心の扉 神戸カウンセリング花時計

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大阪名勝庭園 普門寺

2018年03月30日 | 名所巡り(大阪)

 

今回の名所巡りのメインの高槻市の普門寺は、

摂津・普門寺城跡とも言われています。

 

昭和52年1月に方丈が、国の重要文化財に指定。

昭和56年8月庭園が、国の名勝に指定。

平成12年12月、境内のほぼ全域が国の名勝

追加指定されました。

 

 

 

 

普門寺は、

明徳元年(1390)設厳(せつがん)によって開かれ、

永禄4年(1561年)に

元管領・細川春元を隠居させるための城郭として築城され、

 

同9年には、足利義栄(よしひで)が

普門寺で14代将軍の宣下式を行い滞在しました。

 

その頃の普門寺の敷地は、

6千坪とも9千坪とも推測されていて、

その広大な敷地には、見事な堂や塔の伽藍が立ち並び、

堀も巡らせていました。

 

 

 

普門寺

 

拝観には、事前予約が必要になります。

 

私達は、予約時間に門前に到着したのですが、

門が閉じていて受付所のような所も見当たらず、

まさか奥に見える建物に向かって

門外から叫ぶ方式のはずもないので少し焦りましたが、

電話で連絡が無事に取れて拝観となりました。

 

 

 

 

この一件を、勝手に想像をさせてもらえば、

境内全域が国の名勝指定を受けたことで、

インターホンはもちろん新たに拝観受付所を設けることも

勝手に出来ないのかも知れません。

 

 

 

普門寺  三門【国指定名勝】

 

先ほどの本照寺の敷地も三輪神社の敷地も

かつては普門寺の敷地で、

三輪神社は、普門寺の鎮守社(ちんじゅしゃ)であったと

伝えられています。

 

 

 

普門寺  石畳【国指定名勝】

 

隠元禅師作と伝えられる黄檗式石畳は、

国指定名勝に登録されています。

 

明暦元年(1655年)に龍渓が、

中国・明の高僧・隠元禅師をこの寺に招き、

約7年半をこの寺の住持として滞在しました。

 

隠元禅師が普門寺の住持となったことで

後水尾上皇を始め、各地から僧が集まり、

仏殿、鐘堂、石庭などが整備され大いに栄えたそうです。

 

 

 

隠元禅師筆の「獅林の額」

 

獅林は、獅子林の略で禅の修行の場の意。

 

 

 

普門寺  方丈【国指定名勝】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御本仏の釈迦如来

 

御本仏の釈迦如来は、唐時代のもので仏師・范道生作。

 

 

 

普門寺  方丈 襖絵

 

襖絵は、狩野安信の水墨画。

 

 

 

お茶とお菓子

 

方丈の縁側に腰を下ろし、注ぐ暖かな太陽光の元で

呼ばれのお茶とお菓子を頂きながら

方丈前庭園をゆったりと拝観する至福のひととき。

 

これ、最高す。

 

 

 

普門寺  方丈前庭 枯山水庭園

 

白砂と石畳みの境界にある網の様なものは、

猫が庭園に入り込まないようにするための道具だそうで、

あれが有る無しでは随分と違うそうです。

 

網の間にある小さな丸い石は、

人間が庭園に入らないようにするための

これより先は進入禁止を表す結界の石。

 

 

 

 

今日は、天候が良かったので、

白い砂に太陽の光が反射して、

白い砂がより一層に白く映えていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普門寺  方丈内 西面

 

 

 

普門寺  方丈北面の苔庭

 

 

 

普門寺  心字の庭

 

方丈の西面にある心字の庭は、

古庭園研究家 森蘊工学博士による昭和の庭園。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普門寺  方丈【国指定名勝・国の重要文化財指定】

 

普門寺の書院造の美しい方丈からは、

二条城、天竜寺、京都御所が思い出されます。

 

 

 

 

室町幕府が滅びた後も普門寺は、

重要な軍事拠点として活用され

有名な秀吉の「中国大返し」の際には、

この普門寺で全軍が落ち合い軍議を開きます。

 

普門寺を本陣として明智光秀を倒すべく

織田信長の弔い合戦、山崎の合戦に突入していきます。

 

 

 

普門寺  梅と方丈

 

 

 

普門寺  観音補陀落山の庭(玉淵坊作)

 

普門寺の観音補陀落山の庭は、

国指定名勝・国の重要文化財指定に登録されています。

 

 

少しズームして

 

 

さらにズ~ム

 

中央奥の縦に立つ石が滝、

真ん中の平たい石が橋、

苔が生えていない部分が川を表しているとのこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

細川晴元の墓 宝篋印塔

 

観音補陀落山の庭の奥にある

細川晴元の墓と伝えられる宝篋印塔。

 

細川春元(ほそかわ はるもと)は、

室町時代末期の戦国大名で、

将軍に次ぐ重要な役職の管領に就任しましたが

家臣の三好長慶の反乱で没落し、

実権を持った管領としては最後の管領となりました。

 

かつては広大な敷地を要していましたが

現在の普門寺は、拝観するには丁度良い広さの敷地に、

異なる4つの庭園、美しい方丈があり、

京都や奈良に匹敵する位に満足できる場所でした。

 

最後に、私達を心よりお迎えして頂いた

普門寺の方々に御礼を申し上げます。

 

 

 

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