浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

政府、東電は、海へ流そうとしている

2013-10-17 20:17:58 | 日記
 海への流出、「否定できない」。このことば、何度も見ている。東電は、流出に何の痛みも感じていないようだ。こうして、汚染水を流していく。「仕方ない」といいながら、なし崩しで流していく、そういう方針のような気がする。


福島第1原発:排水溝の放射性濃度、5地点で急上昇
毎日新聞 2013年10月17日 19時18分

 東京電力は17日、福島第1原発で外洋に通じる排水溝の水を測定した結果、5地点で放射性物質濃度が急上昇し、最大1リットル当たり2300ベクレルとなったと発表した。この地点では9月13日採取分の同860ベクレルを超え過去最高値。東電は、汚染された土砂が台風26号の雨水で洗われ排水溝に流れ込んだと説明し、海への流出も「否定できない」としている。

 東電は8月にベータ線などの測定を始めた。排水溝で確認された汚染水は、これまでの測定結果から放射性ストロンチウム90(同原発での国の排出基準は1リットル当たり30ベクレル以下)が半分を占めているとみられる。

 東電によると、今回のサンプルは16日に採取。最大値が検出されたのは海まで約500メートルの地点だった。5地点のうち海に最も近い約150メートルの観測地でも過去最高の同1400ベクレルを検出。直近の15日採取分(19ベクレル)の約70倍で、2日に採取した同840ベクレルを上回った。【蓬田正志】
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視察

2013-10-17 20:01:13 | 旅行
 地区の民生委員の会長さんから、「東日本大震災の「視察」に行きたいが、行くつもりはありますか」と、3月頃に言われた。ボクはもちろん行きます、とこたえた。

 その後、ボクは3月末から4月にかけて宮城県石巻市その他の被災地を訪問した。大川小学校を訪れたときには、言葉を失ったことを思い出す。また名取地区でも、津波の被害の大きさに圧倒された。

 さてボクは明日、また被災地に行く。先日「行程表」を渡された。しかし被災地視察はたった1時間半。石巻市門脇地区の視察である。

 温泉に泊まり、中尊寺、瑞巌寺、松島をまわる。これではほとんど観光旅行だ。

 ボクは、観光旅行はしない。何らかの目的を持って、その目的のみに旅行を行う。もちろん神社仏閣に行くこともあるが、それはその神社仏閣に行くための旅行であってそれ以外ではない。

 まあ参加すると言ってしまったので、断るわけにもいかず、参加するのであるが、願わくば煙草を吸う人がいないことを。
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続 ある記事について

2013-10-17 13:19:27 | 読書
 本日、記事を書いた記者の上司から、速達で返事が来た。 

 「おはよう」という欄は、必ず本人の承諾が必要だとのこと。当たり前だ。しかし、ボクは承諾していない。

 内容的なことについての言及はなかった。今日も、ボランティアでやっている歴史講座で講師をつとめたが、受講者の方から、「先生のことが新聞にでていましたね。私は何度読んでも、意味がわからなかった」と言われた。その指摘は、正しい。

 まあこれでおしまい。ただし、上司からの手紙、封筒の宛名は正確であったが、手紙末尾に記された私の名が間違っていた。

 新聞は、正確さが命であることを最後に指摘しておく。
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秘密保護法という、権力保護法の中身。1

2013-10-17 08:02:44 | 日記
 安倍政権が制定しようとしている秘密保護法は、要するに権力保護法。国民に真実を知らせないで、権力者が思う存分勝手に何でもできるようにしようとするもの。

 これから日本の政治は、暗闇のなかで動いていくことになる。光をあてようにも、こちらからの光が届かない。だからまったくわからない。ただし、権力者側にとって都合がいい情報は流されてくる。

 ボクらは、まさに「被支配者」となる。「主権者」ということばの実質は消し去られるのだ。

 どうなるか、その一部が、下記のスライドに説明されている。


 http://clearinghouse.main.jp/wp/?p=785
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ある記事について

2013-10-17 07:04:44 | メディア
 昨日、歴史講座が終わったとき、12日付けの「おはよう」という記事について、話しかけてきた受講者が何人かいた。

 「おはよう」という欄は、ひとりの人物を紹介するのが趣旨だろうと思う。たとえば、浜松市の民藝品である「ざざんざ織」の後継者として、たったひとり、80歳をこえてその伝統を守り続けている人、あるいは東京などからわざわざ注文に来る客を抱えているような紳士服を作り続けている「名人」など、そういう特徴あることを長年やってきた人物でありながら、あまり光が当てられてこなかった人を発掘して紹介するというような。

 ところが、ボクが載せられた(まさに受け身だ!)記事は、茫洋としていて、ボクのことを書こうとしているのか、それとも大杉栄・伊藤野枝らの墓前祭実行委員会について書こうとしているのか、あるいはボクと実行委員会との関係を書こうとしているのかまったくわからない。というのも、ボクについても、実行委員会についても、その両者についての説明がまったくないのだ。「関係」を書こうとしたのかもしれないが、「関係」している「そのもの」が茫漠としているので、記事全体が暗闇の中に放り出されるのだ。

 だから、あの記事を読んでボクに話しかけてきた人は、もちろんボクという存在を知っている人であるが、その闇の中に見つけたのは、「大杉栄」であり、ボクが写真付きで新聞に出ていた、ということだけだ。したがって、その反応は、「新聞に出ていたね」、「大杉栄って何?」なのである。

 この記事が、9月16日にそういう集会があったという記事とともにあれば、まだ理解も可能だっただろう。しかしほぼ一ヶ月後になって、何の説明もつけられずに突然掲載されたのだから始末が悪い。

 これを書いた記者も、この記事を掲載させたデスクも、新聞記者失格であるいわざるを得ない。いずれ説明が文書で送られてくるというので、ボクはそれを待っている。
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