浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】堀田善衛・武田泰淳『私はもう中国を語らない』(朝日新聞社、1973年)

2015-03-29 11:04:53 | 
 本はどんどん出版される。なかには良い本も多く、それについていくのがやっとであるが、古い本にもよいものがある。この本もその一つ。

 なかでも、なるほどと思ったのは、次のこと。

 武田泰淳は中国戦線にも行ったことがある。中国についてはかなり詳しい。中国語もできる。その彼がこういうのだ。

 中国は何度も他民族に支配されたことがある。漢民族は、たとえば清の時代なら満洲族を表面的に敬っていればよく、実は自分たちの考えでやっていけば良い、それで済むという考え方だという。他民族による支配を何度も経験しているから、他民族に対する対し方の訓練ができている、したたかさをもっているというわけだ。己を空しくすることもないのだ。

 ところが日本は運良く、今まで他民族に支配されたことがない。だからその意味で「処女」なのだ、初めてアメリカに「強姦」されたその結果、政治家にも「だらしのない」奴がたくさんでてきた、と。

 なるほど初めて支配されたので、それ以後ずっと一貫して、日本は己を空しくし、アメリカの「属国」となって忠勤を励んでいる。

 それから武田は、「武器を持つと、ふつうの心理とはまったくちがったものになってしまう」と言う。それを受けて堀田は、「銃を持っていない人間は、自分たちの仲間ではない」として相対する、と。そして武田。「それは日本人がことにひどいと思うんだ。とうのはね、日本人というのは、いつでも外国人を恐れていて、おびえているんだな。そのおびえが反対に軽蔑するような形で現れてね、恐ろしいからやっつけるんですよ」。

 武器を持ったことがないから何とも言えないが、武器を持つと人間は変わるんだろうなという想像はつく。そして外国人に対する「おびえ」か。

 その「おびえ」は、実際には、白人に対する劣等感、有色人種に対する優越感となって現れるのだろうか。

 図書館で借りた本である。


 
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and and and  ・・・・・・

2015-03-29 01:36:04 | 
 武田泰淳、堀田善衛の対談本、『私はもう中国を語らない』(朝日新聞社、1973年)を読んだ。これも辺見庸の文に紹介されていたから読んだ。

 そのなかにこういう文があった。

 木下順二君の説によりますとね、and・・ and・・でやってゆくのはストーリーだというんです。because・・・ because・・・でつないでゆくのがプロットだ、というんです。プロットというのは、なんと訳したらいいかな。構造のあるもの、筋立て、ですか。

 ここの部分を読んでいて、分かった気がした。というのは、最近歴史の研究発表を聴いていたとき、and・・ and・・だけでつないでいるような気がしてならなかった。こういう事実があった、こういう事実があった、こういう事実があった・・・・・・しかし、そういう研究で良いのだろうか。その事実に、どのような意味や意義があるのか、をボクはどうしても問いたくなるのだ。


 ボクはそういう研究を“ベタ実証”と呼ぶのだが、要するに問題意識がきちんと鋭角的になっていないのだ。何を明らかにするつもりなのかが不鮮明だと、どうしてもベタ実証になってしまう。最初の問題意識が鮮明だと、どうしてもこれについて考察を加えて論点を明確にしたいという欲求がでてくるから、無数の事実から何を選択するかが明確になるし、事実と事実とのつながりが意味を持つようになってくるのだ。

 ボクは、何かを書いたり、研究したいという人に言うことのまず第一は、問題意識を鮮明にせよ、ということである。何を明らかにしたいのか、何を主張したいのかが明確なら、その文は構造を持つようになると思うからだ。

 もちろん、その問題意識の中には、何のために、も当然入ってくる。

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銅像(2)

2015-03-29 00:48:02 | 日記
 志賀直哉の「銅像」について、続ける。志賀は、今日の日本のありさまを想像していたかもしれない。以下に掲げたように記している。

 日本人は、戦争の記憶、戦争の記録を忘れ、あるいは直視せずに、「熱さ」を忘れてしまっているようだ。「第二の東条英機」も出現している。歴史の真実をきちんと記憶していくこと、それが肝要なのだ。志賀直哉は、まっとうなことを書く。

 扨て、我が国でも百年、二百年経ち国民が喉元の熱さを忘れた時、どんな歴史家が異を立てて、東条英機を不世出の英雄に祭上げないとは限らぬ。東条は首相の頃、「自分のする事に非難のある事も承知している。然し自分は後世史家の正しい判断を待つよりないと思っている」かう云っていたと云ふ。その後新聞で同じ事を云っているのを読んで、滑稽にも感じ、不愉快にも思った。吾々は秀吉の愚挙を漫然壮図と考へたのだから、西は印度、南は濠州まで攻め寄せた戦争を、その結果を忘れて、自慢の種にする時が来ないとは云へない気がする。自慢の種にするだけなら差し支へないが、第二の東条英機に出られるやうな事は絶対に防がねばならぬ。

 この予防策として、東条英機の大きな銅像、それも英雄東条英機ではなく、今、吾々が彼に感じている卑小なる東条英機を如実に表現した銅像を建てるがいいと思ふ。台座の浮き彫りには空襲、焼け跡、餓死者、追い剥ぎ、強盗、それに進駐軍、その他いろいろ現はすべきものがあらう。そして柵には竹槍。かくして日本国民は永久に東条英機の真実の姿を記憶すべきである。


 「真実の姿」を忘れぬよう、日本ではほんとうにたくさんの銅像を建てなければならない。東条のような人物が、日本の歴史をひもとくと、次々と出現してきているからだ。

 銅像だらけにならないように、何とかしなければならない。
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