足の踏み場もない部屋を片付けた。だが、本や資料が多すぎて、床にあった本が机の上に移動しただけ。
大杉栄、伊藤野枝関係の資料は、買ってきた大きな袋の中に入れたのだが、『伊藤野枝全集』上下がない。ボクの本は、自宅だけではなく、実家と実家にある書庫に入っている。きっと実家のどこかに持って行ったのだろう。
年齢を重ねると、捜し物が多くなる。結局見つからなくて、同じ本を買い、しばらくして出てきたという経験は一度だけではない。
若い頃から、この世の森羅万象を理解しなくてはならないと思って生きてきた。だから、いろいろな分野の本があるが、もちろん歴史関係が最も多いけれども、現代政治に関わるものも多くある。政治関係の講演の依頼があるからだ。
市民に対する講座は、浜松市の各公民館(今年、協働センターと改名。アホだ!)でも行われているが、異なったテーマを同時並行的にとりあげて講師をされている方が複数いるが、よくできる!と驚く。一つのテーマで90分話すというのはきわめてたいへんな作業である。そのための準備は、膨大である。少なくとも、テーマに関する文献はできるだけ集めて読み込む。そしてそのなかで、ボク自身のオリジナリティをどういうところで出すか、新しい資料が発見されればよいのだが、そうでない場合はたいへんだ。しかし、頭の中をそれに関する知識でいっぱいにすると、何となくでてくるから不思議だ。
講演にしても、講座にしても、あるいは書くということに関しても、時間と金をできうる限り投入する、これがよい結果を生み出す。
ボクは、引き受けた場合、手抜きはしない。その代価(講師料など)が高かろうと安かろうと、それは関係ない。ボクが話し書くものは、その段階のボクの力そのものだ。
今ボクは、大杉と野枝で、頭をいっぱいにしなければならない。足元にある袋から、瀬戸内寂聴の『美は乱調にあり』を取り出した。読んで読んで読みまくるのだ。
そのためには、読書の浮気は慎まなければならないのだが、それがもっとも難しい。今も、片付けていたら『環』という雑誌を読み始めてしまった。小田実の特集号だ。小田実の人生に、ボクも遠くから伴走していた。ベトナム戦争その他諸々。
ボクの弔辞も、某誌に掲載されている。小田実を知ったときのままの志を持ち続けることを誓ったものだ。
さあ、片付けを続けよう。
大杉栄、伊藤野枝関係の資料は、買ってきた大きな袋の中に入れたのだが、『伊藤野枝全集』上下がない。ボクの本は、自宅だけではなく、実家と実家にある書庫に入っている。きっと実家のどこかに持って行ったのだろう。
年齢を重ねると、捜し物が多くなる。結局見つからなくて、同じ本を買い、しばらくして出てきたという経験は一度だけではない。
若い頃から、この世の森羅万象を理解しなくてはならないと思って生きてきた。だから、いろいろな分野の本があるが、もちろん歴史関係が最も多いけれども、現代政治に関わるものも多くある。政治関係の講演の依頼があるからだ。
市民に対する講座は、浜松市の各公民館(今年、協働センターと改名。アホだ!)でも行われているが、異なったテーマを同時並行的にとりあげて講師をされている方が複数いるが、よくできる!と驚く。一つのテーマで90分話すというのはきわめてたいへんな作業である。そのための準備は、膨大である。少なくとも、テーマに関する文献はできるだけ集めて読み込む。そしてそのなかで、ボク自身のオリジナリティをどういうところで出すか、新しい資料が発見されればよいのだが、そうでない場合はたいへんだ。しかし、頭の中をそれに関する知識でいっぱいにすると、何となくでてくるから不思議だ。
講演にしても、講座にしても、あるいは書くということに関しても、時間と金をできうる限り投入する、これがよい結果を生み出す。
ボクは、引き受けた場合、手抜きはしない。その代価(講師料など)が高かろうと安かろうと、それは関係ない。ボクが話し書くものは、その段階のボクの力そのものだ。
今ボクは、大杉と野枝で、頭をいっぱいにしなければならない。足元にある袋から、瀬戸内寂聴の『美は乱調にあり』を取り出した。読んで読んで読みまくるのだ。
そのためには、読書の浮気は慎まなければならないのだが、それがもっとも難しい。今も、片付けていたら『環』という雑誌を読み始めてしまった。小田実の特集号だ。小田実の人生に、ボクも遠くから伴走していた。ベトナム戦争その他諸々。
ボクの弔辞も、某誌に掲載されている。小田実を知ったときのままの志を持ち続けることを誓ったものだ。
さあ、片付けを続けよう。