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「熱海の奇跡ーいかにして活気を取り戻したのか」という本は、熱海の旅館やホテルの宿泊客数は1960年代半ばには530万人でしたが、2011年には246万人と半分以下に落ち込みながらも、それから4年後の2015年には308万人と短期間に20%以上も急増しV字回復となった熱海について、その理由や行動等について分かりやすく説明したものです♪
そのV字回復した外部要因としては、客のニーズの変化を捉え、低価格で泊まれるホテルが次々と造られ、団塊の世代が定年を迎え熱海に移住しようとする人たちが増えただけでなく、内部要因としては2017年に観光庁が発行した観光白書でも書かれているように、筆者たちのUターン者(NPO法人atamista(アタミスタ))による以下の熱海の魅力的なコンテンツ作りが大きく寄与したようです。
・熱海の街・農業・海・緑・歴史・健康などの資源を生かし、住民・別荘保有者・観光客のための体験交流型イベント事業(「オンたま」事業)の提供
・株式会社machimori(NPO法人atamistaから派生)が、熱海の中心商店街の空き店舗をリニューアルし、カフェ、ゲストハウス等を運営 等。
私自身も本書を読んで、ゲストハウス「MARUYA」に泊まり、近くの温泉を楽しみ、朝食は近くの干物屋で美味しそうな干物を買ってグリルで焼いて楽しみ、街歩きツアー等で熱海を楽しみ、2ヶ月に1度、熱海銀座が歩行者天国となり開催される「海辺のあたみマルシェ-クラフト&ファーマーズマーケット」に行ってみ手作りのものを楽しみたいと思いましたね♪
また、本書はV字回復したい日本各地の観光地にもとても参考になると思います♪
「熱海の奇跡ーいかにして活気を取り戻したのか」という本は、V字回復した熱海について理解を含めただけでなく、これからのより良い日本を考える上でも参考となり、とてもオススメです!
以下はこの本のポイント等です♪
・熱海の衰退は、全国の温泉観光地の衰退と共通した原因を持っていました。高度経済成長期には盛んだった団体旅行や企業の慰安旅行が激減し、個人や家族単位での旅行が主流となったことで、従来の温泉観光地はお客さんのニーズに応えられなくなっていました。この図式は熱海に限らず、全国の温泉観光地に共通して当てはまります。さらに、熱海では中心街に人通りがなくなり、シャッター街となっていきました。これは温泉観光地というより、全国の地方都市に共通した衰退の兆候です。シャッター街に象徴される地方の衰退は、これまでしばしば人口減少が原因だと考えられがちでした。しかし最近、地方活性化に取り組んでいる人々の間では、人口減少よりも街の魅力の乏しさこそ問題だと捉えるようになっています。私たちもこの考え方に賛同しています。そして、解決法として選んだ一つが、シャッター街となってしまった街の中心を「リノベーションまちづくり」という手法を用いて新しいまちづくりをすることだったのです。こうした活動は、待っていれば、行政や街の誰かがやってくれるわけではありません。気づいた人がやるしかないのです。私自身も自らの街の課題に気づいてしまったところから始まりました。たった一人では何もできない、でもたった一人からでも始められる。そして続けることで街は変わっていく。どうか、私たちの経験則を、皆様の街の活性化にお役立てください。日本の地方は必ず活性化し、衰退から立ち直ることができる。私たちはそう確信しています。
・まず人口の減少です。日本全体の人口が減少し始めたのは2000年代に入ってからですが、熱海の場合、半世紀前に早くも減少に転じています。1960年代の熱海の人口は5万4千人とされていますが、実際には住民票を熱海に移さないまま暮らしていた人も多かったと、その頃を知る人たちは言いますから、実人口は7万人あるいは8万人を超えていたかもしれません。ところが熱海の人口は、最初の東京オリンピックの翌年である1965年をピークにして50年以上にわたり下がり続けます。そして2015年にはピーク時の3分の2である3万8千人に減少してしまいました。次に高齢化率の上昇です。現在、日本全国の高齢化率は27%ですが、熱海は既に45%に達していて、さらに毎年1%ずつ上がり続けているのです。熱海市内でもおそらく最も高齢化率が高いと思われる地域では、高齢化率は何と70%近くあり、住人の4分の3近くが65歳以上の高齢者です。しかも世代別の人口の増減を見ると、熱海の場合、40代以上は増えているけれど、20代や30代は減っています。高齢者が増えて若年層が減っている理由は、高齢者は熱海に引っ越してくるのに、若年層は熱海から出て行っているからです。つまり通常よりも熱海の高齢化は早く進んでいるということなのです。続いて空き家率です。日本全国の平均では13%ですが、熱海では24%です。熱海の人口は現在、3万8千人ほどですが、住宅数も3万8千戸ですから、数字だけをみれば熱海で生まれた瞬間、その赤ん坊は自分専用の家を持てることになります。実はこの数字には熱海市内に多く存在しているリゾートマンションの空き部屋や空き別荘がカウントされていません。別荘に毎週末来るという人は少数派で、何ヶ月も来ないという人が普通になっているようです。中には、物件は所有しているものの一度も来たことがないという人も珍しくない状況なのです。もし、人のいない別荘までカウントすれば、熱海の実質の空き家率は50%を超えています。これは全国の市で最も高い数字です。人口減少、高齢化率、空き家率に加え、生活保護率の高さや出生率の低さ、未婚率の高さ、40代の死亡率についても熱海は静岡県内で1位、2位を争う状況です。これを見れば、熱海が日本の課題を先取りしていることがわかるのではないでしょうか。
・1990年代に入って私が中学生になった頃、バブル経済が崩壊します。ここから街は急速に衰退していくのです。観光客が激減し、街なかを歩く浴衣姿の人々の姿がまばらになりました。誰の目にも不景気は明らかでした。それでもバブルが崩壊した当初は、まだ中学生だった私はもちろん、たぶん、熱海の大人たちにも危機感はなかったでしょう。バブル最盛期のような好景気とはいかなくとも、まだ団体客は熱海に来ていたからです。そこへ衰退のとどめを刺したのが地震でした。バブル経済崩壊後の1990年代前半には毎年のように伊豆半島の伊東沖で群発地震が発生します。その影響で熱海から観光客の足が遠のいてしまいました。1994年の春に私は静岡県立韮山高校へ進学しますが、その後、群発地震が収まっていたにも関わらず熱海に観光客は戻ってこなかったのです。
・「熱海の人が地元にネガティブなイメージしか持っていないのは、地元のことを知らないからだ。知らないし、楽しんでいないことが問題だったんだ」私はまず、地元の人が地元を知ることが大事だと気づきました。そこで始めたのが「あたみナビ」という取り組みでした。自分たちも地域のことはわからない、だからまずは自分たちが地域の面白い人を取材したり、面白い活動をしている人や地域の課題を取材したりしていこうということです。それを発信するサイトもつくりました。(現在はWEBさいとは閉じられ、今ある同名のサイトは全く別のものです)始めるきっかけは、良い出会いがあってこそでした。地元のWEB制作会社がポータルサイトや熱海に特化したSNSをやろうとし始めていましたが、システムはつくれるけれども、運用する人がいないという状況だったのです。WEBサイトを熱海のことを思って活動する人にツールとして使ってもらえたらと考え、この会社と私の思惑が一致したことでプロジェクトがスタートしました。さて、「あたみナビ」で、私は熱海の観光情報を発信したかったのではなく、地元のユニークな活動を取り上げたかったのです。とにかく地元の人も知らない熱海のことを広めたいという思いでした。例えば、子育てするママたちのために何人かのママたちが立ち上がって、ママたちに役立つ地元情報を伝えるマップをつくっているという記事も載せました。私が取材に行くと、「こんなところに男の人が取材に来るなんて初めてです」と喜んでもらったのを覚えています。また、ちょうど終わったばかりだった市議会銀選挙の当選者たちを全員、インタビューするという企画もやりました。さらに熱海のユニークさを掘り起こそうと、熱海が舞台になった小説やドラマをテーマにした街歩きをしたこともあります。こうした活動は、その頃の熱海にはまだなかったものです。観光情報は発信されても、地元の活動をフォーカスすることは全くなく、地元の人たちは自分たちの街の情報を知る手段があまりなかったわけでした。
・あたみナビをやっていたことで、熱海とは元々あまり関わりのなかったUターンやIターンの人たちとつながりができていました。その人たちに、南熱海の農地と触れ合う機会をつくってあげれば、きっと喜ばれるに違いないと思いました。農地のオーナーである山本さんに話してみたところ、「じゃあ、今度、稲刈りをやるんだけれど、その若者たちも連れておいでよ」ということになったのです。そしてこの稲刈りの日に農家さん3人と私たち若者3人で話し合い、これがきっかけとなり、南熱海の荒れた農地、使われていない農地を再生する団体を設立することになりました。それが「チーム里庭」です。メンバーは私と私の幼なじみで熱海を離れている人、そして地元の企業に勤めている人の計3人、そして山本さんや仲間の農家さんたちでした。最初の活動は、農業に関心のある人を集めるための体験イベントを開くことでした。農業体験と合わせてミカンの収穫体験をやろうとしたところ、「それならうちの木を三本提供してやるよ」とメンバーの農家である小松伸一さんから協力を頂きました。チーム里庭の活動は、このように始まったのでした。
・チーム里庭の農業体験イベントは、最初の年は2ヶ月に1度のペースで行いました。畑で実際に作物を育てていきました。この活動をしている会員さんは今、20人を超えていて、今でも継続して活動を行っていて、市民農園や畑を協同でやるコミュニティへと発展しています。これは農業体験に参加していた人の中から、日常的に畑をやりたいという人たちが出てきて、自主的に始まったものです。こうしてチーム里庭の活動により、熱海の自然を享受しゅている人々が少しずつ増えています。地元の人にとっては、荒れていた農地を再生してもらえることになりますし、移住してきた人にとっては、単に風景がよく気候の良いところに住むというだけでなく、農業という魅力ある日常が加わります。
・地元の人が地元を知らないし、楽しんでいない。そこから、あたみナビ、続いてチーム里庭へと展開していったのですが、これがきっかけとなって、地元の人が地元を楽しむツアーをやろうということになりました。それが2009年から始まった熱海温泉玉手箱、通称「オンたま」です。そもそも「オンたま」は、私が一新塾で熱海の再生についてプロジェクトを考えていたとき、ぜひやりたいと思っていたことででした。一新塾に講師で来られていた川北秀人さんが「オンパク」というイベントを教えてくれたのです。私が熱海でやっていきたいとイメージしていたことをこんなにも形にしている人たちがいるんだと驚き、このオンパクをやりたいと思っていたのです。オンパクとは、正式名称を「別府八湯温泉泊覧会」といい、別府温泉で行われていたイベントです。三週間から一ヶ月ほどの期間、別府八湯で百数十種類の体験ツアーをやるというもので、その中には街歩きや農業体験、温泉巡りなど様々な地域を楽しむツアーが含まれています。別府ではこのイベントを2000年頃からやっていました。私はそれに倣って、熱海でも地元を楽しむ体験ツアーのイベントを行おうと考えたわけです。それがオンパクならぬ、「オンたま」というわけです。オンパクは当時、全国へ戸展開していこうという時期で、別府を含めた第一期にあたる八地域の中に「オンたま」も含まれています。現在では国内外で70以上の地域にまで拡大しています。
・「オンたま」とは一言で表すと「地域の人がガイド役を務めるツアーを短期間に多数開催するイベント」です。観光を目的とするというより、熱海やその周辺地域の人たちに地元の魅力を伝え熱海のファンをつくり出そうということを目的としたものです。最初の「オンたま」は2009年1月から3月までの2ヶ月間、熱海市の梅まつりに合わせて開催しました。この時には全部で20種類のプログラムを用意し、そのうちの半分ほどが街歩きのプログラムでした。例えば、「路地裏昭和レトロ散歩」というツアーでは、まるで時が止まったかのような昭和の空気を色濃く残すレトロな街並みを歩きながらガイドし、路地裏に佇む喫茶店などを紹介していきました。南熱海でシーカヤックのツアーも行いました。熱海には目の前に海があるのに全く活用されていないので、海を楽しみ体験できるものをということで取り組んだものです。またチーム里庭による農業体験のイベントもやりました。結果的に反応はかなり良く、地元の熱海新聞などのメディアにも好意的に取り上げられ、別荘の人や移住してきた人たちが多数参加してくれました。以来、2011年までは年に2回ほど実施していきました。その間に220種類以上の企画を実施し、参加者は5千人を超えるほどになりました。
・オンたまの人気プログラムの一つに、路地裏昭和レトロ散歩や、喫茶店めぐり、というような街なかを歩いて楽しみ、お店に立ち寄るプログラムがありました。まるで昭和のまま時が止まってしまったような街並みが熱海の中心地にはあります。そして、熱海にはコンパクトな街に数十軒もの喫茶店が存在しています。その中に、80代のマスターが経営する喫茶店「ボンネット」があるのですが、このマスターは1952年(昭和27年)に喫茶店を始めて以来60数年も店を続けています。半世紀前、あの三島由紀夫も常連で、「泳げない」という三島氏にマスターが泳ぎを教えたというエピソードもあります。この喫茶店のほかにも、90代のお母さんがやっているジャズ喫茶もあり、そうした喫茶店を訪ね歩くプログラムを開催しました。熱海のお店は中が見えなくてわかりづらいなど、一見、入りにくい雰囲気のお店がたくさんあります。それをガイドしていくことで、お店のことを知り、入るきっかけをつくろうというものでした。ガイドの役割はお客さんとお店の人をつなぐこと。こうした街歩きに参加した方々にはここで紹介したお店のリピーターになった方々もたくさんいます。こうした喫茶店には数十年の歴史があり、興味深いストーリーを幾つも生んできた趣のある空間になっているのですが、なかなか新しい人たちや観光客の方々には気づいてもらえず、また気づいた人がいても入りづらい場所になってしまっていました。そうしたところを訪ね歩くことで、喫茶店のファンが増え、口コミで喫茶店や熱海の喫茶店文化が伝わっていきました。
・オンたまに参加した人の満足度の高さが熱海のイメージアップに連動していると大和さんは分析しています。また静岡大学の研究室で、定期的に熱海の観光の調査をしているのですが、その結果にも変化が見られます。2000年代には、熱海のおもてなしやホスピタリティの度合いは非常に低いという結果でした。ところが、2014年に同様の調査を行ったとき、おもてなし、ホスピタリティの項目が劇的に改善していたのです。数字でオンたまとの因果関係を示すことはできませんが、大学の先生から、「これはオンたまの効果ですね」と認めていただけたことがとても嬉しかったものです。さらに、地元で商売をしている人たちの意識も変化し、熱海のイメージを良くしたいという意欲につながっているようです。
・オンたまを3年間やった結果、閉塞感だらけで、何も起こりそうもない街だなという印象から「常に何か面白いことが起こりそうな街」に変化してきました。オンたまでは、熱海のファンをつくり出すことの他に、もう一つ期待していた成果があります。それは熱海の街にチャレンジを生み出すことです。
・2009年1月から始めた「オンたま」は2011年をピークにその後は縮小していき、終了しました。私は2009年5月からは実行委員長を務めていたのですが、ほぼ年2回のペースで開催しているうち、「オンたま」の認知度が上がっていくのを肌で感じていました。3年間の活動でこの目的は十分達せられたと感じていました。「オンたまの役割は終わったかな」と考えたわけです。もちろんオンたまを楽しみにしてくれていた方々もいましたし、この取り組みを終わりにすることには悩みました。しかし、このオンたまの取り組みだけでは街は変わっていかない。次に取り組むべき街の本質的な課題はなんだろうかということを考えていました。また、もう一つ大きな課題がありました。それは、オンたまの取り組みが全くお金にならないということです。「オンたま」をこれ以上継続するのに無理がありました。一応、体験ツアーの売上げの10%は実行委員会に入るようになっているほか広告収入もありましたが、これでは運営費用の一部が出るだけです。また、静岡県の観光の補助金も一部活用していました。しかし、補助金もいつまでも続くものではありません。つまり、オンたまは資金面で言うと、持続可能な仕組みになっていなかったわけです。このように、当初の目的は達成されたと考えたこと、資金面で持続可能な形ではなかったことから、「オンたま」を終了させる決意をしたのでした。
・ソーシャルベンチャー・スタートアップマーケットに参加してからも、具体的な解決策を見いだせないでいた頃に偶然出会ったのが、建築・都市・地域再生プロデューサーの清水善次さんでした。清水さんは熱海市の中心街を活性化する会議に専門家として招かれていたのですが、確かこのようにおっしゃったと記憶しています。「街に新しいプレイヤー、若いプレイヤーがどんどん入ってこなければならない。街の中には商売を引退したいような人がたくさんいる。そういう人が退場して、若い人に道を譲れば、熱海の街はいくらでも再生する」このとき、私は直感的に思ったのです。「あ、これだ」と。その場には、古くから商店街でお店を構えている人もたくさんいたのですが、清水さんはあえて刺激的な言い方をしたのだと思います。けれど、多分、やる気を喚起するためだろう挑発の言葉を聞いて、たちまち私の頭の中に具体的なイメージが湧いてきたのです。(ああそうだ。今、商店街には空き店舗がいっぱいあるじゃないか。もう店をやめちゃいそうなところも、たくさんある。その場所に新しい人が入ってくればいいんだ。そうすれば、稼ぎながら街を再生できるじゃないか)ずっと真っ白な霧の中にいた自分に、本当に、一筋の光が射した思いでした。
・清水さんは元々、マーケティング・コンサルタント会社で様々なビジネスの開発事業に携わって来られた人です。その後、1990年代の初めに40代で独立して青山でワインバーを始めて大成功を収め、日本全国にワインバーのブームを起こしました。清水さんが青山にワインバーを一軒始める。それが人気になると、青山の近辺には次々と似たようなお店が出来ていく。この様子を見て清水さんは「ああ、こういうことか」と気づいたそうです。つまり、エリアに一つ、そのエリアを変えるような点を打つことで、その界隈が変わっていくということです。
・実は、まだオンたまのイベントを活発にやっていた2010年にatamista(アタミスタ)というNPO法人を設立していました。オンたまの活動をする中で、地域の中でも認知されてきて、対外的にも団体としての信用を考え、また、行政からも事業を委託できるようにするためにも法人化してほしいという話もあり、NPO法人化しました。
・2011年10月、株式会社machimori(マチモリ)を設立しました。この会社の目的は、熱海の中心街再生です。主な創設メンバーは私ともう一人、熱海で150年続いている老舗の干物屋「釜鶴」の五代目である二見一輝瑠で、彼は私と同い年です。エリア一体型ファシリティ・マネジメント事業の目処がついた段階で、株式会社を設立しました。
・なぜ稼がなければ街を活性化する活動が続けられないのでしょうか。その答えは、補助金に頼っていると、まちづくりは悪循環に陥る危険があるからです。補助金をもらって事業をする。補助金を使うと、行政が決めた制約の中でしか事業ができない。制約があると発想が縛られて面白みのない事業になりやすいし、うまくいかなかったときに、臨機応変に人、物、金を集めることができないので対応もしづらい。すると、ますます補助金頼みになって、事業の制約がもっと厳しくなっていく・・・。こうして事業が行き詰まっていき、補助金が打ち切られると、潰れてしまうわkです。「手元にある資源で事業に取り組み利益を出して、さらに次に投資続けるというサイクルをつくるのが地域活性化の基本」(木下斉)このようにご自身の著書で木下さんも述べているように、民間企業が出した利益を使うことこそ、持続可能なまちづくりになると私も思っています。
・私たちは「まちづくりとは不動産オーナーこそがすべき仕事」だと考えています。なぜなら街の価値を向上させて、一番メリットを受けるのが不動産オーナーだからです。街というエリアを魅力的なものに変えるには、その地域全体の価値をどうやって上げるのかという発想が必要になってきます。自分の所有する不動産の付加価値を上げるには、エリアの価値を上昇させなかればならないと考えるわけです。そのためには、不動産オーナー同士の横の連携が不可欠です。
・清水さんはよく、こう言います。「徹底的に街を観察しなさい。今、街にどんな変化が起こっているのかに目を配ること、街には常に変化が起きている。そうした変化の兆しをつかみ取ることが大切」変化の芽を見逃さないことは重要です。例えば、広島県尾道市には、県営の倉庫を利用した「ONOMICHI U2」というサイクリストのための複合施設があり、やはり成功しています。尾道には広島県と愛媛県とを結ぶ「しまなみ海道」が通っていて、このルートでは自転車の通行が可能です。そのため、世界中からサイクリストが集まるようになりました。「しまなみ海道」を利用するサイクリストの増加という街の変化を捉え、サイクリストに向けて新たな価値を提供する施設をつくって成功したというわけです。このように変化の兆しを捉えることで、地域を変えるような事業を起こすことは可能なのです。
・私たちはこのエリアを変えるために最初に「点」を打つことにしました。それは、熱海銀座という中心街の空き店舗をリノベーションし、カフェを開くことだったのです。
・物件が良い条件で借りられることになってからも、まだ、カフェの開業にこぎつけるまでには様々な試行錯誤があり、貴重な経験を積ませてもらいました。まず、大変勉強になったのは、初期投資についてでした。もともと、カフェのオープンに必要な資金は1000万円未満と考えていました。けれど、清水義次さんに相談すると、「三分の一にしなさい。とにかく初期投資を下げることはすごく大事だから」とアドバイスを受けました。徹底的に見直し、カットできるものはどんどんカットしました。効果が特に大きかったのは、建築士さんが、予算内でなんとかする方策を一緒になって工夫して考えてくれたことです。また、店の備品もかなりの物を無料で手に入れています。例えば観光協会の会長だった森田金清さんから「うちの空きビルの中にある物なら、何でも持っていっていいよ」と言ってもらいました。厨房機器や食器、テーブルやいすなどももらいもので済ませました。こうしたことに加え、工事のときには「オンたま」に参加してくれた人たちが手伝いに来てくれて、自分たちでつくることもしました。嶋田さんも空きビルに一緒に行って使える物を調達したり、DIYのディレクションをしてくださったり、さらに余計な設備を外したり、やらなくていい工事を省いたりなど、色々と費用の節約について考えてくれたのです。費用をこのような努力でカットしていった結果、最終的には350万円に抑えることができたのです。
・事業家の皆さんは、出資をお願いに行った私たちに異口同音にこう言ったのです。「まず、自分の金でやりなさい。成功してから、もう一度来るといい。その時には、話を聞くから。最初から他人の金を使って事業をやると、色々と口出しされるし、自分の本当にやりたいように事業ができない。だから最初の事業では、まず資金を自分で何とかしなさい」その言葉を聞いて、自分自身に甘えがあったことに気づき、とてもありがたいと感じました。
・カフェとしてのコンセプトとして、最初に考えていたのは、熱海の街なかに、「家でも職場でもない第三の居場所をつくる」というものでした。人が日常的に訪れてコミュニティの場になるというイメージです。”第三の居場所”=サードプレイスについては、「サードプレイス-コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」(レイ・オルデンバーグ著、忠平美幸訳、みすず書房)という本にもあるように、こうした場所があってこそ、新たなコミュニティが生まれてくるのです。そのことは自分自身の経験からも大切なことだと実感していました。
・カフェをつくるにあたり、具体的には3つの目的を考えていました。
まず1つ目は「オンたま」の拠点としてのカフェです。「オンたま」によって地元の人たちに地元の良さが広まっていました。私たちのカフェがそのための拠点になりたいと考えていました。
2つ目の目的はリノベーションまちづくりの拠点となることです。クリエイティブな三十代の第三の居場所となることでした。私たちのカフェがこれからの熱海をつくっていく面白い人たちの集まる場にすることを目指したのです。
3つ目の目的は、街と里をつなぐというものです。これまで私たちは里庭の活動を行ってきました。また伊豆半島のいい生産者さんとの出会いもありました。熱海の街の魅力は街なかだけではありません。そうした熱海や伊豆半島の自然や食材があってこその熱海の街なかであるとも思っていました。だからこそ、熱海を含めた伊豆半島の地場の食材を活かした飲食をカフェで提供していくことを目指したいと思っていました。伊豆半島やその周辺で海産物を扱ったり農業を営んだりしている人たちから食材を購入し、それを料理にして提供すれば、そうした食材の魅力を広く伝えることになります。伊豆半島の一次産業の生産者と熱海の住民や熱海の料理人や飲食店オーナーとのつながりもつくれたらとも考えていました。
・2012年7月7日、CAFE RoCAはオープンしました。カフェの名前にあるRoCAとは、「リノベーション・オブ・セントラル・アタミ」、つまり熱海の中心エリアを再生しようという意味です。熱海の街をリノベーションする、その始まりの場所にしたいという意味を込めていました。
・一年目から二年目にかけて、本当に苦しい日々が続きました。なんとか凌ぎつつもそんな状況が一年以上続いたある日、決意しました。「半年で立て直そう」と。三ヶ月連続で黒字になるまでは酒も飲まない。半年で黒字化させる。そう決意し、新たに店長としたスタッフと共に店の再生に着手しました。それまでザルだった収支の数字を月次でしっかり把握するようにし、そして一つ一つコツコツと再生をしていきました。その後、妻も本格的に復帰するようになりました。その結果、だんだんとお客さんが戻ってくるようになりました。お客さんがリピートしてくれるようになり、売上げがだんだん上がっていきすごく嬉しかったものです。半年後、無事三ヶ月連続の黒字化を達成することができました。そうした取り組みや初年度から取り組んできたイベントを続けるうち、だんだんと人が集まってくるようになります。ちょうど熱海では面白い活動をする若者も出てきた頃でした。熱海で生まれ育ち、ロンドンに数年滞在してから帰ってきた原香苗さんは、この頃からATAMI Tシャツのシリーズをつくり始めます。この場に来る人たちがそうしたTシャツを着ながら、その原香苗さんのDJやVJによる音楽イベントなどで楽しんだり、といったことも起こってきました。いろんな人がイベントを開くようになり、若い人だけでなく年配の人まで集まってきたのです。すると少しずつ街の雰囲気が変わってきます。「熱海銀座で何か面白いことが起こり始めている」そんな声も聞こえるようになりました。また二軒隣の薬局も店頭を一部改装して、センスのいい雑貨などを販売したりという動きも出てきました。「市来さんたちの真似してやってみた」と言ってくださったことはとても嬉しかったです。また商店街にも、ちょうどその頃、私たちのカフェのほかにもう一軒、お店を出す人も現れていました。老舗のお店がリニューアルし数年ぶりにオープンしたのです。これまで沈んでいくしかなかった商店街に明らかに変化が生まれてきました。面白いと思えるお店が一軒あると、次がまたできる。その次もできる。そうやって、街が変わっていく。まだ小さな形でですが、かつて清水さんが、ワインバーで青山の街を変えたのと同じ現象が起こりつつあったのです。
・熱海銀座は2012年頃まで空き店舗だらけでしたが、今ではすっかり変わりました。空き店舗に新しいテナントが入って次々とオープンし、人通りが多くなり、商店街の店主さんたちも積極的に活動して、大手飲料メーカーであるサントリーも協賛広告を出すというようなことも起こりました。かつての沈滞した空気はすっかり変わり、この場所はまさに「セントラル・アタミ」にふさわしい雰囲気を少しずつ取り戻しつつあります。2017年、CAFE RoCAは閉店し、新しい形で再スタートしました。そもそも空き店舗が目立つ中心街をリノベーションするための拠点とするのが目的でした。熱海銀座にあるほかの空き店舗には、既に新たに商売を始めるチャレンジをする人たちが集まりつつあり、そのきっかけをつくることはできたと思いました。エリアを変える最初の点を打つ。目的としていたこの役割を果たせたと考えたわけです。一方で当初掲げた目的のうち、「オンたまの拠点となる」、「リノベーションまちづくりの拠点となる」という二つの役割は、これからお話しする次の事業によって実現していくことになります。また、残念ながら三つ目の目的である「街と里をつなぐ」ことは十分に達成することはできませんでした。営業的には厳しく、通年で見れば赤字でした。飲食店経営という点では失敗であったと認めざるを得ません。私たちは5年という物件の契約期間でもあるタイミングで店を閉じる決断をしました。もちろん迷いに迷いました。やはりCAFE RoCAは始まりの場所であり、思い入れもありますし、閉じるのはもったいないという声もありました。しかし、赤字のまま経営を続けるべきではないと判断したのです。
・「熱海って面白いね」という声が、街の内外から聞こえてくるようになりました。熱海の街なかに人を呼び込む機が熟してきたと、私たちは感じたのです。そこでCAFE RoCAの次に私たちが手掛けたリノベーションプロジェクトが、ゲストハウスでした。私自身が海外の旅をしていて感じたのは、良い街、印象に残った街には、良いゲストハウスがあるということです。ところが、熱海には良い温泉旅館はたくさんあるけれども、私自身が泊まりたくなるようなゲストハウスはありませんでした。熱海のリノベーションまちづくりにも深く関わっていただいている、ブルースタジオの大島芳彦さんは、いつもこのように言います。「あなたでなければ、ここでなければ、今でなければ、という事業を生み出そう」面白い街のちょうど入口に位置する熱海銀座という場所だからこそ、そして地元熱海を面白がる人たちが増えてきた今だからこそ、やれること、やるべきこと、それがゲストハウスだと考えたのです。さらに、私たちと、小倉一朗さんという不動産オーナーとの深いつながりがあったからこそ、スタートしたプロジェクトでもありました。
・ゲストハウスは交流型の素泊まりの宿です。このguest house MARUYAの形態は次のようになっています。まず部屋は、カプセルタイプのような形で、コンパクトに並んでいて全部で21室あり、30人が泊まれる宿泊スペースがあります。そのほかに、宿泊者などのための共有スペースとして、皆が座って話したりお茶を飲んだりできるラウンジスペースがあります。さらに、私たちは、このゲストハウスのお客さんに熱海の街を楽しんでもらうための様々な仕掛けを用意しています。例えば、熱海と言えば温泉ですが、このゲストハウスには温泉はありませんから、外の入浴施設へ行って温泉に入ってもらいます。近くには日帰り温泉施設である日航亭大湯さんや福島屋さんがあります。大湯は、熱海のルーツともなるような温泉で1300年前から湧いていると言われ、徳川家康も入ったそうです。そして福島屋さんも歴史有る温泉宿です。泊まりに来たゲストは好みに応じてこのどちらかに入りに行きます。また、朝食については、ご飯と味噌汁はこちらが用意しますが、目の前の干物屋さんで自分の気に入った干物を買ってきて、そしてテラスにあるグリルで焼いて食べるというスタイルです。目の前には三軒の老舗干物屋さんが並ぶ熱海銀座だからこそできることです。このように、このゲストハウスに宿泊すると、自然に熱海の街へと出かけ、街との接点ができるようにしています。
・MARUYAは一泊一人4千円程度の値段で泊まれます。あまり費用をかけなくても長期滞在が可能です。そして泊まることにお金はかけなくても、熱海の街なかで飲み歩くなど、飲食にお金をたくさんかけることで街を楽しむことができます。実際、MARUYAに宿泊して、熱海の飲み屋さんを何軒もはしごする方も多いのです。熱海は元々地元の方々には、飲み屋さんをはしごして歩く文化があるのですが、それをゲストにも体験してもらうわけです。中には、お気に入りのお店ができて、そこに飲みに来るために熱海のリピーターになる人もいます。こうして宿のファンよりも街のファンをつくっていくことが、MARUYAの役割になります。「泊まると熱海がくせになる」そんな宿であることが、MARUYAの存在意義だと思っています。
・ゲストハウスをつくるにあたっての初期投資は抑えましたが、それでも投資規模はCAFE RoCAの10倍以上、4000万円を超えました。全体で4500万円ほどを資金調達していて、そのうち740万円は会社の増資です。熱海の旅館さんや地元のガス会社、熱海銀座の商店など熱海内外の方々20名ほどに出資してもらいました。そのほかは金融機関からの借り入れです。会社の事業自体の業績はあまり良くない状態でしたが、リノベーションのまちづくりは熱海にとって必要だと理解してもらっていたため、商工会議所の方々も懸命に後押ししてくださり、政策金融公庫からの借り入れができました。また地元の信用金庫や銀行の皆さんもなんとかしようとしてくださり融資を受けることができました。それに、ゲストハウスの事業計画は、既にCAFE RoCAでの経験があったこと、そしていくつかのゲストハウスなどに実際に事業計画を見てもらったり教えてもらったりしながら計画したため、かなり確度の高い数字にすることはできました。実際、二年目にはほぼ事業計画通りの数字も達成することができました。想いだけでは金融機関はもちろん貸してくれません。こうした事業計画があったことや、まだ立ち上げ段階にも関わらず地元内外の様々なメディアで取り上げられていて注目を浴びていたことなども後押しの材料になったのではないかと想います。熱海の街の観光客数が回復し始めていたことも大きな後押しになったと思います。
・さらにクラウドファンディングでも資金を集めることが出来ました。目標の100万円を6日間で達成。結果的に200人の方々から支援を頂き、約170万円の資金になりました。全国のリノベーションスクールのつながり、これまでのまちづくりのつながりなどのお陰もあり、多くの方から支援してもらえました。クラウドファンディングも黙っていて資金を支援してもらえるものではありませんので、応援してほしい100名以上の方に支援のお願いをしたり、情報の拡散のお願いをしました。クラウドファンディングをやった第一の目的は資金を集めること以上に、この取り組みに関心をもつ仲間を集めることであり、このMARUYAに泊まりに来てくれるファンとなる方々に事前に情報を届けたいという意図でした。つまり広報が一番の目的でした。結果としてその後、泊まりに来る方や、熱海のまぢづくりに関わってくださる強力な方々との新たな出会いもありました。
・ゲストハウスというと、一般的には外国人のバックパッカーが泊まりに来る場所として想像されるようです。もちろんそうした外国の方々にも来てほしいのですが、私たちのゲストハウスで一番のお客さんは、東京など近くの都会に住む人たちです。東京に暮らし仕事をしている20代後半から30代前半くらいの女性で、ゲストハウスに今まで泊まったことはないけれど、ちょっと興味を持っていて、都会で2~3年ほど仕事をしてきたが都会での暮らしだけでなく、地方でも何かしたいなと思っているような人を想定していました。そんな人がふらっとやって来て、そしてMARUYAをきっかけに熱海が気に入り、熱海に通うようになる。そんなストーリーを描いていました。こうした利用者像を描いていた背景には、東京で暮らしているとき、月に1回は熱海に帰ってきていた私自身の経験があったのです。東京都は時間の流れが違って、大手チェーンの便利な店ではなく個人の商店が並ぶ街で、海辺で海や山を眺め、喫茶店に入って本でも読んで時間を過ごす。そんな都会とは違う、もう一つの日常を熱海で時々過ごすことで、暮らしの豊かさを感じることができ、忙しい日々の疲れを癒やすことができたのです。この経験から、熱海にもう一つの生活拠点を「ゲストハウス」という形で提供することは、必ず多くの人々の支持を得ると思いました。熱海に一泊の観光に来るだけではなく、一方で完全に移住するわけでもない。観光と移住の間、「旅すること」と「住むこと」の間のグラデーションある多様な暮らし方をつくることが、ゲストハウスのみならず、熱海のこれからの街のあり方だと考えたのです。その大事な一つのきっかけとなりたい、「二拠点居住の入り口となるゲストハウスをつくろう」というのがこのゲストハウスの一つのコンセプトです。私が熱海でまちづくりを続ける理由は、「熱海をなんとかしたい」ということと、熱海を使って都会の人に豊かな暮らしを届けたいということです。それをこのMARUYAを通して実現したいと思っています。嬉しいことにこのゲストハウスをきっかけに、移住したり二拠点居住を始めたり、または新たに熱海で事業を始めようとする人も出てきたりしています。そこまでいかなくても、毎月のようにMARUYAに泊まりに来てくださる方もいらっしゃいます。当初の狙いが、思っていた以上に実現してきている手応えがあります。
・これからの熱海を長期的に考えれば、海外客の増加は必要なことと考えています。日本人の人口は減っていくわけですから、海外の方を呼び込むことは重要です。海外の人に向けて熱海の本質的な魅力を磨き上げていくことは観光地としての価値を高めることにもなります。日本ではない他の国の方が来ること、異文化と出会うことは、この街のアイデンティティを見つめ直し、それに磨きをかけることにもつながるからです。そうして磨かれた土地となれば、国内の方にとっても魅力のあるものになるはずです。
・海外客を増やすということでは、バックパッカーへの利便性を増すという対策が考えられます。私たちのゲストハウスでは海外からのお客さんが多くなっていますし、安くて気軽に泊まれる施設はバックパッカーにとって便利なのは間違いありません。もう一つ大事なのは、海外客に向けての積極的な情報発信です。実は海外版「地球の歩き方」とも言える「ロンリープラネット」という分厚いガイドブックには、熱海の情報はたった4分の1ページにしか載っていませんでした。しかも「熱海には大した見どころもないし、宿が高いから伊東か下田に行くように」とも書かれていました。私自身がバックパッカーをしていた頃にこれを見て、いつかこの記述を変えたいと思ったのを覚えています。
・ゲストハウスでは、毎週土曜日に街歩きツアーなどをやっていますし、スタッフは皆が熱海のことに詳しくなっていますから、宿泊しているお客さんに熱海をどう楽しむのかを具体的に伝えたりして、宿泊施設としてはちょっとユニークで面白い場所になっています。
・少しずつ熱海に変化が起き始めると、だんだん気持ちが変わっていきました。明るい兆しが見えて、気持ちが積極的になり始めていたのです。それをさらに加速するために始めたのが、「海辺のあたみマルシェ-クラフト&ファーマーズマーケット」でした。二ヶ月に一度、熱海銀座を歩行者天国にして開催しているイベントです。これも私たちの会社が中心となり、実行In会をつくり運営してきました。商店街や周辺地域の町内会長の了承も得て、開催となりました。初回は20店舗、だんだんと増えて、常時40~50店舗が出店してくれています。2013年11月に第1回「海辺のあたみマルシェ」を開催しました。熱海銀座を歩行者天国にして、路上に多くの店を開き、4000人近い方々が来場してくれました。普段は人通りが600人程度しかいないこの商店街にこれだけの人が集まった風景に感動したものです。おそらく商店街の方々も同じだったのでしょう。こんな風に言ってくれた人もいます。「祭以外で、こんなに人が集まったのを見たのは何十年ぶりだろう」
・ただ、このマルシェは、単に商店街に賑わいをつくることが狙いだったわけではなく本当の目的は次の2つでした。まず一つは、熱海の街なかでこれからお店や工房を持ちたい方を発掘し、応援する場となること、もう一つは、道路という普段活用されていない公共空間を人の過ごす場所として活用することだったのです。「熱海で商売をしたいとか、工房を持ちたいなどという意欲のある人が、自分たちの事業をテストする場」これが真の狙いだったわけです。熱海銀座を含めた中心街に目立っていた空き店舗をリノベーションして使いたいという意欲のある人を集め、そうした人たちの起業のゼロ次ステップとして、まずお店を持つ前にファンがつき、お店を出すことができるようになる。そうしたテストの場としてこのマルシェを活用してもらおうということです。
・「あたみマルシェ」への参加の条件は、主に「手づくり」「ローカル」「商売としてのチャレンジ」の3つとしました。まずは「手づくり」であること。これからは仕入れて売るような商売では成り立ちません。特に地方など人の少ないところでは薄利多売では成り立ちません。自分でつくって売る物であれば粗利も高く、手元に多くのお金が残ります。そのため、フリーマーケットのように自分の家の要らなくなった衣類などを並べて売るという人は、参加をご遠慮頂きました。次の「ローカル」という条件は、全国どこの参加者でもOKというわけではないということです。対象は熱海や伊豆半島や静岡県、神奈川県西部の近隣の方、あるいは他の地域であっても熱海への出店に関心のある方としました。三つ目の「商売としてのチャレンジ」という条件は、完全に趣味である人はお断りで、規模の大小は問いませんが、小さくてもきちんと商売としてやっていこうという意思のある方に参加してほしいという意味です。マルシェではこれらを選考基準にして審査もしています。この「あたみマルシェ」は2013年の開始以来、2017年まで毎年6回ずつ開催していて、毎回40から50店舗の出店があるという状況になっています。そして嬉しいことにこの「あたみマルシェ」は新しいことをしたい人のチャレンジの場としてしっかりと機能しています。例えば、熱海で陶芸をやっている作家さんや、農家さんが出店したり、飲食店を移動販売でやっている人、これから飲食店を始めたい人などの出店があります。さらにこれから起業しようという人やお店を持ちたいと考えている人たちが集まって来て、あたみマルシェに出店してくれるようになったのです。
・継続すると変化が起き始めます。その学生が一年後に来たとき、街の皆さんの変化に驚いていました。「商店街の人たちがこのマルシェを応援してくれている。涙が出た」実際に変化は徐々に起こってきました。半年経った頃から、反対していた方々も「まあ、いいだろう」という感じになり、一年経つと「がんばれよ」と声をかけられるようになり、二年経つと「歩行者天国になると売上げが下がる」と言っていた方も、自らマルシェの日には路上に商品を並べてみたら「売れたよ」と報告してくださったりするようになりました。嬉しかったことは3年経ったときに商店街の何人もの方々が、「マルシェにおんぶにだっこじゃダメだよな。自分たちも何かしていかないと」と言ってくださったことです。私たちが目指しているのは、自分たちの街を自分たちでつくること、そんな人が一人でも多く増えることです。誰かの取り組みに依存するのではなく、自らが動こうと思うような刺激になれたことを心から嬉しく思いました。
・2016年7月につくったのが「naedoco」というコワーキングスペースです。共有のスペースにはWi-Fiでネットを使える環境が整えてあるのですが、今の時代ならば、ネットと携帯電話やスマホがあれば一応の事業が可能です。今後は、ニーズに応じて一部のスペースにブースを設置できるようにする必要も出てうるでしょうが、現在は固定席はありません。この共有スペースの使用料は、一人で普通に使うだけならば月1万円で、会社の人数が増えれば二人目から月に一人当たり7500円です。またnaedocoの住所に会社の事務所として法人登記することができ、その場合は一ヶ月にプラス5千円です。区画割して固定の席を貸すんではなくてコワーキングスペースですから、スペース全体の空いている場所をどこでも使っていただいて構わないことになっています。ここでは、新しく事業を始めようという起業家の卵といった人たちが事業計画をつくっていたり、既存の企業がサテライトオフィスとして使ったりと、様々な形で利用されています。その他にも大学の先生やフリーのライターさんなども入居しています。また、単なるレンタルオフィスではないコワーキングスペースの利点であるのですが、借りている方の間で活発なコミュニケーションが生まれています。既に、会社の事務所としてnaedocoの住所を法人登記している会社が5社あり、その中にはここを本社としている例もあります。またここでは創業を後押しするスクールを開いたりなど、様々なプログラムを行っています。熱海市とも連携しながら、この場から熱海で起業するプレイヤーを次々と生み出していくことを目指しています。こうした場を通じて、いかに熱海の街なかに仕事を生み出し、新たな産業を生み出すのかがチャレンジです。そして価値の高い産業を生み出し、平均所得を向上することがこのリノベーションまち作りで生み出すべき成果の一つでもあります。
・「クリエイティブな三十代に選ばれるエリア」私たちが熱海の再生を目指したときに掲げた目標は、少しずつですが、実現へと近づいているという手応えを感じています。特に2016年からは、このエリアに面白い魅力的なプレイヤーがどんどんと集まってきました。例えば、私たちが携わった方々では、熱海を拠点に活躍するファッションブランドの「Eatable of Many Orders(エタブル オブ メニー オーダーズ)」そしてバール「caffe bar QUARTO(カフェ バール クアルト)」、ジェラート店「La DOPPIETTA(ラ ドッピエッタ)」の3店舗があります。
・起業したい人に補助金をつけたり、人件費を出したりという施策が全国各地でありますが、これでは起業家は育ちません。自ら事業をつくりあげる、それを後押しする取り組みこそをしていく必要があるのです。創業支援によって2030年までに熱海に新しい企業を100社以上誕生させ、売り上げのトータルで数百億円以上の産業をつくる。これが私の目標です。
・観光地としてとても大事なのは地域の食文化であり、良質な食のコンテンツだと思います。熱海にはまだまだ食の可能性があります。伊豆半島には豊富な食材があります。東京から見て、静岡県の入り口に位置する熱海ですが、静岡県は生産している食材の種類が日本一とも聞きました。こうした食の素材を活かして、熱海ならでは、伊豆ならでは、静岡ならではの食がこの熱海から生まれ、世界から食で選ばれるような街にしていきたいとも思います。
・これからの熱海では単なる高級路線ではなく、より良質な価値を求めるクリエイティブな感性を持った方々に向けていくことが重要だと思っています。そうした方々は、街とふれあい、街の文化を知り体験することにこそ価値を感じると考えています。だからこそ、街に滞在するという文化をつくり出すことが大事だと思っています。かつての湯戸が新たなモデルをつくったように、これからの熱海という観光地がすべき宿泊のあり方はなんだろう、と考えてたどり着いた答えがこれです。「MARUYAをハブに27の宿を街に点在させよう。一つ一つの宿は小さくていい。空き家や辞めてしまった小さな温泉旅館などを活用して、それをネットワークにつなぎ、多様な滞在の仕方を生み出そう。そして、それと温泉施設や飲食店もつなぎながら、まるで街全体が宿のような感覚で泊まれる街をつくろう。そこには短期で泊まる場もあれば、より中長期で滞在することもできる、気に入ったら住むこともできる、そんな滞在のあり方をつくりだそう」街全体が宿、そうしたあり方は、既にイタリアではアルベルゴ・ディフーゾという仕組みとして広まっていることを知りました。そしてこうした価値観を共有する方々、熱海のまちづくりにも関わっていただいた、嶋田洋平さんや大島芳彦さん、中村功芳さんなどと共に2017年、全国的な団体として、一般社団法人日本まちやど境界も発足させました。こうした価値観で、宿を通して街の再生を考えている人を増やし、またそれにあった法制度も提案していこうという考えです。
・熱海という場所は、外から入ってきた人によって発展してきた歴史があります。江戸の頃の大名が華族となった明治時代、熱海はまずそうした人々の別荘地として始まりました。それからだんだんと、政治家や作家といった人々も別荘を構えるようになったそうです。つまり、かつての熱海は温泉観光地というよりも別荘地だったわけです。また、現在の老舗旅館の経営者の多くも、江戸時代や室町時代など、どこかの時代に熱海の外から来た人でした。こうした熱海の原点を考えれば、外から来た人たちが新たな文化を持ち込み、それが地元の文化と融合することによって、この街の文化がつくられてきたのだということもできます。熱海という街には、歴史的な背景があります。熱海の来宮神社の参道に大湯があり、周辺に熱海の街ができていく。長い時を経て、元の参道は熱海銀座と呼ばれる中心街になりました。そして現代、路地裏の喫茶店には88歳のマスターがいて、90代のお母さんがやっているジャズ喫茶があって、そこから少し行くと、元の遊郭だった建物が残り、まるで昭和のまま時間が止まっているかのような街並みが続く。私たちの街の魅力は、こうした歴史が自然に積み重なって文化になり、どんどん変わりながら、今も時間が地層のように降り積もっていっていることで、生み出されているのだと思うのです。
・正直に言うと、「この本を読んでも、決して真似はしないでください」とも伝えたくなります。大した稼ぎも計画もなく、想いだけで突っ走って活動を始め、事業を始め、10年以上走り続けてきたこの道のりを振り返ると、ずいぶんと無茶をしたものだと思うのです。私が10年前の自分にアドバイスするとしたら、「もっと稼げることからやれ。でないと続かないよ」と言うでしょう。私自身には何があっても、どんな困難にぶち当たっても決して熱海のまちづくりをあきらめない確信がありました。どんな困難にぶち当たっても、ただの一度も辞めようと思ったことはありませんでした。でも、決してそんな姿勢でなければ、まちづくりができないわけではありませんし、自分や周りの誰かを犠牲にして取り組むことは、結局のところ、良い結果をもたらさないと思うのです。街を変えることには時間がかかります。だからこそ、楽しく続けていくことが大事です。そのためには、稼ぐことに向き合うことが大事だと考えています。時間はかかりますが、思い描いたものを実現していくことはできます。たった一人から始めても地域は変わり得るのです。たった一人の力では何も変えられませんが、たった一人からでも立ち上がれば、共感してくれる人たちが現れるからです。立ち上がることを、声を上げることを恐れないでください。何か問題や、逆に可能性に気づいてしまったら動き出してみてください。気づいてしまったものの責任というものもあると思っています。その責任を引き受けてみてください。すると引き受けた責任以上の価値を受け取れるのではないかと思います。そして未来を、ビジョンを描いてみてください。できるだけ大きなビジョンを。考えるのは自由です。未来を妄想する力も大事だと思っています。ただし、一歩目はできるだけ小さく踏み出すことをおすすめします。いつまでも考えていても何も起こりません。どんなアクションでも起こせば何かが起こります。でも、あまり大きな一歩だと大きすぎる怪我をしてしまう場合もあるので、転んでも再チャレンジできるくらいの一歩を踏み出してください。志は高く一歩目は低く。
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