現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

ロシアから「これ見てください」

2011-03-30 15:17:30 | 虚無僧日記
またまた、モスクワの サーシャ からメール。

なんと、彼が日本に来て、私の家まで 遊びに来た時 「手向」を
教えた時の映像が、彼のホームページ上に アップされているのだ。

教えたことも、撮られていたことも忘れている私である。
その映像見て、我ながらひっくり返るほど おかしい。
なんて落ち着きのない先生だ。顔が「バカづら」。生徒の方が
泰然自寂(たいぜん じじゃく=落ち着いて堂々としていること)。
もう ( 猛 ) 反省。お願い、見ないでください。


(彼からのメッセージを転載)

「 先生さま これ見ってください

http://www.youtube.com/watch?v=aiD2ukgJtBo

http://komuso3.livejournal.com/」


私のホームページ・アドレスは「komuso-ichiro」(虚無僧1)。
彼は「komuso3」(虚無僧3)

これも笑えた。


愛知高校 グリークラブ

2011-03-29 20:38:23 | 虚無僧日記
昨日の「愛知高校グリークラブ」のコンサートに感動して、
「愛知高校」について検索してみた。

「愛知学院大学」の付属高等部。曹洞宗系の私立学校
とのこと。どおりで 礼儀作法が見事だった。

2チャンネルの書き込みでは、「しつけは 名古屋でも
一番厳しい」とか。女子のスカート丈は全員膝まで。
化粧は厳禁。男子は紺色のブレザーに グレーのズボン。

公立高校の女子は 超ミニスカートで、茶髪に付けまつげ、
「キャバクラ嬢」と言われるほどのケバイ化粧。男子は
解襟に腰パンが当たり前になっているのに、今時、こんな
学校もあるのかと 感心した。

部活動の紹介では、「生活姿勢・学習習慣・言葉遣い・
目上の人間への気遣い・来客への心遣いなどを 特に
大切に考えています」と。
なるほど、昨日のコンサートでは、会場の入口の外にも
学生が数人 立ちならび、来客を迎え入れていた。
その姿勢からも「これは何か違う」と感じられた。

そして、「高い専門性」を追求し、有名な音楽家を招いて、
直に指導を仰いでいるのだ。

昨日のコンサートでは、指揮者として 大阪から 高嶋昌二氏が
招かれていた。

愛知高校の吉田稔先生の指揮もすばらしかったが、高嶋氏は
また全然違う趣で、圧巻だった。指揮者と生徒たちが、完全に
一体となっていた。指揮者の「気」が聞き手にも伝わり、
その華麗な動きに見とれ、こぶしを振り上げ力強く突き出す
時には、感動で涙が出た。

その高嶋昌二氏は、音楽大学を出ていない。京都大学文学部卒で
淀川工業高校の国語の教師だった。そして、初心者ばかりの
男子高校生を率いて、関西代表として全国コンクールに17回
出場し、金賞11回、銀賞4回。特別賞7回という輝かしい
入賞歴だ。

この指揮者あって、また 仏教に裏打ちされた宗教的指導も
あって、あれだけの感動的なコンサートができたのだと、
あらためて納得した。


こんな時だからこそ

2011-03-29 10:34:08 | 虚無僧日記
3/28(月) 愛知高等学校・グリークラブの「第7回定期
演奏会」が、愛知県芸術劇場コンサートホールであった。

受付に入る前から、雰囲気が違った。来客を出迎える
姿勢から「これは、何か違う」と 思わせるものがあった。

そして、幕の無い舞台。学生が登場し、舞台上に整列
する姿も 凛々しく 美しい。壇上では、身動きひとつ
しない。そして指揮の先生が登場。学生のキリッとした
不動の姿勢とは 対象的に、パントマイムのような
動きで どこかユーモアがあり、会場を和ませる。

そして、指揮に合わせての 第一声で、唖然。発声も
ハーモニーも実に美しい。

あらためてプログラムを読んで知った。愛知高校の
グリークラブは、創部されてまだ8年。しかし、
3年目には 愛知県、中部大会「 金賞 」を 経て、
全国大会で「 銀賞 」。以来、毎年、NHK主催の
コンクールはじめ、数々のコンクールで、愛知県や
中部地区の代表に選ばれるほどのハイ・レベル。

ドイツ語、イタリア語、みな暗譜。日本語の曲では
笑いも 涙もあり。難しい「現代音楽」の曲も サラリと
歌いあげることに 目を見張る。

最後に、指揮をされた音楽の先生も、感極まって、
涙をこぼしながら 挨拶された。

「3月20日に全国大会が福島で行われる予定でしたが、
それが震災で中止と決まった時、子供たちは 誰一人
『せっかくここまでやってきたのに 悔しい』とか、
『残念』といった言葉を口にしませんでした。
『こんな時だからこそ、自分たちに何ができるか』と
相談して、プログラムも一部変え、今日に臨みました。
そして一曲一曲祈りを込めて歌いました」と。
もう、聴く人も 感動 感動で 涙 涙。

コーラスで、こんなにも 聴衆を泣かせもし、笑わす
こともできるコンサートを、私は 未だ 見たことがない。

考えてみれば、4月に入部してきたド素人の一年生が、
1年でプロ級の発声を身につける。そして3年で
巣立っていくのだ。3年間の青春に賭ける彼らの情熱と、
それを率いる「 熱血先生 」の ヒューマン・ドラマは、
今まで 何回か テレビでも 放映されたそうな。

「涙、涙の 感動を ありがとう!」とアンケートに
書かせていただいた。


花見も中止!?

2011-03-29 09:09:24 | 虚無僧日記
毎朝 ラジオ体操をしている 那古野神社の桜の蕾も
日に日にふくらんできた。開花も近い。
ところが、「敷物を敷いて、酒類を持ち込んでの
飲食は禁止」の張り紙。神域だからか、ゴミを
散らかされ 困るからか、それとも、東北の被災者
のことを思って、騒ぐのを自粛せよという意味か?。

「慶応三田会」の観桜会も「福島県人会」の花見
ツアーも「中止」の知らせが来た。イベントは、
何もかも中止。尺八の仕事もサッパリ無くなった。
いいのか 悪いのか。

そんな中、昨日の甲子園・高校野球。「こんな時に
野球なんかやっていいのか」と自問しながらも、
「こんな時だからこそ、郷土のために頑張る姿勢を」と、
出場した東北高校。多くの声援を受けながらも、
大垣日大に7-0で完敗した。相手は 優勝候補校
では 仕方ない とは言え、東北人の私としては、
“ 見るも無残、情けない ”と思ってしまう。

でも、今朝の新聞各紙は、敗れた東北高校の方の
写真を大きく掲載していた。中日新聞のコラムでも、
「今、被災地で一番必要なのは、食料、水、医薬品
等だが・・・」との前置きで、ボルテールの「余計な
ものこそ、とても必要なのだ」という言葉を引き
合いにして、「彼らが必死で試合している姿が、
どれほど、被災地の人々の励ましとなったか」と。


3/26 栄

2011-03-28 22:19:07 | 虚無僧日記
3/26(土) 夜、久々に栄に出てみた。車も人も少ない。
ビルの屋上の広告塔はみな消されている。パチンコ店や
カラオケ屋の派手な照明も消えている。

暗闇から、無灯の自転車が 突然 現れる。「ひったくりか」と
一瞬 見構える。人通りの無い暗がりでは 人に会う方が 恐い。

「名前で占うあなたの運勢」というのがあった。1件100円。
人は居ない。無人だ。「いちろう」と「しんいち」の2枚を
選んで200円を 缶に入れた。てっきり「姓名判断」かと
思ったら、騙された。
神社にある「おみくじ」と同じ。「中吉」「大吉」の
「おみくじ」が入れてあるだけ。名前は関係ないのだ。
たまたま「名前」の所に入れてあるのを引いたという縁か。

さて、一枚は「大吉、心を素直に持っていれば運は開る」
もう一枚は「日に新たに、日に日に新たに。古きを捨て、
要らぬことは捨て、こだわりも捨て、目的に向かって
進むこと」と。

フムフム。それなりに納得。今、過去の古いものを
躍起になって 捨てている最中だ。

日本は「奴隷制の国」だった?

2011-03-26 15:58:56 | 虚無僧日記
中日新聞 連載中の『親鸞』で、五木寛之は、最近「下人」や
「」について、こだわって書いている。今後の展開は判ら
ないが、私も関心がある。

古代史で出てくる「魏志倭人伝」の「倭」や「奴国」の「奴」、
「卑弥呼」の「卑」、みな あまり良い意味の字ではない。

「倭」は「やまと」「和」。「日本人は 穏やかで 平和を愛する
国民性と、中国から見られていた」などと いう 説が 心地よく
唱えられているが、見方を変えれば、これは 中国から
日本を 見下した「蔑称」だ。

「倭」は「人に委(ゆだ)ねる」だから、「従順」と言えば
聞こえはいいが、「人に従う、隷属する」、悪く言えば「奴隷」。
事実、日本から中国への貢物は「生口=奴隷」だった。
日本は「奴隷を献上する国」だったのだ。

107年(後漢永初1)、倭国の王帥升らが、後漢の安帝へ
「生口」160人を献じている(『後漢書』)。
その後、倭王卑弥呼も、239年(魏景初2)に、魏の明帝へ男の
「生口」4人、女の「生口」6人を。さらに 243年(魏正始4)、
魏の少帝へ、その後継者の台与も 248年に「生口」30人を
魏へ献じている(『魏志倭人伝』)。

「生口」は「捕虜」「奴隷」、さらには、中国では この時代、
「食人の風習があったので、そのための食材であった」という
恐ろしい説もある。

五木寛之『親鸞』で書かれているように、古代から中世まで、
いや、つい最近まで、「子盗(と)り、女盗(と)りは 世のならい」
が、日本では 横行していたのだ。日本人は、それに長い間
目をつむってきた。その暗部に、五木寛之は、今触れようと
しているのか。興味深い。




義捐金と義援金

2011-03-25 08:43:22 | 虚無僧日記
東日本大震災で亡くなられた方の名前が、連日、新聞に掲載される。
そして、中日新聞社に「義援金」を届けられた方の名前が、
これまた、1面どころか、2面、3面にわたって 掲載されており、
その数は日増しに増えている。すばらしいことだ。

一方、名古屋駅前では、相変わらず、若い人たちが、募金活動を
行っている。だが、もうそろそろ、入れる人の数は減ってきている。
公共施設でも コンビにでも レストランでも、至るところに
「募金箱」が 置かれており、もう大方、募金されたことと思われる。
私も なけなしの金を はたいた。

学生が 一日立って、募金を呼びかけるよりは、「一日アルバイトを
して、そのお金を募金した方が、もっと多く募金できるでは ないか」
などと 思ってしまうのは 私だけか?


ところで「ギエンキン」は、昔は「義捐金」と書いた。今は「義援金」。
「援助」するのだから「義援金」の方が判りやすい。「義捐金」では、
「損する」と 読み間違えられ やすいからか。

辞書を引くと、「捐」には「捨てる、捨てさせる」の意味がある。
「喜捨」と同じか。

なお、「義」の字は、「羊」に「我」。「羊」は、優しい動物であり、
古来「生贄(いけにえ)」にされた動物だ。「我」が「他のため、人の
ために 犠牲になる」という意味らしい。未曾有の震災で、人々は
「他のため 人のために 何かできることを」と、「自己犠牲」に
目覚めた。「仏性」を呼び起こしたのだ。良いことだ。

安全と安心

2011-03-25 08:14:39 | 虚無僧日記
「○○だから安全よ」というより「ママがついているから安心よ」
そんなCMがあった。「安全と安心」について考えさせられる。

たとえば、「シートベルトをしていれば安全よ」、「ママが運転
するから安心よ」の違い。

「安」は「ウかんむり」に「女」。つまり「家の中に女が居ると
安(やす)らか」。「全」は「城に王様がいて守ってくれる」という
意味だとも。

「原子力発電は 絶対に安全です」と 国も電力会社も言い続けて
きたが、それで「安心」する人と、それでも「不安」を感じてきた
人がいた。

今回の事故で「安全神話」も「安心」も すべて 吹っ飛んだ。
「絶対」は「ぜったい無い」ということを学んだし、国も大企業も
「国民の命を守ってくれるもの」との信頼は 失われた。

自分の命は自分で守る。

「生きている限り、毎日が学習。お勉強よ」と 今朝のモーニングで、
大野さんの言葉。「おおの」は ローマ字で書くと「OhNo」だ。

何でも疑ってかかれ。「水が無いの、飲めないの」と風評に惑わされ、
パニックになるのも「Oh,No!」だ。


節電、節水、節約

2011-03-24 20:47:27 | 虚無僧日記
ガソリン店頭価格150円台に 5週連続値上がり(朝日新聞) - goo ニュース

ガソリンが1㍑ 150円を超えた。1,000円で6㍑ ちょっと
しか入らない。私の車は 燃費が悪いから、1リッター
6kmぐらいしか走らない。
ということは、岐阜まで往復すると ガソリン代だけで
2,000円かかるということだ。今まで毎週入れていたが、
ガソリン高騰により、車の利用も控えるようになった。

父は東京電力に勤務していたが、私が電気を付けっ放しに
すると、すぐ「電気消せ、電気消せ」と、私の後を付け
廻っていた。中部電力のオフィスは、以前からも薄暗い。
昼休みは、ほとんど消している。自分のところで生産して
いるものを消費しないのは変だと思っていたが、ここに
きて、自ら節電の範を垂れていることに感心した。

今、私の部屋には、18畳のリビングに、蛍光灯が13本も
ついている。外から見ると、私の部屋は煌々と一番明るい。
周囲を見回すと、どの家も真っ暗だ。
Aさんは、一人暮らしで 電気代 380円とのこと。冷暖房
は無し。昼はスーパーなどに入り浸り、夜は布団にくるまって
寝る。私は、24時間風呂とエアコン2台付けっ放しで、
月 15,000円。

「今、私にできること・・・・・」というCMが 頻繁に流れて
いる。「不要の物を買わない。余計な電話を掛けない」。
こんな事態に遭って、ようやく、私も生活の見直しを
根底から 考えるように なった。いいことだ。





水、水、水

2011-03-24 20:10:09 | 虚無僧日記
東京で飲料水の品切れ続出、乳児の水道水飲用規制受け(トムソンロイター) - goo ニュース

昨日、東京で一人住まいしている母から電話があった。
「石原都知事が、『東京の水は飲んではいけない』と
言っている。至急、名古屋から 水 を 30本 送ってくれ」
と、興奮している。

ニュースでは「乳幼児が毎日、一年間飲み続けたら、不安」
程度のことだ。「パニックになって、買いだめをしない
ように」との コメントも出されている。

それでも、「これも親孝行か。母も、これで気が休まる
なら」と、すぐ水を買いに走った。どこでも売っている
ものと思ったら、コンビニに無い。結局、スーパーを
2、3軒廻って 30本買い集め、宅急便で送った。
営業所に行って、ダンボール箱に詰めて送った。

しめて 6,000円もかかった。「水はタダ」という概念が
崩れた。そして、今日の午前中には着き、母はワナワナ
震えて泣いて喜んだ。

今日のニュースでは、放射能のレベルは下がったので
もう安全とか。「ホラみなさい」と言いたい ところだ。

だが、87歳の母は、足腰もだいぶ弱り、もうペットボトルを
買いに行く力 も無くなっているのだ。こんな騒ぎのおかげで、
水ごときで、親孝行ができた。


先日Aさんが、餓死した。足が不自由になり、外出できず、
水も食料も買いに行けなくなって 餓死したようだ。
母も 今 そのような状態に なりつつあると気づかされた。