10年以上前、静岡の沓谷霊園には、大杉の遺児二人が参列していた。ボクは見かけただけで話しをすることはなかった。二人とも、物静かな感じだった。そのなかには、本書に描かれたルイズはいなかった。
今年の9月16日、大杉豊さんはルイズこそが、大杉栄・伊藤野枝を継いだ人だと語ったことが思い出された。ボクは、ルイズ、伊藤ルイさんが書いた本をその後2冊読み、ルイさんが人間と社会に関する鋭い感受性をもつなかで、様々な運動に関係していたことを知った。
そして、松下竜一さんによって、大杉・野枝の子どもたちがいかなる人生を送ったのかを知った。そこには伊藤ルイさんの生きてきたすがたが、詳細に描かれていた。
無政府主義者大杉栄と伊藤野枝との間に誕生し、その父と母は国家権力により無残にも惨殺された。そしてその後、その子どもたちが生きた時代は、狂信的な天皇制ファシズムの嵐が吹き荒れた。圧倒的多数は、国家権力の側にたち、大杉栄と伊藤野枝とを「敵」とみなし、さらにその子どもたちをも「敵」の子どもとみていたはずだ。
そういう時代に、その子どもたち、すべて女性であるから彼女たちとしよう、彼女たちはどのように生きてきたのか。「大杉と野枝の子ども!」という事実ではあるけれども、いわばそのレッテルは、彼女たち自身、あるいはその周辺の者たちをもしっかりと拘束していた。両親は、大日本帝国の抑圧の時代であっても、自由な精神を維持しながら生きることができたが、その子どもたちは、その拘束がきわめて強かったが故に、自由には生きられなかった。
「大杉と野枝の子ども!!」という拘束は、彼女たちには重圧であっただろう。この松下竜一の著書は、その重圧を赤裸々に明らかにすると同時に、伊藤ルイという人間がその重圧を克服して、父母と同じような精神の自由、行動の自由を取り戻していく過程を描いたものだ。
ボクは読みながら、何度も本を置いて宙を見た。その重圧を、ボクも十分に感じることができたからだ。そのなかで特に長女魔子への重圧の大きさを想像した。
魔子は「大杉と野枝の子ども!!」から逃れるすべはなかった。ルイらは、「大杉と野枝の子ども!!」を実際は隠すことはできなかったが、自分自身の心の中で見ないようにすることはできたようだ。だが魔子は無理だったのだろう。
本書は、「大杉と野枝の子ども!!」から、伊藤ルイというひとりの人間へと「脱皮」(このことばではない他のことばをつかいたいのだが、最適なことばがでてこない!)していく過程を、誠実に追跡した本である。
ボクは『豆腐屋の四季』から、松下の本は読んでいるが、このひとの、人間を見る目の確実さと誠実さ、そしてその筆力に感服してきたが、今回も同様な感想を持った。
なお、この本は『松下竜一 その仕事』17(河出書房新社)である。この後、このシリーズの18『久さん伝』を読むつもりだ。
今年の9月16日、大杉豊さんはルイズこそが、大杉栄・伊藤野枝を継いだ人だと語ったことが思い出された。ボクは、ルイズ、伊藤ルイさんが書いた本をその後2冊読み、ルイさんが人間と社会に関する鋭い感受性をもつなかで、様々な運動に関係していたことを知った。
そして、松下竜一さんによって、大杉・野枝の子どもたちがいかなる人生を送ったのかを知った。そこには伊藤ルイさんの生きてきたすがたが、詳細に描かれていた。
無政府主義者大杉栄と伊藤野枝との間に誕生し、その父と母は国家権力により無残にも惨殺された。そしてその後、その子どもたちが生きた時代は、狂信的な天皇制ファシズムの嵐が吹き荒れた。圧倒的多数は、国家権力の側にたち、大杉栄と伊藤野枝とを「敵」とみなし、さらにその子どもたちをも「敵」の子どもとみていたはずだ。
そういう時代に、その子どもたち、すべて女性であるから彼女たちとしよう、彼女たちはどのように生きてきたのか。「大杉と野枝の子ども!」という事実ではあるけれども、いわばそのレッテルは、彼女たち自身、あるいはその周辺の者たちをもしっかりと拘束していた。両親は、大日本帝国の抑圧の時代であっても、自由な精神を維持しながら生きることができたが、その子どもたちは、その拘束がきわめて強かったが故に、自由には生きられなかった。
「大杉と野枝の子ども!!」という拘束は、彼女たちには重圧であっただろう。この松下竜一の著書は、その重圧を赤裸々に明らかにすると同時に、伊藤ルイという人間がその重圧を克服して、父母と同じような精神の自由、行動の自由を取り戻していく過程を描いたものだ。
ボクは読みながら、何度も本を置いて宙を見た。その重圧を、ボクも十分に感じることができたからだ。そのなかで特に長女魔子への重圧の大きさを想像した。
魔子は「大杉と野枝の子ども!!」から逃れるすべはなかった。ルイらは、「大杉と野枝の子ども!!」を実際は隠すことはできなかったが、自分自身の心の中で見ないようにすることはできたようだ。だが魔子は無理だったのだろう。
本書は、「大杉と野枝の子ども!!」から、伊藤ルイというひとりの人間へと「脱皮」(このことばではない他のことばをつかいたいのだが、最適なことばがでてこない!)していく過程を、誠実に追跡した本である。
ボクは『豆腐屋の四季』から、松下の本は読んでいるが、このひとの、人間を見る目の確実さと誠実さ、そしてその筆力に感服してきたが、今回も同様な感想を持った。
なお、この本は『松下竜一 その仕事』17(河出書房新社)である。この後、このシリーズの18『久さん伝』を読むつもりだ。