岩波文庫の『『青鞜』女性解放論集』が届いた。ボクはまず最初の与謝野晶子の「山の動く日来る」で有名な「そぞろごと」(抄)を読む。
そして次に平塚らいてうの「元始女性は太陽であった」を読む。恥ずかしながらボクは、らいてうが書いたこの文の全文をはじめて読んだ。
何と格調高く、声を上げて朗々と読むにふさわしい文であることか。その文の背景にちりばめられた「知」と、そして抑圧をはねかえそうとする精神の高揚と、まさに熱情、いやらいてうがいう「熱誠」。
ある意味で女性だけではなく、人間解放を求めるような文意に、そして20代半ばにかかる文を書ける女性がいたことに、ただただ心を動かされる。
ボクは、日本の歴史を通して、女性の地位は明治民法下にもっとも低かったという思いを持っている。だからこそ、その下で呻吟していた女性たちの精神に、この『青鞜』の与謝野とらいてうの文を読んだときの、驚きと賛意と賞賛が湧き起こったことを想像できる。
今から100年程前、『青鞜』に集まった先駆的な女性たちの生と動きは探求するに値するのではないか。
伊藤野枝は、この『青鞜』を生きる杖としてすがった。野枝だけではない。多くの女性がこの『青鞜』に自らの感情や思想を託そうとした。だとしたら、今こそ、100年前に生きた女性たちが何故に『青鞜』に集い、そこから何を得ようとしたのか、そしてそれに触発されてどう生きたのかは、学ぶべきことではないか。
彼女たちの動きが何を獲得し、何を獲得しなかったのか。ボクらは調べるべきではないか。
ボクは今、伊藤野枝を中心に読書を進めている。ここから学びとることは多いとボクは思う。このブログの女性読者よ、奮起せよ。
なお齋賀琴の「戦禍」は、この本に掲載されている。平和が脅かされつつある時、多くの人に読んでもらいたい、ほぼ100年前のこの文を。
そして次に平塚らいてうの「元始女性は太陽であった」を読む。恥ずかしながらボクは、らいてうが書いたこの文の全文をはじめて読んだ。
何と格調高く、声を上げて朗々と読むにふさわしい文であることか。その文の背景にちりばめられた「知」と、そして抑圧をはねかえそうとする精神の高揚と、まさに熱情、いやらいてうがいう「熱誠」。
ある意味で女性だけではなく、人間解放を求めるような文意に、そして20代半ばにかかる文を書ける女性がいたことに、ただただ心を動かされる。
ボクは、日本の歴史を通して、女性の地位は明治民法下にもっとも低かったという思いを持っている。だからこそ、その下で呻吟していた女性たちの精神に、この『青鞜』の与謝野とらいてうの文を読んだときの、驚きと賛意と賞賛が湧き起こったことを想像できる。
今から100年程前、『青鞜』に集まった先駆的な女性たちの生と動きは探求するに値するのではないか。
伊藤野枝は、この『青鞜』を生きる杖としてすがった。野枝だけではない。多くの女性がこの『青鞜』に自らの感情や思想を託そうとした。だとしたら、今こそ、100年前に生きた女性たちが何故に『青鞜』に集い、そこから何を得ようとしたのか、そしてそれに触発されてどう生きたのかは、学ぶべきことではないか。
彼女たちの動きが何を獲得し、何を獲得しなかったのか。ボクらは調べるべきではないか。
ボクは今、伊藤野枝を中心に読書を進めている。ここから学びとることは多いとボクは思う。このブログの女性読者よ、奮起せよ。
なお齋賀琴の「戦禍」は、この本に掲載されている。平和が脅かされつつある時、多くの人に読んでもらいたい、ほぼ100年前のこの文を。