浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】奥村直史『平塚らいてう 孫が語る素顔』(平凡社新書)

2013-12-27 22:02:47 | 読書
 大杉栄・伊藤野枝に関する文献を読むと、当然ながら平塚らいてうの名が何度もでてくる。ボクは、平塚らいてうについての伝記などを読んだことはない。書庫にはらいてうの自伝『元始女性は太陽であった』があるのに。
 しかし、やはりらいてうも魅力的な女性である。かつてボクが伊藤野枝に心を動かされ、こういう女性こそ、と思ったのは、今途中まで読み進めている『自由、それは私自身』によるものであったという確信めいたものを持ち始めている。つまりこの本は、再読である。
 さて野枝が持つ魅力と同じようなものを、らいてうも持っていたことがよくわかる。それは自由でありたいという意志と、それにもとづく自由な行動である。家庭的、社会的、制度的束縛と対峙し、それにぶつかっていく鮮烈な生は感動的でもある。特に野枝の生は、一貫している。

 だが、らいてうの場合は、この孫の目から見れば、たいへん内向的で、人の前で話もできないような人だったらしい(「はにかみやで人を恐れ、大きな声がでない・・」)。自らの内面を見つめながら、他方では現実をも忘れずに見つめている、だからこそ時に社会的活動に積極的に進み出て行った。特に戦後に於ける平和運動への積極的関わりは特筆すべきであろう。そしてらいとうが書き記した平和に関する論考は、現在でも十分に価値を持つ。

 らいとうは、こう記している。

「わたくしたちは、いつでも現実を視る鋭い眼と、はるかな未来を見通す長い眼と、心の内側を凝視する、かつて瞬をしたことのない深い眼とーこの三つの眼をもって生きたいと思います」(再引用 254頁)

 らいとうがもっていたこの三つの眼は、日本人がもつべきことなのであろう。この本を読み、らいてうの生き方、考え方にも興味を持ってしまった。

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思考の発展

2013-12-27 20:22:45 | 読書
 今ボクは『自由、それは私自身』という伊藤野枝の評伝を読んでいるが、今日、図書館から青鞜関係の本を5冊借りてきた。そのなかで、平塚らいてうの孫である奥村直史が著した『平塚らいてう』(平凡社現代新書)をすぐに読みはじめた。『自由、それは私自身』は後回しになった。

 それには、らいてうの生涯、孫の目から見た『青鞜』以後のらいてうが描かれているのだが、らいてうを描くなら当然にも彼女が書いたものを引用せざるを得ない。その引用文を読んでいて、ボクらが生きているこの「現代」を論じたものといってもよい文をしばしば発見する。

 近代日本の逸材が、日本のその時代その時代の「現状」について建設的な意見をたくさんたくさん記してきている。中江兆民、田中正造、吉野作造、石橋湛山など・・

 しかし彼らが情熱をこめて書いてきたことの多くが、いまだに実現していないし、その考え方が日本社会の中で一般化していない。

 科学技術は発展し、ボクらの生活を大きく変えてきているが、しかし一般の人々の思考は発展していない。発展どころか、過去へとさかのぼっているというしかないものもある。

 だから、ボクらはたとえすでに過去に論じられているものであっても、何度も何度も繰り返し言っていかなければならないのだと思う。

 人々は、理性的な思考のなかに生きているのではなく、生活に即した感情世界に生きているのである。

 とにかく、理念に生きる人は少ない。生活を成り立たせるカネに生きるのだ。ただ問題なのは、そのカネは、あればあるほどよい、もっともっとと要求が無限に拡大していくということだ。カネはある意味魔物である。

 カネという魔物が、平和とか民主主義とか、人権とか・・・そういうものを食い尽くしていく。思考も、魔物によって発展を抑えられる。

 かくて魔物に精神を支配された人間は、理想社会を築き上げることはできず、さまよい続ける。そのうちに、地球は破滅を迎えるのかもしれない。
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一喜一憂するな!

2013-12-27 17:20:12 | 政治
 沖縄県では、第1次安倍政権の時に、仲井真知事が誕生した。沖縄県民は、自民党が推す人物を知事として当選させたのである。だから、今回仲井真知事が辺野古への米軍基地新設のための埋め立てに合意したのは、既定の動きであったと、ボクは思う。

 仲井真知事当選後、普天間基地をめぐって本土移転などの動きが出、沖縄県民も本土移転を訴えるようになったのだが、しかしその後の選挙結果はそうした方向とは逆のものであった。さきの衆議院議員選挙の小選挙区選挙では、一つの区を除き、沖縄県民は自民党員を議員にしたのだ。宜野湾市長選その他についても、そう言わざるを得ない。

 沖縄の選挙結果をみれば、沖縄県民は、こういう結果になることを絶対阻止しようというものではなかった。基地問題だけで選挙は行われているわけではないという批判がなされるかも知れないが、しかし政治というのは権力の奪い合いでもある。誰に権力をふるわせるかはきわめて重大なのだ。自民党員が、あるいは自民党が推す人物が当選すれば、それは自民党の政策が実現しやすくなるのは当然であり、とりわけ沖縄では常に基地問題が争点になっているのだから、米軍基地問題以外の争点もあったという批判はあたらない。

 勿論ボクは、沖縄への米軍基地の集中、米軍基地に関わる害悪、辺野古新基地建設には明確に反対してきたし、今もその意思は変わっていない。

 日本国民が、たとえ民意を代表しないからといって、この選挙制度により現在の安倍政権を誕生させたのである。彼が悪政を展開するのは予想できたことである。

 安倍政権の政策に一喜一憂するべきではない。安倍政権への期待なんか最初からありえないのであるから、原発再稼働・推進、辺野古米軍基地新設、軍事拡大、靖国神社への参拝問題、憲法改悪・・・・・が進んだからといって失望しても始まらない。

 安倍政権の誕生、参議院議員選挙での自民党公明党の勝利、これらにより、もうすでに私たちは暗黒政治に入り込んでいるのだ。

 暗黒政治に抗して、光を取り戻す闘いを繰り広げるしかないのである。

 一喜一憂するな!
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差別

2013-12-27 07:24:49 | 政治
 安倍首相が靖国神社に参拝した。ボクは靖国神社には、日本の伝統から言って大きな問題をもつと思っている。
 しかし人々は、靖国神社の歴史やその創設の由来、どういう人が祀られているかなど、詳しいことを知ろうとしない。ただ、戦争で亡くなった人を慰霊するのがなぜ悪い、という単純な反応しかしない。下に掲げた『毎日新聞』記事でも、人々はそのようにコメントしている。
 なぜアメリカや中国、韓国などが問題にするのか、考えてみるべきである。

 だがその前に、考えるべきことはある。

 戦争で亡くなった人を祀るというが、戦争では敵と味方が必ず存在する。日本の伝統は、敵も味方も祀っていた。すべての死者を悼むということだ。ところが、靖国神社はそうではない。味方だけを祀る施設だ。明治維新の際の戊辰戦争時に、新政府側に立って亡くなった者たちだけを祀るところから靖国神社(もとは招魂社)は出発した。したがって、今年のNHKの大河ドラマ(見ていないけれど)の福島県(会津藩)の主人公たちは祀られていない。きわめて排他的な施設なのだ。

 そして戦争死。戦死というと、戦闘の場で亡くなった者というイメージがあるが、戦争では戦闘の場ではないところで死を迎える場面が無数にある。たとえば、アジア太平洋戦争末期、日本全土は米軍の空襲に曝された。落とされたひとつの爆弾で、兵士と民間人が亡くなったとする。すると、その兵士だけが靖国神社に祀られる。安倍首相は昨日の談話で「国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊」というが、あの当時「国のために」ほとんどの国民が戦争完遂のために生きていた。戦争で亡くなった民間人は、慰霊しなくても良いのか、という問題にもなる。

 その際しっかりと考えておくべきは、先の例に示したように、同じ爆弾で亡くなった兵士には「戦傷病者戦没者遺族等援護法」により補償されているが、民間人にはびた一文だされていない。国家との関係があった者だけ(たとえば公務員とか軍人・軍属など)に、遺族年金が支給されているのだ。

 日本国家は、日本国民を明確に「差別」しているのだ。ドイツでは、軍人であろうと民間人であろうと、戦争で亡くなった方にはきちんとした国家補償が差別なく行われている。


安倍首相靖国参拝:年の瀬に電撃 遺族や識者から批判も

毎日新聞 2013年12月26日 11時51分(最終更新 12月26日 13時37分)

 大勢の報道陣が見守るなか、参拝のため靖国神社に到着した安倍晋三首相(中央)=東京都千代田区の靖国神社で2013年12月26日午前11時32分、中村藍撮影
拡大写真 安倍晋三首相が政権発足1年を迎えた26日午前、靖国神社(東京都千代田区)を参拝した。中国、韓国との関係改善の見通しが立たず、政権周辺でも「年内参拝はないだろう」とみられていた中での電撃的な参拝。参拝を終えた安倍首相は「中韓の人々の気持ちを傷つける気は毛頭ない」と話したが、市民からは「なぜ今なのか」といった声が上がっている。【山本将克、町田結子、青島顕、袴田貴行】

 安倍首相は午前11時32分、靖国神社に到着した。上空には15機前後のヘリコプターが旋回。警備担当の警察官に守られながら後部座席の左側から車を降りた。服装は黒のモーニング姿で、拍手の中、日本遺族会の関係者と握手を交わし、背筋を伸ばしてやや大きな歩幅で本殿へ向かった。

 同56分、参拝を終え再び車に乗り込んだ安倍首相。約300人の報道陣に片手を上げて応じ、日の丸を持つなどした参拝者からは拍手とともに「よくやった、ありがとう」との声が上がった。

 毎日参拝に訪れるという近くの近藤孝子さん(70)は「やけに警察が多くてどうしたのかと思っていた。今日っていうのは知らなかった」。参拝については「首相が独自に決めたこと。中国や韓国との関係は今、あまりよくないけれど、あちらの考えに惑わされず、やっていいと思う」と話した。一方、成蹊高校在学中の安倍首相を教えた青柳知義さん(74)は「やってはならないこと。こんなに戦後民主主義や憲法の精神に無理解とは思わなかった。残念だ。事実上の国家神道の復活を狙いたいのだろうか」と話した。

 街でもさまざまな声が聞かれた。

 東京都杉並区の飲食店主、長尾学さん(34)は「なぜ今なのかが分からない。領土問題に加え、中国の防空識別圏設定や韓国の歴史認識問題などで中韓との関係がごたごたしている時に参拝すれば、いたずらに両国を刺激し、逆に相手へ外交カードを渡してしまうのでは」と懸念を示した。横浜市港北区の会社員、青山暁さん(33)は「個人が行くなら問題ないが、首相という公人としての立場を考えれば、日本の国益のため大局的な観点に立って判断してほしかった。石原慎太郎元東京都知事の尖閣購入発言の時のように、中国や韓国との関係が一層悪化するきっかけにならないように対処してほしい」と話した。

一方、長野県佐久市の会社員、野口尚人さん(35)は「国の指導者が祖国の戦没者を追悼するのはどこの国でもやっていることなので、特に問題ないのでは。中国や韓国の反発は心配だが、中韓のリーダーも祖国の戦没者を追悼する行為はするのだから、日本だけ問題視するのは身勝手な主張ではないか」と話した。東京都渋谷区の女性会社員(40)は「日本のために命を落とした戦没者に敬意を表するのは当然のことで、A級戦犯の合祀(ごうし)に関係なく行くべきだと思う。中国や韓国に文句を言われるから行かないというのはおかしいので、反発を受けたらそれにきちんと反論するくらいの毅然(きぜん)とした態度で臨んでほしい」と話した。
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