今日は午後1時頃から21時30分頃まで国会周辺にいた。声を限りに、特定秘密保護法案の廃案を訴えてきた。しかし帰宅してみたら、安倍政権は日本国憲法の表現の自由などを侵害するこの法案を通過させていた。本当は最後までいたかったのだが、最終の新幹線に間に合うためには、仕方がない。
国会周辺は始終抗議の声が響きわたり、夕方から行われたこの法案反対の集会とデモには、たくさんのひとが集まり、デモの隊列は途絶えることがなかった。ボクは日比谷公園で行われた集会ではなく、悪法がまさに通過させられようとしていた国会脇で、喉がかれるまで叫び続けた。
この行動には、静岡からYさん、静岡新聞のOさんらも駆けつけていた。
まさに日本の「戦後民主主義」を葬り去ろうという、憲法違反の、現代版治安維持法とも言うべきこの法案には、断固とした抗議の声を突きつけておかなければならないと思った。歴史を学ぶ者は、過去の歴史を学ぶだけではなく、現在の歴史について責任を持たなければならない。それなしに、過去の歴史を批判的に研究することなどできるわけがない。
何ごともそうであるが、研究すると言うことは、あるいはものを書くということは、ただ研究し、ただ書くのではない。何らかの社会的意義をもつものでなければならないはずだ。研究テーマや書こうとするものをどう社会的意義と結びつけるかは、現在に対する明確な問題意識、あるいは鋭角的な批判的思考があってはじめて可能となる。鋭く研ぎ澄まされた問題意識こそが、研究や書こうとするものを深く深くとらえることができるのである。
ボクは今回、国会周辺で抗議活動を行うことで、現在の日本のあり方を抉る姿勢をより鮮明にできたような気がする。
現在を生きるということは、未来をつくることである。未来をつくるために、今何ができるのか。今、何を研究し、書かなければならないのか。常にそういう問いを自らに投げかけることが必要なのだ。
国会周辺は始終抗議の声が響きわたり、夕方から行われたこの法案反対の集会とデモには、たくさんのひとが集まり、デモの隊列は途絶えることがなかった。ボクは日比谷公園で行われた集会ではなく、悪法がまさに通過させられようとしていた国会脇で、喉がかれるまで叫び続けた。
この行動には、静岡からYさん、静岡新聞のOさんらも駆けつけていた。
まさに日本の「戦後民主主義」を葬り去ろうという、憲法違反の、現代版治安維持法とも言うべきこの法案には、断固とした抗議の声を突きつけておかなければならないと思った。歴史を学ぶ者は、過去の歴史を学ぶだけではなく、現在の歴史について責任を持たなければならない。それなしに、過去の歴史を批判的に研究することなどできるわけがない。
何ごともそうであるが、研究すると言うことは、あるいはものを書くということは、ただ研究し、ただ書くのではない。何らかの社会的意義をもつものでなければならないはずだ。研究テーマや書こうとするものをどう社会的意義と結びつけるかは、現在に対する明確な問題意識、あるいは鋭角的な批判的思考があってはじめて可能となる。鋭く研ぎ澄まされた問題意識こそが、研究や書こうとするものを深く深くとらえることができるのである。
ボクは今回、国会周辺で抗議活動を行うことで、現在の日本のあり方を抉る姿勢をより鮮明にできたような気がする。
現在を生きるということは、未来をつくることである。未来をつくるために、今何ができるのか。今、何を研究し、書かなければならないのか。常にそういう問いを自らに投げかけることが必要なのだ。