浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

復興?

2013-10-19 23:31:10 | 日記
 仙台駅に降り立つ。乗り換えの東京駅では肌寒さを感じたが、仙台は澄み切った青空のもと心地よい風が吹いていた。ボクたちは足早に観光バスが待っているところへと急いだ。そこにはたくさんのバスが並び、観光客を乗せて次々と出発していった。

 バスは青葉通りを進んだ。地下鉄の工事現場を車窓から見た。

 バスの運転手さんは、今もっとも高額の物が売れているのが仙台だと言われていると語っていた。また仙台市内のホテルはなかなかとれないとも語っていた。たしかに仙台は、プロ野球チーム・楽天とロッテの試合が行われていることもあるだろうが、歩道にはたくさんの人の姿が見えた。華やかだった。土建関係の人々がたくさんきてるようだ。「夜の町」もそういう人々で賑わっているそうだ。

 今日、石巻市をまわった。避難場所となった日和山の南側にあった門脇小学校。そこは津波に破壊され、今は使用されていない。そこから海岸部は、セイタカアワダチソウが花をつけ、一面を黄色に染めていた。

 そこは、人家が建ち並んでいたところだ。ところどころに一階がつぶれた、廃墟のような建物が残っていた。もちろん人は住んでいない。

 ボランティアガイドの女性は、そこに住んでいた人々は、仮設住宅に住んでいると語った。なかには、5000人が住んでいるところもあるという。

 海岸部。そこには海産物関係の会社が、地盤沈下したところをかさ上げして、あたらしい建物を建てていた。ダンプカーがひっきりなしに走っていた。

 今日、仙台東部道路を走った。この道は、今年4月にボクが走ったところだ。大きな違いは、片側一車線のところで、大規模な道路拡幅工事が行われていたことだ。たくさんの重機がならび、早急に完成させようと急いでいるように見えた。

 復興のカネは、どこにつかわれているのだろうか。

 ボクは、こういう大きな災害に見舞われた人々の生活再建の費用として、家一軒くらい建てられるように、震災前の生活が復活できるように、個々の被災者に渡されるべきではないかと思った。

 しかし復興のカネは、個々人には渡されない。そうではなく、企業などに公共事業の費用として投入される。その受注企業は東京に本社がある巨大ゼネコンだろう。そこが大概のカネをかすめとり、下請けに次々とおろしていく。実際の復興のカネの多くは、東京に戻る。東京から来た人々が仙台のホテルに宿泊し、工事の状況を眺める。

 ボクたちは松島から船に乗って塩竃に行った。そこで笹かまぼこの製造販売の会社に連れていかれた。同行者の多くはそこで大量のお土産を買っていた。ボクは何も買わなかった。そこの社長さんは津波の犠牲になったそうだ。今ではその奥様が社長となっていた。

 ボクらがつくまえに、大きな観光バスが来ていた。たくさんのお土産をもった観光客がそのバスに乗っていった。

 時間があるからと、塩釜港近くにある復興商店街に行った。プレハブの建物に、8軒(?)の店が入っていた。ボクは干物を買い、生牡蠣を食べた。他に客はいなかった。

 復興は、経済的格差を際立たせる。カネはあるところに集まり、ないところには集まらない。それが日本という社会だ。
コメント
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