今年5月、熊本水俣病の公式確認から60年となった。しかしこの問題がまったく未解決のままで、チッソの被害を受けた人々への救済がなされていない状況がある。『世界』には、「水俣病はなぜ終わらないのか(上)」という文が掲載されている。
副題には、「高齢化する患者、患者切り捨てを続ける行政」とある。この切り捨て政策を推進しているのが、熊本県であり、また環境省だ。
環境省は、水俣病の認定基準を、1971年時点では「症状は一つでも、有機水銀の影響を否定できない場合は認定」としたが、認定申請が急増したために77年には、「感覚障害を中心に複数の症状の組み合わせがなければ認定しない」とした。これが契機となって、申請の却下が激増し、訴訟が頻発した。訴訟では77年通達を否定、熊本県は環境省にどうしたらよいかを問い合わせると、環境省は「汚染当時の毛髪・血液中の水銀値の提出を求める」通知を出した。
被害者救済ではなく、「カネ勘定」の方が大切だとした環境省。
そしてまた福島原発事故で大量に生み出された汚染土。これを全国にばらまいて処理しようという動きがでている。以下の記事だ。
http://buzzap.jp/news/20160608-nuke-waste-recyle-998/
環境省設置法には、「環境省は、地球環境保全、公害の防止、自然環境の保護及び整備その他の環境の保全(良好な環境の創出を含む。以下単に「環境の保全」という。)並びに原子力の研究、開発及び利用における安全の確保を図ることを任務とする。 」とある。
中央省庁は、国民の生活を守らない。こうした国家機構はいらない。