11月で、ボクの民生委員としての仕事が終わる。万歳!である。
任期途中で病に見舞われた方のかわりに民生委員になって、約2年。「世のため、人のため」を標榜しているボクとしてはやりがいがあると思って引き受けたのだが・・・・
まずボクが驚いたのは、民生委員の仕事はほとんどが下請けだということだ。
今日ボクは、社会福祉協議会にカネを持って行った。「赤い羽根募金」。地域での「募金」、現在は、自治会がまとめて「納める」ことになっていて、あたかも税金のようだ。「募金」というのは、あくまでも自主的であるべきだが、しかし今はどこの地域でも、納められた自治会費から「納め」られている。
ボクが持って行ったのは、この地域の事業所を訪問して集金してきた「募金」だ。全部で11箇所。自転車にのって、地図を片手にまわる。頭をさげてカネをいただき、「赤い羽根募金協力会社」などと書いてあるステッカーと領収書を渡す。
昨年もやった。昨年は、8月に、それぞれの事業所に「今年も協力していただけますか」と聞いてきてほしいといわれた。最初なのでそういうものかと思って訪問した。そして10月、募金を集めるために再び訪問。しかし8月には協力すると言っていた事業者が、経営がたいへんだから協力できないといわれた。何のために8月に訪問させられたのかと腹が立った。そこで10月、地区の民生委員の会議で社会福祉協議会の人に、なぜ8月に訪問しなければならないのかを尋ねたら、「そんなことは言いません」。ボクだけでなく、他の民生委員が、「言いましたよ」と言ったので、やむなく認めた。ボクは、「言わない」というほどの無駄なことなのだから、8月の事前調査は行く必要がないと明文化せよと迫ったが、地区の副会長が「そこまではしなくても」というので、ボクは必ず内部で確認しておいてほしいと要望した。
今年の7月の会議でも、ボクは事前調査は必要ないことを確認しておいた。
社会福祉協議会もたくさん人がいるわけではないので、多くの業務を民生委員に「おろしてくる」。「歳末助け合い事業」の一環で、生活保護を受けていないけれども生活が苦しい家庭に贈呈するという数万円のカネの申請書を配るなどの仕事もある。
また浜松市は、人員をどんどん削減しているので、福祉の仕事が進まない。そんなとき、民生委員がいるというわけだ。
地区の民生委員の会議に参加するとわかるが、会議はすべて市役所や社会福祉協議会から、「これをやってください」、「これを調べてください」、「これを配布してください」、要するに徹頭徹尾“上意下達”の伝達事項のみ。
これではいけない、と思った。民生委員同士の話し合い、民生委員から行政や社会福祉協議会に提案する事項などを審議する時間が必要だと思ったが、そういうことは今までしてこなかった、という。
ということは、まさに民生委員は、行政や社会福祉協議会の手足となって働かされる、いわば「奴隷」のようなものではないか。民生委員になっているひとには善意の人が多い。そういう善意を手足として使うというやり方には承服できない。
だからボクは、やめる。
福祉の基礎には、人間の尊厳を認め合うということがあるのだと思う。民生委員を単なる手足としてつかうというあり方が改まらない限り、日本の福祉は充実するはずがない。
ボクは、行政は福祉なんかやりたくない、という意思をもっているのではないかと、疑っている。
任期途中で病に見舞われた方のかわりに民生委員になって、約2年。「世のため、人のため」を標榜しているボクとしてはやりがいがあると思って引き受けたのだが・・・・
まずボクが驚いたのは、民生委員の仕事はほとんどが下請けだということだ。
今日ボクは、社会福祉協議会にカネを持って行った。「赤い羽根募金」。地域での「募金」、現在は、自治会がまとめて「納める」ことになっていて、あたかも税金のようだ。「募金」というのは、あくまでも自主的であるべきだが、しかし今はどこの地域でも、納められた自治会費から「納め」られている。
ボクが持って行ったのは、この地域の事業所を訪問して集金してきた「募金」だ。全部で11箇所。自転車にのって、地図を片手にまわる。頭をさげてカネをいただき、「赤い羽根募金協力会社」などと書いてあるステッカーと領収書を渡す。
昨年もやった。昨年は、8月に、それぞれの事業所に「今年も協力していただけますか」と聞いてきてほしいといわれた。最初なのでそういうものかと思って訪問した。そして10月、募金を集めるために再び訪問。しかし8月には協力すると言っていた事業者が、経営がたいへんだから協力できないといわれた。何のために8月に訪問させられたのかと腹が立った。そこで10月、地区の民生委員の会議で社会福祉協議会の人に、なぜ8月に訪問しなければならないのかを尋ねたら、「そんなことは言いません」。ボクだけでなく、他の民生委員が、「言いましたよ」と言ったので、やむなく認めた。ボクは、「言わない」というほどの無駄なことなのだから、8月の事前調査は行く必要がないと明文化せよと迫ったが、地区の副会長が「そこまではしなくても」というので、ボクは必ず内部で確認しておいてほしいと要望した。
今年の7月の会議でも、ボクは事前調査は必要ないことを確認しておいた。
社会福祉協議会もたくさん人がいるわけではないので、多くの業務を民生委員に「おろしてくる」。「歳末助け合い事業」の一環で、生活保護を受けていないけれども生活が苦しい家庭に贈呈するという数万円のカネの申請書を配るなどの仕事もある。
また浜松市は、人員をどんどん削減しているので、福祉の仕事が進まない。そんなとき、民生委員がいるというわけだ。
地区の民生委員の会議に参加するとわかるが、会議はすべて市役所や社会福祉協議会から、「これをやってください」、「これを調べてください」、「これを配布してください」、要するに徹頭徹尾“上意下達”の伝達事項のみ。
これではいけない、と思った。民生委員同士の話し合い、民生委員から行政や社会福祉協議会に提案する事項などを審議する時間が必要だと思ったが、そういうことは今までしてこなかった、という。
ということは、まさに民生委員は、行政や社会福祉協議会の手足となって働かされる、いわば「奴隷」のようなものではないか。民生委員になっているひとには善意の人が多い。そういう善意を手足として使うというやり方には承服できない。
だからボクは、やめる。
福祉の基礎には、人間の尊厳を認め合うということがあるのだと思う。民生委員を単なる手足としてつかうというあり方が改まらない限り、日本の福祉は充実するはずがない。
ボクは、行政は福祉なんかやりたくない、という意思をもっているのではないかと、疑っている。