「日本近代史における「国学」」というテーマで話すための勉強の一環で読んだもの。直木孝次郎氏は古代史家。きわめて良心的な学者であって、古代史の記述に使われる「記紀」を批判的に検証したもの。
古代史は、資料が少ないため、したがってまた依拠すべき資料として、どうしても「記紀」に依存してしまうことから、「記紀」についてはきちんと学問的に検討していくことがいかに重要であるかを論じたもの。
同時に、「記紀」の記述が時々頭をもたげてくることがあるが、そのときにいかに暴力的なものに変化するかを、津田左右吉らの研究をもとに明らかにしている。
「記紀」、とくに「古事記」は、本居宣長がこれをとりあげてからある種の「権威」として使われるようになったのだが、その点で、「古事記」についての脱構築も必要だと思って読んだ。
歴史を研究しようとする者は、すべからく読むべし、である。
古代史は、資料が少ないため、したがってまた依拠すべき資料として、どうしても「記紀」に依存してしまうことから、「記紀」についてはきちんと学問的に検討していくことがいかに重要であるかを論じたもの。
同時に、「記紀」の記述が時々頭をもたげてくることがあるが、そのときにいかに暴力的なものに変化するかを、津田左右吉らの研究をもとに明らかにしている。
「記紀」、とくに「古事記」は、本居宣長がこれをとりあげてからある種の「権威」として使われるようになったのだが、その点で、「古事記」についての脱構築も必要だと思って読んだ。
歴史を研究しようとする者は、すべからく読むべし、である。