浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「遠州みみの里」のこと

2015-04-25 23:29:24 | その他
 浜松市に「遠州みみの里」という作業所がある。実を言うと、一度も訪ねたことはない。しかしボクは、その作業所を支える「遠州みみの里とあゆむ会」の一会員である。

 「遠州みみの里」のホームページがある。

http://www4.tokai.or.jp/miminosato/

 この作業所には聴覚障害のある人々が集まる。

 様々な障がいをもった子どもたちが通学する学校として「特別支援学校」がある。しかし、そこを卒業した後、障がいをもった子どもたちが社会のなかで生きがいを持って働くところはあまりない。

 そこで親たちが頑張って、子どもたちに働くことの楽しさ、働くことによってみずからを成長させる、働くことによって他の人々とつながる喜びなどを獲得する作業所をつくっている。浜松市には、ほかにも「まつぼっくり(の家)」などがある。「まつぼっくりの家」ではパンの製造販売などもしていて、ボクもそこでパン作りを何度か経験している。

 ボクがこういう作業所に関係するきっかけをつくってくれたのは、永年「ろう学校」に勤め、その後は「遠州みみの里」や「まつぼっくり(の家)」などの作業所に関係されたT先生である。T先生は、ことしの3月で「遠州みみの里」を「卒業」される。もう80歳になられるとのこと。聴覚障害をもった人々のためにほんとうに尽力されてきた、心から尊敬できる人だ。

 ボクは毎月一回、障がいをもった方々の前でいろいろなことを話す「講座」をボランティアでやっている。場所は発達医療総合福祉センターである。4月に行ったとき、駐車場はほとんど満杯、各地から到着するバスにもたくさんのひとが乗っていた。担当の方に尋ねたら、4月は障がいをもった子どもの親たちも一緒に来所するからですと教えてくれた。

 障がいをもった子どもをもった親たち、ボクがこういうことを言うのはまことに申し訳ないが、悩んで苦しんで、そして子どもに鍛えられて、そしてほんとうに立派な人格をもった方々になる。そういう方々に接することにより、ボクも成長させていただいている。

 学生時代、全国障害者問題研究会のI君から、いろいろなことを教えてもらい、障害児施設で働くことを考えたこともある。友人に、そういう道を歩んだ者もいる。
 I君は、東京の風の子会に関係している。その風の子会の定款にはこうある。

風の子会は、障害を持つ人が自ら豊かな生活を切り拓いていく力と機会を得ることができるように支援する。そして社会の中で仲間を得、居場所を得、生き生きと暮らすことができる場の実現をめざす。障害による外出困難など、活動への参加が困難な人には送迎や介助を保障する。
 風の子会の運営には、障害を持つ人、職員、家族および有志(ボランティア)が対等平等な立場でかかわる。そして皆がその能力を発揮しながら、おちこぼれがないように、話し合いと「実際にやってみてから考える」ということを無理せず背伸びせずゆっくりとくりかえして、皆が納得できる運営を目指す。
 風の子会は、多くの困難を越えて豊かに生きようとする障害を持つ人とその家族を尊敬し、応援する。そしてその努力が認められて社会にしっかりした支援制度ができることを願い、要求する。

 
 I君は学生時代にもった問題意識を持ち続けながら今も生きている。尊敬できる人だ。

 障がいをもった人間も、差別されることなく、この世界に生まれてきたことを心から喜べるような、そういう社会にしたいとおもう。
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事故

2015-04-25 06:55:03 | その他
 昨日は、尼崎の列車事故追悼のニュースがあった。下記は『神戸新聞』の記事の一部である。

 乗客106人と運転士が亡くなり、493人が重軽傷(神戸地検調べ)を負った尼崎JR脱線事故は25日、発生から丸10年となる。兵庫県尼崎市久々知の事故現場では24日夜、追悼のろうそく約600本がともされた。優しくゆらめく明かりに、遺族らは事故の風化防止を願った。

 ボクはこのニュースを聞いたとき、JR西日本の労働者を大切にしない経営が招いたことだと思った。私鉄と競合する関西では、JR西日本は相当無理をしていた。利益を出すためには、労働者を酷使すること、が至上命令で、実際様々な抑圧的な制度があった。

 そもそも国鉄の分割民営化は、国鉄労働組合を弾圧するために、中曽根内閣時に企まれたものだ。当初から、国労を始めとした労働組合を弾圧し、弾圧し、言うことを聞かない労働者は「人材活用センター」という収容所に押し込んで、草むしりなどをさせていた。国鉄労働者の誇りをズタズタに切り裂いて、JRは出発した。

 現在の労働組合の惨憺たる状況の出発点として、国鉄の分割民営化は位置づけられる。労働組合で残っているのは、いわゆる御用組合。会社の労務管理の担い手としての組合だ。労働者の権利を守る、あるべき組合はその力を大きく削がれてきた。

 働く人の権利や生活が大切にされない社会には未来がないと思う。

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思考の放棄

2015-04-24 08:23:54 | その他
 『ハンナ・アーレント』という映画を見たことについて、以前ここに書いたことがある。

 今月号の『Journalism』4月号、そこに千木良悠子氏の「混迷の社会状況の中で、確かな灯りを探して知の遺産に思いを馳せる」という文を発見した。千木良氏は作家・演出家・俳優である。といっても、初めて知る名である。

 その文が、『ハンナ・アーレント』に言及している。氏は、それだけではなく、プラトンの『饗宴』、ソンタグの『反解釈』、橋本治『恋愛論』にも言及しているのだが、しかしボクはこれらについては読んだことがなく、氏の文意があまり読みとれなかった。

 氏は、このように書く。なかなかの達意の文である。

 多様性の名の下に、個人の嗜好は無限に細分化され、余さずマーケティングの対象になり、あらゆる文化的な事象は、欲望充足のための装置となりかけてしまっている。芸術批評は機能せず、若干の才能は投資の対象になるか否かで価値判断される。時代と対峙し、歴史的作品を遺した先行作家たちの業績は容易く忘れ去られる。むしろ忘れさせるように社会が機能しているようにすら思われる。
 知の価値は無残に凋落し、思考の場所は閉ざされ、情報の濃霧が人々の視界を遮る。気がつけばいつのまにか頼るもののない荒野に置き去りにされている。そこは手に握る草1本も生えていない砂と岩に覆われた見知らぬ土地で、私たちは乾いた風に嬲られながらあてどなく彷徨っているうちに、かつて自分たちが知性の水で喉を潤わせていた記憶すら失ってしまうのだ。


 この文で、「嬲る」(なぶる)が使われているが、ボクは文中にこの語が使われるのをはじめてみた。
 内容的には、現在の状況を的確に捉えているように思えた。なるほど「知の価値」は無残に凋落している。書店に行けば、「知」とはまったく無縁の地平から生み出されてきた捏造と虚偽、「思いつき」などが詰まった本がうずたかく並べられている。その積まれ方が、かかる本がよく売れていることを物語る。

 そういう状況の中で、『ハンナ・アーレント』の映画で、ハンナが講義で語ったことばが生きてくる。氏も引用しているのだが、ハンナはこう講義したのだ。

 思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。過去に例がないほど大規模な悪事をね。・・思考の風がもたらすのは、知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで、破滅に至らぬよう

 現在の日本には、思考をしなくなった人が増えていると思う。特に官僚や裁判官だ。

 アイヒマンは、「自発的に行ったことは何もない。善悪を問わず、自分の意志は介在しない、命令に従っただけなのだ」と語る。ハンナ・アーレントはそれを“悪の凡庸さ”と呼ぶのだが、権力者の意向を忖度して考え行動する人間が増えている。思考しないことがラクであり、思考しないで命令に従っていることが、「立身出世」の捷径だからだ。

 そういう場に、日本全体を替えてしまおうという力が強くなっている。そうであってはいけない教育や研究の場も、あるいはメディアなど公共的な場も。

 息を潜めていたアイヒマンは、日本の各所で、堂々と動き始めている。そして「何も考えずに、命令に従っていれば良いのだ」と号令をかけ始めている。
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【本】瀬川拓郎『アイヌ学入門』(講談社現代新書)

2015-04-23 17:50:53 | 
 アイヌについては『アイヌ民族抵抗史』みたいな本は読んだことはあるが、アイヌ民族そのものに関するものは一度も読んだことがなかった。

 本書を読み、いろいろなことを知った。アイヌが「アイヌモシリ」としての北海道、そしてその北方とだけと交流しているという認識であったが、そうではなく古代から日本と密接なつながりがあったということがよくわかった。アイヌの伝説や民間伝承などにも、本土の人間たち(たとえば修験者)との交流が残されていた。

 アイヌという民族についての最先端の研究の一部が本書に記されているのだろうが、それまでの研究などについての認識が全くないので、すべてが驚くことで、みずからの無知を再認識させられた。

 あまり詳しい説明はできないけれども、本書を読んで、アイヌについての理解を深めなければならないと思った次第である。
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指定管理者制度の破綻

2015-04-23 08:55:59 | 政治
 浜松市内の学校給食が提供されない事態が続いている。

 旧浜松市内の学校給食は、自校方式で、市の職員が中心となって学校給食を提供してきた。しかし新自由主義的な行政経営が浜松市に積極的に導入され、「民間でできることは民間で」というかけ声よろしく、学校給食も民間に委託されるようになった。学校給食は公務員がやる仕事ではないとして、安い非正規労働者をつかう民間業者にやらせるようにしたのである。

 そしたら今年の3月、民間業者が、安い非正規労働を確保できないとして、委託された給食業務を辞退してきたのである。

 4月以降、当然給食が提供されず、弁当を購入して子どもたちに配っている状態だ。これがまだ続くという。

 他方、富士市は、学校給食を手放さない。誇りを持って、子どもたちに学校給食を提供している。だから関係者は、富士市の学校給食の素晴らしさを誇らしげに語る。未来を担う子どもたちに、安心で美味しい給食を提供することが、富士市の責任であると考えている。

 浜松市の安上がりの行政経営を優先する行政か、それとも市民に責任をもつ行政か。どちらを選ぶべきなのか、おのずから答えは明らかだ。
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鹿児島地裁、川内原発差し止め却下

2015-04-23 08:22:14 | 政治
 裁判所は、原則的に国家権力を担う重要な機関である。したがって、鹿児島地裁の判決が、合理的な判決ということになる。どこの世界でも、ほとんどの人間は体制順応型である。そうしないとその世界で「出世」はしない。ほとんどの人は、大勢に順応し、権威にすがり、波風を立てずに生きていくことを選ぶ、いや選ぶのではなく、それが自然な生き方なのだ。
 支配層は、そういう庶民の習性を利用して、みずからの個別的な利害を貫徹していく。かくして、庶民は体制に順応することによって、支配層の個別的利害の担い手となり、支配層からの「おこぼれ」を頂戴して生きていく。

 福井地裁で、高浜原発の再稼働を認めない決定をだした裁判官は、きわめて良心的な人物であり、その決定を下したことによって裁判官としての「出世」を放棄したのである。みずからの立身出世とみずからの良心とを天秤にかけ、後者に軍配を上げた樋口裁判官は、まことに立派な人物である。

 だからこそ、鹿児島地裁の前田裁判官が下した決定と樋口裁判官が下した決定を比較すればよい、樋口裁判官の強い意志で行った学習の成果としての決定と、前田裁判官の九州電力の主張を「素直に」認め、九州電力の主張に沿った決定とを。

 下記にアクセスすれば、樋口裁判官の決定の全文が読める。

https://dl.dropboxusercontent.com/u/63381864/%E8%84%B1%E5%8E%9F%E7%99%BA%E5%BC%81%E8%AD%B7%E5%9B%A3%E5%85%A8%E5%9B%BD%E9%80%A3%E7%B5%A1%E4%BC%9A/%E6%B1%BA%E5%AE%9A.pdf

 前田裁判官の決定は歴史のくずかごに捨てられ、その後は顧みられなくなるが、樋口裁判官のそれは歴史の検証に耐える決定として、輝き続けるのだ。

 歴史の選択の前に謙虚に佇めば、おのれの選択は明らかだ。少数派かもしれないが、そういう選択が歴史を前に進めてきたのである。



 
 
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ブラックバイト

2015-04-22 23:22:30 | 社会
 確かに、現在の大学生はバイトをしないと学生生活をおくれない者が多い。親の仕送りだけで生活できる学生ばかりではないようだ。

 高校生が大学などに進学するとき、奨学金を申し込む者が多い。実際、大学生に仕送り額を聞くと、それだけで学生生活をおくることはできない額だ。となると、どうしてもバイトに精を出さざるを得ない。

 ボクが学生だったとき、苦学生はいたのだろうが、ボクの知る限りではバイトは小遣い稼ぎであった。ボクも家庭教師や夜警のバイトをしたが、それをしないと生活できないわけではなかった。

 今調べると、ボクの世代だけが、そういう生活が可能だったようだ。

 いろいろな本や雑誌に記されるバイトの実態をみると、本当に怒りが湧いてくる。労働者の権利は、国境を超えた長い間の労働者の闘いによって獲得されてきたものである。どこの国でも地域でも、資本主義社会の黎明期でも、あるいは日本では1945年までは、労働者は権利保障もなく、労働者はぞうきんのように扱われていた。「戦後」やっと労働者の権利が憲法上でも保障されるようになったのに、またその条文があるのにもかかわらず、今の労働者の実態は、権利がない時代と同様ではないか。

 ボクは法学部を卒業している。4年次のゼミは労働法であった。ただし公務員の労働基本権がテーマであったから、労働基準法などの労働者保護法については詳しくは学ばなかったが、それでも労働基準法という講座はとっていた。大学を卒業してからも、憲法や労働法、行政法などの本はよく読んだし、今もその関係の本は時々購入している。

 ボクは、若い人には折に触れて、労働法を教える。「Aさんは、会社で●●という処遇にある、こういう場合は労働法に違反するかしないか、もし違反するとしたらどう改善すべきか」というかなり実践的な内容であった。最近は若い人と話す機会がないので、労働法に言及することはないが、しっかりと伝えたいと思う。

 いつもボクは、若い人には、「知は力なり」ということを伝える。「知」を軽視する者は、奴隷状態におかれるはずだ。

 学べ、学べ・・・・・である。学生も、バイトで生活費を稼がなければならないなら、労働者の権利はしっかりと学んでおくべきだ。

 http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/ASH4N6HLRH4NULFA02G.html
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スズキのリコール

2015-04-22 20:41:34 | 社会
「スズキ、一度に187万台超リコール 国内過去最多」というニュースが飛び込んできた。

http://www.asahi.com/articles/ASH4Q3SB0H4QUTIL012.html?iref=comtop_rnavi_arank_nr01

 スズキの車は買わない。ずっと前だが、スズキの社員から、「スズキの車は買わない方がいいよ」と言われたことがある。何でも従業員の“怨念”がこもっているから、ということだった。スズキのラインはなかなかきつく、また給与も低い。

 以前、スズキに部品を納入している業者から、トヨタなら絶対に受け付けない部品でも、スズキならOKだ、ということも聞いた。スズキは、とにかく安ければいい、という方針なのだという。

 だから今度のリコールも、ナルホドと思う。
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武田鉄矢って、ダメ男だな

2015-04-22 10:20:32 | 社会
 金八先生というテレビ番組はよくみていた。武田鉄矢には、だから一定の好感を持っていたが、彼がこういったことを知って、ダメなヤツだと思った。

http://lite-ra.com/2015/04/post-1043.html

たとえば、私どもはテレビ局で仕事しておりますけど、テレビ局にやっぱり電力を消費しないために1日6時間、放送をやめるとかっていう覚悟が各局にあるかとか、そういうことまでも込みで考えて原発再稼働を認めずというような決心をすべきであって、国は間違ったことやってるぞ、はんたーい!という、そういう単純な話ではもうなくなったような

 こういう浅薄な人間だとは知らなかった。テレビ放映を6時間やめる、素晴らしいことではないか。テレビは“おバカ番組”ばかり。6時間やめたほうが、はるかに日本の文化レベルはあがるはず。

 だいたいにして、あの福島原発事故と他の何ものかと比較考量すれば、おのずから二度とああいう事故を起こさないようにすることが最大目的になるはず。とうぜん再稼働はすべきではない。

 武田鉄矢という人間が、そういうヤツだと言うことがわかっただけでも、この情報はありがたい。
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【本】山本義隆『一六世紀文化革命 1』(みすず書房)

2015-04-21 13:02:25 | 
 とても知的でよい本である。序章で、本書全体の概観が書かれ、その後具体的な叙述が始まる。
第一章 芸術家にはじまる
     ここでドイツの画家・デューラーの役割が明示される。
第二章 外科医の台頭と外科学の発展
     差別されていた外科医や理髪外科医らが、臨床経験から導き出した外科学の発展が記述される。
第三章 解剖学・植物学の図像表現
     レオナルドダヴィンチらの人体の図、植物の図像表現が印刷されていく。 
第四章 鉱山業・冶金術・試金法
     鉱山業の発展の背景、資本主義的な生産の開始、技術の公開などが記される。
第五章 商業数学と一六世紀数学革命
     代数学などの発展は、商人らが日々行わなければならない活動の必要性から生まれてきたことが記される。

 要するに、一六世紀の文化革命は、エリートではない人々の実用的な必要から自生的に発展したことが記される。ラテン語ではなく俗語(英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語)によって書かれたものが印刷出版され、人口に膾炙していくなかで文化の変革が果たされたのである。

 あまり詳しく紹介はしないが、ボクはノートをとりながら読み進めていったが、さすがに山本義隆氏。無数の書籍を縦横に駆使して論を進めていくのだが、わかりやすく知的触発に満ちている。

 さてその2を読みはじめよう。
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牛肉

2015-04-21 08:51:54 | グルメ
 福島原発事故以降、買う魚にはどこで水揚げされたかに注意するようになった。日本海のものを買うようにしているが、しかし放射能は世界中に運ばれる。

 肉は、できるだけ国産のものを買っている。豚肉は絶対に国産。アメリカ産は絶対に買わない。アメリカの畜産は、まるで工場。すし詰め状態にして飼育し、薬や成長ホルモン剤を投与して、ひたすらカネ儲けにいそしんでいる。

 牛肉はオーストラリア産も時々購入するが、オーストラリアも成長ホルモン剤を投与しているとのこと。これからはやはり国産しかないと思う。

http://biz-journal.jp/2014/11/post_7514.html

 食べるものがなくなる。自家栽培の野菜は化学肥料も農薬も使っていないので安心なのだが・・
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「もう無理ですっ」・・店員の叫び

2015-04-20 22:41:47 | 社会
 すき家高円寺店のことが掲載されている。投稿した人の言うとおりだ。

http://cureco.jp/view/294
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記事の間違い

2015-04-20 16:55:43 | メディア
 昨日の『中日新聞』のサンデー版。「街道ものがたり」は、秋葉街道であった。読みはじめてすぐに間違いに気づいた。

 記事はこう始まる。

 江戸時代、火災を防ぐ「火伏せの神」として庶民の信仰を集め、一説には伊勢神宮のお伊勢参りと二分するほどの人気だったという秋葉山本宮秋葉神社(浜松市天竜区)。

 ボクは早速秋葉信仰の研究者である町田の住民にご注進に及び、同時に中日新聞社に「江戸時代には、「秋葉山本宮秋葉神社」はありません。中日新聞東海本社には、田村貞雄『秋葉信仰の新研究』を寄贈してあるはずです。しっかりと読んでからお書きください。」とメールした。

 そしたら今日午後、中日新聞東京本社のデスクから電話があって、記者がそう書いたのではなく、デスクが書き直したとのこと。若干説明したのだが、デスクには神仏習合の伝統と明治初期の神仏分離に関する知識がないとみた。そういうデスクが書き直したのである。恥ずかしい話だ。

 いずれ、町田の住人から厳しい訂正要求があるからと言っておいた。

 しかし、秋葉信仰についての間違った認識は、いっこうに正されない。このように、大手メディアが間違った認識の記事を書いているのだ。

 メディアは、間違った認識を正す側に立つべきである。そのためには、記者や、もちろんデスクこそが、きちんと勉強することだ。

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紹介 シリア人質事件について

2015-04-20 13:34:43 | 国際
 すでにメディアからは消え去っているが、シリアでの人質事件は、国際社会における日本の立ち位置を考える上で無視できない事件である。きちんと考えていく必要がある。

 そこで、下記の「イラクの子どもを救う会」のブログを紹介する。

http://www.nowiraq.com/blog/
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【本】イアン・ブルマ『廃墟の零年 1945』(白水社)

2015-04-20 12:03:09 | 近現代史
 1945年という年は、第2次世界大戦が終わった年である。たとえばボクらは、5月にヨーロッパでの戦いは終わり、8月に日本の敗戦によって、第2次世界大戦は終わった、とする。5月にヨーロッパで、8月にアジアで平和が訪れたと考えてしまう。

 だが現実はそんなに甘いものではないことを、本書は教えてくれる。一次史料ではないが、無数の文献をひもといて、1945年の姿をヨーロッパやアジアに追いながら、それらの文献を見事に織り込んでいく。

 原題は、YEAR ZERO A History of 1945であるが、「零年 1945年の歴史」のほうが良いのではないかと思った。というのも、1945年のほぼ戦闘終了直後からの歴史が描かれているからだ。

 しかしまあ、人間というのは凄まじい存在だ。たとえばこういう記述。

 「ドイツ人は常に、自分はユダヤ人を助けたと言っていたよ。助けただって! わたしはそのように触れ回る連中の一人を知っているが、彼は本物のナチだったよ」という収容所に送られたユダヤ人の発言。

 平気でウソをつくドイツ人。

 歴史は、決して良心や正義では動いていないことがはっきりと、これでもかこれでもかと示される。“悪”が歴史のなかで、うまい具合に生き残る。“悪”がみえないところで“善”を踏みにじる。“悪”は、“悪”がおこしたことで罰せられることもないままに歴史は過ぎていく。

 1945年は、戦争が終わり、平和へと向かうある意味明るい光を放っていた。だが、現実は、決してそうではないことが示される。400頁近くある本だが、読む価値はある。

 3200円+悪税
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