NHKの大河ドラマを見ているので、
興味があって、
買って、読んだ。
紫式部は父為時の同僚で、
父と同年配の藤原宣孝と30歳前後で結婚。
一人娘賢子を産み、数年で夫とは死別している。
母親の紫式部は何事も慎重で、
感情を表に出さないタイプだったと。
娘の賢子は明るく、情熱的で、
細かいことにこだわらない性格だったよう。
賢子、紫式部の母親を殺した道兼の息子の
兼高と結婚をしている。
ありえんと思ったけど、
ドラマの方が脚色で、史実は違うんだろうなと。
兼高と結婚し、計画的に妊娠をし、出産と同時に、
後朱雀天皇の第一皇子・親仁親王(のちの後冷泉天皇)の
乳母(めのと)になっている。
この小説の中では、兼高と夫婦関係にあるうちに
高階成章と婚姻関係をもち、
20年間、連れ添った。
最後は大宰府の長官として成章は赴任し、
賢子は大弐三位という典侍だったため、
夫には同行できず、死別するまで、
別居生活を送っていたよう。
高齢になってからも歌人として活躍し、
平和な生活を送りながら、
80歳以上まで長生きしたそう。
女性の自立が難しい時代に、
冷静にしたたかに生き抜いた
素敵な女性だなと思った。
紫式部があまりにも有名で、
娘の賢子のことは全く知らなかったけど、
源氏物語の光源氏の死後を描く最後の「宇治十帖」、
及び光源氏について描かれた部分と
宇治十帖の間の42~44帖は、
作者が紫式部ではない、
もしくは誰かがあとから補筆したと言われ、
そのうちの宇治十帖の部分を手がけたのが、
賢子ではないかと。
また、小倉百人一首には、
「有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする」
という歌が掲載されている。
歌にも長けていたようだ。
是非是非、本を見つけたら、読んでみてください。