喫茶去

徒然に、日々の生活を書き留めたいと思います。喫茶去、まあ、お茶でも飲んで、のんびりしていって。

日本紅茶の先駆者

2008-09-15 | 静岡県 旅

今回の日帰りの旅の目的は
静岡県島田市金谷の「お茶の郷博物館」と
日本紅茶の先駆者多田元吉が育てた
インド種の「紅茶の原木」を見ること。
そして、「丁子屋」のとろろ汁を味わう。

東名高速の相良牧之原インターで下りて、
国道473号線を北上、お茶の郷博物館へ。






小堀遠州が設計した茶室と庭、向こうに博物館




博物館前の茶畑


秋の新芽


博物館の近くにある牧之原公園から見下ろす


公園から見下ろした風景大井川が霞んで見えます


外の売店「茶待夢(ティータイム)」の緑茶とほうじ茶のソフトクリーム

国道473号線をさらに北上し藤枝バイパスから丸子宿へ。
藤枝バイパスを下りてそのまま1号線を静岡方面へ。
紅茶の原木のある長源寺は



丸子宿に入ってすぐ(たぶん)、右折
一つ目の路地沿いにあります。

ここの墓地には、日本紅茶の先駆者多田元吉が眠っています。



多田元吉は千葉県出身。
徳川の幕臣で1869年幕府崩壊後、慶喜に従い駿河に赴き、
拝領した長田村(現丸子)で茶園を開拓し、茶の栽培を始めました。
明治政府から技術を評価され、
1876年(明治9年)、中国・インド・セイロンにお茶の視察に行きます。
その当時まだ鉄道もなく悪路を牛車や馬車で、
馬車でも通れないと馬に乗換え。
赤痢にも罹り命がけの大変な旅だったようです。

帰国後、持ち帰った紅茶の原木を栽培し、
日本全国を駆け巡り、紅茶、緑茶の生産の近代化を推進したのだそうです。

亡くなったのは偶然にも、
私達夫婦の結婚記念日の4月2日。明治29年。
69歳だったそうです。







野生の状態で、延び放題でしたが、
それが、原木としての風格を醸しだしているのかな・・・・



暗くて見えにくいですが、彼が育てた茶の原木が
左右でお墓に寄り添い、お墓を見守るようにありました。

日本産の紅茶はポピュラーに飲まれず、
また、中国やインド、セイロンには勝てず、輸出も伸び悩み、
発展しませんでしたが、
今でも、日本で紅茶を生産している茶農家が何件かあるようです。
機会があれば取り寄せて、
飲み比べの茶会をしたいなと・・・期待せず待っていてください。

丁子屋で「丸子紅茶」を買いました。
後日また紹介しますね。お楽しみに!







 

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丁子屋のとろろ汁

2008-09-15 | 静岡県 旅



芭蕉の句「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」や
十辺舎一九の東海道中膝栗毛の中の
「けんくわする夫婦は口をとがらして蔦とろろにすべりこそすれ」や
安藤広重の東海道五十三次の版画にも登場する。
創業慶長元年(1596年安土桃山時代)の丸子宿にある
とろろ汁で有名な『丁子屋』。

お店の外観も安藤広重の版画そのものですが、
建物の中も、黒光りのする大黒柱や大きな梁、
炉端、自在かぎなどの古い民具が飾られ、
400年の歴史を物語っています。

小鉢の付かない「丸子」と小鉢1つ付く「つたの細道」と
むかご揚団子を注文しました。




家伝の白みそで作られるとろろ汁


お櫃に入ってくる麦飯、おかわり自由


いいじゃん いいじゃん うまいじゃん



お店に置いてあったリーフレットを読むと、
我が故郷の山口県の政田農家が、
不可能とされていた自然薯の栽培に成功し、
野生種に劣らぬ風味と栄養価の高い自然薯を生産していると。
へ~、山口産の自然薯を使っているのかな・・・・・

丸子は‘まりこ’と読み



昔は、‘鞠子’と書いていたそうで、
だから、丸子は‘まるこ’じゃなくて‘まりこ’と読むのだそうです。



金谷方面から行ったので藤枝バイパスをおりてしばらく走ると
国道一号線沿い右手にあります。丸子梅園のすぐそばです。








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