浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】『本田靖春集 私戦 私のなかの朝鮮人』(旬報社)

2013-10-30 20:36:15 | 読書
 この「私のなかの朝鮮人」は手に入らないので、この本を借りた。浜松市図書館はこの本を持っていない。静岡市立図書館の本を、浜松市図書館経由で借りたものだ。

 「私戦」は、金嬉老事件を真正面からとりあげたもので、金嬉老事件を考える場合、この本は必ず読まなければならない。そしてもちろんボクは『私戦』は持っている。

 だから、この本で読んだのは、「私のなかの朝鮮人」である。これは、本田はソウル市で生まれているから、朝鮮人には特別の思いがあり、その朝鮮(人)との関わりを、綴ったものだ。『我、拗ね者・・』と重複するところがあるが、新しい事実も書かれている。とくに印象に残ったのは、本田が少年だったとき、もちろんそれはソウル周辺のことであるが、本田少年が兄とソウル郊外へフナ釣りに行ったとき、彼らを朝鮮の子どもたちがずっとあとをつけて、「挑発」されるというところがあった。

 植民地支配下、朝鮮半島には日本人が、家族とともにたくさん住んでいた。しかし本田の文を読むと、住んでいただけで、朝鮮という日本とは別の所に住んでいたわけではなく、朝鮮のなかの日本に住んでいただけ、という感じがする。つまり、日本人、朝鮮人間に交流がまったくないのだ。その関係は、子どもの社会のなかでも、植民地支配をする日本人と、支配される朝鮮人との関係しかなく、人間同士の交流が見られない。だからこそ、本田は「彼らが私たち日本人を憎んでいることは、身に沁みてわかった」と書くのだ。

 それは大人たちも実感していたはずだ。だが、戦後、朝鮮半島に住んでいた日本人から、そうした話しは聞いたことがない。おそらく、彼らには、朝鮮人は見えなかったのだ。本土に住む日本人が、みずからの周辺に生きていた朝鮮人を知ってはいても、「見ていなかった」ように。

 その光景は今も続いている。日本人は、「見ない」のである。関心の外、というか、あえて「関心の外」に置いているのだ。

 ボクも、在日朝鮮人との関わりについて、かつて『統一評論』という雑誌に書いたことがある。そこにも記したことを書いておこう。
 中学校時代、仲良くしていた友人がいた。最近はあってはいないが、今もつきあいがある。
 つきあい始めた頃、ボクは彼が「在日」であることを知らなかった。彼は「通名」でいたからだ。しかし、ボクの母は知っていた。あるとき、母は、「○○くんは朝鮮人だよ」と教えてくれた。ボクは、周辺の人々が皆、彼が朝鮮人であることを知っていることがわかった。しかしそれはふつうに語られることではなく、内緒話のように語られていたのだ。
 だがボクは、それによって影響されることなく、ふつうにつきあってきた。
 長じて、ボクが「在日」についての歴史研究をしていることを、彼は知った。だが彼は、今もボクに自らが「在日」であることを語ってはいない。

 「在日」であるということは、今でも、日本社会では、公然と語られることではないのだ。

 話しはずれたが、本田の「私のなかの朝鮮人」は、朝鮮人との様々な関わりを通して、自らの心の中に巣くう「朝鮮」を凝視したことが書かれている。

 ボクは、日本人一人一人が、自らの心の奥に潜んでいる「朝鮮」を凝視すべきだと思う。

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あと一回

2013-10-30 19:01:56 | 日記
 東区の歴史というテーマで、毎週異なる内容を話しているが、今日が9回目。あと一回で終わる。やっと解放される。今まで研究したことを話すのなら楽だが、そうではなく、一週間でとにかく新しい内容を準備しなければならないので、ボクにとってとてもきつい仕事である。

 今日のテーマは、「報国隊と近代日本国家」である。

1,報国隊とは?
2.国学とは。
3.遠州国学
4.遠州報国隊
5.報国隊のその後
6.国学のその後

 こういう内容で、ほぼ2時間話し続けた。このテーマについて、浜松中央図書館の郷土資料室で多くの資料をコピーし、いくつかの文献を読んだ。ただ、時間不足で、ずっと前に購入してあった岩波書店の『日本思想大系』のうち、テーマに関連する『国学運動の思想』などをじっくりと読めなかったことだ。

 単行本で読んだ本は、以下の通り。

安丸良夫『近代天皇像の形成』(岩波現代文庫)
子安宣邦『国家と祭祀』(青土社)
西郷信綱『国学の批判』(未来社)

 2時間話した後、拍手があったし、「よかったよ」などという声をかけられた。一回の講師料が7000円。税金を引いたら6000円くらいだ。聴講されたTさんからは、「7000円」じゃあかわいそうだといわれた。

 近代日本の抑圧機構である近代天皇制国家の淵源、その問題点、そして「つくられた伝統」などについて、6の「国学のその後」で話すことができたから、ボクも満足である。

 次は、「東区と戦争」。
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