浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

養浜工事の怪

2013-10-21 20:43:07 | 日記
 浜松市が「三大砂丘」という中田島。しかしすでにその波打ち際は河原のように、礫に覆われている。浜松市が、ここをアカウミガメの産卵地としながら、カメは上陸し、産卵するところではなくなっている。

 「養浜」を名目とした工事が行われている。海岸浸食を防ぐためという目的の下、どこからか大量の礫や岩ともういうべき大きな石が入った土砂を海岸部に運び、波や雨により砂礫を供給するというのだ。

 私たちは、「養浜」という工事が「壊浜」であるとし、浜松市当局に何度も働きかけてきた。しかし市当局は海岸の管理は県であるということから、みずから動くことをせず、県にすべてを丸投げしていた。

 今日、私たちは、「養浜」のために海岸部に運んでいる土砂は「選別」されている(つまり大きな礫は取り除いている)というので、それを見に行った。

 ところが、「選別」は部分的に行われているだけであることを知った。

 国交省は、天竜川の洪水対策として、いつもどこかを掘削している。「河川内の土砂を掘削し、河川の水位を低下させることにより、洪水を安全に流下させる」(今日渡された資料の説明)工事である。その工事は、天竜川近くに住むボクが未だかつて経験したこともないような洪水のための工事である。

 掘削すると、とうぜん多くの土砂が生じる。その土砂をどうするか。何もなければそれを処分しなければならない。

 その土砂を中田島海岸(当局は篠原海岸と呼ぶ)に運び「養浜」に資することにすれば一石二鳥であるとして、国交省と県は手を結ぶ。

 今日、ボクたちはまず国交省の係官から、洪水対策の掘削事業の説明を受けた。最初戸惑った。なぜならボクらは、「選別」の作業を見に来たのである。ところがそういう現場ではなかった。

 その説明の後、今度は県の係官による「養浜」の説明を受けた。「養浜」につかう土砂については、掘削するときに一部をチェックして、大きな礫が入っていないような土砂を海岸に運ぶようにしているというのだ。すべてを「選別」するのではない。掘削地域の土砂の状態を予想して、「養浜」につかう土砂を決めているという。

 その土砂が、目の前に示された。確かに砂が多い。当たり前だ。天竜川河口部の中州の土砂であるから、大きな礫はあったとしても少ないのは当たり前。ボクらに見せることができる土砂、というわけだ。

 しかしすでに、海岸の波打ち際は、大小の礫で覆われている。その現実は変わらないし、今は礫の少ない土砂かもしれないが、ボクらが知らないときには、大小の礫が大量に入っているものを運ぶかもしれない。

 また県の係官は、「養浜」工事についていろいろ説明した。土砂を海岸部に運搬して土砂を供給しても、浸食は進むとも。ならばなぜ大金を投入して「養浜」工事をするのか。浸食を「遅らせる」という。

 よく「費用対効果」ということばを聞くが、ここではそれは考慮されていないようだ。

 ボクがもった感想。今まであったこともないような洪水が起きることを想定し、その時の大量の水を堤防の中に閉じ込めて流下させるために土砂を掘削する、その土砂の捨て場として中田島海岸がある。したがって、天竜川で掘削する土砂なら、大小の礫が入っていてもいなくても、とにかく海岸に運ぶ。海岸が礫だらけになっても、それは仕方がないことだ。海岸浸食を「遅らせる」ためなのだから。

 そして現在掘削している中州。そこを掘削しても、再び中州はできると地元の人は指摘しているという。ならばなぜ?土建屋に仕事を分配するため?疑惑は尽きない。

 だがその「遅らせる」ということについては、県の説明であってこちらが検証しているわけではない。今日聞いた話を、今後きちんと検証していくつもりである。

 
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社説

2013-10-21 07:49:16 | 読書
 社説というのは、こうでなくちゃあいけない。

 これは『中日新聞』(『東京新聞』)。今、全国紙には、こういう社説を書ける者がいない。

坂口安吾と憲法9条 戦争放棄という明察
2013年10月21日

 戦後の混乱期、「堕落論」で一躍人気作家となった坂口安吾は、戦争放棄の憲法九条を高く評価していました。それは今の時代状況にも通じる明察です。

 坂口安吾は、一九〇六(明治三十九)年のきのう十月二十日、新潟市に生まれました。今年は生誕百七年に当たります。

 東洋大学印度哲学科卒業後、作家の道を歩み始めます。文壇では高い評価を得ていましたが、世評的には不遇の時代が続きます。

 一変するのは戦後です。四六(昭和二十一)年、「新潮」に掲載された「堕落論」でした。

◆本質見抜く洞察力
 <戦争は終わった。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変わりはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕(お)ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない>

 国家のために死ぬことは当然、日本人なら清く正しく生きなければならない、と教え込まれていた当時の人々にとって、堕落こそ人間救済の道という逆説的な省察は衝撃的でもありました。本質を見抜く洞察力に貫かれたこの随筆を機に一躍、人気作家となります。

 太平洋戦争の開戦時、安吾は三十五歳。年齢故に召集もされず、四四(同十九)年には、日本映画社の嘱託となります。安吾の戦場は遠い戦地ではなく、幾度も空襲に見舞われ、降り注ぐ爆弾や焼夷(しょうい)弾から逃げ惑った東京でした。

 安吾自身、反戦主義者ではなかったようですが、戦争を冷徹な目で見ていました。四三(同十八)年、海軍の山本五十六元帥の訃報に接し、こう書き記しています。

◆根源から問い直す
 <実際の戦果ほど偉大なる宣伝力はなく、又(また)、これのみが決戦の鍵だ。飛行機があれば戦争に勝つ。それならば、ただガムシャラに飛行機をつくれ。全てを犠牲に飛行機をつくれ。さうして実際の戦果をあげる。ただ、戦果、それのみが勝つ道、全部である>(現代文学「巻頭随筆」)

 戦争に勝つには、精神力ではなく軍事力、国民を奮い立たせるのは、うその大本営発表ではなく真の戦果、というわけです。

 虚構ではなく実質。今となっては当然ですが、戦後六十八年がたっても色あせない洞察力こそが、今なお安吾作品が読み継がれている理由でしょう。

 「根源から問い直す精神」。評論家の奥野健男さんは、安吾の魅力をこう書き残しています。

 堕落論の約半年後、日本国憲法が公布されます。主権在民、戦争放棄、基本的人権の尊重を三大原則とする新しい憲法です。

 安吾の精神は、憲法論に遺憾なく発揮されます。特に、評価を与えたのが、国際紛争を解決する手段としての戦争と、陸海空その他の戦力を放棄した九条でした。

 <私は敗戦後の日本に、二つの優秀なことがあったと思う。一つは農地の解放で、一つは戦争抛棄(ほうき)という新憲法の一項目だ><小(ち)ッポケな自衛権など、全然無用の長物だ。与えられた戦争抛棄を意識的に活用するのが、他のいかなる方法よりも利口だ>(文芸春秋「安吾巷談(こうだん)」)

 <軍備をととのえ、敵なる者と一戦を辞せずの考えに憑(つ)かれている国という国がみんな滑稽なのさ。彼らはみんなキツネ憑きなのさ><ともかく憲法によって軍備も戦争も捨てたというのは日本だけだということ、そしてその憲法が人から与えられ強いられたものであるという面子(メンツ)に拘泥さえしなければどの国よりも先にキツネを落(おと)す機会にめぐまれているのも日本だけだということは確かであろう>(文学界「もう軍備はいらない」)

 東西冷戦に突入し、核戦争の恐怖が覆っていた時代です。軍備増強より、九条の精神を生かす方が現実的との指摘は、古びるどころか、今なお新鮮さをもって私たちに進むべき道を教えています。

◆改憲潮流の時代に
 安吾は五五(同三十)年に亡くなります。四十八歳でした。この年の十一月に結党された自民党は今、安倍晋三首相の下、党是である憲法改正を目指しています。

 自衛隊を「国防軍」に改組し、集団的自衛権を行使できるようにする内容です。首相は世界の平和と安定に積極的に貢献する「積極的平和主義」も掲げ始めました。

 しかし、ここで言う「平和」に実質はあるのか。軍拡競争をあおったり、米国の誤った戦争に加担することが、本当にないのか。

 本質を見抜き、根源から問い直す。安吾の精神が今ほど必要とされる時代はありません。
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雨が降るたびに

2013-10-21 07:05:12 | 日記
 次は共同配信記事。

第1原発、せきから雨水あふれる 汚染水流れ出た可能性
2013年10月20日 22時18分

 東京電力は20日、降雨の影響で、福島第1原発の地上タンク群に設けた漏水防止用のせきから雨水があふれ出したと発表した。放射性物質を含んだ汚染水が外洋につながる付近の排水溝に流れ込み、外洋に流れ出た可能性が否定できないという。

 東電は漏れた量や放射性物質の濃度を調べるとともに、他のせきから雨水があふれていないか監視を強める。

 あふれ出たのは全部で23カ所ある地上タンク群のうち、H2南、H2北、G3東、G6南、G6北、H4、H4東、H1東、E、H8北、H8南、H3と呼ばれるタンク群12カ所のせき。(共同)


 こういう記事は、もう何度も出ている。東電には、汚染水が雨のたびに流出するという事態を深刻がっている様子はない。「責任」ということばがあるが、日本の支配層の間には、それは意に介さなくても良いことばだ。

 何が起きても、誰も責任をとろうとしないし、責任を追及する声が上がっても、司法はそれを許さない。もちろん責任が問われることはある。その場合は、決して上層部ではなく、会社とか政府とかそういう組織の下っ端に位置する者たちである。

 原発は国策で推進されたものであり、事故が起きてこんなに苦しむのは国策のせいであって、我々はその被害者であると、東電は思ってるのであろう。責任感なんかはなから持たない。国策が悪いのだ。原発推進によりたくさんのカネを取得し、それをやまわけしたことなんかとっくに忘れている。

 政府や県も、同じだ。原発をこんなにもたくさんつくらせたのは、今までにその担当をしていた者であって、「オレ」ではない。こんな事故が起きて、「オレ」が苦労しなければならないのは、そいつらのせいだ。「オレ」は被害者だ。

 日本という国の支配層は、責任をとらない。トップは、とくにとらない。そうすると、その下にぶらさがっていた者たちも、トップがとらないんだからと責任をとろうとしない。

 そのまま時が経過するのを待つ。責任を追及するのは少数だし、司法も支配層の味方であるから、時の経過を待てば良い。「待てば海路の日和あり」である。

 時がすべてを解決してくれる。だらだらと時の経過を眺め続けるのだ。だらだらと、何らかの対策をとっているというふりをしながら。



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