浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

お線香

2013-10-20 21:50:57 | 日記
 寺院に行くと、ボクは必ずお線香を買う。何時の頃からか、お線香の香りが好きになった。

 今回の旅行で、二つの寺を訪れた。ひとつは中尊寺、もうひとつは瑞巌寺である。中尊寺のお線香は「関山香」といい、瑞巌寺は「青龍」という。

 両者を比べてみた。中尊寺のお線香は、深い香りが漂い、瑞巌寺のお線香は香りというより香りが付着した煙が漂うという感じであった。

 瑞巌寺のお線香は、京都の松栄堂製作であった。松栄堂は、京都奈良の寺院のお線香を多数手がけていて、ボクもたくさんもっている。松栄堂製作のものすべてが悪いわけではなく、瑞巌寺のそれはどうもいただけないということだ。

 ボクがもっているお線香、曹洞宗の寺院のものはない。自分の先祖の菩提寺が曹洞宗であるが、その曹洞宗寺院から何かあるたびに、カネ、カネ、カネ・・・・と要求され、曹洞宗寺院の「寺」という字には、かねへんがついているのではないかと思っている。

 そういう宗派のお線香には、カネを出させる麻薬めいたものが入れられているのではないかと心配なのである。

 道元さんの「只管打坐」。「無」ではなく、「金」を思いながらやっていたのだろうか。曹洞宗のお線香の煙はいったい何色だろうか。黄金色かもしれない。あ~いやだいやだ。
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石田英敬さんの「オピニオン」

2013-10-20 16:17:51 | メディア
 『朝日新聞』は、かなり前から卑怯なやりかたをしている。これについては以前も書いたが、社論は『読売新聞』に近いことを主張しているが、だからといって「保守」だとか「右派」とも言われたくない。だから、社外の人間に書いてもらって均衡を取ろうとする。ボクはこういう二重人格的な紙面作りは卑怯だと思っている。
 人間でも、実際は権力におもねっているのに、そのほかの場所では平気で権力に対して批判的な言辞をはくという輩がいる。ボクはこういう人物は大嫌いである。こういう人物とは一切つきあわない。しかし、右翼反動と言われる人間でも、それを隠さず主張している人とはつきあう。思想の違いは当然あってしかるべきであって、こういう人物とは議論することができるからだ。

 『朝日』は、もっともボクが嫌う人物と、よく似ている。

 さて18日、『朝日』朝刊を買った。そこに東大教授・石田英敬さんのインタビュー記事が載っていた。石田さんの発言は、いつも的確でシビアだ。この紙面だけ切り取った。

 このインタビュー記事を紹介したい。

 石田さんは安倍政権の政治を「理性ではなく人々の感性に働きかけ、良いイメージを持ってもらうことで政治を動かすことを狙った『イメージの政治』」だとし、そのイメージについて、「おそらくプロが演出している。政治はどんどん技術を磨いています。良しあしはともかく、私たちはそういう世界を生きているということをもっと知る必要があります」という。

 イメージ政治の先達は、ヒトラーである。彼も大衆の耳目を引きつけるために、イメージづくりに励んだ。安倍政権は、ヒトラー政権の研究でもしているのだろう。「大衆操縦術」といったものを。

 そのイメージを増幅させているのが、メディア。「いまやメディアは、出来事を人々に認識させる伝達装置であると同時に、片っ端から忘れさせていく忘却装置となっている」と語る。

 あれだけ騒いだ三鷹のストーカー殺人事件。もうメディアからほとんど消えかかってる。事件や災害が次々と起こり、メディアを騒がせて消えていく。メディア関係者のなかに徒労感を感じている者もいるだろう。

 さて政治のレベルでは、「言葉は人気競争に勝つための道具に堕し、受け手の側もネタとして消費したらすぐに忘れるので、政治化の発言がコロコロ変わっても問題視されない。これが現代のポピュリズムのかたちです」と石田さんは語る。

 まあしかし、これもメディアの協力があってこそのポピュリズムである。メディアがポピュリズムに手を貸さないようにするためにはどうしたらよいか。

 石田さんは「政治家も選挙民もマスコミも情報の洪水の中で注意力が分散し、長い射程をもった政治的判断力を培うことも、大きな文脈に位置づけて物事を考えることもできなくなっている」というが、このなかに解決への処方箋が隠されている。

 ボクは、「長い射程を持った」言説、「大きな文脈に位置づけて物事を考え」たものを、メディアがどれほど提供できるのかが問われているのだと思う。

 しかしメディア関係者も情報取得のために忙殺されている。記者に読書や勉強する時間と、じっくりと考える余裕を与えるべきだと思う。

 雑事に追われているばかりだと、人間の思考力は鈍磨し、それこそバカになる。バカになってはいけない。

 


 
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五日市憲法草案

2013-10-20 11:50:52 | メディア
 今日の『中日新聞』(『東京新聞』)の記事に、下記のようなものがあった。ボクもこの憲法草案を発見した色川さんらのグループの案内で、憲法草案作成の中心となった深沢家を訪問したり、『三多摩自由民権資料集』を購入したりした。この民衆が作成した憲法草案に感銘を受け、この時代の青年たちの、新しい時代を切り開こうとした熱といったものを大いに感じた。

 それ以来、この憲法草案については、その中心となった千葉卓三郎のことなど、自由民権運動や憲法について話すとき、必ず話しのなかに入れている。

 なお、これらに関する資料は、あきる野市のホームページからみることができる。

 皇后美智子さんが、そこらへんに転がっている政治家よりも、あるいは教育委員らよりも、人権感覚にすぐれていることが、この記事からも読みとれる。彼らはこういう日本近代の歴史的遺産を見向きもしないだろう。

 またこういう記事を書く記者の人権感覚も鋭いと思う。後に続くことを期待する。



明治に人権尊重「五日市憲法」 皇后さま強く感銘
2013年10月20日 朝刊

 皇后さまは二十日、七十九歳の誕生日を迎えられた。宮内記者会の質問に寄せた回答文書で、明治憲法の施行に先立って東京・奥多摩地方で起草され、基本的人権尊重や教育の自由などに触れた「五日市憲法草案」について、「世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」と強い感銘を受けたことを明らかにした。

 皇后さまは昨年一月、天皇陛下と東京都あきる野市の五日市郷土館を訪れ、展示されている草案を視察した。

 文書では、今年印象に残ったこととして憲法論議が盛んに行われたことを挙げ、これに関連して、視察時に草案から受けた印象を思い起こしたとしている。

 草案は、小学校の教員や農民たちが話し合いを重ねて書き上げた。皇后さまはこうした経緯に触れるとともに、同様の民間の憲法草案が日本各地で作られていたと郷土館で説明を受けて「長い鎖国を経た十九世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するもの」と印象に残ったと記している。

 五日市憲法草案 東京・奥多摩地方の五日市町(現あきる野市)で1881(明治14)年に起草された民間憲法草案。204条から成り、基本的人権が詳細に記されているのが特徴。自由権、平等権、教育権などのほか、地方自治や政治犯の死刑禁止を規定。君主制を採用する一方で「民撰(みんせん)議院ハ行政官ヨリ出セル起議ヲ討論シ又国帝(天皇)ノ起議ヲ改竄(かいざん)スルノ権ヲ有ス」と国会の天皇に対する優越を定めている。1968年、色川大吉東京経済大教授(当時)のグループが旧家の土蔵から発見した。


 なお、皇室好きの『朝日』は、皇后さんからの文書回答をそのまま掲載している。五日市憲法草案関係だけ載せておく。

五月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治二十二年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、二百四条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも四十数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明(れいめい)期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た十九世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。

http://www.asahi.com/national/update/1020/TKY201310190421.html
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凝視せよ、植民地日本のすがた

2013-10-20 11:45:34 | メディア
 植民地日本の実態が、『沖縄タイムス』に掲載されている。

 しかし、こういう記事は、本土の新聞には載らない。沖縄への差別は、マスメディアが助長している。


強盗賠償 米負担7% 請求5年 残りは日本


社会 2013年10月20日 09時39分

(2時間4分前に更新)

 2006年に沖縄市であった米海兵隊員2人によるタクシー強盗事件で、請求から5年近くたっても損害賠償など約2800万円を米兵、米政府とも被害者の乗務員男性(71)らへ支払っていなかった問題で、米政府から支払いの提示があり合意したことが18日、分かった。支払われるのは、賠償額の7%にあたる200万円余。残りはSACO合意に基づいて、日本政府が負担する。

 代理人の新垣勉弁護士によると、米政府の提示があったのは17日。被害者らは、公務外の米兵の不法行為に対し米政府が賠償金を支払うことを定めた日米地位協定に基づき、2008年以降3度にわたり、沖縄防衛局を通じ支払いを求めていたが米側の回答がない状態が続いていた。ことし8月には、未払いが続けば日米両政府を提訴する方針を示していた。日本政府の負担額は、今後、防衛省が労災保険の給付などを控除した上で確定すると伝えられているという。

 在日米軍報道部は、本紙取材に対し、5年近く支払われなかった理由については、回答していない。実刑判決を受けた海兵隊員2人は、日本国内で服役後、除隊にし日本から出国させたといい「現在、米軍の管理下にはない」という。

 被害者は事件時の暴行により頸椎(けいつい)捻挫のけがを負ったほか、心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの後遺症に悩まされている。
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人、人、人・・・・

2013-10-20 07:31:15 | 日記
 仙台駅で帰りの「スーパーこまち」を待っているとき、反対側のホームにたくさんの外国人の姿が見えた。ボクらは、平泉の中尊寺、松島と観光地を回った。たくさんの観光客がいた。外国人の姿も見た。思い思いに記念写真をとり、お土産屋では、お土産を物色する観光客のすがたを見た。

 東北の復興を助けよう、などというキャンペーンがある。とにかく、東北に行ってお金を落とすことが復興につながるのだという雰囲気がある。NHKの朝ドラも、大河ドラマもそうした動きをバックアップする。

 観光客が落とすカネが、東北を回っていき、人々の生活を潤していくのだろうか。

 トリクルダウン理論というものがある。「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透(トリクルダウン)する」というものだ。新自由主義はその考えの延長線上にある。

 だが、それは間違いであることが、事実で証明されている。富める者はますます富み、そうでない者はますます貧しくなっている。

 ボクは、今の社会のシステムに、根本的な疑問を抱いている。

 奥州の藤原三代の墓所は、金に覆われていた。松島にある伊達家の菩提寺である瑞巌寺。ここは今修復中で、重要文化財(?)となってる本堂は見られなかったが、伊達家の位牌が並べられていた。それぞれとても大きなものであった。

 何時の時代でも、支配層が享受した文化は、文化財として残されていく。しかし庶民が生きた証は、次々と、津波が地上のものをあらかたさらっていくように、消えていく。

 旅館でみた新聞に福島の原発の記事があった。ああここは、庶民の生きた証すら刻むことができなくなったところだと思った。観光客も、福島は、会津地方を除いて、素通りしていく。

 福島こそ、素通りしてはいけないところだ、福島に身体は運ばなくても、こころはここを見つめていなければならない。

 福島こそ、現代が抱える歴史が刻まれているところだ。


 
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津波がきてよかった?

2013-10-20 07:01:40 | 日記
 松島から塩釜港への遊覧船。出港してからずっと海猫が船を追ってきた。観光客が一袋100円で購入したおかしを追ってくるのだ。観光客が手に持つそのお菓子を、海猫はかっさらっていく。もちろん嘴で。船の速度にスピードをあわせ、首を傾けそのおかしに狙いを定め、さっと奪っていく。たくさんの海猫が乱舞する。

 海猫が乱舞する海を、遊覧船は点在する島の間を航行する。船内では、それぞれの島を説明するアナウンスが聞こえる。ボクは船尾で、海猫の乱舞を見つめる。

 曇天。そして午後3時過ぎ。島にカメラを向けるが、暗い。遊覧船を追いながら乱舞する海猫を撮る。ストロボが海猫をとらえる。青空だったらもっときれいなのかなと思う。

 船室に入ると、女性の従業員が、津波の話しをしている。自らの体験談、周辺の被害、なめらかな口調で語る。

 そして塩釜港に着く頃、彼女はこう質問した。「津波が来てよかったことがあるんです。それは何でしょう?」

 乗船客は考え込む。ボクはそんなのあるはずがないと思う。たとえ何かあったとしても、それは言うべきことではない。あの津波は、人の命を、幸せを、財産を・・・たくさんたくさん奪っていった。テレビの映像に映された津波のあのおそろしい姿が、脳裏に浮かぶ。

 彼女は言った。「人間は長い間、海の底を汚してきました。海底にはヘドロなどがたまっていました。しかし津波は、そうした汚れを持って行きました。がれきは今も残っていますが、海底はきれいになり、海苔はとてもおいしくなりました。今からその海苔を販売します。東北の復興のためにご協力ください」と。

 観光客は、海苔を持ってまわってくる女性から、次々と海苔を購入していた。ボクは買わなかった。船尾に移動して海を見た。海猫が翼を休めるためか、波間に漂っていた。

 そういえば、地上で、犬や猫は見なかったなあと思った。

 こちらでは、ボクが日没まで畑に出て農作業をしている間、老人が犬を連れて散歩している姿をたくさん見ている。犬や猫は、平穏な生活を表現しているのか、と思った。

 漂う海猫の間をぬって、船は塩釜港に着いた。
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