「○○の秋」といわれる秋。そこには、読書とか芸術とかが入る。
読書は、いつものことだ。芸術だって、『芸術新潮』をとってるから、少なくとも美術についての知識はある。
今月の『芸術新潮』だが、いつもまず読むのは、辻惟雄の「奇想の発見」。辻の『奇想の系譜』、『奇想の図譜』(いずれもちくま学芸文庫)以来、辻のファンになった。辻の人生のデタラメなところが好きなのである。
ボクの人生も少々デタラメだから、デタラメな人間に共感を覚えるのだ。
さて今月号の特集は、「利休と名碗」である。これには関心に欠ける。だから周辺を読んでいたら、なんと次号は大英博物館で行われた春画の展覧会だそうだ。
高校の日本史教科書には、浮世絵のことは記されているが、春画はない。これをボクはおかしいと思ってきた。日本文化の粋なところなのに、こういう文化を隠すのはよくないのだ。イギリスの大英博物館で堂々とやっているのに、日本で展覧会が行われたという話しは聞かない。春画の本も、堂々と置かれているわけではない。
法政大学の江戸文化の研究者・田中優子は、そうした本を上梓している。当然のことだ。江戸文化から春画を除くわけにはいかないのだ。
さて、それにひきつけてもう一つ。イギリスの画家にターナーがいる。東京都美術館で現在その展覧会が開催されている。ターナーと言えば、風景画である。その風景画を人々は見るわけだが、『芸術新潮』今月号に「ターナーの秘画」がある。何とターナーが、春画でもないがそれに類した絵を描いているのだ。驚きである。さらに驚きなのは、ターナーの絵をたくさん持っているロンドンのテイト美術館のホームページで、館蔵の美術作品を公開しているのだ。ターナーの絵も、たくさん公開されていた(ちゃんと確認)。この「ターナーの秘画」に掲載されているのもあった。ただしターナーの作品、たくさん所蔵されているので、検索欄に
Turner female figuresと入れないと、その絵に辿りつかない。念のため。
東京都美術館のターナー展には、行くつもりはないが、『ターナー:生涯と芸術』(講談社)を書いたジャック・リンぜーは、「ターナーの描く情景には明確な性的シンボルがある」と記している。ターナーの風景画を見ながら、それを発見するのもいいかもしれない。
芸術の秋、行きたいのは「東京オペラシティアートギャラリー」。「五線譜に描いた夢ー日本近代音楽の150年」である。
読書は、いつものことだ。芸術だって、『芸術新潮』をとってるから、少なくとも美術についての知識はある。
今月の『芸術新潮』だが、いつもまず読むのは、辻惟雄の「奇想の発見」。辻の『奇想の系譜』、『奇想の図譜』(いずれもちくま学芸文庫)以来、辻のファンになった。辻の人生のデタラメなところが好きなのである。
ボクの人生も少々デタラメだから、デタラメな人間に共感を覚えるのだ。
さて今月号の特集は、「利休と名碗」である。これには関心に欠ける。だから周辺を読んでいたら、なんと次号は大英博物館で行われた春画の展覧会だそうだ。
高校の日本史教科書には、浮世絵のことは記されているが、春画はない。これをボクはおかしいと思ってきた。日本文化の粋なところなのに、こういう文化を隠すのはよくないのだ。イギリスの大英博物館で堂々とやっているのに、日本で展覧会が行われたという話しは聞かない。春画の本も、堂々と置かれているわけではない。
法政大学の江戸文化の研究者・田中優子は、そうした本を上梓している。当然のことだ。江戸文化から春画を除くわけにはいかないのだ。
さて、それにひきつけてもう一つ。イギリスの画家にターナーがいる。東京都美術館で現在その展覧会が開催されている。ターナーと言えば、風景画である。その風景画を人々は見るわけだが、『芸術新潮』今月号に「ターナーの秘画」がある。何とターナーが、春画でもないがそれに類した絵を描いているのだ。驚きである。さらに驚きなのは、ターナーの絵をたくさん持っているロンドンのテイト美術館のホームページで、館蔵の美術作品を公開しているのだ。ターナーの絵も、たくさん公開されていた(ちゃんと確認)。この「ターナーの秘画」に掲載されているのもあった。ただしターナーの作品、たくさん所蔵されているので、検索欄に
Turner female figuresと入れないと、その絵に辿りつかない。念のため。
東京都美術館のターナー展には、行くつもりはないが、『ターナー:生涯と芸術』(講談社)を書いたジャック・リンぜーは、「ターナーの描く情景には明確な性的シンボルがある」と記している。ターナーの風景画を見ながら、それを発見するのもいいかもしれない。
芸術の秋、行きたいのは「東京オペラシティアートギャラリー」。「五線譜に描いた夢ー日本近代音楽の150年」である。