戦前、国家による学問弾圧事件の際、大学の教授会が一定の抵抗を示すことがあった。もちろん強権的な抑圧に抵抗を貫徹することはできなかったが、しかしそれでも戦前における「大学の自治」を守ろうとした行動として歴史的に評価された事件である。
そして戦後、日本国憲法の下では、大学の自治は当然のものとしてあった。それは戦前に繋がる教授会の自治という面が強かったが、1970年代初めには、全構成員による自治という観点から、学長選挙に学生の投票結果が参照されるような大学も出て来た。
『法律時報』という、日本評論社が発行している雑誌があるが、その臨時増刊号に『大学の自治』というものがあったことが思い出される。
しかし今、大学の自治は消えている。国立大学が法人化され、学校教育法が改悪されるなど、大学の自治を法的に支えるものはなくなった。教員たちも大学の自治に無関心となって、文科省のお達し通りの動きをするようになった。
文科省は、もうほぼ完全に大学をみずからの支配下に置くようになった。 大学への補助金を削り、もっと欲しければ言うことを聞きなさいという政策をとるようになった。大学はカネを求めて、犬のように尾を振るようになった。犬はワンワンと吠えるが、大学はカネ、カネという。大学は文科省からの天下り官僚を求め、教授にしたり学長にしたりして、もっとも目立つように尾を振りつつけるのだ。犬となった大学は、文科省のイヌを招き入れるのだ。
そして今度は、大学が自主的に、文科省の方針を率先して実施するなら、もっとカネをあげるぞと嘲笑しながら札束を見せる。大学は、「はい、やらせていただきます」と平身低頭して札束に手を伸ばす。
今日の『毎日新聞』夕刊の記事。「大学改革:国補助金で促進 最低評価は半減、淘汰加速も」がそれを伝える。
http://mainichi.jp/shimen/news/20150316dde001100072000c.html
日本は「大日本帝国」の時代よりも後退している。
そして戦後、日本国憲法の下では、大学の自治は当然のものとしてあった。それは戦前に繋がる教授会の自治という面が強かったが、1970年代初めには、全構成員による自治という観点から、学長選挙に学生の投票結果が参照されるような大学も出て来た。
『法律時報』という、日本評論社が発行している雑誌があるが、その臨時増刊号に『大学の自治』というものがあったことが思い出される。
しかし今、大学の自治は消えている。国立大学が法人化され、学校教育法が改悪されるなど、大学の自治を法的に支えるものはなくなった。教員たちも大学の自治に無関心となって、文科省のお達し通りの動きをするようになった。
文科省は、もうほぼ完全に大学をみずからの支配下に置くようになった。 大学への補助金を削り、もっと欲しければ言うことを聞きなさいという政策をとるようになった。大学はカネを求めて、犬のように尾を振るようになった。犬はワンワンと吠えるが、大学はカネ、カネという。大学は文科省からの天下り官僚を求め、教授にしたり学長にしたりして、もっとも目立つように尾を振りつつけるのだ。犬となった大学は、文科省のイヌを招き入れるのだ。
そして今度は、大学が自主的に、文科省の方針を率先して実施するなら、もっとカネをあげるぞと嘲笑しながら札束を見せる。大学は、「はい、やらせていただきます」と平身低頭して札束に手を伸ばす。
今日の『毎日新聞』夕刊の記事。「大学改革:国補助金で促進 最低評価は半減、淘汰加速も」がそれを伝える。
http://mainichi.jp/shimen/news/20150316dde001100072000c.html
日本は「大日本帝国」の時代よりも後退している。