浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

片付け

2013-12-25 17:41:08 | 日記
 足の踏み場もない部屋を片付けた。だが、本や資料が多すぎて、床にあった本が机の上に移動しただけ。

 大杉栄、伊藤野枝関係の資料は、買ってきた大きな袋の中に入れたのだが、『伊藤野枝全集』上下がない。ボクの本は、自宅だけではなく、実家と実家にある書庫に入っている。きっと実家のどこかに持って行ったのだろう。

 年齢を重ねると、捜し物が多くなる。結局見つからなくて、同じ本を買い、しばらくして出てきたという経験は一度だけではない。

 若い頃から、この世の森羅万象を理解しなくてはならないと思って生きてきた。だから、いろいろな分野の本があるが、もちろん歴史関係が最も多いけれども、現代政治に関わるものも多くある。政治関係の講演の依頼があるからだ。

 市民に対する講座は、浜松市の各公民館(今年、協働センターと改名。アホだ!)でも行われているが、異なったテーマを同時並行的にとりあげて講師をされている方が複数いるが、よくできる!と驚く。一つのテーマで90分話すというのはきわめてたいへんな作業である。そのための準備は、膨大である。少なくとも、テーマに関する文献はできるだけ集めて読み込む。そしてそのなかで、ボク自身のオリジナリティをどういうところで出すか、新しい資料が発見されればよいのだが、そうでない場合はたいへんだ。しかし、頭の中をそれに関する知識でいっぱいにすると、何となくでてくるから不思議だ。

 講演にしても、講座にしても、あるいは書くということに関しても、時間と金をできうる限り投入する、これがよい結果を生み出す。

 ボクは、引き受けた場合、手抜きはしない。その代価(講師料など)が高かろうと安かろうと、それは関係ない。ボクが話し書くものは、その段階のボクの力そのものだ。

 今ボクは、大杉と野枝で、頭をいっぱいにしなければならない。足元にある袋から、瀬戸内寂聴の『美は乱調にあり』を取り出した。読んで読んで読みまくるのだ。

 そのためには、読書の浮気は慎まなければならないのだが、それがもっとも難しい。今も、片付けていたら『環』という雑誌を読み始めてしまった。小田実の特集号だ。小田実の人生に、ボクも遠くから伴走していた。ベトナム戦争その他諸々。

 ボクの弔辞も、某誌に掲載されている。小田実を知ったときのままの志を持ち続けることを誓ったものだ。

 さあ、片付けを続けよう。
 

 
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地獄は見えている

2013-12-25 07:40:24 | 政治
 非民主的な選挙制度と国民の多くが棄権したことで、自民党・公明党が衆議院でも参議院でも多数派になったことから、政治に節度というものがなくなっている。

 自民党のなかでも、決して知的とは言えない人々が政権の中枢に入り、自分たちがしたいことを、今のうちにすべてやってしまおうという魂胆だ。彼らがどういう日本をつくりあげようとしているかを、たとえば自民党憲法草案をみると空恐ろしくなるのだが、それでも世論調査の結果は安倍政権支持が50%を超える。

 国民は、政治なんかにまったく興味関心を抱いていないようだ。日々の、たとえば『中日新聞』などが、政治の問題点を厳しく書いてはいるが、国民は頓着していない。

 今日の2014年度予算案の報道をみると、まったく節度というものがなく、自分たちのやりたい放題で、遠慮というものがまったくない。

 たとえば沖縄県民が強く反対している普天間基地の移転問題。日米政府が想定している辺野古移転案は、移転ではなく、まさしく新基地の建設だ。反対が強いので、札束で沖縄県民をだまらせようとしている。沖縄に、2021年度まで毎年3000億円を投入するというのだ。

 沖縄が日本に返還されてから、沖縄には多額の振興予算が投入されてきた。その結果、沖縄の自然は破壊され、本土資本によるリゾート開発が進められてきた。しかしだからといって、沖縄経済は自立できず、逆に本土からのそうしたカネに依存する体質へと変えられた。今でも、沖縄県民の生活水準は低く、雇用状況も悪い。そうした沖縄、つまり沖縄の自立的な経済をつくらせないでおいて本土、とくに政府の投資に依存させる構造をつくりあげ、アメリカ政府の要請には素直に応えながら、反対が多ければ札束で沖縄県民の一部の人々の頬を撫でる。多くの人は理念ではなく、目の前にちらつく札束になびく。人間の俗的部分を肥大化させることにより、目的を実現するという政策は、一面人間性を破壊する、破壊してもいい、という政府の姿勢には、ボクは「悪」をみる。すくなくとも、彼ら政治家や官僚には、倫理や道徳はない。

 だがそういう輩が倫理や道徳を説こうというのだ。今回の予算でも、「道徳教育の抜本的改善と充実」ということで、14億円を投入する。倫理や道徳をないがしろにしている者こそ道徳を説くことを、ボクは知っている。彼らにとっての道徳とは、他人への思いやりとかそういうことではなく、力ある者に対して従順になれというものでしかない。つまり子どもたちを奴隷化する政策なのだ。

 そうした従順な国民を育てながら、そうそのために政府の広報予算として65億円も使って自分たちの悪政を宣伝によってごまかしながら、軍事費を増額して海外で米軍と共に軍事行動をとらせようとする。自分は戦争に行かない奴らが、戦争をする国家こそがあるべき国家であるという時代遅れの認識で、みずからのどす黒い野望を遂げようとする。その背景には、日本の軍需産業の欲求とそれにつながる利権がある。

 これほどまでに日本政府はどす黒くなっているのに、これほどまでに国民を愚弄しているのに、愚弄されている人々は、「安倍ちゃーん」などといって騒いでいる。喜劇だ、いや悲劇だ。

 これほどまでに、21世紀に生きる日本人は、はっきり言おう、愚かになった。愚かな人々のまえに敷かれた絨毯は、地獄へと導かれている。その地獄は、もう見えている。

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