現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

パソコン回復!

2013-09-21 21:16:20 | Weblog
半年ほど前、パソコン内の起動のソフトを消してしまって、
インターネットに接続ができなくなり、一珍くんに頼んで、
別ルートで開けるようにしてもらった。

それで「お気に入り」に登録したサイトがすべて
見れなくなっていた。それが、今日なにげなく、
前の方法でクリックしてみたら、なんと接続できた。

これで「お気に入り」情報も見れるようになった。
一体何だったのか?、わけわからんです。まずは
めでたし、めでたし。

銀座「天金」「池田弥三郎氏」の親族の方を探しています。

2013-08-08 20:16:03 | Weblog
私宛に、こんなメールが入りました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

8月9日より銀座の映画館「シネスイッチ銀座」で
「カラーで見る昭和20年代の銀座界隈」という写真展を
開きます。

その中の一枚に、慶応の「池田弥三郎」先生のご実家
「天金」という天ぷら屋さんの写真が展示されます。

ぜひ、池田弥三郎先生のご子息「池田 光」様や
ご親族の方に ご案内をさせていただきたいのですが、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

とのことです。

「池田弥三郎」先生は、私が慶応高校・大学(文学部)に
在籍当時、テレビのクイズ番組やバラエティ番組にレギュラー
出演されており、「慶応の名物教授」「タレント教授の走り」
などと言われておりました。そして、その息子さんの
「池田光」君とは高校、大学と同期でした。

「池田弥三郎」先生は、銀座の老舗天麩羅店「天金」
次男としても知られていました。「天金」は、明治になって、
徳川慶喜公もお忍びで利用されたという老舗。

元々は銀座4丁目の角、現在の「和光(服部時計店)」の
あった所ですが、土地売買のトラブルで敗訴。

その後、銀座の裏通りに場所を変えて営業していましたが、
私が大学を卒業した昭和46年、店を閉めました。

「弥三郎」氏は、昭和57年(1982)に亡くなられました。

尚、「天金」の創業者は「池田金太郎」。服部時計店の
創業者も「服部金太郎」で、同名でした。

また「セイコーホールディングス」の名誉会長となった
「服部禮次郎」氏は、昭和17年 慶応卒で、私の父の
一期下。義父(妻の父)とは 同期で、長年「慶応三田会」の
会長を務めておられましたが、今年の1月に亡くなられ
ました。



パソコンの不具合

2009-09-25 22:40:21 | Weblog
8月半ば、8日間の西国への「旅日記」を作成し、
お世話になった方々にお礼状と共にお送りしようと、
帰宅してから一週間、不眠不休でキイを叩き、完成
させたのであったが、全部消えてしまった。????
アウトプットできないのだ。もうショック。
「虚無僧は足跡を残すな」ということか。

もう一度作り直すにも、毎日の仕事に追われて、
時間が無い。このブログで見ていただくしかない。
今夏の虚無僧の旅も、私の記憶の中で、遠い過去に
なりつつある。


緒方拳

2008-10-09 10:07:00 | Weblog
緒形拳さんが急死…先月末には元気な姿も(スポーツニッポン) - goo ニュース

NHK大河ドラマ「太閤記」で緒方拳が秀吉を演じたのは
1965年。もう40年以上前と聞いて驚く。猿面なら竹中直人の
方が似合っているが、緒方拳の秀吉像を作りあげ、40年経て
も記憶に新しい。

めったに映画など見ない私だが、「おろしゃ国酔夢譚」は観た。
伊勢の白子の浜から江戸に向かった船が嵐にあって千島まで
流される。そして15年の歳月を経て、日本に帰国できたのは
船長の大黒屋光太夫と二人の部下だけ。最後まであきらめない
光太夫の不屈な精神を緒方拳が好演していた。

私も15年、家に帰れないでいる。帰りたくとも帰れない漂流民だ。

「長い散歩」も、家族を顧みず働いて、妻を死なせたという思い
にさいなまれる男のドラマ。自分とだぶる。

今日10/9 緒方拳の遺作「風のガーデン」。ガンに侵され、
終末期を迎えた医師のドラマとか。テレビを見ない私も、
こればかりは是非見なければ。

32億の遺伝子情報

2008-09-15 00:32:27 | Weblog
人間の体を形成している60兆個の細胞には、すべてに
32億もの遺伝子情報が詰められているそうな。
耳の細胞にも、目や鼻になる遺伝子が含まれているの
だが、なぜか耳になる遺伝子だけが開花する。その他
の遺伝子情報は開かないようになっている。

同じような話があった。どんな音楽でも一回聴いたら
覚えていまう天才児をテレビでみた。ハンガリーだか
ブルガリアだったか、日本語など全くわからないのに、
森山直太郎の「さくら」のCDを3回聞かせると、
キィボードで伴奏をつけて「さくら、さくら、いま
咲きほこる・・・・」と歌うのだ。

こうした能力は誰でも持っている。ただそれを眠らせて
いるだけ。刺激を与え、努力することにより、その能力
が開花するのだという。

人間はそうした遺伝子のわずか3%しか使っていないとも。
チンパンジーとの差はわずか2%とも。

私も音楽が全くダメだったのに、努力で尺八を吹く能力を
開花させた。だが暗譜ができないのが悩み。その能力を
眠らせているだけか。起きろ、起きろ、目をさませ、コラ!



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新三河物語

2008-09-12 22:37:43 | Weblog
8月まで中日新聞に、宮城谷昌光の「新三河物語」が
連載されていた。
「三河物語」は、一心太助でお馴染みの大久保彦左衛門が
徳川家康の一代記として書き残したもの。
宮城谷の「新三河物語」は、「三河物語」に沿いながら、
大久保彦左衛門の目で徳川家康の一代記を描いていて
面白い。大久保一族は、徳川譜代の家臣として忠勤に励み、
数々の武功を挙げながら、最後は、本多正信、正純父子の
策謀で一族悉く死罪、改易となり、彦左衛門だけが 2,000石
の旗本として残る。その無念を晴らすために、彦左衛門は
晩年に「三河物語」を書き残した。

徳川家創業当時の家臣は、皆大大名にはなっていない。
本多父子もその後改易となる。創業以来苦労を供にしてきた
忠臣たちを、大名に取り立ててやるのが“情”だろうが、
家康は、それをしなかった。家臣はあくまで家臣か。為政者
としての卓見か。

会津藩祖保科将之は、秀忠の落胤として生まれ、保科家に
預けられた。信州高遠の保科家からの家臣は、会津23万石と
なっても厚遇されず、むしろ外部からの転籍組が重用された。
私の母方は高遠以来の家臣だったが100石止まり。父方は
紀州家からの転籍で、500石の側用人にまで登りつめた。
人の世の運、不運、その処し方、大久保彦左衛門の生き様に
わが先祖の苦労を重ね合わせて「新三河物語」を読んだ。

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童謡の風景

2008-09-09 10:34:51 | Weblog
敬老の日が近づいてきた。今年は三箇所に呼ばれて
いる。お年寄りには「童謡」というのも、なんか
“幼稚”じみているのだが、童謡が一番うける。
歌詞がなくとも みんな口ずさんで歌える。昔を
思い出して涙を流す方も。童謡はなぜか もの悲しい
歌が多い。

中日新聞連載の「童謡の風景」は、私の疑問を
いろいろ解きほぐしてくれた。

まず「カラスの七つの子」。7羽ではない、7歳
なのだ。7歳のカラスだったら 立派な成鳥だ。
七つの子は、野口雨情の子供のことをカラスに
例えて歌ったのだった。

「雨降りお月さん」。雨なのに月。「お嫁に行くときゃ、
誰と行く・・・一人で唐傘さして行く」淋しい歌だ。
野口雨情の娘が、亡くなったのだ。娘はお月様に
娶られていったのだ。“雨”は 雨情の涙だった。

軍歌の代表曲のような『戦友』。外国人が聞けば、
「こんな厭戦歌がなんで軍歌なのだ}というそうだ。
この歌もれっきとした唱歌だった。「言文一致(会話
体と文章を一致させる)運動」の一つとして、教育用
に発表された歌とのこと。
「しっかりせよと抱き起こし」「それじゃ行くよ」と、
「友を失いながらも お国のために戦う」ことを子供に
教え込むために、口語体を使った画期的な詩だったそうな。

ある会で「同期の桜」を尺八で吹いたら、一瞬、場内が
凍りついた。いつもなら、みな手拍子が出るところだが、
誰も歌わない。共産党系の集まりだった。冷や汗である。
聞き手に合わせないと、とんでもない失敗をする。

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黄金虫はアブラムシ

2008-09-09 10:00:12 | Weblog
中日新聞に連載されている「童謡の風景」は
意外な話ばかりで面白い。

「黄金虫は金持ちだ、金蔵建てた、蔵建てた」
の黄金虫。あの光沢のある緑色の虫だとばかり
思っていたら、作詞の野口雨情の生地 茨城では、
なんとゴキブリのことだったという。

貧しい時代だ。ゴキブリは食べ物が有る所に
出没する。つまり、ゴキブリが出る家は 裕福な
家なのだ。

「蔵建てた」のあとの歌詞は忘れていた。
「飴屋で水飴買ってきた」だった。

ところで、緑色の黄金虫だが、今年随分見かける。
私の住むマンションの階段に、2、3匹は居る。

今夏、徳島の板東駅では、トイレに飾られていた
アザミの花に6匹も群がっていた。

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三行半

2008-08-28 10:24:31 | Weblog
三行半、みくだり半と読む。「離縁するので、今後誰と
再婚しても構わぬ」という 夫から妻への『離縁状』の
こと。

今日の新聞に、現存の中で最古の、1686年(貞享3)の
離縁状が発見されたとのこと。標題は『去状(サリジョウ)』。

最近、名古屋の弁護士会が さかんに ラジオCMを
流している。「離婚したいんだけど、子供の養育費
どのくらいもらえるのかしら?。弁護士会にご相談
ください」というもの。どぎつい。

今日の新聞には 「離婚率37%」 という記事も。
タウン紙『Well PaPas』では、「アナタが妻から三行半を
突きつけられる時」で、3ページもの特集を組んでいる。
今は、夫が妻から突きつけられる時代だ。

妻の方の収入が上回って、夫を扶養するのもバカバカしい、
夫は“不要”になって捨てられるのだ。
「中学校のクラスの3分の1は 母子家庭。結構優雅な生活
をしている人が多い」という。
税金、市営住宅の入居費などで優遇され、さらに母子家庭
手当てが出るから、働かなくとも済む。毎日パチンコ狂いの
母親もいるとか。
世の中 まったく どうなっちまうのか。
そういう自分は その道の 先達であった。別れても妻子は
結構なんとかやっていけてるようだ。不思議。

暑いぞ熊谷

2008-07-27 02:20:29 | Weblog
大温度計、目盛り伸ばし最高50度 暑さ日本一の熊谷(朝日新聞) - goo ニュース

昨年8/16、岐阜県多治見市とともに、40.9℃を
記録し、日本一となった熊谷市。多治見と地形
条件が似ている。海風に乗り北上してくる東京
のヒートアイランド現象により暖められた熱風と、
フェーン現象によって暖められた秩父山地からの
熱風が、交差するためだと考えられてる。
多治見もそうだ。

熊谷市でも、この暑さをネタに、「あついぞ!熊谷」
熊谷新時代町づくり事業が展開されているそうな。

昨年9月、熊谷、深谷を虚無僧で旅した。秋口だ
というのに暑かった。神社の鳥居に尺八を立て
かけて一休みし、また歩き出した。しばらく行って、
いざ尺八を吹こうとしたら、無い!!。暑さでボーと
して大事な尺八を忘れるとは。急ぎ走って戻った。
尺八を持たない虚無僧が、天蓋振りふり走る様は、
見られたもんじゃない。幸い誰にも会わなかった。
尺八は鳥居の下にそのままあった。人気の無い
静かな所じゃった。

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