浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

どうでもいい社説

2013-10-01 19:23:31 | メディア
 社説に於ける主張は、クリアでスマートなものであってほしい。今日の『中日新聞』社説は、不要である。論点不明瞭。『朝日新聞』の社説の書き方に酷似している。

 なぜか。
 社説子は、「維新」について述べようとしているのか、それとも「地域政党」一般について述べようとしているのか、あるいは名古屋市や愛知県の「地域政党」について批判したいのか、まずその点で論点が不明確になっている。

 また「住民目線」を表題にしながら、それについての具体的な言及はない。社説子がいう「住民目線」とは、「地方から国の形を変え」ることなのだろうか。あまりに抽象的な物言いである。

 この「抽象的」という批判は、この社説すべてにあてはまる。一体何を言いたいのだろうかまったくわからない。むだな社説である。

 一言言っておけば、橋下の大阪都構想だって、きちんとした構想ではない。「説得力」に欠けた構想なのである。大阪都構想の「実現に全力を尽くしてほしい」と社説子はいう。だが大阪都構想がいい加減であるから、堺市民はノンを突きつけたのではないか。

 ノンを突きつけた堺市民以下の社説である。

地域政党敗北 住民目線の原点どこへ
2013年10月1日

 「大阪都構想」が争点となった堺市長選で、地域政党の大阪維新の会の公認候補が敗れた。全国で生まれた地域政党に、地方から国の形を変えようとする住民目線の原点が失われていないだろうか。

 大阪都構想は、日本維新の会の共同代表である橋下徹大阪市長が、大阪維新の会を結成する理由となった政治の原点である。

 それだけに、大阪維新の会にとって厳しい審判であり、橋下氏の求心力の低下は避けられない。

 日本維新の会は最近、分権改革よりも、改憲や安全保障政策などで政権寄りの姿勢が目立つ。

 多くの有権者が、橋下氏が率いる地域政党が、地方から国を変えようとする原点からずれ始めていると感じたのではないか。

 橋下氏は、統治機構改革を軸に国政に対しても積極的に発言してきた。だが、堺市長選の民意を謙虚に受け止め、まずは足元を固めて、市長として都構想の実現に全力を尽くしてほしい。

 政治課題を地域からしっかり見つめ、国政に反映させようとする地域政党の考え方には共感できる面が多い。

 だが、全国進出の拡大戦略が性急すぎるのは気にかかる。大阪都構想など地域課題について、説得力ある形で住民に説明できなかったのであれば本末転倒である。

 地域政党の原点を忘れているのは愛知の「減税」も同じである。

 「減税日本ナゴヤ」を率いる名古屋市の河村たかし市長が掲げた「庶民革命」は、減税や議員報酬半減を通じ、政治を庶民の手に取り戻すというものであった。

 だが、地域政党らしい成果をあげるどころか、減税日本の愛知県議、名古屋市議に政務調査費の不正受給が相次いで発覚した。

 自民の愛知県議にも同じ不正があった。議員が税金を食いものにしているのは言語道断である。

 特に「減税日本」を名乗るのならば、看板が泣く。河村市長の指導力不足も厳しく指摘したい。

 複数の地域政党を率いてきた愛知県の大村秀章知事と河村市長の共同公約である「中京都構想」は、「大阪都構想」と比べても構想の中身が見えてこない。

 既成政党に対抗する第三極を売りものにして、地方向けの派手な公約を打ち上げただけであれば、有権者は戸惑う。

 地方から国を変えるため、きちんと地方に目配りできる地域政党でなければ、その存在意義すら問われることになる。

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軍事評論家の鋭い指摘

2013-10-01 19:19:03 | 読書
 前田哲男氏の集団的自衛権についての鋭い指摘がある。

http://jcj-daily.seesaa.net/article/376091584.html

 石破が、「集団的自衛権」について講釈をたれているが、要は自衛隊が海外で米軍と共に軍事行動することを可能にするかどうかである。「集団的自衛権」についての解釈変更や改憲は、それが目的であって、それ以外ではない。
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ああ、消費税

2013-10-01 18:24:59 | 日記
 いよいよ安倍政権は、国民からの収奪路線に突入した。消費税を来年4月から8%にするというのである。この方針は、衆議院選挙、参議院選挙で自民党を勝たせたのであるから、いや民主党も消費税増税方針をもっていたのであるから、すでに既定のものであった。

 その一方で、法人税を減税するとか、復興法人税を廃止するとかいっているから、消費税導入時と同様に、法人税の減税分を消費税の増税でまかなおうとするのであろう。

 「良識ある」国民は、今後社会保障にお金が必要だからと、健気にも増税に「理解」を示しているが、それは誤りである。政府自民党が組む予算をみれば明らかではないか。土建業界をはじめとした企業に、大盤振る舞いをする魂胆だ。

 とにかく、もっとも企業が活動しやすい国にすると、安倍はあちらこちらで話している。さらにTPPに参加して、アメリカの企業をはじめとした多国籍企業に、「どうぞ日本で儲けてください」と、国民を人身御供に差し出している。

 国民は、今後、年金保険料、健康保険料も上がることになっている。可処分所得がどんどん減っていく。そのうえ、消費税8%である。それでも、日本国民は「理解」するのだ。

 日本国民は、あたかも日本国家がアメリカに隷属する如く、日本の支配層に隷属するのだ。支配層の意思が、国民の意思と溶融し、蟻や蜂のような社会をつくりだそうとしている。日本国民の「人格的依存関係」(これは今はもう転向した古代史学者の原秀三郎らが、国家的奴隷制の理論の中で主張していた概念だ)は、21世紀になって完成しようとしている。

 ついでに記しておけば、新聞業界は、新聞だけは8%ではなく軽減税率であるべきだと主張しているが、そんなあほなことを考えるよりも、衣食住に関わるものと文化関係は軽減税率にしなさいと主張すべきではないか。
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【本】青木理『トラオ 徳田虎雄 不随の病院王』(小学館)

2013-10-01 12:10:00 | 読書
 徳田虎雄、徳洲会病院のドン。そのトラオという人物に肉迫した本である。ただし週刊誌に連載したものをまとめた関係からか、冗長なところがある。だがしかし、全体的には、それは無視できる。

 トラオは、まさに奇人、才人、異人・・・・・様々な言い方ができる。まさに特異な人物だ。徳之島の貧困な農家から育ったトラオが、大阪大学医学部を卒業して医師になり、全国に(いや東欧にまで進出している)点在する病院を束ねている。政治家にもなり、そしてALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹患して動くことができずにいる。そして今、自らの意思表示をするために眼球を動かすしかないという状況にある。トラオは、湘南鎌倉総合病院の一室で闘病生活を送っている。

 しかしその状態でも、すべての病院の会議室にテレビカメラを設置してそれらを凝視しつつ、今も経営者として指示を出し続けている。まさに巨魁である。

 そのトラオの壮絶な人生をたどりながら、各所で摩擦を起こしながら自らの意思を貫き通す、「教祖」としてのトラオを浮き彫りにしていく。

 他人の評価なんかはまったく気にせず、自らが目的としたことを実現すべく、必要なあらゆることを行う。すごい人物である。目的が正しければ、手段もすべて正当化されるというように、がむしゃらに突き進む。

 読んでいて、こういう姿勢がボクにあればと思った。勿論真似は出来ないけれども。

 ボクも社会的にこれが正しいという意義を見つければ、かなり無理をしてでもその実現に邁進する方ではあるが、トラオのような強引さはない。

 おそらくトラオは各界から批判される存在であろう。批判されてもいっさい動じないトラオであるにしても、ここまで突出してしまうと、人々からはある意味崇拝の対象とされてしまう。だから青木は、トラオを教祖とする。

 人々は、こういう力強く人生を生き抜く人間に惹かれていくのだ。


 こういう本を読んでいる時間がないないと思うときにこそ、ボクはこの種の本を読みたくなる。そしてやるべきことに費やす時間を減らしていく。
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宗教

2013-10-01 06:52:38 | 読書
 『毎日新聞』の大治朋子さんの記事は、いろいろなことを考えさせる。まずその記事を掲げる。

発信箱:彼らの「絆」=大治朋子(エルサレム支局)

毎日新聞 2013年10月01日 00時30分

 イスラエルでは9月19日から1週間ほど、ユダヤ教の祭日「スコット」(仮庵(かりいお)の祭り)だった。紀元前13世紀にエジプトを脱出したユダヤの民が、スコット(ヘブライ語で仮小屋の複数形)で砂漠の暑さをしのいだ苦難を思い起こすための祭りだ。市民は庭先やベランダに仮小屋を建て、食事をする。私も知人宅に招かれ、雰囲気を楽しんだ。

 この時期、エルサレムでもう一つ注目されるのは、スコットに合わせて開催される各種のパレードだ。中でも目を引いたのは、クリスチャン・シオニストと呼ばれる、ユダヤ民族主義を支持するキリスト教徒たちの大行進だった。今年も欧米やアフリカ、アジアから約3000人が参加した。

 彼らは、イスラエル建国は聖書の予言通りだと訴え、来るべきキリスト再臨につながるステップだと考える。自らの宗教観を達成するためにイスラエルの存続が必要だとする、かなり独善的な発想である。ユダヤ人による入植地建設活動も支援し、現場でも物資を寄付する彼らによく出くわすが、「キリスト教徒として当然」と屈託がない。

 ワシントン特派員だった5年前、彼らが選挙で共和党を支持し、猛烈な集票活動をするのを見た。かつてブッシュ前大統領を支援したキリスト教福音派の多くはこのキリスト教シオニストであり、米連邦議員の重鎮の中にも少なくない。

 米国で親イスラエル派というと「イスラエル・ロビー」と呼ばれるユダヤ人組織が強調されがちだが、より宗教的、政治的な米国人団体という意味では、それ以上の影響力ともいわれる。パレードで掲げられた星条旗を見ながら、米国との絆を改めて見た思いがした。


 ボクは、このキリスト教シオニストたちの振る舞いには、とても「絆」を感じられない。イスラエルという国家がどのようにつくられ、どのようにみずからの版図を拡大してきたか、その歴史を知っているが故に、イスラエルに正義があるとは決して思わない。そういうイスラエルを支えるなんて、と思う。

 彼らが信仰するキリスト教(といっても、キリスト教の信仰をもっている人がすべてイスラエル寄りであるわけではない)が、真実を見る目を曇らせているのだ。

 宗教の歴史を見ると、宗教が多くの悲劇をつくり出してきたことを知る。あの十字軍だって、『アラブから見た十字軍』(ちくま学芸文庫)を読めば、そこには陰惨な歴史が横たわっていることがわかる。あるいは現在においても、アラブ地域におけるスンニ派とシーア派の激しい対立は目を覆うばかりだ。

 もちろん、それらは純然たる宗教問題ではなく、政治や経済が入り込んできている。宗教が介在するからではなく、政治が介在することによって宗教対立を激化させる、あるいは宗教がその政治的対立を正当化する。かくて解決のない袋小路に入り込み、多くの犠牲者がでる。

 だが宗教がこの世界からなくなることはないだろう。ということは、世界が平和になることはない、ということにもなる。

 最近『仏像の顔』(岩波新書)を購入した。仏像のお顔をボクは見るのが好きだ。仏像の背後に、永遠の静寂を見るからでもある。仏教が、もっとも平和的な宗教だと思う。だが日本の仏教界をみると、カネまみれだ。

 かくて、宗教は、ボクにはいつも否定的なものとして映るのだ。
 
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