浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

2013-10-26 21:30:05 | 日記
 「○○の秋」といわれる秋。そこには、読書とか芸術とかが入る。

 読書は、いつものことだ。芸術だって、『芸術新潮』をとってるから、少なくとも美術についての知識はある。

 今月の『芸術新潮』だが、いつもまず読むのは、辻惟雄の「奇想の発見」。辻の『奇想の系譜』、『奇想の図譜』(いずれもちくま学芸文庫)以来、辻のファンになった。辻の人生のデタラメなところが好きなのである。

 ボクの人生も少々デタラメだから、デタラメな人間に共感を覚えるのだ。

 さて今月号の特集は、「利休と名碗」である。これには関心に欠ける。だから周辺を読んでいたら、なんと次号は大英博物館で行われた春画の展覧会だそうだ。

 高校の日本史教科書には、浮世絵のことは記されているが、春画はない。これをボクはおかしいと思ってきた。日本文化の粋なところなのに、こういう文化を隠すのはよくないのだ。イギリスの大英博物館で堂々とやっているのに、日本で展覧会が行われたという話しは聞かない。春画の本も、堂々と置かれているわけではない。

 法政大学の江戸文化の研究者・田中優子は、そうした本を上梓している。当然のことだ。江戸文化から春画を除くわけにはいかないのだ。

 さて、それにひきつけてもう一つ。イギリスの画家にターナーがいる。東京都美術館で現在その展覧会が開催されている。ターナーと言えば、風景画である。その風景画を人々は見るわけだが、『芸術新潮』今月号に「ターナーの秘画」がある。何とターナーが、春画でもないがそれに類した絵を描いているのだ。驚きである。さらに驚きなのは、ターナーの絵をたくさん持っているロンドンのテイト美術館のホームページで、館蔵の美術作品を公開しているのだ。ターナーの絵も、たくさん公開されていた(ちゃんと確認)。この「ターナーの秘画」に掲載されているのもあった。ただしターナーの作品、たくさん所蔵されているので、検索欄に
Turner female figuresと入れないと、その絵に辿りつかない。念のため。

 東京都美術館のターナー展には、行くつもりはないが、『ターナー:生涯と芸術』(講談社)を書いたジャック・リンぜーは、「ターナーの描く情景には明確な性的シンボルがある」と記している。ターナーの風景画を見ながら、それを発見するのもいいかもしれない。

 芸術の秋、行きたいのは「東京オペラシティアートギャラリー」。「五線譜に描いた夢ー日本近代音楽の150年」である。
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みのもんたは好きではないが・・・

2013-10-26 19:27:59 | 読書
 みのもんたが朝のニュースワイドショウに出演しなくなる。ボクはテレビは見ないから、ボク自身にとっては無関係。

 だけど、こういう意見もある。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20131026-00029240/
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みーんなお友だち

2013-10-26 10:02:21 | 読書
 安倍政権は、みずからの妄想に基づく政策実現のために、閣僚や有識者会議のメンバー、さらにNHKの委員までも、すべてお友だちで固めようとしている。

 まさに独裁者としての取り組みだ。これは『日本経済新聞』の記事。これでNHKは、政権に都合のよい情報を垂れ流すだけではなく、良質な番組もつくれなくなるだろう。


国会同意人事案、安倍カラー鮮明 NHK経営委員に百田氏ら
2013/10/25 18:52 記事保存

 政府は25日、国会同意が必要な12機関29人の人事案を衆参両院に提示した。NHK経営委員には、作家の百田尚樹氏、哲学者の長谷川三千子氏、日本たばこ産業顧問の本田勝彦氏らを充てた。いずれも安倍晋三首相に近い有識者で、安倍カラーが鮮明になった。

 百田氏は、昨年9月の自民党総裁選直前、首相と雑誌で対談してから親交を深めた。保守派の論客として知られる長谷川氏も古くから首相と交流し、5月には首相公邸で会食した。本田氏は東大生だったころに小学3、4年だった首相の家庭教師を務めた。
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民藝運動と浜松

2013-10-26 09:40:43 | 読書
 以下は、研究会の会報に書いたものである。東区の歴史を調べていく中で判明した事実を記した。浜松が、民藝運動の出発に際して、大きな役割を果たしたこと、そしてその残り火が今も健在であることを、もっと多くの人に知って欲しいと、調査していて思った。

 この事実を『朝日新聞』のK氏に話したところ、自ら取材され、一昨日県版に大きく書いてくれた。すてきな記事であった。今朝、ざざんざ織の平松久子さんからよろこびのお電話をいただいた。ボクはその仲介をしたにすぎないが、こうした文化的な話しは、人口に膾炙しなければならないと思う。



 東京目黒区駒場に日本民藝館がある。1936年に柳宗悦らが設立したものだ。今でも、民藝運動の拠点としての地位を保っている。だがこの日本民藝館の前進である日本民藝美術館が、浜松市にあったことはあまり知られていない。

 民藝運動の創始者・柳宗悦は、1914年浅川伯教の訪問を受け、その際に見せられた李朝白磁に目を奪われた。これを契機にして、柳は庶民生活の中でつかわれている無名の職人たちが手仕事で作った民衆的工芸品を「民藝」として、国内だけでなく世界各地から蒐集を始めた。そして河井寛次郎らと「日本民藝美術館」の設立に動き始めた。1926年のことだ。柳らが作成したその設立趣意書が、浜松の中村精のところにももたらされた。中村は慶応大学を卒業後、遠江商業学校(のち誠心高等女学校)に勤務していた。学生時代にウィリアム・モリス(英国の工芸運動の先駆者)を学んでいた中村は、その趣意書に共鳴し、翌年柳を浜松に招いた。中村宅に、内田六郎(ガラス絵の収集家)、詩人の羽仁春らが集まり、翌日中村は柳を積志村有玉の素封家・高林兵衛(時計や大津絵の収集家)のもとに案内した。高林も柳に共鳴し、さらに中村の兄・平松實も手織りと植物染料による染めの研究を始め(ざざんざ織を創始。平松工房を創設)るなど、浜松での民藝運動が開始された。

 1928年柳らは上野公園で行われた「御大礼記念博覧会」で民藝をひろめようと企画した。協力したのが高林であった。民藝を展示する「民藝館」を建設したのである。大工は積志村の吉田徳十、瓦師は曳馬村の川合梅次郎で、瓦は遠州瓦であった。

 その後、柳は各地で民藝を蒐集し、その都度浜松駅に降り立った。高林のもとに収集品が集まり、陳列場をつくる気運が生まれた。1931年4月18日、高林は自宅に「日本民藝美術館」を開館した。母屋の古材料を使用した平屋建ての建物と長屋門が陳列場となった。「日本民藝美術館」という案内札は、柳が書いた。

 翌32年、柳の甥・柳悦孝(のち女子美術大学学長)、外村吉之介(のち倉敷民藝館館長)が浜松へ来た。外村はクリスチャンで、西ヶ崎の日本メソジスト笠井講義所に、布教だけではなく、柳悦孝と共に手織りを学びにきたのである。外村と悦孝は平松工房で学びながら、旧積志銀行西ヶ崎支店の建物を借りて制作に励んだ。1934年、外村と悦孝は袋井講義所へと移っていった(1945年福井県へ疎開)。

 さて高林の「日本民藝美術館」は、1933年閉館され、陳列品は西ヶ崎の外村のもとに移された。柳との間に精神的な軋轢が生まれたからで、高林はその後民藝運動に関わることなく、遠州病院建設などに邁進していくのであった。

 中村精も、その後慶応大学へと移り、浜松における民藝運動は下火になった。とはいえ、平松が始めた「ざざんざ織」は今でも健在である。

 いずれにしても、日本の民藝運動の歴史が、浜松から始まったことは記録されていかねばならない。

[文献]中村精『民藝と浜松』(私家版、1936年)/鈴木直之『幻の日本民藝美術館』(種月文化集団、1992年)/『平松實―浜松の民藝運動』(浜松市美術館、1989年)/神田健次「機織る伝道者―外村吉之介論」(『神学研究』48号、2000年)ほか。
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「民間」ってそんなにいいのか!

2013-10-26 08:12:52 | 日記
 大阪市では、学校の校長に教育関係者ではない民間人を起用したところ、いろいろな不祥事を起こしているが、民間人の採用は続けるらしい。橋下市長の、メディア露出のための施策に、たくさんのほころびが見えてきているが、しかし「民間」に対する過度の「期待」は、新自由主義経済の浸透と歩調をあわせながら生じていている。

 以下は、『毎日新聞』記事。

大阪市教委:民間人校長の応募6分の1に 採用は3倍増
毎日新聞 2013年10月26日 07時40分

 大阪市教委が来春採用する公募校長への民間からの応募者数が、今春採用分の6分の1に激減している。橋下徹大阪市長肝いりの制度だが、25日にはセクハラ行為で1人の退職が決まるなど、今春採用した11人のうち6人に問題が発覚した。それでも市教委は来春、小中高の採用者のほぼ半数の35人を、民間から採用する方針だ。

 市教委によると、今春採用分の応募は計1290人で、うち民間出身者は928人だった。来春採用分には488人が応募し、うち143人が民間からだ。選考は進んでおり、今月中に民間の71人が最終面接を受け、11月にも合格発表される。

 応募締め切りは6月下旬で、トラブルが相次ぐ前だった。市教委は、2年目で注目度が下がったうえ、応募時に課すリポートを前年の1種類から3種類に増やしてハードルを上げたためと分析する。ただ減少は想像以上で、市教委関係者は「500人は来ると思った」と漏らす。

 民間人校長を巡っては、採用時の評価のあり方や、問題が生じても配置転換できない制度など、課題が浮かんでいる。今春採用の民間人校長11人は着任前、「先輩校長」に付き添う実地研修も含め計3カ月研修を受けたが、問題が相次いだ。それでも3年間の任期付き校長として採用されているため、職種変更や降格はできない。

 制度を推進してきた大森不二雄教育委員も、25日の記者会見で「任期付き採用が最善か議論したい」と発言。また、評価について市教委は、提出リポートを増やしたことに加え、最終面接時間を今春分の2倍の30分に増やした。人物重視の配点方式に改善したという。【山下貴史】



 だが、民間は、基本的には、自己の利益を最優先に追求する。公共性だとか、公正性だとかは二の次、三の次である。「もうかりまっか」がなければ、民間は動かない。

 同時に、儲けるためには、不正も行う。そういう事例は、いっぱいある。下にあげる阪急ホテルの例もその一つである。社長の記者会見を見たが、社長の目は「冷徹さ」そのものであった。

 あの記者会見で、「誤表示」としたが、おそらく誰も信じなかっただろう。だからもう一度調査するのだろうが、しかし信用は失墜した。ボクも利用したことがあるホテルであるが、以後絶対に利用することはない。今後やはり「偽装」でしたといっても、信用の回復はない。

 下記の記事を読むと、この前の調査は「社長が直接確認」せずに行ったもの、ということになる。いい加減な会社だということを露呈してしまったのである。

阪急阪神ホテルズ:26日から再調査、社長が直接確認へ 毎日新聞 2013年10月26日 02時30分

 阪急阪神ホテルズ(大阪市)がホテルのレストランなどでメニュー表示と異なる食材を提供していた問題で、出崎弘社長が直接、レストランの調理責任者から聞き取り調査することが25日、分かった。調理サイドがなぜ問題を見過ごしたのかなどを改めて確認する。これまでの同社の説明は、本社の管理部門が立ち会った上で実施した職場単位の内部調査に基づいていた。

 再調査は26、27日に実施する。週明けにも出崎社長が再び記者会見を開いて、聞き取った内容を明らかにする。対象となるのは、異なった食材を提供していたと発表した23店舗のうち、「芝エビ」と表示しながら実際は「バナメイエビ」を使うなど内部調査の結果に疑念が指摘されている数店舗。経営トップが直接問題の核心を把握し、疑念の解消を図る。【古屋敷尚子】
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