高校1年生の頃、ボクは如何に生くべきかに苦しんでいた。そのなかで、今では見向きもされない人生論なんぞを読んでいた。そのなかでボクは亀井勝一郎の本を読み、そのなかに「悔いなき死」という文言をみつけた(書庫に行けばその本が何という書名なのかがわかるのだが、車で5分のところにあり、寒いから行きたくはない)。
その文言は、死に向かってのことばではあるが、ボクは「悔いなき死」を迎えるためには「悔いなき生」を生きていかなければならないと、そのことばを逆転させた。そして「悔いなき生」を実現するためには、如何にすべきかをボクは考え、今に至っている。
そして今、ボクは石川公彌子『〈弱さ〉と〈抵抗〉の近代国学』(講談社、2009年)を読んでいるのだが、日本浪漫派の保田與重郎の思想に関する記述のなかに、亀井についての言及があった。亀井も、はじめマルクス主義者であったが転向して、日本浪漫派のひとりになった人間なのだが、そこに亀井の文が引用されていた。
「自己解体」をして、戦時体制下の「国民の中」へ入り、「民族再生につながる道」を歩み、その際は「我いかに生くべきかが問題ではなくまづ我いかに死すべきかが問題なのである」という亀井の言説が紹介されていた。
まさに亀井の思想は「死の思想」であった。その思想は、戦争を肯定し、戦争を担う思想であった。
ボクは、高校時代、亀井の「死の思想」を「生の思想」に転換して、その後を生き延びてきた。戦時下の亀井の思想とは、真逆の道を、ボクは歩んでいる。
この本で、亀井と再会するとは思わなかった。
ボクは高校生の頃、もちろん亀井だけを読んでいたのではない。なぜ逆転できたのかを振り返ると、おそらく久野収の本のなかだったか、これもうろ覚えなのだが、死を見据えた思想はファシズムの思想である、というような記述を発見していた。
生きるということは死に向かって生きるということなのであって、まさに生と死は矛盾的統一なのである。その際、生を見据えながら死にいたるということと、死を見据えながら生きていくことの両方が可能なのであるが、ボクは前者を選んだということになる。
この本を読んでいて、若い頃のことを思い出してしまった。
その文言は、死に向かってのことばではあるが、ボクは「悔いなき死」を迎えるためには「悔いなき生」を生きていかなければならないと、そのことばを逆転させた。そして「悔いなき生」を実現するためには、如何にすべきかをボクは考え、今に至っている。
そして今、ボクは石川公彌子『〈弱さ〉と〈抵抗〉の近代国学』(講談社、2009年)を読んでいるのだが、日本浪漫派の保田與重郎の思想に関する記述のなかに、亀井についての言及があった。亀井も、はじめマルクス主義者であったが転向して、日本浪漫派のひとりになった人間なのだが、そこに亀井の文が引用されていた。
「自己解体」をして、戦時体制下の「国民の中」へ入り、「民族再生につながる道」を歩み、その際は「我いかに生くべきかが問題ではなくまづ我いかに死すべきかが問題なのである」という亀井の言説が紹介されていた。
まさに亀井の思想は「死の思想」であった。その思想は、戦争を肯定し、戦争を担う思想であった。
ボクは、高校時代、亀井の「死の思想」を「生の思想」に転換して、その後を生き延びてきた。戦時下の亀井の思想とは、真逆の道を、ボクは歩んでいる。
この本で、亀井と再会するとは思わなかった。
ボクは高校生の頃、もちろん亀井だけを読んでいたのではない。なぜ逆転できたのかを振り返ると、おそらく久野収の本のなかだったか、これもうろ覚えなのだが、死を見据えた思想はファシズムの思想である、というような記述を発見していた。
生きるということは死に向かって生きるということなのであって、まさに生と死は矛盾的統一なのである。その際、生を見据えながら死にいたるということと、死を見据えながら生きていくことの両方が可能なのであるが、ボクは前者を選んだということになる。
この本を読んでいて、若い頃のことを思い出してしまった。