喫茶去

徒然に、日々の生活を書き留めたいと思います。喫茶去、まあ、お茶でも飲んで、のんびりしていって。

昭和二十年夏、僕は兵士だった

2015-10-10 | 読後感



太平洋戦争の最前線で戦った、
終戦当時、十八歳から二十六歳だった
5名の著名人が語った戦争の記憶と、

その後どのように人生を立て直したか
インタビューをもとに書かれたもの。


終戦当時の世の中では、
戦争にかかわった人間イコール悪人という雰囲気があって
非難と反発を受けたよう。

国のために本気で死ぬ覚悟をしていたと。
死んでいった人達が浮かばれないと思った。

「死者に報いる」とか「人の犠牲のうえにある命」と、
死者を自分の裡に住まわせて
がむしゃらにこの世を生きてこられた。

金子氏は、戦後の自分の人生を
「残生」とおっしゃる。


最後に池田氏が、
「アメリカに戦争を仕掛けた時点で、
いずれ特攻作戦しかなくなることは決まっていた。
特攻だけを取り上げて批判しても意味がない。
国の総合力で勝敗が決まる。
軍がいくら強くても、大和のような戦艦があっても、
駄目なんです。
いま考えれば中学生でもわかることなのに、
日本という国は戦争を始めてしまった。
なぜそんなことになったのか、
それを真剣に考え反省しなければ、
あれだけの犠牲を払って、何も残らないことになってしまう。
軍部が勝手に戦争を始めたという人たちがいます。
戦争指導者たちがすべて悪いんだと。
本当にそうでしょうか。
戦前と言えども、国民の支持がなければ戦争はできません。
開戦前の雰囲気を、僕は憶えています。
世を挙げて、戦争をやるべきだと盛り上がっていた。
ごく普通の人たちが、アメリカをやっつけろと言っていたんです。
真珠湾攻撃のときは、拍手喝采でした。
なぜ無謀な戦争を避けられなかったのか。
その理由は、日本人一人一人の中にあるはずです。
辛くてもそれと向き合わないと、
また同じことを繰り返すに違いありません。
戦死者たちは、もはや何も語りません。
かれらの死はいったい何であったのか。
それは戦後ずっと、僕の心にわだかまり続けている問いです。
日本という共同体は、
その共同体のために死んだ人々に対して、
心から向き合い、弔うということをないがしろにしてきました。
死者を置き去りにして繁栄を求めた日本人は、
同時に、この戦争によってアジア各国に対して
途方もない戦禍を及ぼし、それらの人々の
心を傷つけてきた事実からも目を逸らし続けてきたんじゃないか。
僕はそんなふうに思うんです。」

なんだか、すごく悲しい!

コメント
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