浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】加藤周一『『日本文学史』序説』(ちくま学芸文庫)

2013-12-18 20:34:59 | 読書
 「共通の古典をもたない社会は野蛮に近づいたということではないか」(284頁)ということばが心にずしりときた。

 もうそうした文言が、まったく力を失っている時代にボクらはいる。会話の中で「その本読んだことがある!」という時代、教養という言葉があって、教養を身につけないと恥ずかしいという時代があった。

 岩波文庫に入っている文学や思想、社会科学系のもの、そうしたものにひたすら挑戦していた時代、そういう過去があった。しかしそういう時代は、おそらく来ないだろう。

 今の若者は、とても忙しい。高校生や大学生は、バイトにスマホ、メール、ゲーム・・・しなければならないことはたくさんある。活字を追うなんて、そういう時代遅れの行動は今の若者にはふさわしくない。メールだって活字だよ、という声もある。

 加藤周一の指摘は、おそらく力をもたない。ボクのようなオールド世代の一部の者だけが、「その通り!」と頷くだけなのだ。

 さて本書はとても参考になった。天下の碩学である加藤周一の、『日本文学史序説』の補遺でもある。

 最初に記されているのは、「日本文化の核心」についてである。加藤はそれを「長いものに巻かれろ」であるという、「集団主義」。「日本の文化は権力批判の面で弱かった」と。

 「日本人は私的空間、身の回りの日常生活に密着していて、そこから離れない。抽象的・普遍的な方向へ行かない、それは日本文学の特徴の一つです」(40頁)

 確かに、日常生活に於いて、公的空間のこと、抽象的・普遍的なことに話しが及ぶことはほとんどない。きわめて非政治的であるという政治性の中に、日本人はいる。

 中国の詩人、たとえば陶淵明などは、その詩に於いて権力に対する非常に厳しい批判を行っているのだそうだが、しかしそれらは日本には紹介されないという。

 そして古代日本の文学者にとっては、「花鳥風月」がその関心の的となる。しかし自然を謳うのではない。すでにとりあげるものは決められている。鳥ならばホトトギスでありウグイスであって、他の鳥は謳わない。月は謳うけれども、星は謳わない。彼らには星は「見えない」のだ。

 さらに日本の和歌の「恋愛」は「ものおもひ」であって、「特定の相手」ではない。『万葉集』までは、日本でも「特定の相手」だった。中国でもギリシャ・ローマでも、恋愛は「特定の相手」であった。『古今集』以降は、「非常に漠然としている恋愛的心理状態」を「恋愛」として、「ものおもひ」として謳われる。

 なるほど、である。

 ※ とするならば、ボクの場合は『万葉集』である。「漠然とした恋愛的心理」にあこがれることはしない。この女性が好きだ、でボクは通す。但し、だからといって「特定の相手」の人生を邪魔することはしない。静かに見つめているのだ。

 いずれにしても、この本は、様々な知見を与えてくれる。4月の講座のために読んでいるのだが、とても参考になる。

 
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ゲルギエフ

2013-12-18 15:46:36 | 日記
 youtubeにより恩恵を受けている。最近は、ロシアの指揮者・ゲルギエフの音楽を聴いている。

 ゲルギエフは、今は世界的な高名な指揮者。もうかなり前、NHK/FMで、彼が指揮したチャイコフスキーのシンフォニーを聴いて、それからはCDなども何枚も購入した。今も車を運転しながら聴いたりしているが、素晴らしい。

 ゲルギエフがどういう評価をされているかは知らないが、彼の音は、明晰でクリアだ。

 今日はチャイコフスキーの6番を聴き、そして今、「くるみわり人形」を見、かつ聴いている。バレエ曲だから、舞台上ではバレリーナが踊っている。こういう曲を見ていると、日本とは異なる文化であることを痛感する。

 https://www.youtube.com/watch?v=clWKDT4TQIk

 一時、こういう音楽を聴いていると、みずからの精神の慰めになる。

 外は冷たい雨が降っている。加藤周一の『「日本文学史序説」補講』(ちくま学芸文庫)を読みながら、加藤の知的な雰囲気をたのしむ。これも4月の講座のための勉強の一環である。

 今日は、農作業ができない。
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理性の眼を開け!!

2013-12-18 15:09:12 | 政治
 昨日発表された「国家安全保障戦略」は、戦後日本の国是である平和主義をかなぐり捨てようという意志が表れている。

 だから今日の各紙の社説は、数紙を除き軒並み批判的に書いている。

 まず『琉球新報』の社説。

国家安保戦略 戦争する国への岐路 事実上の改憲に歯止めを 2013年12月18日


 不戦を誓い平和国家として歩んできた日本が、軍備を軸に国威発揚を優先した戦争ができる国に転換しかねない。歴史的分岐点となることは間違いない。
 政府は、外交と安全保障政策の指針となる「国家安全保障戦略」を初めて定めた。
 安倍晋三首相の強いこだわりで策定された安保戦略は、国是である武器輸出三原則を緩和し、輸出に道を開いた。明確な自衛隊増強にかじを切り、減り続けていた国防費も増額に転じた。
 「集団的自衛権の行使容認」を前提にしながら、軍備増強に傾斜する国の姿が鮮明になり、事実上の憲法改悪が進行している。

■好戦的な国家へ

 今後10年間程度の国防の指針となる「防衛計画の大綱」、5年間の予算の枠組みを定める中期防衛力整備計画(中期防)も同時に決定したが、政府は安保戦略を上位に位置付ける。政治主導色を濃くした安保政策の大転換である。
 安保戦略の基本理念には、自衛隊の海外展開を図る目的が明白な「積極的平和主義」がある。米国との協調の名の下、地球の裏側までも自衛隊を派遣して軍事行動を共にすることをにらみ、安倍政権は「集団的自衛権」の行使容認に向けた動きを来春以降に強める段取りを描いている。
 新防衛大綱からは「節度ある防衛力を整備する」の表現が消えた。中国との尖閣諸島の領有権問題を念頭に、離島奪還作戦を担う「水陸機動団」を創設するとしている。沖縄に新たな負担を強いる自衛隊増強に結び付きかねない。
 さらに、攻撃される前に他国を攻撃する「敵基地攻撃能力」に関し、「弾道ミサイルの対処能力の向上」の中で保有の検討を盛り込んでいる。
 安保戦略は、軍事力を増強する中国の防空識別圏設定などを挙げ、「力による現状変更の試み」と警戒感をあらわにした。領海侵入など突出した中国の行動に自制を促すことは必要であっても、露骨に中国を名指しした軍備強化路線は、日本側も「力による現状変更」を志向していると受け止められても仕方あるまい。新たな緊張の火種になりかねない。
 国家安全保障の目標は、(1)直接脅威を防止し、万が一脅威が及ぶ場合には、これを排除する(2)日米同盟の強化や脅威の発生の予防、削減-をまず挙げている。対話によって解決を図る「不断の外交努力」が登場するのはこの後だ。
 「力には力で」という好戦的な国防観が覆い、外交努力は二の次になっている。東アジアの軍拡競争を激化し、沖縄の基地負担が温存される不安がかき立てられる。

■「愛国心」に違和感

 パートナーの米国は中国の台頭を踏まえ、経済を軸に戦略の重点をアジアにシフトしている。対米重視一辺倒の日本と異なり、米国は尖閣諸島を日米安保の適用範囲内としつつ、日中の領土紛争への「不介入」を色濃くしている。
 日中の偶発的な衝突を防ぐ枠組みづくりを優先させた「政治的な危機管理」を志向する米国の思惑とも、今回の安保戦略は相いれないのではないか。
 強い違和感を抱くのは、戦略に「わが国と郷土を愛する心を養う」と明記し、「愛国心」を記したことだ。 安全保障を支える社会的基盤の強化が必要という文脈だが、「戦争ができる国」の基盤とも読める。国民の思想信条の自由に踏み込んで愛国心を強制することがあってはならない。
 国の将来を左右する重大な決定だが、国会での議論は尽くされず、与党内からも異論が出ない。「国を守る」という主張が先走り、歯止めをかけられない状況は、戦前の状況に近づいている。
 戦後の日本は武力を土台にした国威よりも不戦、平和を最優先の価値とし、68年間戦争をしていないからこそ、「国際社会の名誉ある地位」を得てきた。平和国家をかなぐり捨てるなら、名誉ある地位は到底得られないだろう。


 次は、『中日(東京)新聞』。

国家安保戦略を決定 平和国家の大道を歩め 
2013年12月18日

 安倍晋三首相が主導した国家安全保障戦略は、戦後日本が歩んできた「国のかたち」を変質させかねない。「平和国家」は踏み外してはならない大道だ。

 政府が初めて閣議決定した国家安全保障戦略は、今後十年程度を念頭に置いた外交・安保の基本方針を示したものだという。

 防衛力の在り方を示した新「防衛計画の大綱(防衛大綱)」、二〇一四年度から五年間の「中期防衛力整備計画(中期防)」と同時に決定されたことは、戦略、防衛大綱、中期防の一体性を示す。

 外交よりも「軍事」に重きが置かれていることは否定できない。

◆武器三原則堅持を
 戦略は基本理念で、日本が「専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず、非核三原則を守るとの基本方針を堅持してきた」と指摘し、「平和国家としての歩みを引き続き堅持」すると決意表明している。

 先の大戦の反省に基づく平和国家路線は、国際社会の「高い評価と尊敬」を勝ち得てきた戦後日本の「国のかたち」である。引き続き堅持するのは当然だ。

 同時に、この「国のかたち」を変質させかねない要素も随所にちりばめられている。その一つが武器輸出三原則の見直しである。

 紛争当事国などへの武器や関連技術の輸出を禁じる三原則が果たした役割を認めつつも、「武器等の海外移転に関し、新たな安全保障環境に適合する明確な原則を定める」と、見直しを打ち出した。

 高性能化、高価格化している防衛装備品は国際共同開発・生産が主流になっているというが、三原則の理念は堅持しなければならない。国際紛争を助長したり、日本の信頼が損なわれることにならないか、厳密な検討が必要だろう。

 目先の利益にとらわれて日本の安全が脅かされれば本末転倒だ。

◆戦略的忍耐の必要
 中国の軍事的台頭や北朝鮮の核・ミサイル開発など、東アジアの安保環境が緊迫化していることは否定できない。日本政府としてどう対応するのか、政権の力量が問われる場面ではある。

 戦略は、地域の平和と安定のための責任ある建設的役割と、軍事面での透明性向上を中国に促すことを打ち出した。このことは日本のみならず、アジア・太平洋地域の平和と安定に資する。困難だろうが、外交力を駆使して中国に粘り強く働き掛けてほしい。

 将来的には「東アジアにおいてより制度的な安全保障の枠組みができるよう適切に寄与」する方針も明記した。東アジアに中国を含む形で安全保障の制度的な枠組みができれば、地域の安定には望ましい。すぐには実現しなくても、戦略として掲げる意義はある。

 心配なのは、偶発的な衝突が本格的な紛争に発展することだ。

 戦略には「不測の事態発生の回避・防止のための枠組み構築を含めた取り組みを推進する」と書き込んだ。日中両政府はホットライン設置や艦艇、航空機間の連絡メカニズム構築にいったん合意しながら、棚上げ状態になっている。

 中国が沖縄県・尖閣諸島を含む東シナ海に防空識別圏を設定し、緊張はさらに高まっている。早期の運用開始に向け、中国説得の労を惜しむべきではない。

 中国の軍事的台頭に毅然(きぜん)と対応することは大切だが、挑発に「軍備増強」で応じれば、軍事的な緊張を高める「安全保障のジレンマ」に陥りかねない。時には耐え忍ぶ「戦略的忍耐」も必要だ。

 しかし、防衛大綱では、これまでの「節度ある防衛力」を「実効性の高い統合的な防衛力」に書き換えてしまった。

 ストックホルム国際平和研究所の調査によると、軍事支出である防衛費だけをみれば、日本は世界五位(一二年)である。そのうえ防衛費の増額に転じ、防衛力整備から「節度」を削れば、周辺国が疑心暗鬼になるのも当然だ。

 国家安保戦略、防衛大綱、中期防を俯瞰(ふかん)すれば、自衛隊を増強して、日米の「同盟関係」を強めようとの安倍内閣の姿勢が鮮明である。その先に待ち構えるのは、集団的自衛権の行使容認と、自衛隊を国軍化する憲法改正だろう。

 果たしてそれが、平和国家の姿と言えるのだろうか。

◆軍略よりも知略で
 プロイセンの軍事学者、クラウゼビッツが著書「戦争論」で指摘したように、戦争が政治の延長線上にあるならば、軍事的衝突は外交の失敗にほかならない。

 防衛力を適切に整備する必要性は認めるとしても、それ以上に重要なことは、周辺国に軍事的冒険の意図を持たせないよう、外交力を磨くことではないのか。

 日本で暮らす人々を守り、アジアと世界の安定、繁栄にも寄与する。そのために尽くすべきは、軍略ではなく、知略である。


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誰も止めないのか

2013-12-18 14:36:07 | 政治
 安倍政権は、徹底的に中国を「敵」としたいようだ。安倍政権の対東南アジア外交は、対中国で一貫している。中国を刺激して、中国との対立関係を強化しようと躍起になっている。

 もし中国との間で偶発的な軍事衝突が起きたとき、どうするのだろうか。アメリカは、絶対に日本の側には立たない。最近の米国の対中外交をみれば、日米関係より日中関係を重視しているのがよくわかるからだ。

 今日の『中日新聞』の第二面に、纐纈厚氏(山口大学)のインタビュー記事があるが、その見出しは「嫌中感情 愛国心に利用」である。中国との対立を強めて中国の動きを報道させて、日本国民の中の嫌中感情を強化して、軍拡に励もうという魂胆なのだろう。

 国民意識をある方向に向けさせようという強い意図を感じる。「満州事変」の前の時代に似てきているとおもうのは、ボク一人だろうか。

 日本人は忘れているのだろうけれども(思い出させないようにしているといってもよい)、日中戦争時、日本軍兵士が中国に侵攻し、多くの中国人を殺傷し、破壊の限りを尽くした。そういう事実を、中国の人々は決して忘れていない。もし日中が戦闘を交えることになれば、過去の日本軍がおこなった蛮行が一挙に忘却の彼方から出現してくるだろう。そして日本人に対する「復讐心」がわきあがってくるはずだ。

 ユーゴスラビアという国があった。第二次大戦後、チトー大統領が出現し、民族や信仰が異なる人々をうまく協調させ、平和な国家をつくりあげていた。しかしチトーがなくなったあと、第二次世界大戦の記憶がよみがえり、ナチスドイツに協力した人々と彼らにより抑圧された人々との間で、激しい憎悪が生み出され、そしてついに殺しあいにまで発展した。今、かつてのユーゴは分裂し、それぞれの国の内部でも対立を抱え込んでいる。

 戦争があり、戦争が終わる。その後は、平和をどうしたら維持し続けることができるかを政策の柱に据えるべきだ。あえて対立を煽るようなことをしてはならない。

 安倍政権は、その意味で、とても危険な政権である。平和の維持は、維持しようとする決意によってこそ、可能である。

 過去の亡霊を、あえてよみがえらせてはならない。


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