副題に、「内務・自治官僚の軌跡」とある。大日本帝国憲法の時代、内務省という役所があり、そこは警察、建設、地方政治、厚生などきわめて幅広い業務を担っていた。内務官僚は、したがって各方面に絶大なる権限を有していた。現在の都道府県知事は公選となっているが、大日本帝国憲法時代は内務官僚のポストであった。ちなみに静岡県知事は、そのなかでも出世コースであった。
中野は、日本の戦前戦後に続く統治の思想・制度的な特徴を、「国家保守主義」=「国家権威のもとに保守的な秩序へと国民統合を図る」として捉えている。その一つの特質は、「国家をすべての権威のよりどころとし、その規定する価値秩序に社会を従属させる(まつろわす)ことを内実とする保守主義」であり、もう一つは、「秩序の維持や近代化に関わる負担や責任を、国家ではなく社会に肩代わりさせる」というものである。
第一章の「内務官僚の系譜」は戦後の政治機構のなかで、内務官僚がどういうところに入り込み、どういう動きをしたかが記される。
第二章の「中央・地方政治への転身」は、内務・自治官僚が、政治家に転身し、国会議員や都道府県知事に就任していったことを記す。しかし1980年代の新自由主義の浸透により、前述の第2の特質と親和性が発揮されるなかで、彼ら官僚たちも変質していくことが示される。これは第4章とも関わるが、官僚みずからの私的利益の追求のなかで、あるいは新自由主義的改革のなかで、彼らの天下り先が減り、民間企業へと流れていく動きが出て来ているという。
第三章は、宝くじ協会など、宝くじをめぐる様々な「公益団体」への官僚の天下りと、準国家機関との関係が示される。とくに、宝くじのお金がどのように動いてきているかを知り、官僚にとって宝くじは、すごい「利権」であることがわかった。
さて後書きで中野は、新自由主義的な動きのなかで、国家権力を世襲財産と見なす世襲の「保守統治エリート」(=世襲議員)が指導的な地位を占めるようになり、その一方で、官僚が国家の権威や国家へのアクセスを切り売りして私的利益を追求することにより、権威を失いつつあるという。
官僚の国家権力のなかでの地位を、1980年代以降の新自由主義的な改革が相対的に引き下げていったという指摘は、はじめてだ。
各所に参考になる記述があった。なおこの本は、図書館からの借りたものである。
中野は、日本の戦前戦後に続く統治の思想・制度的な特徴を、「国家保守主義」=「国家権威のもとに保守的な秩序へと国民統合を図る」として捉えている。その一つの特質は、「国家をすべての権威のよりどころとし、その規定する価値秩序に社会を従属させる(まつろわす)ことを内実とする保守主義」であり、もう一つは、「秩序の維持や近代化に関わる負担や責任を、国家ではなく社会に肩代わりさせる」というものである。
第一章の「内務官僚の系譜」は戦後の政治機構のなかで、内務官僚がどういうところに入り込み、どういう動きをしたかが記される。
第二章の「中央・地方政治への転身」は、内務・自治官僚が、政治家に転身し、国会議員や都道府県知事に就任していったことを記す。しかし1980年代の新自由主義の浸透により、前述の第2の特質と親和性が発揮されるなかで、彼ら官僚たちも変質していくことが示される。これは第4章とも関わるが、官僚みずからの私的利益の追求のなかで、あるいは新自由主義的改革のなかで、彼らの天下り先が減り、民間企業へと流れていく動きが出て来ているという。
第三章は、宝くじ協会など、宝くじをめぐる様々な「公益団体」への官僚の天下りと、準国家機関との関係が示される。とくに、宝くじのお金がどのように動いてきているかを知り、官僚にとって宝くじは、すごい「利権」であることがわかった。
さて後書きで中野は、新自由主義的な動きのなかで、国家権力を世襲財産と見なす世襲の「保守統治エリート」(=世襲議員)が指導的な地位を占めるようになり、その一方で、官僚が国家の権威や国家へのアクセスを切り売りして私的利益を追求することにより、権威を失いつつあるという。
官僚の国家権力のなかでの地位を、1980年代以降の新自由主義的な改革が相対的に引き下げていったという指摘は、はじめてだ。
各所に参考になる記述があった。なおこの本は、図書館からの借りたものである。