『宰相A』は小説である。書いたのは田中慎弥。芥川賞作家である。おそらく「宰相A」は、安倍首相である。内容は、安倍首相が創造したい国家ができあがった後の時点、その時点を描く。そしてその時点でも、安倍首相は「宰相」なのだ。
この小説は、アイロニーに富む。アイロニーとっても、それはどうやら「ロマン的イロニー」である。
さて主人公Tは、母の墓参りのためにO町に行く。駅に降りて改札口をでようと思ったとき、そこが別世界だと気づく。そこに住む人々は、緑色の制服を着て英語を話す、姿形はアングロサクソン。それなのに、彼らはみずからを日本人と自称する。
Tは日本軍に拉致される。その日本軍を擁する日本国は、「民主国家」である。その「民主国家」はアメリカとともに戦争をしているのだ。
「世界は我が国のように正義と民主主義が確立されたばかりではありません。そこでアメリカ主導のもと、他の同盟国の協力も得て、戦争主義的世界的平和主義の精神を掲げ、横暴な反民主主義国家に対し、平和的民主主義的戦争を行っている」
そしてその日本国の宰相は、「旧日本人」、つまりアジア系の人間が宰相になってるのだ。「旧日本人」にも受けが良いように、日本人的な精神をもった「旧日本人」たる日本人を宰相にしたのである。その宰相は、
緑の服を着た六十くらいの男が現れる。いわゆる旧日本人、つまり日本人だ。中央から分けた髪を生え際から上へはね上げて固めている。白髪は数えられるくらい。眉は濃く、やや下がっている目許は鼻とともにくっきりとしているが、下を見ているので、濃い睫に遮られて眼球は見えない。俯いているためだけでなく恐らくもともとの皮膚が全体的にたるんでいるために、見た目は陰惨だ。何か果たさねばならない役割があるのに能力が届かず、そのことが反って懸命な態度となって表れている感じで、健気な印象さえある。
そして宰相は、テレビで演説する。
「我が国とアメリカによる戦争は世界各地で順調に展開されています。いつも申し上げる通り、戦争こそ平和の何よりの基盤であります。戦争という口から平和が流れるのです。戦争の器でこそ中身の平和が映えるのです。戦争は平和の偉大なる母であります。両者は切手も切れない血のつながりで結ばれています。健全な国家には健全な戦争が必要であり、戦争が健全に行われてこそ平和も健全に保たれるのです。」
「我々は戦争の中にこそ平和を見出せるのであります。戦争を通じてのみ平和を構築出来るのであります。平和を搔き乱そうとする諸要素を戦争によって殲滅する、これしかないのです。(中略)最大の同盟国であり友人であるアメリカとともに全人類の夢である平和を求めて戦う。これこそが我々の掲げる戦争主義的世界的平和主義による平和的民主主義的戦争なのであります。」
そしてその日本社会は、国家至上主義のオーウェルの『1984年』を彷彿とさせるものだ。
作家Tは、抵抗的な姿勢を見せるが、結局は日本という国家で、国家のお墨付きを得て、国家のための作品を書くようになる。しかしなぜ自分がそうなったのかはわからない。その経過の記憶は、消されているのだ。
まさに安倍首相の妄想のなかにある国家社会が実現してしまった後の世界が描かれているといってもよいだろう。
イロニーでもあり、警告でもある。
なおこの作品は単行本となっているようだが、『新潮』2014年10月号に全文掲載されている。
この小説は、アイロニーに富む。アイロニーとっても、それはどうやら「ロマン的イロニー」である。
さて主人公Tは、母の墓参りのためにO町に行く。駅に降りて改札口をでようと思ったとき、そこが別世界だと気づく。そこに住む人々は、緑色の制服を着て英語を話す、姿形はアングロサクソン。それなのに、彼らはみずからを日本人と自称する。
Tは日本軍に拉致される。その日本軍を擁する日本国は、「民主国家」である。その「民主国家」はアメリカとともに戦争をしているのだ。
「世界は我が国のように正義と民主主義が確立されたばかりではありません。そこでアメリカ主導のもと、他の同盟国の協力も得て、戦争主義的世界的平和主義の精神を掲げ、横暴な反民主主義国家に対し、平和的民主主義的戦争を行っている」
そしてその日本国の宰相は、「旧日本人」、つまりアジア系の人間が宰相になってるのだ。「旧日本人」にも受けが良いように、日本人的な精神をもった「旧日本人」たる日本人を宰相にしたのである。その宰相は、
緑の服を着た六十くらいの男が現れる。いわゆる旧日本人、つまり日本人だ。中央から分けた髪を生え際から上へはね上げて固めている。白髪は数えられるくらい。眉は濃く、やや下がっている目許は鼻とともにくっきりとしているが、下を見ているので、濃い睫に遮られて眼球は見えない。俯いているためだけでなく恐らくもともとの皮膚が全体的にたるんでいるために、見た目は陰惨だ。何か果たさねばならない役割があるのに能力が届かず、そのことが反って懸命な態度となって表れている感じで、健気な印象さえある。
そして宰相は、テレビで演説する。
「我が国とアメリカによる戦争は世界各地で順調に展開されています。いつも申し上げる通り、戦争こそ平和の何よりの基盤であります。戦争という口から平和が流れるのです。戦争の器でこそ中身の平和が映えるのです。戦争は平和の偉大なる母であります。両者は切手も切れない血のつながりで結ばれています。健全な国家には健全な戦争が必要であり、戦争が健全に行われてこそ平和も健全に保たれるのです。」
「我々は戦争の中にこそ平和を見出せるのであります。戦争を通じてのみ平和を構築出来るのであります。平和を搔き乱そうとする諸要素を戦争によって殲滅する、これしかないのです。(中略)最大の同盟国であり友人であるアメリカとともに全人類の夢である平和を求めて戦う。これこそが我々の掲げる戦争主義的世界的平和主義による平和的民主主義的戦争なのであります。」
そしてその日本社会は、国家至上主義のオーウェルの『1984年』を彷彿とさせるものだ。
作家Tは、抵抗的な姿勢を見せるが、結局は日本という国家で、国家のお墨付きを得て、国家のための作品を書くようになる。しかしなぜ自分がそうなったのかはわからない。その経過の記憶は、消されているのだ。
まさに安倍首相の妄想のなかにある国家社会が実現してしまった後の世界が描かれているといってもよいだろう。
イロニーでもあり、警告でもある。
なおこの作品は単行本となっているようだが、『新潮』2014年10月号に全文掲載されている。