無僧には、どうも南朝の影がつきまとう。

江戸時代の後半になって創られた『虚鐸伝記国字解』

には「虚無僧の祖」を「楠木正勝」としている。

楠木正成の子「楠木正儀」は、楠木一族が滅びるのを

見るにしのびず、北朝に降服する。しかし、正儀の子

「正勝」は、徹底抗戦を主張して、父と別れ、「虚無」と

号して東国に下り、南朝の再起を図ろうとする。

筑波山や会津、越後には「正勝」の開基とする寺が

ある。特に会津「天寧寺」の開祖「傑堂能勝」は「正勝

である」とも伝わっている。さらに、傑堂能勝が越後国

開基した「耕雲寺」の寺紋は「菊水」であるという。

 

 

 


虚無僧と南朝の因縁 その2

2014-09-19 18:57:39 | 虚無僧日記

虚無僧のの祖師は「普化」だが、その「普化宗」を日本に

伝えたのは、紀州由良興国寺の開山「法燈国師覚心」と

される。

しかし、この話は荒唐無稽。「法燈国師」の伝記や史料には

尺八や普化宗との関わりなど全く出てこない。虚無僧たちが

勝手に「普化宗の日本開祖」に祀り上げたのだ。

では、なぜ「法燈国師」が「開祖」とされたのか。

それを私は探り続けている。

そもそも、法燈国師が鎌倉時代に、由良に開いた寺は

「西方寺」で、真言密教の高野山の末寺だった。

「西方寺」は、西国(中国)への渡航を望んだ「源実朝」の

遺志を継いで建てられ、実朝と北条政子の御霊を祀るために

建てられた寺だった。

その「西方寺」が「興国寺」となるのは、鎌倉幕府が滅び、

後醍醐天皇による建武の中興が成った後。「興国」とは

南朝の元号で1340年から1346年までの間。

その後、興国寺は、後醍醐天皇の子「後村上天皇」の

帰依をうける。

ここで、「一休」「後村上天皇」「興国寺」という一本の線が

つながるのである。

『一休和尚法語』の中に、「興国寺の開山法燈国師」の

作として「なにごとも夢 幻とさとりては うつつなき世の

すまいなりけり」 という歌が載っている。

この『一休和尚法語』によって、虚無僧たちは「由良の開山

法燈国師覚心」の名を知ったのではないか、というのが

私の推理。

 


10/26 能楽堂公演「一休語り」の内容

2014-09-18 22:26:46 | 虚無僧日記

パソコンが開かれず、ついに壊れたかと、思ってましたら、

コンセントがはずれていて、バッテリー切れでした。

お恥ずかしい。また一週間のご無沙汰でスミマセン。

さて、「一休と森女の謎」がついに解けました。

 

私が かねがね  疑問に思っていた点。

一つは「一休は、師 華隻からの印可状を破り捨て、

大徳寺の住持の肩書きなどクソ喰らえと、一托鉢僧

として生きてきたのに、81歳で、コロリと信念を変え、

大徳寺の住持に着いたのはなぜか。逆に、大徳寺は

兄弟子養隻とその一派に牛耳られていたのに、

敵対し続けた大徳寺が、なぜ一休を受け入れたのか。

一休が大徳寺の住持になったこと、なれたことが謎

である。

 

第二は「森女は、貧しい旅芸人、琵琶弾き、三味線を弾く

ゴゼなどとされてきたが、原典である『狂雲集』には

そのような記述は無い。一休は作詩の中で、森女の

ことを「上郎」「王孫」「輿に乗る」と歌っている。

「森女の深い恩を忘れたなら、未来億劫 畜生の身」

とか「三度生まれ変わっても一緒になろう」と詠じている。

森女へのそれほどの深い恩とは、ただ単に「老木が

蘇った」という情愛ではないはず。「旧約新たなり」とは

どんな約束だったのか。

この二つの疑問が解けたのです。

 


10/26 能楽堂公演「一休語り」の内容

2014-09-11 19:36:11 | 虚無僧日記

さてさて、刀も絵も売り払って スッキリ。10/26に 向います。

能楽堂公演の第一部のシナリオが できあがりました。先に

ブログで公開してしまいます。 

タイトルは 「一路が語る一休と森女の恋」

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私は、かつて宇治の吸江庵(キュゥコウアン) に住まいしたる一路でござる。

私が一休殿に会ったのは、もう六十の還暦を過ぎた頃のこと。

一休殿は、宇治から2里ほど離れた 薪村の酬恩庵に住んでござった。

村人の評判を聞いて、私の方から訪ねていった。

「一休殿はこちらか? 私は、一路と申す」 と 声をかけるとな、

「万法道あり、いかにこれ一路」と 問うてきた。そこで

「よろず休め休めといいながら、いかに一休み」と言い返してやった。

そこで二人で大笑いし、以来、親しき尺八の友となりもうした。

(尺八吹奏)

応仁元年、一休 74歳の時じゃ。応仁の乱が起き、京都の町は

大方焼けてしまった。兵火は薪村にまで及んできたため、わしと

一休は難を逃れて旅に出ることにした。

「さぁて、どこへ行くか」。一休は扇を開いて、「そうじゃ、ここじゃ

ここじゃ」。「はて、扇のさす先は どこじゃ?」「扇は戸に羽と書くから

トバ(鳥羽)じゃよ。

さて、鳥羽をめざして行く途中、顔見知りの山伏に出会います。

「あれ、そこへ行くのは一休殿ではござらぬか。一休さんどちらへ?」

「風の吹くまま」「風吹かぬ時はいかに」「吹いてゆくわい」

と、一休さんは尺八を吹いて・・・・・・ (以下つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 


“舞い”と“言霊”の世界

2014-09-11 19:11:11 | 虚無僧日記

今月はスケジュールがすごいことに。老人ホームなどへの

ボランティア演奏が8件。詩吟の伴奏が2件。中日ホーム

ニュースの取材が一件。もうテンテコ舞い。

そして、毎日いろいろな人との出会いがあって、人生充実。

今日も不思議な世界を覗き見してきました。宗教的な祈り

の舞い。「特定の宗教ではない」と否定されてましたが、

元々、“舞い”は宗教的儀式から発祥したのですから、

その原点ともいうべき踊りです。

また、「言霊(ことだま)」の話も興味深かったです。

「虚無僧は、明暗の相対を超えた絶対の光の世界」

「虚無なる 光 求めて、 一途に路(みち)を歩むべし」

と諭されました。


ついに刀を売る羽目に

2014-09-10 21:29:55 | 虚無僧日記

ピンチ! 今月の家賃が払えない。 掛け軸が100万円

ぐらいで売れるかと当て込んで、次々とネットで買い込んで

しまった。しまったしまった島倉千代子。

掛け軸は1万円もしないとのこと。真っ青。カード地獄の

あの悪夢がよみがえって、ブログどころでなくなってました。

窮して、いよいよ先祖伝来の刀、最後の一振を売ることに。

10年前、カード破産した時、刀を4本売って、弁護士費用に

充てたのでした。その時の査定で「30万円」と言われた古刀

だけは 売らずにおいたのですが、その最後の一振を今日、

刀屋さんに持ち込みました。

この10年で、刀の値段は下がる一方とのこと。査定は

10年前の三分の一の10万円。ガックリ、くりくり、栗田貫一。

10年前、売っておけばよかった。後悔先に立たず。

それにしても、50年前、平均月収が3万円のときに「30万」

と云われた刀。当事だったら年収分に相当していた。

それが50年経って、10万円。月収の半分。

 

逆に言うと、昔100万円以上もしていた刀が、今なら

10万円台で買えるようになった。

尺八もそう、2、30年前 「100万円」していた尺八が、

今はネットで 3万円で買える。

掛け軸などは、昔100万円のものが1万円。

1万円で買って、外国人に売れば、倍ぐらいにはなるか。

とにかく、日本の古い文化が音を立てて崩れていく。

現代に必要とされないものは、何の価値もなくなった。

嘆くべしか。

 

 

 

 


“歴女”が 求める歴史上の英雄像とは

2014-09-03 21:17:45 | 虚無僧日記

伏見の地下街に「戦国カフェ」がオープンした。

近年では、この地下街は すっかりさびれてシャッター街。

いつ通っても「戦国カフェ」は ガラ空き。客の呼び込みに

一役かおうと、「歴史のよもやま話」の会を定期的に

開催してはどうか。私がその講師を勤めたい」と売り込んで

みた。

若いしっかりしたオーナー氏曰く。 「今時の歴女は、

名古屋武将隊の彼らのファンであって、“ほんものの”

三英傑(信長、秀吉、家康)の真実の事跡などには興味

ないですよ」と。一蹴されてしまった。

 

歴史が 歴史で なくなっている。彼女たちが憧れる

「前田慶次」などは、歴史上の史料はほとんど残っていない。

彼女たちが知っている「前田慶次」は、マンガやゲームソフトで

知った架空の人物だ。

まともな歴史が、必要とされていない時代となった。

私の出る幕が なくなってしもうた。 げに恐ろしや。

 

 


さささ、3,000 マンエン!?

2014-09-03 15:16:03 | 虚無僧日記

ハラハラドキドキ、一週間の沈黙でした。東京の実家から、母から

「売ってくれ」と託されて持ってきた掛け軸。「小野竹喬」「伊東深水」他。

これは1,000万の価値はあるとのこと。とワクワクドキドキ。ネットで

探した古物商に 写真添付して査定を依頼。

「バブルの頃は 1,000万したものも、今は100万。売るとなると

10万ですからねぇ」 と 云われて  まず ガクッ! 

「それも本物と鑑定されて、状態が良ければの話。鑑定料は一点につき

5, 6万 かかります。滲み などが有る場合は、 その修復に作品の値段

以上かかる場合もあります」。

「箱書きも重要です」

まぁ、いろいろ勉強になりました。

さて「鑑定結果はいかに」。 ジヤジヤジヤジヤ~ン。

二点で・・・・・・3,000・・・。  「さささ 3,000万円!!?」

「いえ、3,000円です。 偽物です」。

もうショック。

「せめて20万でも 入れば」と、それを当てにして、10/26の能楽堂

公演のために、衣装やら小道具類を ネットで買い込んでしまった。

“しまった  しまった“ である。 カードの支払いができない。

もう、まっさお。 落ちこんでます。

 


小道具類売ります。買ってちょ

2014-09-03 14:57:59 | 虚無僧日記

そんなわけで (資金繰り厳しく)、10/26日の 「能楽堂公演・一休語り」

終了後、公演のために買い揃えた 衣装や 小道具類を、

ネットで買った値段の半額で 売ります。

木魚 3,000円

見台 5,000円 (義太夫用の 金蒔絵をほどこした立派なもの)

骸骨 2,000円

模造刀 大小 二本セット 1 万円 (鞘は 茶金 梨地 柄巻は黒)

着物 花嫁衣裳の内掛     5,000円

袴 (能衣装なみの派手な柄) 5,000円

鎧の佩盾(はいだて=膝当て) 5,000円

尺八 2尺8寸管     10万円

尺八 1尺8寸管      3万円

品物をご覧になりたい方は、ぜひ 10/26 能楽堂公演 見に来て

ください。


「贋作詐欺」は日本のお家芸?

2014-09-03 14:41:47 | 虚無僧日記

「最近 オレオレ詐欺だの、還付金詐欺だの、世の中悪くなった。

昔の日本人は、清く正しく、お互い 信頼で 生きていた」なんて 

したり顔でいう人の面を ひっぱたいてやりたい。

昔の方がひどい。美術骨董品や刀剣類では贋作が当たり前。

「お宝鑑定団」を見ていても、本物は 稀れ。“いったい どういうことだ!”

と 云いたい。昔の人は 平気で贋作を作り、古物商も 贋作と知って

素人を騙して高く売る。

騙された方は「目利き」ができなかった未熟者。 “騙し 騙され” を

楽しむのが 日本文化だった かの 感すらある。

どうして、こんなことが許されてきたのだろう?。

 

つい、数十年前まで 日本人の代名詞は 「猿真似」 。

松下電器などは「マネシタ電気」と揶揄されていた。

贋作日本を今 中国が マネし。 マネされて、日本人が

怒ってる。云えた義理か?