浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

水、空、そして大杉栄

2013-10-13 19:29:28 | 日記
 今、畑はいろいろな苗を植え付ける時期だ。ボクがさつまいもを掘り出してると、隣近所の畑仲間がいろいろな苗をくれる。ネギ、根深、はくさい、たまねぎ・・・・・

 ボクはさつまいもを掘り出すのをやめて、それらを植え付けるために畝をつくり、穴を掘る。

 でも、近くを流れる農業用水に水がない。いつもは流れているのだけれど、この4日間まったく水がない。農業初心者のボクは、大きなバケツに水を溜めていたが、それはすでに枯渇。

 親切な畑仲間は、こういう事態を想定して、いろいろな容器に水を溜めていて、その水をわけてくれる。感謝、感謝である。

 今日、いつも世話になるわけにいかないので、ポリタンクを二つ購入した。これに水を入れて、畑まで運ぶつもりだ。

 畑は田んぼに囲まれている。畑に立ったときの視界に、大空がひろがる。フランスの風景画家の絵を思い出す。空が半分以上をしめ、そこに雲と光が描かれる。それと同じような風景がボクの頭上に広がる。

 4日前の夕方、東の空に虹があった。自然が大空に描く七色の半円。それを見られるというだけで、生きてきてよかったという気持ちも湧いてくる。

 最近、暗くなるのが早い。午後6時半頃、夕焼けが西の方角に赤と黒のシルエットをつくる。

 大杉栄・伊藤野枝らの追悼集会で話すボクの写真が、新聞に掲載された。畑仲間もその記事を見たようだ。昨日夕方畑に行くと、早速その話。

 「大杉栄って何?」という問いがあった。簡単に説明するが、興味はないようだ。大杉栄を知る人と、知らない人。「とにかく、悪いことで載ったわけじゃないから・・・」ということで終わった。

 畑仲間が大杉栄のことを知っている、という時代は来ないものか。

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なぜ?

2013-10-13 08:36:03 | 日記
 タレント女子高生がストーカーに殺された事件。

 ボクが不思議に思うのは、家族はどうしていたのか、ということだ。ストーカーは留守宅(?)に忍び込んでいたから事件は防げなかったかもしれないが、警察に相談に行ってから、彼女には常時家族はついていたのだろうか。

 よくわからないのだが、警察から学校、学校から自宅。一人で行動していたのだろうか。

 ストーカーに狙われたら、絶対にひとりにはしない、ということが鉄則だろう。それができていたのか、新聞報道だけではわからない。

 この事件から教訓を引き出して、同じような事件が起きないようにマニュアルをつくるべきではないか。そして警察は相談があったときに、そのマニュアルをわたすこと。そのマニュアルには、まずこう書かなければならない。

 絶対に一人にはしないこと。

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しかしねえ・・・

2013-10-13 08:05:02 | 読書
 最近、ハウツーものの本が売れているようだ。あるいはある種の人生読本。

 今日の新聞に曾野綾子の『人間にとって成熟とは何か』という本の宣伝があった。そこにはその本に記されている文が紹介されていたが、読んでみて何の意味もないことばの羅列であると思った。

 たとえば、「他人のお世話にならずに生きていられる人などいない。しかしどれだけお世話になったかを見極められない人には、何の仕事もできない」という文。最初の文は正しい。当たり前のことだ。人間は生まれる前から死ぬまで、誰かのお世話になり、また誰かをお世話しながら生きていく。だが次の文、「どれだけお世話になったかを見極め」ることなんかできるのか。「どれだけお世話になったか」を量的に認識することなんかできるわけがない。それは質的なものであり、また同時に主観的なものだ。そしてそれを「見極められない人」は、「何の仕事もできない」というが、「見極められない人」がどうして「何も仕事ができない」といえるのか、説明はまったくない。

 何かを主張しているようで何も主張していない。

 あるいは「苦痛や悲しみをどう受け止めるかということは、一つの立派な芸術だ。そしてそれを如何に達成するかは、死ぬまでなくならない、偉大な目的になるのである」という文。最初の文もわけがわからないが、まあいいとしよう。次の文の「それ」はいったい何を指すのだろうか。「苦痛や悲しみを」受け止めることを「達成する」?これではおかしい。

 何かを主張しているようで何も主張していない。

 新聞の広告欄に載せられている文は、すべて駄文である。何も主張していない。にもかかわらず、「自分の思想を自分の言葉で自由に語りなさい、と言われると、何も話すことがない人も多い」と指摘する。

 あなたは「自分の思想」を持っているのかと問いたくなる。この人の思想には、独特なものはない。基本的に体制の考えを、敷衍しているにすぎない。

 こんな本が、50万部も売れているという。おかしな国だ。

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