浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「もう無理ですっ」・・店員の叫び

2015-04-20 22:41:47 | 社会
 すき家高円寺店のことが掲載されている。投稿した人の言うとおりだ。

http://cureco.jp/view/294
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記事の間違い

2015-04-20 16:55:43 | メディア
 昨日の『中日新聞』のサンデー版。「街道ものがたり」は、秋葉街道であった。読みはじめてすぐに間違いに気づいた。

 記事はこう始まる。

 江戸時代、火災を防ぐ「火伏せの神」として庶民の信仰を集め、一説には伊勢神宮のお伊勢参りと二分するほどの人気だったという秋葉山本宮秋葉神社(浜松市天竜区)。

 ボクは早速秋葉信仰の研究者である町田の住民にご注進に及び、同時に中日新聞社に「江戸時代には、「秋葉山本宮秋葉神社」はありません。中日新聞東海本社には、田村貞雄『秋葉信仰の新研究』を寄贈してあるはずです。しっかりと読んでからお書きください。」とメールした。

 そしたら今日午後、中日新聞東京本社のデスクから電話があって、記者がそう書いたのではなく、デスクが書き直したとのこと。若干説明したのだが、デスクには神仏習合の伝統と明治初期の神仏分離に関する知識がないとみた。そういうデスクが書き直したのである。恥ずかしい話だ。

 いずれ、町田の住人から厳しい訂正要求があるからと言っておいた。

 しかし、秋葉信仰についての間違った認識は、いっこうに正されない。このように、大手メディアが間違った認識の記事を書いているのだ。

 メディアは、間違った認識を正す側に立つべきである。そのためには、記者や、もちろんデスクこそが、きちんと勉強することだ。

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紹介 シリア人質事件について

2015-04-20 13:34:43 | 国際
 すでにメディアからは消え去っているが、シリアでの人質事件は、国際社会における日本の立ち位置を考える上で無視できない事件である。きちんと考えていく必要がある。

 そこで、下記の「イラクの子どもを救う会」のブログを紹介する。

http://www.nowiraq.com/blog/
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【本】イアン・ブルマ『廃墟の零年 1945』(白水社)

2015-04-20 12:03:09 | 近現代史
 1945年という年は、第2次世界大戦が終わった年である。たとえばボクらは、5月にヨーロッパでの戦いは終わり、8月に日本の敗戦によって、第2次世界大戦は終わった、とする。5月にヨーロッパで、8月にアジアで平和が訪れたと考えてしまう。

 だが現実はそんなに甘いものではないことを、本書は教えてくれる。一次史料ではないが、無数の文献をひもといて、1945年の姿をヨーロッパやアジアに追いながら、それらの文献を見事に織り込んでいく。

 原題は、YEAR ZERO A History of 1945であるが、「零年 1945年の歴史」のほうが良いのではないかと思った。というのも、1945年のほぼ戦闘終了直後からの歴史が描かれているからだ。

 しかしまあ、人間というのは凄まじい存在だ。たとえばこういう記述。

 「ドイツ人は常に、自分はユダヤ人を助けたと言っていたよ。助けただって! わたしはそのように触れ回る連中の一人を知っているが、彼は本物のナチだったよ」という収容所に送られたユダヤ人の発言。

 平気でウソをつくドイツ人。

 歴史は、決して良心や正義では動いていないことがはっきりと、これでもかこれでもかと示される。“悪”が歴史のなかで、うまい具合に生き残る。“悪”がみえないところで“善”を踏みにじる。“悪”は、“悪”がおこしたことで罰せられることもないままに歴史は過ぎていく。

 1945年は、戦争が終わり、平和へと向かうある意味明るい光を放っていた。だが、現実は、決してそうではないことが示される。400頁近くある本だが、読む価値はある。

 3200円+悪税
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外国人は現在の日本をどうみているか

2015-04-20 10:23:33 | 政治
 JapanTimesのオピニオン欄に、下記の論考が載っている。「歴史問題が安倍の日本に暗い影を落としている」という文である。原題は、

History problems cast a shadow over Abe’s Japan

 である。

http://www.japantimes.co.jp/opinion/2015/04/18/commentary/history-problems-cast-shadow-abes-japan/#.VTRS2vAzKig

 最初だけ訳出する。

 安倍首相は、歴史問題によって批判されている。というのも、彼が歴史修正主義的な観点と日本の戦時期(の過去)を復権させる努力をもって論争をしかけているからである。心配しているのは、穏健派や左派だけではなく、自民党の村雅彦も第2次大戦に対する謝罪を変更しないように促してきた。

 村がそんなことを言っていたのかは知らないけれども・・・

今年は、日本の敗戦70周年であるが、安倍は歴史について言葉を濁し、悔い改めに関してほとんど態度を示さないので、期待外れの人であり続けている。安倍は来たるべき首相声明できちんと悔い改めることなどが期待されているが、それが求めているのは、彼の世界観の中核をなす考えには問題がないと歩み寄ることなのだ。

 3月の日本訪問で、ドイツのメルケル首相は、「過去と折り合いをつけることは和解の必要条件だ」と言って、安倍首相が歴史の困難を解決していくことを促した。

 これは、東アジアの隣国との関係を改善するための、日本の失敗への明白な言及であった。責任は安倍にあるのだ。最近ヨーロッパの外交官が私に打ち明けたことがある。「安倍の戦時期の歴史への信じられないスタンスに驚いた、なぜならそれは道徳的によくないことであり、逆効果になると知っているからだ」と。

 皇族もまたその問題に立ち入っている。明仁天皇は今年二度、公然と正しい歴史をもつことを強調した。そのうち一度は、安倍が出席しているところであった。
 皇太子の徳仁も、同様のことを答えている。
 「謙虚に過去を振り返り、悲惨な経験と日本が背負った歴史、まさに消えつつある記憶を直接戦争の知識を持たない世代に伝えることは重要なことです」と。


 翻訳は、とりあえずここまで。

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「あっち」も「こっち」もないよ

2015-04-20 00:20:19 | 社会
 リテラが、安倍首相が主催した花見会に、太田光やTBS「ひるおび」のキャスター恵、ももくろなどが参加したことで「鬱」だなんて書いている。

http://lite-ra.com/2015/04/post-1040.html

 確かに太田は、安倍政権の方針とは異なる見解を時に発していた。
 しかし、彼ら芸能人のなかで、確固とした信念でそういうことを語る者は、極めて少ないということを知るべきだ。要するに、彼らのそうした発言は「思いつき」にすぎないのだ。つまり、軽い軽いのりのなかでポッとでてきた「思いつき」なのであって、それを聴いたり見た人が、そういう人物を「こっち」側の人間だと見たくなってしまうのだ。

 要するに彼ら芸能人には、「あっち」も「こっち」もないのだ。要するに精々「そっち」なのだ。決して「こっち」ではなく、「あっち」に行ったり、「そっち」に行ったりする存在なのだ。期待するほうがおかしい、と言っておこう。

 もちろん、芸能界でも、最近亡くなった愛川欽也、菅原文太など、筋金入りの「こっち」の人はいる。そういう人は、ぶれない。少なくとも「あっち」に対しては、筋を通す。精々「そっち」に行くことはあっても、「あっち」にはいかない。

 愛川欽也や菅原文太みたいな人は、とにかく少ない。

 最近のテレビを見れば良い(ボクは見ないけれども)。ほとんど“おバカ番組”。太田らは、そういう番組に出ているのではないか。そしてそういう番組には、安倍政権からクレームが来ることは絶対にない。

 “おバカ番組”で稼ぎまくっている者たちが、「こっち」に来ることがあるの?

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