あの事件が起きた後、「我々もシャルリ・エブドだ」と、フランスをはじめ全世界で同じようなスローガンが掲げられた。
テロの凶弾に倒れたジャーナリスト、その凶弾を発射した者たちへの抗議である。だが、なぜシャルリ・エブドのこの襲撃事件だけに、このような対応が生じたのかを、深く考える必要がある。
N.チョムスキーは、1999年4月24日のことを示す。NATO軍が、セルビア国営放送に対してミサイル攻撃を行った。その攻撃により、16人のジャーナリストが殺されている。しかし、それに対する抗議活動はなかった。むしろその攻撃は、ミロシェヴィッチ政権を破壊するための作戦として賞賛されたのだ。
セルビア国営放送に、おそらく勤務していたジャーナリストは、殺されるべき者たちであったのだろうか。アメリカやNATOの「敵」とされた地域に住んでいたから、あるいは「敵国」の一員であったから、殺されても仕方がなかったのだろうか。
明確にしなければならない。住む国によって、或いはアメリカなど西欧諸国の側にいない者たちは、殺されても抗議が為されない世界に、ボクたちはいるということだ。
これは「区別」なのか、それとも「差別」なのか。あきらかに「差別」であるだろう。
日々の生活を生きていくなかで、過ぎ去ったことなんか考えたりしない、何らかの事件が起きたときは何事かを思うのだろうが、しかしそれらは過去の屑箱に投げ入れられて、再び手にすることはない。
しかし、しばらくたってから、考える習慣は必要だろう。
この臨増には、そのための素材がたくさんある。
ジジェクは、この雑誌に掲載されている論文ではなく、下記のサイトで様々な例を挙げている。
http://www.lrb.co.uk/2015/02/05/slavoj-zizek/in-the-grey-zone
‘We all live in Sarajevo!’ or ‘We are all in Gaza!
We are all from Baga!’ (For those who don’t know: Baga is a small town in the north-east of Nigeria where Boko Haram executed two thousand people.)
ボクたちは、あまりにも知らなさすぎる。知らないから、みずからの認識を相対化できない。世界でどのようなことが起きているのかを、知らなければならない。
テロの凶弾に倒れたジャーナリスト、その凶弾を発射した者たちへの抗議である。だが、なぜシャルリ・エブドのこの襲撃事件だけに、このような対応が生じたのかを、深く考える必要がある。
N.チョムスキーは、1999年4月24日のことを示す。NATO軍が、セルビア国営放送に対してミサイル攻撃を行った。その攻撃により、16人のジャーナリストが殺されている。しかし、それに対する抗議活動はなかった。むしろその攻撃は、ミロシェヴィッチ政権を破壊するための作戦として賞賛されたのだ。
セルビア国営放送に、おそらく勤務していたジャーナリストは、殺されるべき者たちであったのだろうか。アメリカやNATOの「敵」とされた地域に住んでいたから、あるいは「敵国」の一員であったから、殺されても仕方がなかったのだろうか。
明確にしなければならない。住む国によって、或いはアメリカなど西欧諸国の側にいない者たちは、殺されても抗議が為されない世界に、ボクたちはいるということだ。
これは「区別」なのか、それとも「差別」なのか。あきらかに「差別」であるだろう。
日々の生活を生きていくなかで、過ぎ去ったことなんか考えたりしない、何らかの事件が起きたときは何事かを思うのだろうが、しかしそれらは過去の屑箱に投げ入れられて、再び手にすることはない。
しかし、しばらくたってから、考える習慣は必要だろう。
この臨増には、そのための素材がたくさんある。
ジジェクは、この雑誌に掲載されている論文ではなく、下記のサイトで様々な例を挙げている。
http://www.lrb.co.uk/2015/02/05/slavoj-zizek/in-the-grey-zone
‘We all live in Sarajevo!’ or ‘We are all in Gaza!
We are all from Baga!’ (For those who don’t know: Baga is a small town in the north-east of Nigeria where Boko Haram executed two thousand people.)
ボクたちは、あまりにも知らなさすぎる。知らないから、みずからの認識を相対化できない。世界でどのようなことが起きているのかを、知らなければならない。