喫茶去

徒然に、日々の生活を書き留めたいと思います。喫茶去、まあ、お茶でも飲んで、のんびりしていって。

紫式部の一人娘・賢子

2024-03-05 | 読後感

NHKの大河ドラマを見ているので、
興味があって、




買って、読んだ。

紫式部は父為時の同僚で、
父と同年配の藤原宣孝と30歳前後で結婚。
一人娘賢子を産み、数年で夫とは死別している。

母親の紫式部は何事も慎重で、
感情を表に出さないタイプだったと。
娘の賢子は明るく、情熱的で、
細かいことにこだわらない性格だったよう。

賢子、紫式部の母親を殺した道兼の息子の
兼高と結婚をしている。

ありえんと思ったけど、
ドラマの方が脚色で、史実は違うんだろうなと。

兼高と結婚し、計画的に妊娠をし、出産と同時に、
後朱雀天皇の第一皇子・親仁親王(のちの後冷泉天皇)の
乳母(めのと)になっている。

この小説の中では、兼高と夫婦関係にあるうちに
高階成章と婚姻関係をもち、
20年間、連れ添った。

最後は大宰府の長官として成章は赴任し、
賢子は大弐三位という典侍だったため、
夫には同行できず、死別するまで、
別居生活を送っていたよう。

高齢になってからも歌人として活躍し、
平和な生活を送りながら、
80歳以上まで長生きしたそう。

女性の自立が難しい時代に、
冷静にしたたかに生き抜いた
素敵な女性だなと思った。

紫式部があまりにも有名で、
娘の賢子のことは全く知らなかったけど、
源氏物語の光源氏の死後を描く最後の「宇治十帖」、
及び光源氏について描かれた部分と
宇治十帖の間の42~44帖は、
作者が紫式部ではない、
もしくは誰かがあとから補筆したと言われ、
そのうちの宇治十帖の部分を手がけたのが、
賢子ではないかと。
また、小倉百人一首には、
「有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする」
という歌が掲載されている。
歌にも長けていたようだ。

是非是非、本を見つけたら、読んでみてください。

コメント
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