心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

島根県 名勝・桜井家住宅「可部屋集成館」Ⅱ

2022年06月28日 | 名所巡り(島根県)

 

桜井氏庭園であり岩浪の庭でもある

国指定名勝庭園に御成門から足を踏み入れます。

 

 

 

桜井氏庭園 御成門

 

その昔は殿様専用だったと思われる門を潜り

僅かでも殿様気分を味わいたい。

そんな気持ち、分るでしょう♬

 

 

 

 

 

 

岩浪の庭

 

この庭園は、松江藩主・松平治郷公の訪問を

歓迎するために作庭された日本庭園で

松平治郷(不昧公)が『岩浪の庭(がんろうのにわ)』

と名付けました。

 

 

 

     

 

こんな瀧、観たことがねえ。

 

写真では分かりずらいんですよね。

庭園に流れ落ちる滝の音

バシャバシャバシャじゃなくてドドドドドドドド。

 

もう庭園に滝を設けたと言うより

自然の瀧の下に庭園を作庭したような感じで

これほどの規模の滝が庭園に設けられているのを

これまで観た記憶がないんですよね。

 

 

 

 

庭園の規模としては小さい方だと思われますが

半端なく雪崩落ちる滝の水と煎茶席『菊掃亭』が

この庭園の魅力をかなり引き上げています。

 

 

 

 

 

 

 

かなりの量の水が滝から庭園の池へと注ぎ込んでいるので

池から排水される水の流れがあっても良いと思うのですが

殆ど見えないのは複数個所から排水されているのかも。

 

 

 

 

庭園が色鮮やかな赤色や黄色に染まる紅葉の時期の

景観も素晴らしいようです。

 

 

 

煎茶席「菊掃亭(きくそうてい)」

 

多くの時間を滞在した岩浪の庭を後にして

奥の客殿がある場所へと向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

客殿『一丈庵』

 

 

 

 

明治11年、12年に

逗留していた南画家の田能村直入氏が

この客殿で多くの作品を残すと共に

岩浪の庭にあった煎茶席『菊掃亭』を残しました。

 

 

 

 

 

 

 

緑の垣根から下を覗くと

豊かな水が流れる渓谷があります。

 

 

 

観音渕

 

この上流に建立されていた新宮権現社と木宮権現社が

1674年の大洪水による山崩れによって流出し、

黄金の観音像を発見したことから観音渕と呼ばれています。

 

 

 

 

 

 

桜井家住宅 正門

 

桜井家住宅の正門だと思われるところが

庭園観賞の出口となっています。

 

 

 

 

 

 

渓谷 内尾谷川

 

先ほどの観音渕から続く水の流れで

庭園の滝の水も渓谷に流れ込んでいるようです。

 

 

 

鎮守社

 

 

 

 

 

 

 

名勝・桜井氏庭園は、水の音が印象的な庭園でした。

 

滝の音、水車の横を流れる水の音、渓谷の水の音が

桜井家住宅の敷地一帯に心地良く響き伝わります。

 

 

 

 

一日の日照時間が長くなっているので

まるでお昼過ぎかのような雰囲気がありますが

桜井家住宅の観賞を終えたのが午後4時で

今から出雲大社を訪問するのは

帰りのことを思うとやはり無理なようです。

 

今回の名所巡りは、

ここ桜井家住宅で終えて神戸に帰ります。

 

私の趣味である名所巡りを

皆様にも少しでも楽しんで頂けたら嬉しく思います。

そして、今回も私の趣味である名所巡り

お付き合い下さった皆様に感謝申し上げます。

 

次回の名所巡りも

楽しくお付き合い頂ければと願っております。

 

 

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島根県 名勝・桜井家住宅「可部屋集成館」Ⅰ

2022年06月27日 | 名所巡り(島根県)

 

史跡名勝・菅田庵の観賞を終えてどうするか。

 

菅田庵から出雲大社へは車で約1時間10分程度。

菅田庵から桜井家住宅へも車で約1時間10分程度。

出雲大社と桜井家住宅を結ぶルートも

約1時間10分程度。

 

つまりは菅田庵と出雲大社と桜井家住宅は、

車での移動時間的には正三角形となっていて

深田氏庭園、菅田庵の後に出雲大社、桜井氏庭園を

巡る予定(願望)だったのですが、

 

今日来て今日帰るつもりなので

あと二つを訪問するには

時間的に厳しくなったので(いつものこと)

出雲大社桜井氏庭園のどちらかを選択することに。

 

で、私達が選んだのは、桜井家住宅(可部屋集成館)。

 

 

 

島根県 桜井家住宅(可部屋集成館)

 

奥出雲町上阿井の桜井家は、大坂夏の陣で倒れた

戦国武将・塙 直之(ばん なおゆき)の末裔という名家で

 

大坂夏の陣で始祖討死の後、

嫡男直胤は母方の姓「櫻井」を名乗り

福島正則(賤ケ岳の七本槍の一人)に仕えましたが、

同家改易の時に広島の郊外「可部郷」に住み鉄山業を営みます。

 

産出する鉄は良質と評価も高く

松江藩から認められて歴代鉄師頭取を務めました。

 

塙 直之は、『難波戦記』等の

軍記物や岩見重太郎の講談など語られ、

塙 団右衛門(ばん だんえもん)の名でも知られている

知る人ぞ知るの有名人のようです。

 

 

 

 

可部屋集成館は、

櫻井家に江戸期から伝わる美術工芸品、

歴史資料を展示した歴史資料館で

“たたら製鉄”の道具や有形民俗資料、

藩主お成りの際に使用された掛け軸、

床飾り等の調度品などがあり興味深くはあるのですが、

 

私達のお目当ては、桜井家住宅【国指定重要文化財】

隣接する桜井氏庭園【国指定名勝】なので

帰りの時間を考えて可部屋集成館は観賞せずに

庭園だけを観賞させて頂きました。

 

 

 

桜井家住宅

 

可部屋集成館を奥へと通り抜けるように進むと

桜井家住宅があります。

 

 

 

水車

 

割と大きな水車があり、

水車の横で勢いよく水も流れていましたが

今日は、水車は稼働していませんでした。

 

 

 

 

 

 

土蔵

 

 

 

 

岡山県の倉敷美観地区を思い出します。

 

 

 

桜井家住宅 母屋【重要文化財】

 

桜井家住宅は、1738年建造の母屋を中心に現存し

国の重要文化財に指定されています。

 

1803年に作庭された日本庭園は、

この地を度々訪れていた七代藩主の松平治郷(不昧)から

庭園の瀧を『岩浪(がんろう)』と名付けられたことで

庭園の名称が『岩浪の庭』となっているのですが

『櫻井氏庭園』国の名勝に指定されています。

 

どっちやねん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桜井家住宅母屋 前庭

 

桜井家住宅の母屋の中に入ることが出来て

有難いことに土間から建物内は撮影可能です。

 

 

 

桜井家住宅 母屋内部

 

お迎えしたお殿様が寛ぐ部屋は、

奥へ行く毎に一段高くなっています。

 

 

 

 

桜井家住宅は、

歴代の松江藩主の藩内巡視の折には本陣宿となり

御成りの間岩浪庭園は、

七代藩主の松平治郷の御成りの時に造られました。

 

 

 

 

 

 

駕籠と人力車

 

 

 

 

この奥に、お目当ての岩浪の庭があります。

 

 

 

 

母屋と庭園の境にある門を潜り少しだけ庭園を覗き、

そこでくるりと引き返して

解放されている御成門から庭園に入ることにします。

 

 

 

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島根県名所巡り 史跡名勝・菅田庵Ⅱ

2022年06月26日 | 名所巡り(島根県)

 

史跡名勝の菅田庵の受付でお願いした抹茶を

ここ向月亭くつろぎの間で頂くことが出来るのですが

私は、お茶を頂くのを後にして

まずは菅田庵の全景を観賞させて頂くことに。

 

 

 

向月亭 橋杭型手水鉢

 

橋杭型手水鉢とは、

橋桁 (げた) を支える杭を手水鉢に見立てたものです。

平安神宮の蒼龍池に架かる飛石の橋には、

三条大橋と五条大橋の橋脚が再利用されているように

日本は、昔から再利用に長けていたんですよね。

 

 

 

向月亭(書院)【重要文化財】

 

向月亭は、

四畳半台目や六畳、八畳の部屋等からなる建物で

南側は細い竹を並べた縁側があります。

 

本来は、御成門を通り、放鷹等の後に

御風呂屋(待合、風呂等)で汗を流して

菅田庵(茶室)で御茶を愉しみ、

向月亭(書院)で歓談するという流れですが、

 

一般公開では、向月亭から菅田庵、

菅田庵から御風呂屋の逆の順で観賞することになります。

 

 

 

向月亭 竹の縁台

 

御風呂に入り、この涼しげな竹の縁台に腰を下ろし

緩やかな緑の山風を肌で感じながら景観を愛でる。

 

 

 

露地門

 

 

 

 

露地門を潜った所に菅田庵があります。

 

 

 

菅田庵(茶室)【重要文化財】

 

身体を屈めて茶室に出入りする『にじり口』

刀を掛けておく『刀掛け』が見られます。

 

茶室は、身分の差はなく平等という茶道の精神に基づき

身分の高い方も刀を外し身体を屈めて頭を下げなければ

茶室に入られない構造となっているとされています。

 

 

 

 

菅田庵の厚みのある茅の屋根が特徴で

松平治郷(不昧)の筆とされる陶磁製の円形の額が

掲げられています。

 

菅田庵(茶室)の奥の石段を登ると

御風呂屋(待合、風呂等)があります。

 

 

 

竹穂垣

 

 

 

御風呂屋【重要文化財】

 

御風呂屋は、菅田庵や向月亭より

竹穂垣のある石段を少し登った高台にあり

待合として腰掛、袴直しの間、浴室

脱衣の間、雪隠(トイレ)が設けられています。

 

 

 

 

お殿様が放鷹の後、ここの蒸し風呂で汗を流し

服装を整えて菅田庵へと降りて行ったのですが、

今、お殿様と同じ場所に立って

お殿様と同じものを見ていることを思うと

ワクワク感が止まらない。

 

 

 

 

 

 

 

建物の中を覗くと奥の狭い空間に設けられた

蒸し風呂を眺め観ることが出来ます。

 

 

 

 

松江藩主のお殿様の生活より、

今の私達の暮らしの方が便利で贅沢な暮らしなのは

間違いないですよね。「私達、うえいっちゃってるぅ。」

 

でもあの時代には無かったものが

今の時代に有るだけなので、

無い時代の人達が有る時代の人達を羨みようもないので

生活の充実度や幸福度は便利や贅沢、

有る無しでは決まらないのかなと。

 

 

 

 

元来た園路で向月亭へと戻り

お願いしていた御茶を頂戴することに。

 

 

 

 

御風呂屋から菅田庵で茶を嗜んだ後、

露地門を潜ると視界が一気に広がるんですよね。

 

視界が遮られていた世界から視界が一気に広がる世界へ。

実によく考えられた構造だなあ。

 

 

 

 

 

 

延段

 

延段とは、庭に設けられた敷石の通路のことで

飛石とは違って石と石の隙間が殆どないので

歩幅を気にせずに歩けます。

 

飛石の中に設けられている

両側を太い青竹で囲んだ延段が粋な感じ。

 

 

 

向月亭 くつろぎの間

 

向月亭のくつろぎの間からは、

また一味違った景観を味わえます。

 

 

 

 

向月亭と菅田庵と御風呂屋が、

昭和25年(1950)に重要文化財に指定されましたが、

その前の昭和16年(1941)には、

国宝に認定されていたんですよね。

 

しかし、菅田庵が造られたのが

1792年であることは判明していますが、

1790年に建設された可能性も浮上し

菅田庵の造設時期がハッキリとしないため

国宝から重要文化財指定と変更されたようです。

 

造設の時期が僅か三年の幅でもあると

あいまいなものとされて国宝認定されないとは

国宝認定の審査は、かなり厳格なようです。

 

 

 

 

頂いた和菓子と抹茶が

京都一乗寺の和菓子屋さんで頂いて以来、

美味しいと感じる抹茶となりました。

 

お茶を入れて下さった女性。

有沢家の娘さんなのか、奥さんなのか、

物腰から上品さを感じられて

何より美しかったのは、この女性だったかも。

 

 

 

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島根県名所巡り 史跡名勝・菅田庵Ⅰ

2022年06月25日 | 名所巡り(島根県)

 

鳥取県の名勝・深田氏庭園から

次の目的地の島根県の史跡名勝・菅田庵に向かいました。

菅田庵までは、車で約40分の距離になります。

 

菅田庵は、老朽化に伴って約70年ぶりの大規模修理が

2015年から約3年4ヶ月かけて行われていたことで

長らく非公開となっていましたが

2020年の11月より一般公開が開始されました。

 

 

 

島根県 史跡名勝・菅田庵(かんでんあん)

 

最新の情報を入力していない友人の車のナビに

画面上存在しない道路上を何度か走らせたり、

突然、画面上に経路を示す黄色い道路が完全に消えたりと

なかなかの面白い現象を見せられながらも

大きく時間をロスすることなく目的地に到着しました。

 

 

 

 

菅田庵は、江戸時代中期の1792年頃に

松江藩七代藩主の松平治郷(はるさと)の

庭園の地割から建物の配置に至るまでの設計図により

家老の有沢家の山荘内に建設された草庵風の茶室になります。

 

松平治郷は、江戸時代の代表的な茶人の一人で

号の不昧(ふまい)で知られていて

茶風は、不昧流として現代まで続いているそうです。

 

 

 

 

菅田庵の説明版から思いのほか長い園路が続きますが

木々の間を通る園路の雰囲気が良く

それ自体を楽しむことが出来ました。

 

 

 

 

 

 

園路の苔と木漏れ日

 

菅田庵の園路の石畳は、

踏んだら弱るの苔で覆われているので

苔を踏みしめて園路を奥へと歩みを進めます。

 

苔に覆われた園路は、

ふわふわの絨毯の上を歩くような感触が心地良かった。

踏んでも弱らない苔の種類があるのかも。

 

 

 

菅田庵 石標

 

おっ石標を発見!

ようやく菅田庵に到着かと思われましたが

園路は、ここからが始まりのような感じです。

 

 

 

菅田庵 御成門

 

松江藩主の松平治郷が

菅田庵を訪れた際に通った御成門

 

この門の向こう側に続く園路が正規の園路ですが

私達は、御成門の左側に続く園路を進みます。

 

 

 

 

御成門までの苔の園路と

御成門から先の私達が通る園路の雰囲気がまるで違います。

こちらの園路も立派で綺麗で気持ち良く歩けます。

 

 

 

 

この場所には、花見が行われる程の

沢山の桜の木があったようですが

その殆どの桜の木は枯れてしまったようです。

 

斜面に見られる若木は、桜の木かも知れません。

 

 

 

 

松江藩の家老であった有沢家は、

松平直正に仕えた有沢織部直玄が初代。

 

有沢家の有沢弌善は、松江藩の家臣としてだけでなく

藩主・松平治郷に茶堂を学ぶ立場になります。

つまり師匠と弟子の関係ですね。

 

お殿様に愛され、お殿様より与えられた菅田庵を

代々の有沢家が現在も所有して朽ちさせることなく

大切に保存し続けている。

 

 

 

 

松平家と有沢家との関係も

今も続いているに違いないでしょうし、

受けた恩恵をいつまでも忘れない有沢家の様子が美しい。

 

それはさておき、この園路はどこまで続くのかと

少し不安になり始めた頃に

 

 

 

 

目的の菅田庵の建物がある場所に到着。

 

御成門までは、緑色の園路と園路沿いの木々に緑。

御成門からは、垣根、石段、石垣も

赤茶色に統一されている感じ。

 

これまで歩いてきた苔の園路も

近年追加で名勝範囲に含まれたようです。

 

 

 

待合

 

正式なルートではない方にも待合がありました。

 

これってお殿様のお付きの人達の待機所としてなのか、

私達のような一般の人達が長い園路を通り

疲れた脚を休めるために造られた物なのか、

確かめることを忘れていました。

 

 

 

 

拝観の受付を済まして待合を通り抜ける前に

江戸時代に造られた待合かどうかは分かりませんが、

江戸の雰囲気を味わえるかもしれないので

やっぱ一度は、腰を下ろしておかなくっちゃね。

 

待合を通り抜けるとお目当ての景観が現れます。

 

 

 

 

 

 

史跡名勝 菅田庵庭園

 

これを庭園と言うのか何と言うのか、

目の前に樹高が統一された雲海のような緑が広がり

その奥には、高い樹々が見られます。

 

樹高が整えられた目の前の木は、

手前のツツジの様に樹高が低い状態ではなくて

2~3m程下の地面から生えている木です。

 

 

 

 

南東側からは、朝酌川を行き交う船や大山を、

南西側からは、松江城や宍道湖(しんじこ)まで

当時は見通せていたようですが、

時代と共に高い建物が景観を遮るようになり

また奥の樹が高く成長。

 

奥の樹の幹を伐採して元々の樹高に抑えるかどうかを

悩んだそうですが色々な方に相談した結果、

伐採しないことにしたそうです。

 

 

 

向月亭 手水鉢

 

 

 

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