浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

差別

2013-12-27 07:24:49 | 政治
 安倍首相が靖国神社に参拝した。ボクは靖国神社には、日本の伝統から言って大きな問題をもつと思っている。
 しかし人々は、靖国神社の歴史やその創設の由来、どういう人が祀られているかなど、詳しいことを知ろうとしない。ただ、戦争で亡くなった人を慰霊するのがなぜ悪い、という単純な反応しかしない。下に掲げた『毎日新聞』記事でも、人々はそのようにコメントしている。
 なぜアメリカや中国、韓国などが問題にするのか、考えてみるべきである。

 だがその前に、考えるべきことはある。

 戦争で亡くなった人を祀るというが、戦争では敵と味方が必ず存在する。日本の伝統は、敵も味方も祀っていた。すべての死者を悼むということだ。ところが、靖国神社はそうではない。味方だけを祀る施設だ。明治維新の際の戊辰戦争時に、新政府側に立って亡くなった者たちだけを祀るところから靖国神社(もとは招魂社)は出発した。したがって、今年のNHKの大河ドラマ(見ていないけれど)の福島県(会津藩)の主人公たちは祀られていない。きわめて排他的な施設なのだ。

 そして戦争死。戦死というと、戦闘の場で亡くなった者というイメージがあるが、戦争では戦闘の場ではないところで死を迎える場面が無数にある。たとえば、アジア太平洋戦争末期、日本全土は米軍の空襲に曝された。落とされたひとつの爆弾で、兵士と民間人が亡くなったとする。すると、その兵士だけが靖国神社に祀られる。安倍首相は昨日の談話で「国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊」というが、あの当時「国のために」ほとんどの国民が戦争完遂のために生きていた。戦争で亡くなった民間人は、慰霊しなくても良いのか、という問題にもなる。

 その際しっかりと考えておくべきは、先の例に示したように、同じ爆弾で亡くなった兵士には「戦傷病者戦没者遺族等援護法」により補償されているが、民間人にはびた一文だされていない。国家との関係があった者だけ(たとえば公務員とか軍人・軍属など)に、遺族年金が支給されているのだ。

 日本国家は、日本国民を明確に「差別」しているのだ。ドイツでは、軍人であろうと民間人であろうと、戦争で亡くなった方にはきちんとした国家補償が差別なく行われている。


安倍首相靖国参拝:年の瀬に電撃 遺族や識者から批判も

毎日新聞 2013年12月26日 11時51分(最終更新 12月26日 13時37分)

 大勢の報道陣が見守るなか、参拝のため靖国神社に到着した安倍晋三首相(中央)=東京都千代田区の靖国神社で2013年12月26日午前11時32分、中村藍撮影
拡大写真 安倍晋三首相が政権発足1年を迎えた26日午前、靖国神社(東京都千代田区)を参拝した。中国、韓国との関係改善の見通しが立たず、政権周辺でも「年内参拝はないだろう」とみられていた中での電撃的な参拝。参拝を終えた安倍首相は「中韓の人々の気持ちを傷つける気は毛頭ない」と話したが、市民からは「なぜ今なのか」といった声が上がっている。【山本将克、町田結子、青島顕、袴田貴行】

 安倍首相は午前11時32分、靖国神社に到着した。上空には15機前後のヘリコプターが旋回。警備担当の警察官に守られながら後部座席の左側から車を降りた。服装は黒のモーニング姿で、拍手の中、日本遺族会の関係者と握手を交わし、背筋を伸ばしてやや大きな歩幅で本殿へ向かった。

 同56分、参拝を終え再び車に乗り込んだ安倍首相。約300人の報道陣に片手を上げて応じ、日の丸を持つなどした参拝者からは拍手とともに「よくやった、ありがとう」との声が上がった。

 毎日参拝に訪れるという近くの近藤孝子さん(70)は「やけに警察が多くてどうしたのかと思っていた。今日っていうのは知らなかった」。参拝については「首相が独自に決めたこと。中国や韓国との関係は今、あまりよくないけれど、あちらの考えに惑わされず、やっていいと思う」と話した。一方、成蹊高校在学中の安倍首相を教えた青柳知義さん(74)は「やってはならないこと。こんなに戦後民主主義や憲法の精神に無理解とは思わなかった。残念だ。事実上の国家神道の復活を狙いたいのだろうか」と話した。

 街でもさまざまな声が聞かれた。

 東京都杉並区の飲食店主、長尾学さん(34)は「なぜ今なのかが分からない。領土問題に加え、中国の防空識別圏設定や韓国の歴史認識問題などで中韓との関係がごたごたしている時に参拝すれば、いたずらに両国を刺激し、逆に相手へ外交カードを渡してしまうのでは」と懸念を示した。横浜市港北区の会社員、青山暁さん(33)は「個人が行くなら問題ないが、首相という公人としての立場を考えれば、日本の国益のため大局的な観点に立って判断してほしかった。石原慎太郎元東京都知事の尖閣購入発言の時のように、中国や韓国との関係が一層悪化するきっかけにならないように対処してほしい」と話した。

一方、長野県佐久市の会社員、野口尚人さん(35)は「国の指導者が祖国の戦没者を追悼するのはどこの国でもやっていることなので、特に問題ないのでは。中国や韓国の反発は心配だが、中韓のリーダーも祖国の戦没者を追悼する行為はするのだから、日本だけ問題視するのは身勝手な主張ではないか」と話した。東京都渋谷区の女性会社員(40)は「日本のために命を落とした戦没者に敬意を表するのは当然のことで、A級戦犯の合祀(ごうし)に関係なく行くべきだと思う。中国や韓国に文句を言われるから行かないというのはおかしいので、反発を受けたらそれにきちんと反論するくらいの毅然(きぜん)とした態度で臨んでほしい」と話した。
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「戦禍」

2013-12-26 22:41:23 | 読書
 『自由、それは私自身』(筑摩書房)を読んでいる。副題に「評伝・伊藤野枝」とある。ずっと前に出た本だ。書庫には女性史に関係する本もたくさんある。調べてみたら、これがあった。平塚らいてうの『元始、女性は太陽であった』の三冊本もあった。また瀬戸内寂聴の『青鞜』(上下)もあった。年末年始は、これに没頭することになる。

 さて、伊藤野枝を中心に『青鞜』についていろいろ調べていたところ、『青鞜』同人に齋賀琴という人がいたことを知った。この女性が書いた「戦禍」(1915年11月号)の内容が簡単に紹介されていた文章に出会ったのだ。読みたいという気持ちが強くなった。早速、浜松市内の図書館で『青鞜』復刻版をもっている浜北図書館に行き、それをコピーしてきた。

 読んでみた。素晴らしい。長い文ではないけれど、うまくまとめている。趣旨もきわめて明確である。日露戦争時の自分自身の体験をもとにして、1915年という第1次大戦下、戦争というものがいかなる本質をもっているのかを率直に描いている。

 この齋賀琴、有名ではないけれども、彼女が書いたものすべてを読んでみたいと思う。生まれは千葉県市原市。「戦間期」となりつつある現在、この女性を調べる意味は大いにあると思う。

 「戦禍」の出だしは、以下の通りである。

 人間の歴史は戦争の連続であると申します。事実左様でも御座いませう、人智の発達しない太古のその頃から科学文明の著しい進歩を来した今日に及びますまで、幾代幾世紀の間、人類は互ひに血を流し、虐殺し、侵略して参ったので御座います。昔を野蛮と罵り、今日を文明と誇りますものの、その実今日の文明は野蛮だと云ふ昔の虐殺、侵略を一層甚だしくするための手段として用いられて居ります。勿論これは一面から見た話で御座いますが、併し現在世界の先進国と呼ばれる国々が互ひに干戈を交ふる事一年余、いつと云ふ平和の見込みもつきかねます今日では、戦争の残酷さと、直接、間接に及ぼす災害の莫大な事を考へますと、同時に所謂文明の恩沢とか科学の貢献とか申すことを疑りたくなって参ります。恐ろしい戦争の惨禍は只に幾多の貴い生霊を犠牲にし、その白骨を風雨に曝すばかりではなく、残された人々の上に負ひ難い苦痛を授けます。一国にとりましても勝敗何れにかかはらず、損害をもたらすもので御座います。何故に人類は多額の費用と時と知識とを無益にして徒らな殺生に耽るのでせうか・・・・
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何もなかったかのように・・・

2013-12-26 09:08:47 | 日記
 沖縄・辺野古、東日本大震災の被災地、原発事故に関する最近の報道をみるにつけ、何ごともなかったかのように「今」が過ぎていくような気がしている。

 これらの、「何ごともなかったかのような」動きの背景には、札束がある。地方自治体の諸施策を見ても、そこに共通するのは「利権」である。「利権」とつながらない公共政策はないといってよい。

 政府も自治体も、カネは国民にではなく、「民間」に投入する。あるいは「民間」が儲けられるように差配される。以前よく聞いた「民間でできることは民間へ」である。もちろんこの「民間」は民間企業である。

 沖縄では、辺野古の米軍基地新設の他に、毎年沖縄に3000億円以上のお金が投入される。これももちろん沖縄の住民にではなく、沖縄の企業、いやおそらく本土の大企業であろうが、そこにお金はまわっていくことだろう。そのおこぼれを沖縄の企業とそこに連なる人々が受け取る。

 東日本大震災の被災地に、大防潮堤が建設されるという。住民たちの声を一切聞かず、その計画は実施の方向で動いている。東日本の海岸は、コンクリートの壁で覆われることになる。原発事故の除染も同様だが、そこに投入される莫大なカネのほとんどは大手ゼネコンの懐に入る。

 いかなる事態が起きても、それを利用して「利権」構造が強化される。

 原発の再稼働も、もう目前だ。何ごともなかったかのように、日本は、死者や被災者の、そして反対派の住民たちの懸念を蹴飛ばしてどんどん動いていく。そういう国だ、日本は。

 日本の住民の多くは、「何ごともなかったかのように」生きている。何も学ばず、何も知ろうとせず、何も考えようとせず・・・・そういえばこのことは、中江兆民が書いていた。むかしから、ずっと同じ。



 
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片付け

2013-12-25 17:41:08 | 日記
 足の踏み場もない部屋を片付けた。だが、本や資料が多すぎて、床にあった本が机の上に移動しただけ。

 大杉栄、伊藤野枝関係の資料は、買ってきた大きな袋の中に入れたのだが、『伊藤野枝全集』上下がない。ボクの本は、自宅だけではなく、実家と実家にある書庫に入っている。きっと実家のどこかに持って行ったのだろう。

 年齢を重ねると、捜し物が多くなる。結局見つからなくて、同じ本を買い、しばらくして出てきたという経験は一度だけではない。

 若い頃から、この世の森羅万象を理解しなくてはならないと思って生きてきた。だから、いろいろな分野の本があるが、もちろん歴史関係が最も多いけれども、現代政治に関わるものも多くある。政治関係の講演の依頼があるからだ。

 市民に対する講座は、浜松市の各公民館(今年、協働センターと改名。アホだ!)でも行われているが、異なったテーマを同時並行的にとりあげて講師をされている方が複数いるが、よくできる!と驚く。一つのテーマで90分話すというのはきわめてたいへんな作業である。そのための準備は、膨大である。少なくとも、テーマに関する文献はできるだけ集めて読み込む。そしてそのなかで、ボク自身のオリジナリティをどういうところで出すか、新しい資料が発見されればよいのだが、そうでない場合はたいへんだ。しかし、頭の中をそれに関する知識でいっぱいにすると、何となくでてくるから不思議だ。

 講演にしても、講座にしても、あるいは書くということに関しても、時間と金をできうる限り投入する、これがよい結果を生み出す。

 ボクは、引き受けた場合、手抜きはしない。その代価(講師料など)が高かろうと安かろうと、それは関係ない。ボクが話し書くものは、その段階のボクの力そのものだ。

 今ボクは、大杉と野枝で、頭をいっぱいにしなければならない。足元にある袋から、瀬戸内寂聴の『美は乱調にあり』を取り出した。読んで読んで読みまくるのだ。

 そのためには、読書の浮気は慎まなければならないのだが、それがもっとも難しい。今も、片付けていたら『環』という雑誌を読み始めてしまった。小田実の特集号だ。小田実の人生に、ボクも遠くから伴走していた。ベトナム戦争その他諸々。

 ボクの弔辞も、某誌に掲載されている。小田実を知ったときのままの志を持ち続けることを誓ったものだ。

 さあ、片付けを続けよう。
 

 
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地獄は見えている

2013-12-25 07:40:24 | 政治
 非民主的な選挙制度と国民の多くが棄権したことで、自民党・公明党が衆議院でも参議院でも多数派になったことから、政治に節度というものがなくなっている。

 自民党のなかでも、決して知的とは言えない人々が政権の中枢に入り、自分たちがしたいことを、今のうちにすべてやってしまおうという魂胆だ。彼らがどういう日本をつくりあげようとしているかを、たとえば自民党憲法草案をみると空恐ろしくなるのだが、それでも世論調査の結果は安倍政権支持が50%を超える。

 国民は、政治なんかにまったく興味関心を抱いていないようだ。日々の、たとえば『中日新聞』などが、政治の問題点を厳しく書いてはいるが、国民は頓着していない。

 今日の2014年度予算案の報道をみると、まったく節度というものがなく、自分たちのやりたい放題で、遠慮というものがまったくない。

 たとえば沖縄県民が強く反対している普天間基地の移転問題。日米政府が想定している辺野古移転案は、移転ではなく、まさしく新基地の建設だ。反対が強いので、札束で沖縄県民をだまらせようとしている。沖縄に、2021年度まで毎年3000億円を投入するというのだ。

 沖縄が日本に返還されてから、沖縄には多額の振興予算が投入されてきた。その結果、沖縄の自然は破壊され、本土資本によるリゾート開発が進められてきた。しかしだからといって、沖縄経済は自立できず、逆に本土からのそうしたカネに依存する体質へと変えられた。今でも、沖縄県民の生活水準は低く、雇用状況も悪い。そうした沖縄、つまり沖縄の自立的な経済をつくらせないでおいて本土、とくに政府の投資に依存させる構造をつくりあげ、アメリカ政府の要請には素直に応えながら、反対が多ければ札束で沖縄県民の一部の人々の頬を撫でる。多くの人は理念ではなく、目の前にちらつく札束になびく。人間の俗的部分を肥大化させることにより、目的を実現するという政策は、一面人間性を破壊する、破壊してもいい、という政府の姿勢には、ボクは「悪」をみる。すくなくとも、彼ら政治家や官僚には、倫理や道徳はない。

 だがそういう輩が倫理や道徳を説こうというのだ。今回の予算でも、「道徳教育の抜本的改善と充実」ということで、14億円を投入する。倫理や道徳をないがしろにしている者こそ道徳を説くことを、ボクは知っている。彼らにとっての道徳とは、他人への思いやりとかそういうことではなく、力ある者に対して従順になれというものでしかない。つまり子どもたちを奴隷化する政策なのだ。

 そうした従順な国民を育てながら、そうそのために政府の広報予算として65億円も使って自分たちの悪政を宣伝によってごまかしながら、軍事費を増額して海外で米軍と共に軍事行動をとらせようとする。自分は戦争に行かない奴らが、戦争をする国家こそがあるべき国家であるという時代遅れの認識で、みずからのどす黒い野望を遂げようとする。その背景には、日本の軍需産業の欲求とそれにつながる利権がある。

 これほどまでに日本政府はどす黒くなっているのに、これほどまでに国民を愚弄しているのに、愚弄されている人々は、「安倍ちゃーん」などといって騒いでいる。喜劇だ、いや悲劇だ。

 これほどまでに、21世紀に生きる日本人は、はっきり言おう、愚かになった。愚かな人々のまえに敷かれた絨毯は、地獄へと導かれている。その地獄は、もう見えている。

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【本】森まゆみ『『青鞜』の冒険』(平凡社)

2013-12-24 22:23:04 | 読書
 とても面白い本だ。

 地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を編集・刊行していた森が、その立場から『青鞜』を、『青鞜』を発刊した平塚明を、そして『青鞜』に関わった人びとを書き綴るというものだ。

 森は、『青鞜』を読破する。書かれた文を読むだけではない。表紙絵を、広告宣伝を、飾り罫を丹念に見ていく。雑誌を編集発行した経験を持つからこその視点である。それらに対する言及も興味深かったが、やはり平塚明を中心とした『青鞜』に集まってきた女性たちの生の軌跡、そしてそれに対する森の感想がすがすがしくて、とてもよかった。

 森が『谷根千』に関わる前、ある書評同人誌に関わったことがあるという部分、そこに集まった上流階級の奥様方に対して、森は「勉強中の夫をかかえて貧乏のどん底だった」と書いている。その夫は、ボクが学生時代のサークル・裁判問題研究会のメンバーだった。その頃彼は司法試験の勉強をしていたはずだ。結局森は彼と別れてしまうのだが・・。

 ボクは大杉・野枝の墓前祭に関わる者として、野枝についての言及にこそ関心を持っていたのだが、平塚についての記述がもっとも多かった。野枝についても他の同人と比べれば多いけれども、平塚ほどではないが、それでも、野枝に対する森の批評はなかなか面白く、その直截的な指摘はほぼ正しいと思われた。

 この本の末尾に、「もうごまかさなくてもいい、自分を偽らなくてもいいというその声こそが、私を励ましてくれる」とある。その声とは、まさに封建的な因習など、女たちを縛るもろもろに対して、先駆的に闘った平塚や野枝、紅吉ら『青鞜』同人らの声である。

 『青鞜』は、日本の歴史を確実に前に進めた。しかし、『青鞜』同人たちが求めた社会は、いまだできあがっていない。だからこそ、今でも振り返る価値がある。

 ボクは、そのなかで「齊賀琴」という女性に強い関心を持つ。彼女が書いた「戦禍」という小説は、絶対に読みたい。
 
 過ぎ去った時に生き、その時代と格闘した先人たちの様々な主張は、いつになっても読み返されなければならない。というのも、それらの主張が、いまだ、いまだ、実現されていないからだ。歴史の歩みの遅さ、その非情さを、ボクはいつも思う
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世論調査

2013-12-24 09:36:30 | 政治
 世論調査が繰り広げられる。なぜか安倍政権への支持が54.2%と高い。前回、特定秘密保護法を強行採決した後は47.6%であったのが、2週間で上昇。支持する理由のトップは「経済政策に期待できる」からだ。

 しかし、経済生活が少しでも良くなったという人々は少ない。にもかかわらず、この結果。その背後に、テレビメディアを主とした、消費の上昇報道があると思われる。高額商品が売れているという、そういう報道だ。また次は「ほかに適当な人がいない」である。これもテレビメディアが、安倍首相を長時間出演させて話させているからだ。質問者も遠慮してか、たいした質問もしないから、安倍の独壇場となる。そういう場面を見せられた人々が、こういう反応をするのではないか。

 問7は、安倍政権の軍事拡大政策についてであるが、「中国の軍事的な台頭を国際社会の懸念事項であるとけん制し」という前書きをおいて、「国家安全保障戦略」などの是非を問うものだが、半数以上が「評価する」「やや評価する」とこたえている。これも前書きがなければ、あるいは別の前書きにすれば数字は変わってくるだろう。

 質問を読むと、どういう回答をするのかおおよその予想がつくのが、世論調査の中身だ。
しかしそれでも、「与党は企業向けの優遇措置を拡大する一方、家計支援策が乏しい税制改正大綱を決めました。あなたは、この税制改正を評価しますか」という設問に「ある程度評価する」を含めた「評価する」が40%もあるというのには驚く。
 日本国民の「優しさ」(?)に唖然とする。


  
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【本】想田和弘『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)

2013-12-23 20:43:00 | 読書
 この本は読む価値あり。

 想田さんは、現在が「熱狂なきファシズム」へと向かっていると警告する。ほんとうに真面目に、今の日本社会の現状を憂い、この現状を分析しようとしている。

 そのなかで、現在の日本の民主主義が「消費者民主主義」であるとし、人々は「消費者」、つまり政治行政からサービスを受けるだけの受け身の存在であると認識しているのではないか、そうではなく民主主義制度下の国民は、主権者として、「みんなのことは、みんなで議論し主張や利害をすりあわせ、みんなで決めて責任を持とう」(58頁)ということでなければならないと主張する。その通りである。

 だが、こういう考え方をすると、それを批判したり揶揄したりする人たちが多数出現する。

 想田さんのブログに、想田さんがあのホリエモンこと堀江貴文とツイッターで議論したことがあったそうだ。東京でのオリンピックの開催についての議論だ。福島原発問題が全く解決していないのに、オリンピックを開催することに想田さんは異議を唱えたのだろう。

 まずそのブログを紹介する。

http://documentary-campaign.blogspot.jp/2013/09/blog-post.html

 想田さんと堀江との応酬をまとめてくれた人がいたようで、そのまとめのなかの赤字にしたところ、これこそまさに多数派の感情なのだろうし、多数派はその感情に乗っていろいろ発言しているのだ。そこには「知的営み」はない。人々は、どういう状況であっても、おそらく幸せなのだ。彼らには、民主主義なんか、どうでもいいのかもしれない。

堀江は、想田監督の異議を「ウザい」「ヤバい」「なんか怖いっす」と原始的な生理的嫌悪感を述べる言葉でつぶやき、それに対して、多数のフォローワーから、「せっかく涼しくて気持ち良いと思たら、堀江さんが気持ち悪い人と戦っていた」との、同じく生理的嫌悪感に同意するようなコメントが入る。

フォローワーからみると、「堀江軍994120 対 想田軍29650 」であり、堀江が多数派である。使用済み核燃料の問題はあいまいにしてもかまわない、なんでそんな先のことを考えて暗くなっているの、マゾ、キモい、オリンピックも決まったし楽しもうよ、というのが、多数派である。

「これまで安全だし、地震が起きてもたいしたことなかったから、なんで、電源喪失の事なんか考えないといけないの?キモい、左翼」という論理とつながりる。TPPだって、「なんでそんなにクヨクヨするの?牛丼安くなるじゃん。」ぐらいだろう。

クリティカルな欠点を覆い隠したうえでなりたっている、多数派の多幸的な雰囲気、空気、これは、知的ではなく、感情的な論理である。比較的多数の、空気にのって楽しんでいる多数派は、それに水をさされると、感情的嫌悪感で反応してくる。「キモい、怖い、マゾ」であり、排除である。


 そしてもう一つ。これも複写させていただく。

 アーサー・ビナードさんが、今年8月にこういうことを話していたそうだ。

「実は、東京に、オリンピックが来るんです!!日本政府と僕の母国が、絶対に東京でやらせたいんです。オリンピックが来ることには、大きな意味がある。2020年まで待つのではなく、2013年のこの時期に、「東京に決まりました!」という発表には意味がある。どういう意味かというと、安全宣言!、安全宣言!!このタイミングで、実は、「安全宣言」が必要なんです。今、核のからくりに目覚めている人が増えているんです。多くの人が行動し始めている。日本政府と僕の祖国の核利権が、そこで安全宣言を出して、もう一度、みんなを思考停止状態にして、戦後ず~っとやってきたアンポンタン国民作りを、もう一回再稼働させて、日本人を被曝させながら、みんなをジリジリ殺しながらも、思考停止状態に戻したい。
そこで、一番、日本人がアンポンタンになるのは何かというと、東京オリンピック!!」
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追及を続けること

2013-12-23 17:48:53 | 政治
 平成版治安維持法たる特定秘密保護法は廃止されなければならない。そういう方向性をもって組み立てられなければならない。マスメディアは、もっともその法の攻撃対象にされるわけだから、廃止に向けた報道は欠かしてはならない。

 『東京新聞』は、其の立場を明確にしている。今日の記事。

自民、秘密法報道に反論文書
2013年12月23日

 自民党の反論文書が取り上げた東京新聞の記事八本、延べ十カ所のうち六カ所は特定秘密保護法で「テロ」の定義が拡大解釈される恐れがあると指摘した内容だ。

 反論文書は、いずれの記事も「事実に反する」と主張。根拠として「テロ」の定義を定めた一二条を引用し「拡大解釈の余地はない」としている。

 しかし、条文は「政治上その他の主義主張に基づき、国家もしくは他人に強要する」だけでテロと解釈されかねない書き方になっていると日弁連が指摘し、本紙も繰り返し報道してきた。実際、国会周辺のデモをテロと結び付けた自民党の石破茂幹事長のブログでの発言もあり、自民党の反論で懸念は払拭(ふっしょく)されない。

 文書は「法案は憲法が保障する国民の権利を制限しかねず、民主主義を揺るがす重大な問題点をはらんでいる」との記事にも反論。「本法は、国民の知る権利に資する報道または取材の自由に十分配慮しなければならない旨を定めている」と主張している。だが、本紙が「配慮」は努力規定にすぎず、知る権利が担保されたわけではないと指摘してきた点には答えていない。

 毎日新聞の「国会や司法のチェックも及ばない」という記事には「国会の求めに応じ、特定秘密を提供しなければならず、国会で必要な議論ができる」と反論。確かに、法律上は国会に特定秘密を提供できることになっているが、政府が「安全保障に著しい支障がある」と判断すれば出さなくてもよいとする規定もあり、すべての秘密が提供されるわけではない。


 そして社説。


秘密保護法 自民の「反論」は正当か
2013年12月23日

 特定秘密保護法を批判する報道に対し、自民党が「反論」と称する文書を同党の国会議員に配布した。反論権は十分に認め、謙虚でありたい。それを踏まえても、中身には疑問を持たざるを得ない。

 文書のタイトルは「特定秘密保護法に関する誤った新聞報道への反論」だ。東京新聞(中日新聞東京本社)や朝日新聞、毎日新聞の報道や社説を二十三本、取り上げて、それぞれ逐条的に「反論」を加えている。

 例えば、「『行政機関の長』が、その裁量でいくらでも特定秘密を指定できる」と書いた新聞について、「反論・事実に反します」と冒頭で記す。さらに「特定秘密は、法律の別表に限定列挙された事項に関する情報に限って指定するもので、(中略)恣意(しい)的な運用が行われることはありません」と記している。

 問題なのは、肝心の別表の中身があまりに茫漠(ぼうばく)としていることだ。外交分野では「外国の政府との交渉」と書いてある。こんな言葉では、どんな交渉も含みうる。拡大解釈も、恣意的な運用も可能であろう。どこが「限定」していると言えるのか、不可解というほかはない。

 「国会や司法のチェックも及ばない」と書いた新聞にも、「反論・事実に反します」とし、「国会の求めに応じ、特定秘密を提供しなければならず、国会で必要な議論ができます」と書く。

 この記述は、議員が誤解しよう。たしかに国会の秘密会に提供する定めはある。だが、行政機関の「長」が「安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがないと認めたとき」に限られる。

 そもそも特定秘密とは「安全保障に著しい支障があるため、特に秘匿するもの」である。支障がないと行政側が判断する情報は元来、特定秘密になりえない。法を読む限り、論理矛盾でないか。

 テロリズムの定義をめぐっても、「反論」があった。政府とは異なる解釈ができる条文の書き方で、根源的な問題である。法律自体が欠陥なのだ。

 自民党の文書は「一部の新聞は誤情報を流して国民を不安に陥れています」と記している。批判に背を向ける姿勢がうかがえる。

 報道機関は良心に従い、権力を監視し、問題点があれば、報道し、言論を述べる。野党も追及する。国民もデモなどで声を上げる。民主主義社会では正常な風景である。国民を不安に陥れるのは、秘密保護法そのものである。
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無知で悪いか!

2013-12-23 08:10:05 | 読書
 買ってあった『日本は民主主義を捨てたがっているのか』(岩波書店、ブックレット)を読みはじめた。想田和弘という映像作家が書いた本である。

 まだ全部を読み終えたわけではないが、ボクはこの本は、多くの人に是非読んで欲しいと思う。

 さてまだ途中ではあるが、想田さんはツイッターで国会議員の片山さつき他の人たちといろいろ議論しているとのこと。そこで共通していることは、「知らなくてもいい」ということだ。

 自民党憲法草案という、想田さんがその憲法は「国民の基本的人権が制限され、個人の自由のない、国家権力がやりたい放題できる、民主主義を捨てた全体主義の国」をつくろうとしていると断じる(その通り!!)草案について、国会でこういう討議がなされたことが紹介されている。

 民主党 小西洋之議員「安倍総理、芦部信喜という憲法学者を御存知ですか?」
 安倍首相 「私は存じあげておりません」

 そして小西議員は他の憲法学者をあげるのだが、首相は「存じあげていない」と答える。しかし憲法を変えようという政党の党首が、芦部という戦後憲法学の権威者について「知らない」と堂々とこたえるところに、問題がある。

 想田さんは、首相が無知であることをツイッターで指摘した。すると、「芦部とかどうでもいいよね」、「どうでもいいです。しつこい。私もそんな人知らんわw 知らない事を「恥ずかしいね」って罵倒される可能性はだれにでもあるものです」など、安倍擁護論が寄せられたという。

 しかし想田さんは思う、首相という国家の最高権力者として、安倍首相には豊富な知識や的確な判断力は必要ではないか、と。だが擁護者たちはそうは思わないらしい。

 ボクは、日本人はあるときから、「無知に居直る」ことを始めたと思っている。昔は教室に於いて、「知らないことは恥ずかしい」という空気があった。「知」に対する謙虚さ、というものが存在していた。しかしいつの頃からか、「知らなくてもいいじゃないか」という空気に変わった。ボクは何となくそうした変化があったことを覚えている。

 もちろんそうした高校生は少なかった。それがだんだん増えていき、彼らはインターネットのなかで、「無知である自分でもよいのだ」という確信を確かめ合ったのではないか。いやインターネットだけではなく、たとえば定期試験の結果を見せ合って、できない者同士が喜び合っている姿が、あるときから見られ始めた。昔は、定期試験の点数を見せ合うことはあまりなかった。あるときから隠さなくなり、低い点数を言い合って喜ぶ姿がでてきたのだ。すると、低い点数でも良いと思う生徒たちはまったく勉強から逃亡し始めた。高校生にとって「知」は不要であるという雰囲気が醸成されてきた。他方、大学受験を志向する高校生は、入学するために勉強はするが、受験の勉強だけをするようになった。あたりまえだ、大学側が入試科目を減らし、入りやすくしたからだ。それだけではない、勉強しないできた高校生を入学させるために、AO入試だとか、ありとあらゆる試験形態を導入して、大学は勉強しなくても入ることができる場となった。あらゆる段階で、「知」はなくてもいいよ、と言い始めたのだ(にもかかわらず、小中学校では学力テストがどうのこうのと騒いでいる。そうではなく、学校や社会では「知」がとても大切である、という雰囲気をつくり出すことこそが求められているのではないか。まあでもそれも難しい。学校にもはや知的な雰囲気は残っていないからだ。まず、教員が勉強しないし、本も読まない)。
 
 どこの高校でも、つまり「知」はいらなくなったのだ。大学に合格するための手段としての「知」、高校では赤点をとらなければよいという低いレベルの「知」だけがまかりとおっている。教員の側も、それに対応した「知」のみを提供するようになっている。

 「知」に対する謙虚さがなくなった日本人には、安倍首相が似つかわしい、ということだ。無知に居直る国民と無知のまま政治の舵取りをする安倍自民党政権。

 今は、「無知の時代」なのだ。「無知」が大手を振って闊歩している。しかしその先には「地獄の門」が待っているはずだ。
 
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【本】佐野眞一『甘粕正彦 乱心の曠野』(新潮文庫)

2013-12-22 14:06:07 | 読書
 もと記者のSさんから教えられた本。それまでこういう本が出ていることすら知らなかった。この本を教えてもらっただけでありがたい。ただし、Sさんはこの本については否定的。しかしボクはとても参考になった。

 この本の基調は、甘粕が本当に大杉らを虐殺したのかという問いだ。もちろんその問いに対する回答は、ノーである。

事件後の甘粕の動き(精神も含め)を、無数の資料により浮き彫りにしていく。事件後の裁判、服役生活、結婚、フランス行き、そして満洲へ。満洲での謀略活動、そして満映の理事長としての動向。

 渉猟したたくさんの文献、また取材対象とされた者もずいぶんたくさんだ。調べるということは、こういうことをいうのかといわせるほどの取材の量。

 知らなかったこと。関東大震災時の戒厳令は、きちんとした手続きを踏まない違法なものであったことだ。水野錬太郎、赤池濃ら内務官僚が強引にもっていったようだ。

 そして甘粕以外に虐殺に連座した者たちのその後が記されている。

 平井利一、本多重雄、鴨志田安五郎の三人は、いずれも満州へ渡った。三人とも、甘粕との関係から満洲で職を得ている。

 平井は1937年渡満し、甘粕の世話で大東公司に入り、ソ満国境で要塞建設の現場監督となったが、1941年満洲から引き揚げ後、脳溢血により死亡(48歳)。本多は、これも甘粕の口利きで満洲航空株式会社に入社。1937年奉天で脳溢血により死亡(42歳)。鴨志田安五郎は満鉄につとめていたが、1946年奉天でコレラにより死亡(52歳)。

 もう一人、甘粕と共に実刑判決を受けた森慶治郎は懲役三年であったが、刑期満了前、紀元節の恩赦で1925年2月11日に仮出獄した。そして三重県旧大里村で酒屋、そして戦時中村長を二期つとめ、1961年71歳で死亡したのだそうだ。

 
 この本では、満洲での甘粕の行動が、文献や聞き取りにより詳細に浮き彫りにされていくのだが、それらが並列的に使用されて叙述されていることから、たとえば満洲で甘粕が関与した謀略活動の顛末、満映での甘粕の役割などがまとまったかたちで書かれていないので、イメージをまとめることが難しい。構造的な歴史像を描くという目的がないのだから仕方がないといえばそうなのだが、それでも食い足りなさが残る。

 まあしかし、これだけの文献や情報を集めることは、とても一人ではできない。優秀なスタッフがいてこその作品である。スタッフの中に安田浩一の名があった。在特会のノンフィクションを書いた人だ。
 
 ボクにとっては、良い情報を得られて、読んで良かったと思う。

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優しい日本国民

2013-12-22 11:00:55 | 政治
 政府が厖大な赤字を背負っているのだから、消費税アップはやむを得ない、という声が、国民から聞こえる。こういう優しい発想をするのは、搾取され、収奪される国民。金儲けや内部留保をはかる企業には、そういう優しさはない。

 これは『東京新聞』の記事。『中日新聞』の朝刊にも掲載されているものだ。


消費増税 個人負担増なのに 法人税納税 わずか3割
2013年12月22日 朝刊


 企業業績が回復しているにもかかわらず、本年度に法人税を納める企業が全企業の三割程度にとどまることが、財務省が行った二〇一四年度予算案の税収見通し調査などで分かった。大企業でも納めていない会社は半数近くにのぼる。安倍政権は企業優遇策を相次いで打ち出しており、納税企業の割合は横ばいのまま。税収の不足分は国民が負担することになる。 (須藤恵里)

 国税庁の会社標本調査によると、一一年度は国内の全企業(二百五十七万社)のうち、27・7%の企業しか法人税を納めていない。資本金一億円超の「大企業」でも納めているのは53・7%にとどまる。財務省関係者は「本年度も三割という傾向は変わらない」と話す。

 以前からある優遇策の一つが「欠損金の繰越控除制度」だ。ある年に巨額の赤字を計上すると、翌年以降その赤字額を黒字額から差し引き、九年間にわたって納税を少なくできる。リーマン・ショック後に大きな赤字を出した自動車や電機、製薬、化学業界などでは、業績が改善した後もいまだに法人税を納めていない大企業が少なくない。

 このほか企業が製品開発のために使った研究開発費や設備投資の一部を法人税額から差し引ける特別措置もある。企業を景気浮揚の要とみる安倍政権は、発足後二度の税制改正を通じてこうした優遇策を拡充してきた。

 どの企業が法人税を納めていないかは、詳しい内容を各企業が開示していないために分からないが、財務省の調査では一四年三月期からはようやく自動車や製薬、鉄鋼、化学、金融などの大手が払い始める見通しだという。

 しかし、「三割」の傾向はここ十年以上続いており、識者などからは法人税制の構造的な欠陥を指摘する声も出ている。

法人税について話す早大ファイナンス総合研究所の野口悠紀雄顧問=安江実撮影


◆「利益への課税 時代遅れ」 野口悠紀雄氏に聞く 
 法人税を納めている企業が3割未満という現状について、早稲田大学ファイナンス総合研究所の野口悠紀雄(ゆきお)顧問に聞いた。

 -納めている企業が三割未満という法人税の現状をどう見るか。

 「税制として公平性に欠ける。法人税という制度が機能しなくなっている。これは、法人税が利益にかける税金であるためだ。高度成長期の利益率が高かったころは、重要な税だった。ところが、一九八〇年代以降、中国など新興国の台頭で世界的市場での価格競争が激しくなり、日本企業の利益が減った。利益に課税する法人税の仕組みが、日本の経済の構造に合わなくなった」

 -利益の出ている大企業でも法人税を納めていないところが多くある。

 「欠損金の繰越控除制度の影響が大きい。企業は多年度にわたる事業で利益を生み出すから、この制度自体が悪いわけではない。ただし、輸出企業は円安のためにいま非常に大きな利益を上げている。それにもかかわらず、しばらく税金を納めなくてよいというのは、一般人の感覚としては受け入れがたい」

 -どんな法人税改革が必要か。

 「薄く広く課税する『公平な税』にするべきだ。そのためには利益でなく、企業の規模や売上高などに応じて課税するのがいい。そうすれば課税対象の企業が増え、一定の税収を確保できる」

 -法人税引き下げの議論はどう見る。

 「国が法人税を減税すれば、所得税や消費税での負担増が必要になる。日本で税に関して最大の問題は、国民の多くが納税者意識を持っていないこと。国が何かをする場合には、私たちがコストを払っているという意識を持つべきだ」
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NHK経営委員長

2013-12-22 10:52:04 | メディア
 安倍政権によるNHk支配が強められているが、今度の経営委員長は、こう述べたという。

「それはNHKに限らず、テレビの報道は皆おかしいですよ。例えば、『反対!』っていう人ばかり映して、『住民が反対している』と。じゃあ何人デモに来ていたか、というのを言わない。僕は言うべきだと思っている。賛成と反対があるならイーブンにやりなさい。安倍さんが言っているのはそういうことですよ。何も、左がかっているから右にしろと言っているわけではないと僕は理解しています」


 こういう発言をする人がNHKのトップになるという。これに関する水島氏の批判。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20131221-00030851/

 ただでさえ、NHKのニュースは、まさに政府の広報化しているとき、NHKが今まで培ってきたドキュメンタリー制作の問題意識、手法などが消えてなくなるような気配がある。NHKの存在意義は、安倍により潰されるのではないか。
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知的巨人

2013-12-22 10:22:35 | 読書
 加藤周一のちくま学芸文庫の本を紹介したら、加藤の『日本文学史序説』(これも今はちくま学芸文庫、上下)を読んだという連絡が来た。

 文学史をひもとく場合、この本は不可欠の本である。ボクはこの本、単行本(筑摩書房刊、上下)で買っているが、学芸文庫版には補足的記述があるというから、文庫本買っておいたほうがいいかと思っているが、買ってはいない。

 書庫から加藤のこの本を持ってきているが、国学について批判的に検討するためには必須の文献だろう。
 
 それだけではなく、やはり丸山真男、そして小林秀雄も読む必要があろう。そういえば書庫から、小林秀雄の『本居宣長』(現在は新潮文庫、上下)を取り出し最初だけ読んだが、名文で始まっている。さすがの小林秀雄である。国学を検討するためには、この本も読む必要があろう(文を上手にするためには、名文を読む必要があると思う)。

 文学とはかかわらず、加藤周一の本は読む必要がある。たとえば加藤の『言葉と戦車を見すえて』(ちくま学芸文庫)は読むべきであろう。
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静岡発10:13

2013-12-21 23:49:50 | 日記
 今日は静岡へ。研究会に参加。

 終了後、某テレビ局のNさんと会う。

 某テレビ局、今年度入社した人が2ヶ月でやめたそうだ。徹夜で取材したり、土曜日や日曜日に仕事するのがいや、ということが理由だそうだ。昨年度の新入社員も2ヶ月でやめたそうだ。これは新入社員に問題あり。だが採用した面接官など、採用する人の眼がダメということだ。

 毎月最低2回、静岡に通う。1回は研究会、もう一回は社会運動史の編纂会議。

 並行して、いろいろな仕事が舞い込む。忙しい日々、時間がどんどん経つ。歳を重ねる。

 帰りに乗った鈍行は、ずっと混んでいた。ボクは座れたけれども、掛川までは立っている人がいた。妙な明るさが車内にはあった。酒を飲んでいる人が多かったから。

 でも、人々の顔は、疲れているようだった。
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