喫茶去

徒然に、日々の生活を書き留めたいと思います。喫茶去、まあ、お茶でも飲んで、のんびりしていって。

棟方志功

2012-09-04 | 美術館・博物館

先日の奥様ジャーナルのバス旅行で、
棟方志功が昭和20年から26年まで、
戦禍を避けるため疎開した富山県福光町(現南砺市)の
ゆかりの地へも行ってきた。


福光に疎開した棟方一家(昭和21年撮影) 

この写真、なんだかすご~くほのぼのして、いいね。


疎開生活をしていた6年8カ月の間に制作した作品を中心に展示してある





志功さんが生前愛した愛染苑の前庭を描いたものが
入館券に使われている。



その前庭の河童が志功さんの銅像になっている。




四天雄飛の図(福光中学校講堂の新築を記念して画伯から寄贈されたもの)


岡本かの子の詩を元にした作品だそう


愛染苑の向かいにある「鯉雨画斎」

「鯉雨画斎」はアトリエ名だったそう。
いまは旧棟方志功住居の呼称となっている。
厠の壁や天井には天女や菩薩、
板戸には鯉や鯰等が描かれている。
家の中、そこらじゅうがキャンパスになっている。



「鯉雨画斎」庭のはまなすの実


駐車場から愛染苑・鯉雨画斎へ行く道には近くの小学生の作品が




 
沢瀉妃の柵(おもだかひのさく)

田の草のオモダカは志功さんが愛した花の一つで、
命日の今月13日には、この花を飾って愛染忌が営まれるそう。


オモダカの花


華狩領

「福光での6年8か月の疎開生活は
福光の風光と、地域に溶け込みながら、
思索と創造に打ち込む日々で、
それはあたかも、
鯉が竜門をぬけ、龍に昇華するごとく、
世界のムナカタへと飛翔するための
貴重な日々だった。
そして、この土地の人たちの心の中に、
大きな文化の種を播いた。」と
美術館でいただいた企画展案内のパンフレットに書いてあった。
志功さんは福光の誇りだろうね。

棟方志功はゴッホに憧れて絵の道を選んだそう。
親しかった草野心平の詩に「わだばゴッホになる」という
彼のことを書いた作品があり、
その中で「ゴッホにならずに、世界のM
unakataになった」と。

今回の奥様ジャーナルのバスツアー、
このような企画がなければ普通にはなかなか行かない場所。
二日後に八ヶ岳行きも控えていたので、
キャンセルしようか迷ったけど、行ってよかった。
奥様ジャーナルのバスツアー

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする