この「私のなかの朝鮮人」は手に入らないので、この本を借りた。浜松市図書館はこの本を持っていない。静岡市立図書館の本を、浜松市図書館経由で借りたものだ。
「私戦」は、金嬉老事件を真正面からとりあげたもので、金嬉老事件を考える場合、この本は必ず読まなければならない。そしてもちろんボクは『私戦』は持っている。
だから、この本で読んだのは、「私のなかの朝鮮人」である。これは、本田はソウル市で生まれているから、朝鮮人には特別の思いがあり、その朝鮮(人)との関わりを、綴ったものだ。『我、拗ね者・・』と重複するところがあるが、新しい事実も書かれている。とくに印象に残ったのは、本田が少年だったとき、もちろんそれはソウル周辺のことであるが、本田少年が兄とソウル郊外へフナ釣りに行ったとき、彼らを朝鮮の子どもたちがずっとあとをつけて、「挑発」されるというところがあった。
植民地支配下、朝鮮半島には日本人が、家族とともにたくさん住んでいた。しかし本田の文を読むと、住んでいただけで、朝鮮という日本とは別の所に住んでいたわけではなく、朝鮮のなかの日本に住んでいただけ、という感じがする。つまり、日本人、朝鮮人間に交流がまったくないのだ。その関係は、子どもの社会のなかでも、植民地支配をする日本人と、支配される朝鮮人との関係しかなく、人間同士の交流が見られない。だからこそ、本田は「彼らが私たち日本人を憎んでいることは、身に沁みてわかった」と書くのだ。
それは大人たちも実感していたはずだ。だが、戦後、朝鮮半島に住んでいた日本人から、そうした話しは聞いたことがない。おそらく、彼らには、朝鮮人は見えなかったのだ。本土に住む日本人が、みずからの周辺に生きていた朝鮮人を知ってはいても、「見ていなかった」ように。
その光景は今も続いている。日本人は、「見ない」のである。関心の外、というか、あえて「関心の外」に置いているのだ。
ボクも、在日朝鮮人との関わりについて、かつて『統一評論』という雑誌に書いたことがある。そこにも記したことを書いておこう。
中学校時代、仲良くしていた友人がいた。最近はあってはいないが、今もつきあいがある。
つきあい始めた頃、ボクは彼が「在日」であることを知らなかった。彼は「通名」でいたからだ。しかし、ボクの母は知っていた。あるとき、母は、「○○くんは朝鮮人だよ」と教えてくれた。ボクは、周辺の人々が皆、彼が朝鮮人であることを知っていることがわかった。しかしそれはふつうに語られることではなく、内緒話のように語られていたのだ。
だがボクは、それによって影響されることなく、ふつうにつきあってきた。
長じて、ボクが「在日」についての歴史研究をしていることを、彼は知った。だが彼は、今もボクに自らが「在日」であることを語ってはいない。
「在日」であるということは、今でも、日本社会では、公然と語られることではないのだ。
話しはずれたが、本田の「私のなかの朝鮮人」は、朝鮮人との様々な関わりを通して、自らの心の中に巣くう「朝鮮」を凝視したことが書かれている。
ボクは、日本人一人一人が、自らの心の奥に潜んでいる「朝鮮」を凝視すべきだと思う。
「私戦」は、金嬉老事件を真正面からとりあげたもので、金嬉老事件を考える場合、この本は必ず読まなければならない。そしてもちろんボクは『私戦』は持っている。
だから、この本で読んだのは、「私のなかの朝鮮人」である。これは、本田はソウル市で生まれているから、朝鮮人には特別の思いがあり、その朝鮮(人)との関わりを、綴ったものだ。『我、拗ね者・・』と重複するところがあるが、新しい事実も書かれている。とくに印象に残ったのは、本田が少年だったとき、もちろんそれはソウル周辺のことであるが、本田少年が兄とソウル郊外へフナ釣りに行ったとき、彼らを朝鮮の子どもたちがずっとあとをつけて、「挑発」されるというところがあった。
植民地支配下、朝鮮半島には日本人が、家族とともにたくさん住んでいた。しかし本田の文を読むと、住んでいただけで、朝鮮という日本とは別の所に住んでいたわけではなく、朝鮮のなかの日本に住んでいただけ、という感じがする。つまり、日本人、朝鮮人間に交流がまったくないのだ。その関係は、子どもの社会のなかでも、植民地支配をする日本人と、支配される朝鮮人との関係しかなく、人間同士の交流が見られない。だからこそ、本田は「彼らが私たち日本人を憎んでいることは、身に沁みてわかった」と書くのだ。
それは大人たちも実感していたはずだ。だが、戦後、朝鮮半島に住んでいた日本人から、そうした話しは聞いたことがない。おそらく、彼らには、朝鮮人は見えなかったのだ。本土に住む日本人が、みずからの周辺に生きていた朝鮮人を知ってはいても、「見ていなかった」ように。
その光景は今も続いている。日本人は、「見ない」のである。関心の外、というか、あえて「関心の外」に置いているのだ。
ボクも、在日朝鮮人との関わりについて、かつて『統一評論』という雑誌に書いたことがある。そこにも記したことを書いておこう。
中学校時代、仲良くしていた友人がいた。最近はあってはいないが、今もつきあいがある。
つきあい始めた頃、ボクは彼が「在日」であることを知らなかった。彼は「通名」でいたからだ。しかし、ボクの母は知っていた。あるとき、母は、「○○くんは朝鮮人だよ」と教えてくれた。ボクは、周辺の人々が皆、彼が朝鮮人であることを知っていることがわかった。しかしそれはふつうに語られることではなく、内緒話のように語られていたのだ。
だがボクは、それによって影響されることなく、ふつうにつきあってきた。
長じて、ボクが「在日」についての歴史研究をしていることを、彼は知った。だが彼は、今もボクに自らが「在日」であることを語ってはいない。
「在日」であるということは、今でも、日本社会では、公然と語られることではないのだ。
話しはずれたが、本田の「私のなかの朝鮮人」は、朝鮮人との様々な関わりを通して、自らの心の中に巣くう「朝鮮」を凝視したことが書かれている。
ボクは、日本人一人一人が、自らの心の奥に潜んでいる「朝鮮」を凝視すべきだと思う。