1945年3月10日の東京大空襲は、残酷なジェノサイドのような空襲であった。まず四角形に焼夷弾を投下して火炎をつくり、そしてその四角形のなかを絨毯をつくるように焼夷弾を投下していく。その四角形のなかで、強い風と炎にまかれ、そして焼かれ、酸欠などにより無数の命が奪われた。この空襲については、著者本人も被災した早乙女勝元氏によって『東京大空襲』(岩波新書)、『東京が燃えた日』(岩波ジュニア新書)などによって明らかにされている。
しかしもちろん、その空襲によって何人の命が奪われたのかはわからない。全国どこでも、実際の死傷者数は明らかになっていない。
さて、この訴訟であるが、こういう事実である。兵役にある者とそうでないものが、投下された焼夷弾による火事の消火活動をしていたが、二人とも犠牲になった。戦後、同じ状況で、同じ日本人が犠牲になったのに、前者には補償があり、後者にはないという事実がある。つまり、日本での戦争補償は、国家と契約関係にあった者だけになされているのだ。あの「御国を守る戦士」とされ、「銃後の守り」を託されて命をなくした人々には、補償はなされなかったのである。
戦後、日本政府は軍人・軍属には総額54兆円余の補償をしてきたのに、民間人の空襲被害者には、いっさいの援助も補償もしてこなかった。ドイツなどヨーロッパ諸国は、軍人・非軍人にかかわらず補償しているのに、日本ではいっさいされないできた。
その理由について日本政府は、「戦争被害受忍論」を唱えている。
およそ戦争という国の存亡をかけた非常事態の下においては国民がその生命・身体・財産等について、その犠牲を余儀なくされたとしても、それは国をあげての「一般犠牲」として、すべて国民が等しく受忍しなければならない。
アアこの論理は、今も健在だ。国策として行ってきた原発政策によって事故が起き、放射能がばらまかれた、しかしこれは国策で行ってきたことだから、「一般犠牲」として、すべて国民が等しく受忍しなければならない、という事実としての論理。
ここから導き出されるのは、政策担当者の無責任(「国家無答責」)である。
わが日本は戦前も戦後も変わっていない、ということでもある。
この訴訟の原告たちは、もちろん高齢である。戦後70年を苦しみながら生き抜いてきた。しかし日本国家は、今も冷酷に振る舞っている。それを日本国民が許容しているからである。
しかしもちろん、その空襲によって何人の命が奪われたのかはわからない。全国どこでも、実際の死傷者数は明らかになっていない。
さて、この訴訟であるが、こういう事実である。兵役にある者とそうでないものが、投下された焼夷弾による火事の消火活動をしていたが、二人とも犠牲になった。戦後、同じ状況で、同じ日本人が犠牲になったのに、前者には補償があり、後者にはないという事実がある。つまり、日本での戦争補償は、国家と契約関係にあった者だけになされているのだ。あの「御国を守る戦士」とされ、「銃後の守り」を託されて命をなくした人々には、補償はなされなかったのである。
戦後、日本政府は軍人・軍属には総額54兆円余の補償をしてきたのに、民間人の空襲被害者には、いっさいの援助も補償もしてこなかった。ドイツなどヨーロッパ諸国は、軍人・非軍人にかかわらず補償しているのに、日本ではいっさいされないできた。
その理由について日本政府は、「戦争被害受忍論」を唱えている。
およそ戦争という国の存亡をかけた非常事態の下においては国民がその生命・身体・財産等について、その犠牲を余儀なくされたとしても、それは国をあげての「一般犠牲」として、すべて国民が等しく受忍しなければならない。
アアこの論理は、今も健在だ。国策として行ってきた原発政策によって事故が起き、放射能がばらまかれた、しかしこれは国策で行ってきたことだから、「一般犠牲」として、すべて国民が等しく受忍しなければならない、という事実としての論理。
ここから導き出されるのは、政策担当者の無責任(「国家無答責」)である。
わが日本は戦前も戦後も変わっていない、ということでもある。
この訴訟の原告たちは、もちろん高齢である。戦後70年を苦しみながら生き抜いてきた。しかし日本国家は、今も冷酷に振る舞っている。それを日本国民が許容しているからである。