浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

夕顔

2013-10-28 07:47:49 | 日記
 台風の後、夕顔の葉がなくなっていたことに気がついてはいたが、隣家の方に言われるまで知らなかった。

 隣家にも夕顔の苗をあげてあったから、隣家の庭にも、夕方から夕顔の花が咲き始め、夜の闇に白く浮き出ていた。もちろん我が家の庭にも、毎年夕顔が花をつける。

 夕顔は、自己を主張せず、たとえば月明かりにその白さを預けているかのように、夜の間じっと咲き続けている。「誰にも見られなくてもいいの、ただ私はどこからかやってくる光をそっと受けて、みずからの存在を確認しているの・・」

 夕顔は、みずからを女性として語るしかない。といっても、幻想のなかの女性である。

 その夕顔に、見るも醜くグロテスクな緑の虫がつき、花も葉も食べ尽くそうとしていた。隣家の方が、その青虫の存在を教えてくれた。

 ボクは割り箸で、彼らをつかんだ。しかし彼らは必死に夕顔にくっつき、放されまいと抵抗する。ボクは力をいれて彼らを次々につかみあげ、道に放り投げる。彼らは、すぐにおきあがりいずこかへ去ろうとする。隣家の方は、そうはさせじと彼らをビニール袋に入れる。

 ビニール袋の中で暴れる彼ら。彼らの死は近い。

 我が家の夕顔も、隣家の夕顔も、葉を食べ尽くされ、冷たい風に佇む。

 だが今朝、夕顔は新たな葉を生み出していた。本当の寒さが到来するまで、夕顔は白い花をつけ続けることだろう。

 夜の闇に、そっと白く浮かび上がる夕顔。
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寒への対応

2013-10-28 06:43:27 | 日記
 昨日、茣蓙と絨毯とを交換した。台風の後、秋はいよいよ深まる。昨日も畑に出たが、遠州の西風はすでに吹きつけ、寒さを感じながらの作業だった。

 一昨日は大雨のため、畑に入ると足がずぼっと土の中に埋まるほど、土が水を含んでいたが、昨日は掘り起こしなどの作業はできた。

 昨日の作業は、苺の苗床をつくるというものだ。肥料がたくさん必要だというので、掘り起こした後、箱の中に入れておいた化成肥料などを取り出したが、これがなんと水が入っていた。いったいどこから入り込んだのか。

 最近は日没が早いので、作業時間は短い。

 昨日、少しだけ畑を借りている近隣の方と話した。農作業は、ストレス解消になるという。やはりその人も、「無心」というようなことを話されていた。作業中は、夢中になっている、それがいいのだという。

 ボクも、作業中は、無心である。なんらかの目的(たとえば芋を掘り出す)だけのために、鍬を振るう。そのとき、何も考えていない。

 また身体を動かすので、運動不足の解消にもなる。

 日本人は、4世代ほど前は、ほとんどが農業との関わりを持っていた。しかし今はほんとうに少ない。農業との関わりをなくすということは、本当は日本人にとってたいへんなことなんではないかと思った。

 というのも、次の歴史講座で話す「遠州報国隊」を調べていて、遠州の神官たちの討幕軍への従軍の契機が、支配層への「成り上がり」願望だったのではないかと思ったからだ。

 ボクは、大地から自らを引き離していった支配層の退廃を思う。参加した神官たちは、「主水」、「出雲(守)」など武士階級の名を使っていた。

 大地に根ざした思想でないと、人は退廃する、そう思った。

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