浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】『東京大空襲訴訟原告団報告集ー援護法制定をめざして』(同原告団)

2015-03-14 16:15:20 | 近現代史
 1945年3月10日の東京大空襲は、残酷なジェノサイドのような空襲であった。まず四角形に焼夷弾を投下して火炎をつくり、そしてその四角形のなかを絨毯をつくるように焼夷弾を投下していく。その四角形のなかで、強い風と炎にまかれ、そして焼かれ、酸欠などにより無数の命が奪われた。この空襲については、著者本人も被災した早乙女勝元氏によって『東京大空襲』(岩波新書)、『東京が燃えた日』(岩波ジュニア新書)などによって明らかにされている。
 しかしもちろん、その空襲によって何人の命が奪われたのかはわからない。全国どこでも、実際の死傷者数は明らかになっていない。

 さて、この訴訟であるが、こういう事実である。兵役にある者とそうでないものが、投下された焼夷弾による火事の消火活動をしていたが、二人とも犠牲になった。戦後、同じ状況で、同じ日本人が犠牲になったのに、前者には補償があり、後者にはないという事実がある。つまり、日本での戦争補償は、国家と契約関係にあった者だけになされているのだ。あの「御国を守る戦士」とされ、「銃後の守り」を託されて命をなくした人々には、補償はなされなかったのである。

 戦後、日本政府は軍人・軍属には総額54兆円余の補償をしてきたのに、民間人の空襲被害者には、いっさいの援助も補償もしてこなかった。ドイツなどヨーロッパ諸国は、軍人・非軍人にかかわらず補償しているのに、日本ではいっさいされないできた。

 その理由について日本政府は、「戦争被害受忍論」を唱えている。

およそ戦争という国の存亡をかけた非常事態の下においては国民がその生命・身体・財産等について、その犠牲を余儀なくされたとしても、それは国をあげての「一般犠牲」として、すべて国民が等しく受忍しなければならない。

 アアこの論理は、今も健在だ。国策として行ってきた原発政策によって事故が起き、放射能がばらまかれた、しかしこれは国策で行ってきたことだから、「一般犠牲」として、すべて国民が等しく受忍しなければならない、という事実としての論理。

 ここから導き出されるのは、政策担当者の無責任(「国家無答責」)である。
 わが日本は戦前も戦後も変わっていない、ということでもある。

 この訴訟の原告たちは、もちろん高齢である。戦後70年を苦しみながら生き抜いてきた。しかし日本国家は、今も冷酷に振る舞っている。それを日本国民が許容しているからである。
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敵の敵は味方

2015-03-14 12:55:02 | 政治
 在日米軍は、アメリカの思考である「敵の敵は味方」という論理で、沖縄平和運動センターの山城博治議長がアメリカ軍に雇われた警備員に「私人逮捕」されたその時の様子を米軍基地側から撮影した映像を、ネトウヨに提供しているようだ。

 http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-2066.html

 所詮アメリカってそういう国家であることを知らねばならない。
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静岡県の教育長人事

2015-03-14 08:42:21 | 日記
 川勝静岡県知事が、教育長として高木桂藏静岡県立大学名誉教授をあてようとしているが、疑義が出されて紛糾している。

 うろ覚えで申し訳ないが、以下の経緯がある。
 静岡県立大学開学準備の過程で、辻村明氏が開学の準備会の座長となり、他方高橋徹氏も県立大学に関係することとなった。両氏とも東京大学文学部社会学科の教授であった。彼らが教員を招聘することとなり、辻村氏はどちらかというと右派系の、高橋氏が左派系の研究者を呼び集め、高木氏は辻村氏から呼ばれたということを聞いている。高橋氏が招聘したのが、前坂俊之氏であった。

 なぜ高木氏に疑義が出されているかは知らないが、学問的には注目される人ではない。しかし、教育委員会の教育長という職は、高等学校の校長などの経験者(とくに静岡高校など)の天上がりポストであり、その教育行政は、実質的には文科省の方針を踏襲するものであった。

 今回は、県知事の考え方を教育行政に生かしていく人物が教育長に就任する(「政教一致」=政治と教育の一致、教育の独立性は消える)ようになった。川勝知事と高木氏とが「一致」するのだが、いったいどういうことで「一致」するのであろうか。
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強行

2015-03-14 08:22:00 | 政治
 ヒドイ話。現在の日本、私有財産が保障されることは当たり前の社会であるはずだ。しかし日本では、政治権力が、そんなことはおかまいなしに、勝手なことをする。これでは封建社会と同じである。

 福島。あの原発被害で自宅から離れざるを得なくなった人々がいる。自宅があったところ、日々農作業をし、平和な日常を過ごしていたところ、そこに福島県内の汚染土が運び込まれるという。だけどその土地や田畑は、まだ所有している。にもかかわらず、政府・環境省は、汚染土を運び込んだ。

 ひょっとしたらもう自宅に戻れない、4年前の日常が帰ってこないかもしれない。だから新しい土地で生きていくしかないかもしれない。あの土地を売っても良い。

 だが驚くべきことに、政府から提示された価格は、4年前、事故前の水準の半分程度だという。あまりにひどいではないか。

 政府・東電が事故を引き起こし、周辺を汚染しまくり、その結果土地価格は下がったから、その価格で売ってくれだって?

 これって、法治国家ではない!日本国憲法の第29条はこうなっている。

○1  財産権は、これを侵してはならない。
○2  財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
○3  私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。


 「正当な補償」のないままに、売ってもいない土地に汚染土が運び込まれる。これを権力の横暴と呼ばずして何と呼ぼう。

 これが、日本の政府だ。


 
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