現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

警察官の犯罪メキシコ深刻

2014-01-23 21:38:16 | 地球人類の問題
中日新聞に「警察官の犯罪・メキシコ深刻」の記事。

なんと、メキシコでは警察官の犯罪が 多発している
とのこと。

2010年には、犯罪に関与した警察官3,200人が解雇。
うち465人が起訴。翌2011年には1,000人が解雇。

2013年、殺人や誘拐事件で13人の警察官が逮捕。
昨年一年間の誘拐事件は10万5千件。このほかにも
警察に届けていない事件も多い。届けると、警察官も
関与している危険性があるからとか。

全犯罪のうち、警察に通報されるのはわずか12%という
報告も。たとえ通報しても、そのうち1/3は、警察の
捜索が行われない。

腐敗の原因は「警察官の給料が安いこと」「警察幹部も
麻薬密売組織に買収されていること」。

まったく、メキシコの警察はメチャクチャ。
おそロシアよりひどい。ご用心。

18日は伊勢へ

2014-01-20 15:43:22 | 虚無僧日記

18日(土)伊勢で虚無僧。外宮、内宮にお参りしてから、
「おはらい通り」のはずれ、「神宮道場」の白壁の前で。

商店街は人通りも多く、通行の邪魔になりますので、
町はずれで、遠慮気味に。

駐車場から歩いてくる人の列が、今年は時々 途切れるほど。
人出が少ない。喜捨してくださる人の数も少ないが、
それでも20名ほど。さすがは伊勢。名古屋よりは
はるかに多い。

3歳くらいの女の子が母親から10円玉を渡されて、
私の方に向かってくる。「虚無僧」なんて見たことも
ないだろうに、まして「げ箱」に お金を入れることなど
教えられてもいないだろうに、本能的にそれがわかる
ことが不思議。人間は生まれながらに「布施、徳積み」の
心を持っているのでしょうか。

ご婦人が近づいてきて、じっと天蓋の中をのぞく。
「あれ、牧原さん!?」こんなところでSさんにばったり。
偶然か、必然か、こうした出会いがホントに楽しい。

喜捨いただいたお金は、駐車料代にすべて消え、朝から
飲まず食わず。

帰り道、津の本願寺に寄る。眞道さんに、天麩羅に、ソバと
餅をたらふくご馳走になり、さらに 車のトランク一杯の
野菜をいただいて帰る。お寺さんから布施をいただくとは。
ありがたや、ありがたや。


13日は大須観音へ

2014-01-20 15:43:12 | 虚無僧日記
毎年、大須観音と伊勢で虚無僧することにしています。
今年は13日(月)に、大須観音に行きましたでござる。
1月の第2日曜日は「成人式」の日。そして大須観音では
「成人式の日」に、正月の注連(しめ)飾りなどを燃やす
「左義長(さぎちょう)」を行っています。

昨年より人出が少ない。屋台も出ていませんでした。
成人式の日ですが、晴れ着の娘さんも数人だけ。
10代の若い人が圧倒的に多い。若い世代は「虚無僧」に
見向きもしません。社会が もう「虚無僧」を受付けなく
なっているのを感じます。

以前なら10分に1人、1時間で5、6人は喜捨して
くださったのに、2時間吹いて4人。それでも、年配の
ご婦人と、40歳くらいの男性、そして10代の女の子が
二人。4人だけでも虚無僧に喜捨していただけたことが、
ありがたくうれしい。

あきらめて地下鉄の駅に向かうと、詩吟の会の幹部の方々
にばったり。今日大須で「新年会」とのこと。

「しめた!」とお布施を期待しましたが、新年の挨拶だけで
「さよなら」。ああつれない。どうも最近は、懐具合が
豊かに見られているようです。虚無僧で生きなければと
いう必死さが、私から見られなくなったせいでしょうか。

伊勢神宮はパワースポット?

2014-01-19 20:28:39 | 虚無僧日記
私が名古屋に来たのは平成5年ですから、丁度20年前。
その年も「遷宮」があったはずですが、今回ほど、騒いで
いませんでした。伊勢神宮にお参りしても、年寄りばかり。
それが「パワースポット」とか宣伝されて、若者の人気を
得、「遷宮」のPRが功を奏して、マスコミに乗り、空前の
「お伊勢ブーム」を巻き起こしました。
「お伊勢参り」のブームは、江戸時代でも何十年かに一度の
割りで、突然舞い起こったようです。

さて、「外宮」の正宮前、数十m 離れたところに「三ツ石」と
いうのがあります。玉砂利の中に埋もれそうな石ですが、
四方に注連縄(しめなわ)を張り巡らしていますので、
参拝者は近づいて、「なんか いわくありそう」と手を
差し伸べます。すると「手が熱くなってきた」「感じる
感じる」と喜びあいます。

何も説明書きがないので、神官?に聞いてみました。
「その昔、ここに川が流れていた。遷宮の時に、川原の
大払いをする場所で、目印として置いてあるだけです。
石からパワーなんか出ません。手をぐっ~と伸ばせば、
誰だって力がはいって温かくなるでしょう。熱を出して
いるのはあなた自身です」とにべもない。

なるほど、無い無いづくしの「神宮」です。パワースポット
なんていうのは、人々が勝手に言い出したことで、伊勢神宮
としては何も言っていません。

しかし、以前TVで「パワースポット」と呼ばれる場所を
調査していました。なんでも「磁場の+-」が打ち消し
あって、「磁場がゼロ」になる。つまり磁石の針がクルクル
廻って北を示さなくなる場所というのです。そこに佇むと、
「病気が治った、歩けるようになった、癌も消えた」という
報告がたくさん寄せられているとか。

神代の昔から、人はそうした「霊気」を感じて、そこに
神社仏閣を建ててきたといいます。



お伊勢参り

2014-01-19 17:41:15 | 虚無僧日記
1月18日(土)伊勢に行ってきました。

毎年、正月には「お伊勢さん」に詣でます。
今年は20年に一度の「遷宮」ということで、空前の
「お伊勢参りブーム」とか。さぞかし、押すな押すなの
超満員だろうと、正月三が日をはずして、18日(土)に
なりました。早朝4時に名古屋を発って、6時半に「外宮」
参拝、7時半に「内宮」へ。

はて?思いのほかガラ空きでした。今年は正月が6連休、
先週も「成人式」で3連休あったからでしょうか。

三が日の参拝者も、80万という予想を大きく下回り、
60万だったとのこと。やはり混雑を避けて、4日以降に
分散したのでしょう。

ちなみに、熱田神宮は三が日で、名古屋市の人口を上回る
260万人と いいますから、最高峰の「伊勢神宮」にしては、
意外に少ないのです。

元旦に「熱田神宮」で「垣内参拝」をさせていただいた私。
「伊勢神宮」は「熱田さん」とは、いろいろ異なり、その
ギャップに戸惑います。

「伊勢神宮」は「無い無いづくし」です。
普通の神社にある「狛犬」「鈴」「おみくじ」がありません。
「賽銭箱」も無いのです。お札やお守りには「伊勢神宮」と
書いてありません。それらを入れる紙袋はまっさらで
何も書いてないのです。

そもそも「伊勢神宮」というのは存在しないのです。
我々が勝手に「伊勢神宮」と言っているだけで、正式名称は
ただの「神宮」です。

天皇の祖先「天照大御神」を祭ると言われますが、長い
歴史の中で、歴代の天皇は一度も「伊勢」にお参りした
ことは無かったのです。初めて詣でたのが明治天皇。

さて「賽銭箱」が無い。「投げ銭」は禁止されています。
といっても、そんなこととは 露知らぬ世俗の人は
「投げ銭」をしますので、玉石の上に撒かれては困るので、
白い布を敷いているのだとか。

たしかに神様に向かって「投げ銭」は失礼でしょう。
それより、平安の昔「私幣禁断」と定められ、個人の
お参りは禁止されていたのです。「お参り」というより、
個人が「お願い事」をすることが禁止されているのです。
私も知りませんでしたが、私は、どこの神社でも
「お願い事」はしません。ただ手を合わせるだけです。

それは「吉川英治」の『宮本武蔵』の一節「神仏を信じ、
神仏を頼まず」を読んで、ずっとそのように心がけて
いるのです。

正宮では「国家安泰・平和護持」を祈り、感謝するところで
あって、個人的な「受験合格しますように」「よい縁談が
決まりますように」などという私的なお願いは しては
いけないのです。

「垣内参拝」も「熱田さん」とは大きく異なりました。
「熱田神宮」では、神官の「お払い」を受け、玉串奉奠、
そしてお神酒とお供物をいただけるのですが、「伊勢神宮」では、
「お払い」も無ければ「お供物」も「お神酒」もありません。
ただ神官に誘導されて、垣の内にはいり、自分で「2礼
2拍手1礼」して終わり。

垣の内に入れていただくには、「1,000円以上の寄付」で
良いのですが、カジュアルな服装ではダメです。正式には
モーニングですが、せいぜい黒の略礼服に白ネクタイ着用
ですから、否が応でも、厳粛な気持ちになります。

やはり格式でしょうか。伊勢は別格です。

「何事のおはしますかは
しらねども かたじけなさに なみだこぼるる」(西行法師)

ほんとに、何も無いからこそ「無心」に帰り、清清しい
気持ちになれるところです。


追記

実は、お願い事やお払いを受けたいときは、手前の「神楽殿」で
できます。初穂料は 1万円~60万円。神楽を演じていただけます。
納めた金額で「神楽」の演目が違うようです。

以前、手前の能楽堂で「奉納演奏」をさせていただいた時は
「10万円」で、私は紋付袴に羽織着用でした。神主の祝詞も、
お巫女さんの舞も、それはそれは別格で、異次元の世界。
ありがたさに涙こぼれましたです。

木下恵介 『二十四の瞳』

2014-01-17 11:31:55 | テレビ・映画・芸能人
昨年は「木下恵介」生誕100年でした。それでか、
中日新聞 12/29 日曜版『昭和その人、その時』に
「保阪正康」が書いていました。

「木下恵介・怒りが生んだ『二十四の瞳』」
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『二十四の瞳』が公開されたのは 昭和29年9月。
戦争が終わって9年。戦後の苦しみからやっと解放
されたとはいえ、朝鮮戦争、自衛隊の発足など東西
冷戦に巻き込まれるのではとの不安があったときだ。
そんなときにこの映画があらためて戦争の惨酷さを
訴えたのである。映画館は満員で、ほとんどの客が
涙を流す映画となった。
この年木下恵介は、同じく戦争批判映画『女の園』を
製作しており、日本映画賞などほとんどの賞を独占。
キネマ旬報ベストテンで黒澤明の『七人の侍』を押し
のけて1位2位を独占した。

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そう、黒澤明と木下恵介は同じ年に監督デビューし
お互いライバルだった。日本では木下の方が高い評価を
得ていたが、黒沢が海外で賞をとると、木下は影に
かくれ忘れられていった。黒澤の方は『七人の侍』
『羅生門』そして『乱』『影武者』とチャンバラで
威勢がいい。海外では「平和」より「戦い」ものの
方がうけがいいようで。


『二十四の瞳』は、「香川京子」「黒木瞳」、そして
昨年は「松下奈緒」と、たびたびリメイクされているが
いまひとつ人気に欠ける。

以前にも書きましたが、『二十四の瞳』は、国内では
大変な人気だったので、これを「カンヌ」だったか
「ヴェネツィア」だったか「国際映画祭」に出そうと
いうことになった。海外でウけるには、音楽は
「和楽器」が良いだろうということで、私の師
「堀井小二朗」に仕事が廻ってきた。そして
「大石先生が戦争で亡くなった教え子達の墓に
詣でるシーン」で 堀井小二朗が 即興的に吹いた曲が
『瞳』という曲。

『二十四の瞳』は アメリカで「ゴールデングローブ賞
外国語映画賞」を受賞し、堀井小二朗師は この一曲で
有名になった。

「瞳」に使用した尺八は、1尺4寸管。なんと師が、
箒(ほうき)の柄で作ったもの。その1尺4寸管を
私が継承し、今も『瞳』で食べさせていただいている。
モスクワ公演でもオープニングで使いました。

堀井小二朗師は、福沢諭吉の孫にあたるが、戦後一貫して
尺八だけで生活していた。当然生活は苦しかった。
どん底の中で廻ってきたのが映画音楽の仕事。

当時、1尺4寸管なんて特注だった。ちなみに、私は
「百瀬芳童」の1尺3寸管を ある事業家から
いただいたが、昭和40年で80万もしたとのこと。
今の価格で500万円 ほどでしょうか。尺八は
昔は 旦那衆の道楽でした。

「チャイコフスキー記念モスクワ音楽院」で行われた
牧原一路尺八独演会」の模様はこちら。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

「日本の文化」とは

2014-01-16 21:45:40 | 虚無僧日記
毎日新聞 1/3 社説「文化栄える国へ」。

「日本のさまざまな文化が 海外で高く評価され、人気を
集めている」との書き出しで、ワクワクしながら読み進めたら、
その「日本の文化」の中身とは、

「宮崎駿のアニメ、村上春樹の小説、安藤忠雄の建築ほか、
ファッション、現代美術、ゲームソフト、テレビ番組など」
でした。

そこには「邦楽も歌舞伎も能も茶も華も」含まれていない。

「アニメも小説も洋服も現代建築も外来のもの。しかし
外来のものを自分のものとし、日本の伝統と融和させながら
オリジナルな表現をしている」と。

そして「高い評価を得ている文化を社会全体で育てたいし、
国のバックアップも欠かせない。助成や顕彰する制度を
充実させたい」と。

もう30年も前だが「国際文化交流基金」の理事長が
「いつまでもお茶や琴や三味線じゃないでしょう。
現在の日本の姿を正しく世界に発信していくべきだ」と。

「国際文化交流基金」のホームページを開くと、そこには
「現代の舞台芸術」はあるが、邦楽や歌舞伎など古典芸能を
海外へ紹介する活動はない。

たしかに、現代の日本では、「邦楽」は非日常の世界だ。
そうさせてしまった邦楽家に責任はあるが、「邦楽」が
「日本文化」の範疇からはずされたことに、情けなさと、
深い悲しみを感じる。

モスクワ公演の模様がYoutubeに

2014-01-16 20:40:20 | 虚無僧日記
先月12/23 モスクワの「チャイコフスキー記念音楽院」の
ノマニエフホールで行われた「牧原一路尺八独演会」の
模様がYoutubeにアップされていました。自分で自分の
姿を見るのは、とんでもなく恥ずかしいのですが、ぜひ
見てください。後半拍手が鳴り止まずです。司会の
ユリアさん、和服をきれいに着こなして、美しかったです。

この公演は、なんと“日本の天皇明仁の誕生日を祝福して”
というメッセージ付きで、10月から開催されていた
『日本の心』シリーズの最終日、ファイナルコンサート
でした。それに日本から「尺八マスター」として私が
呼ばれたのですが・・・・・。なんでだろう なんでだろう。

どうやら、私は「虚無僧」ということで「禅のえらい坊さん」
のように思われたようです。全然、貫禄も風貌も風格も無く、
どう受け止められたのでしょうかね。



タイトルは「槇原一路 Итиро Макихара комусо」
になっていました。ロシア語って読めそうで読めない。なにせ
「I」が「N」のひっくり返った字。「R」が「P」ですから、
「ITIRO」が「INPO」。「インポ」。
「KOMUSO」は「KOMYCO」。「こみこ」。
なんかへ~ん。

ついでに、私のCD『竹打CHIKUDA』の曲に、なんと
私のホームページの写真をすべて貼り付けたのもYoutubeに
アップされていました。ロシアの竹友「サーシャ」の
努力のたまものです。ありがとうございますサーシャ。



私のホームページも見てください。

三菱東京UFJから再三不審なメール

2014-01-15 14:45:51 | 虚無僧日記
「受信拒否」に設定したはずなのに、またまた今日も
「三菱東京UFJ銀行Eメール配信サービス」が来ました。

********************************************
2014年「三菱東京UFJ銀行」のシステムセキュリティの
アップグレードのため、“貴様”のアカウントの利用中止を
避けるために、検証する必要があります。以下のページより
登録を続けてください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日、コメント欄に「リンク先のページは正式のものなので、
キーボード入力を外部に送信するウイルスに感染していないか
注意する必要があります」と、いただきました。


でも、「銀行からの正式メッセージ」に「こんにちは」とか
「貴様(きさま)」なんて使いますかね。「中国語からの
翻訳」という表示も出ます。なんで「UFJ」が、中国語で
送信してくるのでしょう。

通帳は20年も前のままですし、UFJ銀行に私のメール
アドレスを届けた記憶はありませんし、なんで、私のメールに
はいってきたのかが不思議です。

そこで、「三菱東海UFJ」のホームページを開くと、
「フィッシング詐欺が多発しています、ご注意ください」と
出ます。

でも、その「注意する」方法がわかりません。そういうソフトを
購入しなければならないようですが、それにはパスワードとか
契約番号の入力を」と出ます。それがまた怖い。


また、ネットバンキング登録をしないと、今後、カードでの
現金出し入れや 振り込みなどに手数料がかかるとか。

銀行は「パスワード」やメールアドレスの登録を半強制して
きますし、一方で次々とフィッシング詐欺で預金を盗られて
いる。そして、盗られても「本人が『確認』の上、実行を
押したのだから、被害 申し立てはできない」とか。


こんなことを書いたからか、早速「ウィルス対策ソフト」の
売り込みメールが 次々と はいってきました。

年寄りをあざ笑うネット社会に、高齢者は萎縮するばかり。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日本人は「恩きせがましい」?

2014-01-15 14:38:02 | 虚無僧日記
実践倫理の上広哲治会長の著書に「恩とは本来
見返りを求めないもの」として、「恩」についての
さまざまな書物や事例をあげて、解説している。

たとえば「外国人は、ホームパーティに招待して
心を尽くして“おもてなし”をし、別れ際には
たくさんの謝辞を述べるが、翌日になるともう
昨日のことは ケロット忘れて そっけない。
日本人なら、『昨日はどうも』と交わすところだが、
昨日のことには言及しない」という。

それは、ロシアで私も体験した。パーティなどで
親しくなって、「明日もまた会いましょう」と、
宿泊先や時間を約束する。でも、翌日、待てど
くらせど 訪ねてこない。

イベント会場で 歓迎をうけ「明日もぜひ」と
言われて、翌日も行くと、知らんふり。何だったの?
という思いにかられる。「また明日会いましょう」と
いうのは、その場限りの社交辞令のようだ。

中国語の「さよなら」は「再会(サイチェン)」。
ドイツ語でも「アウフ・ビーダー・ゼーエン」は
「また会いましょう」。

日本語でもそうか?。会うあてがなくても「またねぇ」。

話を戻して「昨日はどうもありがとうございました」と
言ってもらいたい日本人。外国人は「昨日は昨日、
今日これから またよろしく」なのだ。過去にこだわる
日本人と「今日一日」の外国人。

実践倫理も「昨日のことはキッパリ捨て去り、
今日一日」を 説く。

そう考えると、なんかすっきりしてくる。