goo blog サービス終了のお知らせ 

浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

民藝(その2)

2013-10-03 22:58:09 | 読書
 民藝を理解するためには、柳宗悦を読まなければならない。もちろん柳の伝記も繙かなければならない。中見真理『柳宗悦ー「複合の美」の思想』(岩波新書)は、もう読んである。そして一昨日借りてきた、松井健の『柳宗悦と民藝の現在』(吉川弘文館)も読んだ。今は水尾比呂志『評伝 柳宗悦』(ちくま文庫)を図書館に請求中である。

 柳が民藝に開眼した契機が、李朝白磁をみてその美しさに感動したことであったことから、ボクは李朝白磁や朝鮮文化における「白」を調べ、さらに柳の「朝鮮の友に贈る書」を読んだ。感動的な文である。

  私は久しい間、朝鮮の藝術に対して心からの敬念と親密の情とを抱いているのである。私は貴方がたの祖先の藝術ほど、私に心を打ち明けてくれた藝術を、他に持たないのである。またそこにおいてほど、人情に細こまやかな藝術を持つ場合を他に知らないのである。私はそれを眺ながめてどれだけしばしば貴方がたを、まともに見る想いがあったであろう。それは歴史以上に、心の物語りを私に話してくれた。私はいつもそこに貴方がたの自然や、人生に対する観念を読む事が出来る。貴方がたの心の美しさや温かさや、または悲しさや訴えがいつもそこに包まれている。想えば私が朝鮮とその民族とに、抑え得ない愛情を感じたのは、その藝術からの衝動に因るのであった。藝術の美はいつも国境を越える。そこは常に心と心とが逢あう場所である。そこには人間の幸福な交りがある。いつも心おきなく話し掛ける声が聞えている。藝術は二つの心を結ぶのである。そこは愛の会堂である。藝術において人は争いを知らないのである。互いにわれを忘れるのである。他の心に活きるわれのみがあるのである。美は愛である。わけても朝鮮の民族藝術はかかる情の藝術ではないか。それは私の心を招くのである。どれだけしばしば私はその傍らに座って、それと尽きない話をかわしたであろう。

私は朝鮮の藝術ほど、愛の訪れを待つ藝術はないと思う。それは人情に憧あこがれ、愛に活きたい心の藝術であった。永い間の酷い痛ましい朝鮮の歴史は、その藝術に人知れない淋しさや悲しみを含めたのである。そこにはいつも悲しさの美しさがある。涙にあふれる淋しさがある。私はそれを眺める時、胸にむせぶ感情を抑え得ない。かくも悲哀な美がどこにあろう。それは人の近づきを招いている。温かい心を待ちわびている。

 

 この文も、聴講者に示す意味があると思った。「痛ましい朝鮮の歴史」は、日本人がいつも心のどこかに置いておかなければならないことだ。

 そしてもちろん、この地域における民芸運動に関する文献も読む必要がある。その文献は、もう揃えてある。それは明日の仕事にしよう。

 今から、今日届いた『本田靖春 「戦後」を追い続けたジャーナリスト』(河出書房新社)を読むつもりだ。

 秋の到来のせいか、読書熱が高まっている。活字を追えない生活は考えられない。活字を追わないと、たとえ牛肉を食べても、思想は痩せていく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

裁判所は誰の味方か?

2013-10-03 19:21:59 | 日記
 共同配信記事。過労死をさせた企業は公開しません、というのが支配層の意思。過労死というのは、要するに労働基準法などを守らなかった悪質な企業。労基法上は、犯罪企業である。その企業を守る行政と司法。


企業名「公開せず」確定 過労死めぐる訴訟
2013年10月3日 18時41分

 過労死などで従業員が労災認定された企業名の情報公開をめぐる訴訟で、最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は3日までに、公開を求めていた市民団体代表の上告を退ける決定をした。「ブラック企業と評価され信用を損なう恐れがある」として公開請求を退けた二審大阪高裁判決が確定した。1日付。

 一、二審判決によると、団体側は2009年3月、大阪労働局に対し、過去7年間に管内で脳梗塞や心筋梗塞などで労災補償をした企業名の開示を請求。労働局は翌月、不開示と決定した。

(共同)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

静岡県社会運動史

2013-10-03 18:57:31 | 日記
 戦後に於ける静岡県の社会運動史をまとめるという事業が、本日スタートした。

 今日新聞報道された、消費税増税賛成が反対よりも多いという世論調査に見られる如く、最近の国民は支配層にとってたいへん「ものわかり」がよくなっているから、敗戦1945年から始まった様々な分野の社会運動をまとめることは大きな意義があると思い、ボクは全面的に協力することにしたのだ。

 いつの時代でもそうだが、民衆が自分たちの生活を良くするための様々な願いは、だまっていてはかなえられない。だから民衆は社会的な運動を起こして、その実現のために闘ってきた。江戸時代の幕藩体制下であっても、農民たちは一揆を起こして、自分たちの要求を獲得してきた。

 今は、その時代よりも、民衆はある意味「飼い慣らされ」てしまっているようだ。

 復興のための税制のうち、国民に課している所得税増税分、市民税の1000円賦課については廃止しないけれども、法人に課した増税分はなくすというのである。そして消費税の増税。まさに支配層を助け、国民からの収奪は増やすという政策が、今の時代はすんなりと通ってしまうのである。

 このまま推移すれば、多くの国民は支配層の意思と溶融し、政府の政治にノンを叫ぶ人々については恫喝を加えることにより(そういう動きが強まっている)、日本は全体主義的な国家になってしまうかもしれない。

 だからこそ、過去の民衆がどういうことを要求し、あるいはノンを突きつけたのか、そういうことを記録にとどめておくことは意味がある。

 本格的な始動は、11月からである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする