浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

ルサンチマンの政治

2015-04-17 10:41:51 | 政治
 新自由主義的な考えが、地方行政のなかにどっしりと腰を落ち着けている。自治体の業務を減らす、公務員を減らす、そのために今まで自治体が行ってきた業務を民間企業などに委託する「民間委託」、指定管理者制度など、すでにあたりまえの制度と化している。

 最近、浜松市長選挙、市議会議員選挙があった。そういう時期になると、地域のなかから選挙運動に専念する人々がでてくる。ボクもそういう人と接する機会があった。もちろん保守的な傾向の持ち主だ。

 彼は公務員をひたすら攻撃する。公務員はラクをして高給を食んでいる、というのだ。しかしその明確な根拠はない。そう思い込んでいる。そういう彼にしてみれば、公務員の数が減ることは願うところだ。

 一時期、激しい公務員攻撃が行われた時期があった。もちろん、そういうときには、マスコミ(新聞テレビはいうまでもなく、週刊誌も)は総出で、権力と歩調を合わせて公務員攻撃を行っていた。

 国鉄の分割民営化が俎上にあがってきたとき、権力とマスコミが一体となって国鉄労働者を攻撃するキャンペーンが行われた。国鉄職員は勤務時間中に風呂に入るとかいろいろ。調べてみれば、人々が寝静まっているときに保線を担当する労働者は夏は汗まみれになって働いている、そういうとき、汗を流すために風呂に入って何がいけないのか。

 何らかの政策を押しつけようと権力が考える時、それに先だってどこかが攻撃される。

 自治体を、新自由主義的に改変しようとしたときにおこなわれたのが、公務員攻撃であった。そのときのキャンペーンの内容は、あらかた改変が終わっていても、人々の心の中に残されているのだ。

 公務員が少なくなればどういう事態になるか。公務員の給与が下げられればどういうことになるのか。そういうことは考えない。巡りめぐって自分たちにしわ寄せがくるだろうことは、想像してみればわかる。

 いつの頃からか、日本の政治はルサンチマンを原動力とするようになっていた。

 とはいっても、『廃墟の零年 1945』を読んでいると、いつの時代でも、特に混乱状態に於いては、ルサンチマンが原動力になって、想像を超える「悪事」が行われていることを知る。人間への信頼が揺らぐ。
コメント
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