浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

戯れ言

2013-10-23 20:52:59 | 日記
 昨日、めまいがして、血圧をはかったら高いといわれ、ボク自身ショックを受けたことを記した。

 その日の夜、かかりつけの医者にみてもらったら、「高いけれども今すぐどうにかなるということではない。突然高くなったかどうかわからないので、(血圧手帳を渡されて)毎日測ってみてください」と言われた。

 昨日このことを町田の住人に話したら、昨日はうれしくて笑い続けたという。その原因は、牛肉を食べるからだという。彼はいつも米をひたすら好んで食べているので、ボクのように栄養を考えている者に敵意を抱くようだ。

 いずれにしても、塩分を少なくするとか、すこし注意した方がよいと思った。

 今日は、平常通りで、午後は歴史講座で、遠州地域の産業の歴史について2時間話したが、どうってことはなかった。いつもの元気が戻ったようだ。

 ボクの健康に不安が生じたとき、喜ぶ人もいれば、心配してくれる人もいる。後者には、感謝、感謝である。そういう人間がいるからこそ、生きていこうという気持ちが湧いてくる。

 毎週一回、テーマを変えて行う歴史講座はあと二回になった。一週間で準備して話さなければならないので、ボクにとっては重圧だ。残されたテーマは、「遠州報国隊」と、「東区と戦争」である。「遠州報国隊」については、遠州国学から検証しなければならない。多くの時間が必要だ。「東区と戦争」は、ほぼ見通しがついている。

 しかしもうじき終わるので、そしたら解放される。9月からの自由がないという状態に、ボクは耐えられなくなっている。

 11月には、憲法問題とTPPについての講演が決まっている。東京など大都市にはそれぞれの分野の専門家がいるが、地方はそうではない。様々なテーマを少数の者がこなしている。

 とにかく史資料や書物が、どんどん増えていく。それを欲しいという人がいるから、ボクは気兼ねなく増やし続けている。

 町田の住人が喜ぶことがないよう、健康で頑張り続けたい。 

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【本】本田靖春『警察回り』(ちくま文庫)

2013-10-23 12:20:04 | 読書
 「てめえ、表に出ろ」、これは本田が怒ったときに叫んだことばだ。解説の大谷昭宏は、本田が言論の自由を身を以て守ろうとして生きてきたことを振り返り、現在、言論の自由が侵されつつあるとき、それに抵抗しない者たちに、叫ぶであろうことばとして紹介している。

 戦後、侵略戦争という大罪を犯した日本についての認識を、政府権力者は別として、多くの日本人は持っていた。そういう時代に新聞記者となった本田は、そうした認識があった時代に、同時にいまだ「敗戦の痛手」のなか支配体制の構築が完成しなかった時代に、自由に、社会的正義を追求して、新聞にたくさんの記事を書いてきた。

 『読売新聞』記者として、正力松太郎という会社のトップが存在したときではあったが、記者としての自由を十二分に活用して、本田は生きてきた。

 ところが、支配体制が政治のレベルでも、会社の組織内部でも整備されてくる中で、自由は失われていった。

 今や多くの記者は、「社畜」とはいわないまでも、会社の手足としてこき使われるという存在と化している。

 本書は、自由が存在した頃の、社をこえての記者たちの交流と、トリスバー『素娥』のマダムである「バアさん」の人生の軌跡を織り交ぜながら、「戦後」という時代の挽歌として書かれたものだ。

 「戦後」は当然の如く、あの「戦争」を引きずっていた時代である。本田自身も含め多くの人が「戦争」にたいする認識を持っていた、いや持たざるを得なかったのだが、その中心に「台湾人」である「バアさん」がいた。「バアさん」は、本田たち「素娥」に集う者にとって、大日本帝国の台湾植民地支配の生き証人として存在していた。

 本書は、「バアさん」の生の軌跡を軸として、「素娥」に集った記者たちを周辺に配して、「戦後」を描くという、大ドキュメンタリーである。

 だが、「バアさん」の死と共に、「戦後」は終わり、言論の自由が消えていこうという社会システムができあがった。本田は、言論の自由があったときのことを書き記すことによって、言論の自由が消えていこうとしている時代に抗おうとした。

 本田は、今だったらもっと、「てめえ、表に出ろ」という叫びをあげなければならなくなっているはずだ。

 本田靖春の著書は、記者諸君はとにかく読まなければならないものだ。特に、『我、拗ね者として・・・』は。

〈付記〉 
 忙殺されているときであっても、旅行中であっても、読む時間があったらとにかく読む。読むという行為は情報を得るだけでなく、知力を鍛えることでもある。それなしに、人間は成長しない。

 


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「核」に親和的な日本政府

2013-10-23 08:23:40 | 読書
 21日、国連で核兵器の非人道性と不使用を訴える共同声明が発表された。このような声明はこれまで3回提出された。

 しかし、「唯一の被爆国」と自称する日本は、これに参加しなかった。なぜか。「アメリカの核の傘」のなかにいる日本は、アメリカによる核使用を認めたいからだ。

 アメリカに落とされた原子爆弾。それにより多くの被害を受け、いまだにその悲惨を背負わざるを得ない人々がいるというのに、日本政府はアメリカの核爆弾使用を認めていた。だから、その種の声明には加わってこなかった。

 日本政府というのは、それほどまでに、核と親和的であったのだ。それは、1945年から、実は続いている。戦時中、日本も核兵器の開発に取り組んでいた。日本はついに開発できなかった。

 そして広島・長崎への原爆投下直後から、日本政府、そして占領軍としてはいってきたアメリカ、両国は被ばくの程度をできうるかぎり軽く見せようと努めてきた。それはヒバクシャの認定でも、明らかだ。放射能による健康被害は、事実に基づいておこなわれるのではなく、被ばく者が少なくなるように線引きするという政治的な判断によって行われてきた。現在の被ばくの基準も、そうしたなかでつくられてきたもので、低線量被ばくについてはできうるかぎり認めたくないという姿勢が、福島でも濃厚である。

 要は、核兵器を使用することができるように、核の被害はたいしたことがないという宣伝を政治的に行ってきたのだ。

 日本政府は、今回、この種の声明にはじめて参加した。今まで「唯一の被爆国」が参加してこなかったという事実に、日本政府に対する国際的な信頼度もわかるというものだ。今回は、もう参加せざるを得ないという状況に追い込まれたのである。

 ところが日本政府は、核兵器の使用を何とか認めさせるべく、「大量破壊兵器の脅威を除去するため、あらゆる努力が必要」という文言を入れさせ、そこにその意図を読み込もうとしているのである。

 姑息な国、日本。

 国際社会において、日本は信用されていない。ただカネをだす国として重宝がられているに過ぎない。なぜなら、国際社会に於いて、日本は常にアメリカと共同歩調をとってきたからであって、アメリカのイソギンチャク・日本という見方は、国際社会では一般的である。

 今後安倍政権によって、アメリカの指図のもとに海外での武力活動を繰り広げていけば、そういう評価はもっと強まっていくことだろう。

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秘密保護法案に反対!

2013-10-23 08:19:47 | メディア
 きょうの『中日新聞』社説は、「戦前を取り戻すのか」というテーマで、特定秘密保護法案をとりあげている。

 安倍政権は、「戦争ができる国」へとまっしぐらに進もうとしている。その一つがこの法案だ。

「戦前を取り戻す」のか 特定秘密保護法案 2013年10月23日

 特定秘密保護法案が近く提出される。「知る権利」が条文化されても、政府は恣意(しい)的に重要情報を遮蔽(しゃへい)する。市民活動さえ脅かす情報支配の道具と化す。

 「安全保障」の言葉さえ、意図的に付けたら、どんな情報も秘密として封印されかねない。

 最高十年の懲役という厳罰規定が公務員を威嚇し、一般情報も公にされにくくなろう。何が秘密かも秘密だからだ。情報の密封度は格段に高まる。あらゆる情報が閉ざされる方向に力学が働く。情報統制が復活するようなものだ。一般の国民にも無縁ではない。

◆米国は機密自動解除も
 秘密保護法案の問題点は、特段の秘匿を要する「特定秘密」の指定段階にもある。行政機関の「長」が担うが、その妥当性は誰もチェックできない。

 有識者会議を設け、秘密指定の際に統一基準を示すという。でも、基準を示すだけで、個別案件の審査はしない。監視役が不在なのは何ら変わりがない。

 永久に秘密にしうるのも問題だ。三十年を超えるときは、理由を示して、内閣の承認を得る。だが、承認さえあれば、秘密はずっと秘密であり続ける。

 米国ではさまざまな機会で、機密解除の定めがある。一九六六年には情報公開を促す「情報自由法」ができた。機密解除は十年未満に設定され、上限の二十五年に達すると、自動的にオープンになる。五十年、七十五年のケースもあるが、基本的にずっと秘密にしておく方が困難だ。

 大統領でも「大統領記録法」で、個人的なメールや資料、メモ類が記録され、その後は公文書管理下に置かれる。

 機密指定の段階で、行政機関の「長」は常に「説明しなさい」と命令される状態に置かれる。機密指定が疑わしいと、行政内部で異議申し立てが奨励される。外部機関に通報する権利もある。

◆名ばかりの「知る権利」
 注目すべきは、機密は「保護」から「緩和」へと向かっている点だ。機密指定が壁になり、警察の現場レベルに情報が届かず、テロを招くことがある-。つまり情報は「隠す」のではなくて、「使う」ことも大事なのだ。

 日本は「鍵」をかけることばかりに熱心だ。防衛秘密は公文書管理法の適用外なので、国民に知らされることもなく、大量に廃棄されている。特定秘密も同じ扱いになる可能性がある。

 特定秘密の指定事項は(1)防衛(2)外交(3)特定有害活動の防止(4)テロリズムの防止-の四つだ。自衛隊の情報保全隊や公安警察などがかかわるだろう。

 四事項のうち、特定有害活動とは何か。条文にはスパイ活動ばかりか、「その他の活動」の言葉もある。どんな活動が含まれるのか不明で、特定有害活動の意味が不明瞭になっている。いかなる解釈もできてしまう。

 テロ分野も同様である。殺傷や破壊活動のほかに、「政治上その他の主義主張に基づき、国家若(も)しくは他人にこれを強要」する活動も含まれると解される。

 これが「テロ」なら幅広すぎる。さまざまな市民活動も考えているのか。原発がテロ対象なら、反原発運動は含まれよう。まさか軍事国家化を防ぐ平和運動さえも含むのだろうか。

 公安警察などが社会の幅広い分野にも触手を伸ばせるよう、法案がつくられていると疑われる。

 「知る権利」が書かれても、国民に教えない特定秘密だから名ばかり規定だ。「取材の自由」も「不当な方法でない限り」と制約される。政府がひた隠す情報を探るのは容易でない。そそのかしだけで罰する法律は、従来の取材手法さえ、「不当」の烙印(らくいん)を押しかねない。

 公務員への適性評価と呼ぶ身辺調査は、飲酒の節度や借金など細かな事項に及ぶ。親族ばかりか、省庁と契約した民間業者側も含まれる。膨大な人数にのぼる。

 主義主張に絡む活動まで対象範囲だから、思想調査そのものになってしまう。警察がこれだけ情報収集し、集積するのは、極めて危険だ。国民監視同然で、プライバシー権の侵害にもあたりうる。

 何しろ国会議員も最高五年の処罰対象なのだ。特定秘密を知った議員は、それが大問題であっても、国会追及できない。国権の最高機関を無視するに等しい。

◆目を光らせる公安警察
 根本的な問題は、官僚の情報支配が進むだけで、国民の自由や人権を損なう危うさにある。民主主義にとって大事なのは、自由な情報だ。それが遠のく。

 公安警察や情報保全隊などが、国民の思想や行動に広く目を光らせる。国民主権原理も、民主主義原理も働かない。まるで「戦前を取り戻す」ような発想がのぞいている。
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特定秘密保護法の危険性

2013-10-23 07:25:16 | メディア
 『東京新聞』などいくつかのメディアは、特定秘密保護法案に対する懸念をきちんと報道している。全国紙は、軒並み批判的な姿勢に欠ける。

  『神奈川新聞』の記事を紹介する。

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1310160017/

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1310170022/

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1310180008/

 民主主義の死への道のりが見えてきたような気がする。それでも、がんばらんと!
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