工事現場の「テロ警戒中」という看板は、2001年以降掲げられてきた。アメリカの「テロとの戦争」に全面的に賛同の意を表した日本政府が推進してきたものだ。
だが西谷氏は、「テロとの戦争」には根本的な誤りがあるという。
人質事件で言うならば、テロリストというのは交渉しなくてよい相手につける名前です。テロリストには人格も代表権も認められない。それは殲滅すべき対象でしかありません。しかし、そうなると交渉さえ成りたたないということになります。テロリストという概念自体が、そう名をつけることですべてが正当化されるという罠、装置だということです。これは使いはじめたら政治が腐る、そういう性格を持つ最悪の罠です。
ところが、この罠をアメリカは9・11以降ずっと使ってきて、それをほとんどの世界が受け入れ、21世紀の戦争のかたちとしてしまった。そして戦争が、国家間の行為ではなく、テロリストを相手にした国家の一方的な軍事行動へとかたちを変えてしまった。テロリストは当事者として認められないが、テロと戦う国家には当事者としての権利がある。この非対称の構図のなかで、責任を持つ主体がいなくなってしまった。責任を担うどころか、異物の抹殺の全権利を主張する国家と、一切を認められないテロリストとの間の軍事衝突がいまの戦争なのです。
グローバル秩序を維持していく安全保障体制が必要だというロジックは存在しますが、そこで出てくるのは強い国の一方的な軍事力という暴力でしかない。それが国際的に認められるということ自体が根本的な間違いだということですし、この暴力によってどれだけのまつろわぬ犠牲が出たことか。そして、それが正当化されてきたことか。
このようなイスラム原理主義、「テロリスト」と呼称される群衆が力を持たないようにするにはどうしたらよいか。
栗田さんは、「非暴力で訴える」、「民衆が街路を埋め尽くして、民主主義や社会的公正を求めるとき、テロリスト集団は太陽に照らされた雪のように溶けて消えてしまう」という。
その通りだと思う。
だが西谷氏は、「テロとの戦争」には根本的な誤りがあるという。
人質事件で言うならば、テロリストというのは交渉しなくてよい相手につける名前です。テロリストには人格も代表権も認められない。それは殲滅すべき対象でしかありません。しかし、そうなると交渉さえ成りたたないということになります。テロリストという概念自体が、そう名をつけることですべてが正当化されるという罠、装置だということです。これは使いはじめたら政治が腐る、そういう性格を持つ最悪の罠です。
ところが、この罠をアメリカは9・11以降ずっと使ってきて、それをほとんどの世界が受け入れ、21世紀の戦争のかたちとしてしまった。そして戦争が、国家間の行為ではなく、テロリストを相手にした国家の一方的な軍事行動へとかたちを変えてしまった。テロリストは当事者として認められないが、テロと戦う国家には当事者としての権利がある。この非対称の構図のなかで、責任を持つ主体がいなくなってしまった。責任を担うどころか、異物の抹殺の全権利を主張する国家と、一切を認められないテロリストとの間の軍事衝突がいまの戦争なのです。
グローバル秩序を維持していく安全保障体制が必要だというロジックは存在しますが、そこで出てくるのは強い国の一方的な軍事力という暴力でしかない。それが国際的に認められるということ自体が根本的な間違いだということですし、この暴力によってどれだけのまつろわぬ犠牲が出たことか。そして、それが正当化されてきたことか。
このようなイスラム原理主義、「テロリスト」と呼称される群衆が力を持たないようにするにはどうしたらよいか。
栗田さんは、「非暴力で訴える」、「民衆が街路を埋め尽くして、民主主義や社会的公正を求めるとき、テロリスト集団は太陽に照らされた雪のように溶けて消えてしまう」という。
その通りだと思う。