心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

果実

2013年01月18日 | 自己確立



ケーキを食べたいなと思ったら

コンビニに行けばちょっとしたケーキを

手に入れることが出来るし、



ちょっと分からない事があれば

ネットで調べれば有難いことに

目的の答えを見つけることが出来る。



ケーキを作れるようになりたいとか、

それについて深い知識や思考力を高めたいと

思わなかったり、特に必要でなければ、

見事な果実を実らせる知識と労力は

得意な人に任せ、感謝し、

実った果実を頬張ることで十分な訳です。



しかし、全てがそれで何とかなるものでもなく、

見事な果実を実らせるために

自分が汗を流さなくてはならないことがあります。

そして、心理療法もその一つです。



「私って変じゃないですよね。」

「私は悪くないですよね。」

「私がいけなかったのでしょうか。」



このような質問をされることがありますが、

その方が悩みの状態に陥っている本当の原因は、

変なのか。変でないのか。

悪いのか。悪くないのか。

の答えを知らないからではありませんし、

その答えを教えてもらう事を

望んでいる訳ではありません。



その方が求めているのは、

変じゃない。悪くない。と言ってもらえる味方を

多く得て安心したいのです。



出来るだけ多くの人を、

権威ある人を、

集団の中で力ある人を、

言ってもらう事で味方につけて

安心しようとしているのです。



望み通り、同意を得られると

一応の安心を手に入れることが出来るかもしれません。

しかし、それでは、

また何かの時に同じ事が繰り返されることになります。



そのような事を繰り返さなくても良くなるためには、

外で実っている果実を掴もうとするのではなく、

自分の土地に実っている果実を

掴むことです。



つまり、それに対して自分はどう考え、

どう思い、どうしたいのか。

まず、しっかりと自分の旗を揚げること。

それが最初です。



人の考えや判断がどうであれ、

それは、その次になります。



何も自分の考えや気持ちを

何が何でも貫き通せと言っているのでは無くて、

自分の考えや判断が違っていれば、

とことん話し合えば良い。



それでも、平行線のままであるなら

それも良し、

対立のままなら

それも仕方なし、

自分の見落としに気が付けば、

修正すれば良いし、

潔く心から御免と謝れば良い。



自分の旗を揚げないままでいるのは

自分の人生を始めていないようなもの。

それではあまりにももったいない。



「自分は自由に感じて良いんだ。」

「自由に自分の考えを持って良いんだ。」


それが必ずしも正しくなくても良いし、

凄くなくても良いし、立派でなくても良いし、

皆と同じでなくても良い。



この感覚を取り戻した時に、

真の解決となります。



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関係性

2012年08月30日 | 自己確立


私達は、その昔、自然界の中で単独で生き抜くことを選ばず、

社会を形成し集団で生き抜くことを選択しました。



大きな集団(社会)が形成されると、

強制力のあるルール(法)が作られ、

もっと小さな集団(友人、同僚、知人、)では

もっとぼやっとした暗黙のルール(倫理観や道徳観)によって

交流を持つことになります。



この時、

依存性が高かったり、責任を持つことを拒否したり、

とにかく争いを回避することを優先している個人は、

その個人のパーソナルの境界を削ることで対処し、

上下関係の下に位置しようとしますが、

これが過ぎると圧迫感や閉塞感が強くなり、

それを維持することが出来なくなります。



また、

個人のパーソナルの境界を広げようとする傾向の強い人は、

上下関係の上に位置しようとしがちで、

神の如く個人の考えや行動が正しいと錯覚し、

周りの個人の気持ちを軽んじ始めると

やがて、その集団から追い出されることになります。



それと、この二つの中間、

誰かの考えや行動選択が

自分の価値観と全く同じであると

思い込むことで対処しようとしますが、



それによって、

パーソナルの境界を削っていることの苦しみや不満を

誤魔化すことが出来たとしても、

自分に中に取り込んだそれらを完全に消化し、

血や肉や骨とすることが出来ずに、

慢性的な消化不良を起こし、

空虚感、自己喪失感を強めてしまうことがあります。



このように、個人の境界を動かすことや、

誤魔化しあやふやにすることで、

関係性を保とうとするのも、

一つの方法ではありますが、

これらが過度にならないよう注意が必要です。



そこで、もっとも高度でもっとも安定が得られるのは、

自分の境界と自分の境界の枠内のものを大切にし尊重すると共に、

相手の境界と相手の境界の枠内のものも大切にし尊重する

スタンスをとることです。



屈服、盲従でもなく、征服、侵略でもなく、同化、融合でもなく、

誤魔化しでも、先送りでも無く、

一つの身体の中に手と足が同居するように

互いが健康的に同居し、繋がる感じです。



それまでの在り方、関わり方を変えて、これを確立するには、

他者承認を優位にするのではなく自己承認を優位に、

現在の自分を自分を信頼し、これからの自分を信頼すること。

それが重要なポイントとなります。


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お守りのような

2012年07月01日 | 自己確立



心理療法の理想は、

クライアントが自分で考え、自分で判断し、自分が決断して、

何らかの行動を起こしたり、

自分の在り方、生き方に自信や誇りを持てるようになることです。

つまり、クライアントが誰かや何かに依存することなく

自分の足で立ち、歩めるようになることです。



さらに言うと、クライアントが施療のゴールを迎えた時に、

あの施療者はあまり助けにならなかったけれども、

自分の力でそれを成し遂げたと思えていたなら

それは最高の施療であると私は考えています。



とは言うものの、

人は、何かに頼って、支えられて生きていることも間違いなく、

完全に自分の力だけで大丈夫だと思っている人がいたとしても、

厳密に言うと、

多くの医療施設に支えられたり、ライフラインが整備されていたり、

警察、食料品店、衣料店等、友人や仲間、

また、何も深い人間関係の人の存在だけなく、

家の外で歩いている人の存在を感じられることでも安心感を得ているものです。



また、長い人生、生きていれば色々とあるのも当然で、

それまでの自分に無かった何かを増やしたり、

それまでの自分が掴んでいた何かを減らしたりして、

その問題を乗り越えたとしても、

その先で、また別の何かの問題と言うか、

新たな壁の前に立つことがあっても不思議ではありませんし、



セレブの人が、お抱えの弁護士、お抱えのボディガード、

お抱えの料理人、お抱えの医師、お抱えのメンタル・トレーナー

を雇っていたとしても、それを自立していない証拠と言うのも

どうかと思います。



ですから、

「何かあったとしてもあのメンタル・トレーナーがいるから大丈夫かな。」

というような施療のゴールでも、

その施療は良い施療だったと言えるかもしれません。


また、

毎日決まった時間、決まった量の薬を

飲んでいるから大丈夫では

薬で痛み止めをしているようなものですから

解決とは言えませんが、

ポケットに薬をしのばせていることで、

「いざとなったらこの薬があるから。」との気持ちを持て、

その気持ちが持てることで

問題を引き起こすトリガ―を引かなくさせる。



そして、それ以後の色々な経験や人との出会いの中で

知らず知らず成長し、

やがてメンタル・トレーナーのことも

ポケットに忍ばせた薬のことも

忘れていく。

それで悪い訳が無いと思うのです。


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生きがい

2010年10月13日 | 自己確立




この度のノーベル賞を二名の日本人の方が

受賞されたニュースは、

いつもながらの気分の悪くなるニュースが多い中で、

自分が受賞した訳ではないのに、

誇らしい気分にさせて頂き、

おかげさまで

心を覆っていた雲を蹴散らした感があります。



受賞を心よりお祝い申し上げますとともに、

良い気分にさせて頂いたことに

お礼を申し上げたいと思います。



さてですが、

小さい頃、誰かに言われませんでした。



偉い人になりなさい。

立派な人になりなさい。

尊敬されるような人物になりなさい。

人に迷惑をかけるような事をしてはいけません。

人に好かれるような人物になりなさい。

どうでしょう。



そして、これについて何の疑問も持たずに、

すーっと心に入り込んでしまうと、

ちょっと危険なことが起きる可能性があります。



ここでちょっと質問。


質問1

偉い人って、立派な人って、尊敬されるような人って、

一体どんな人でしょう?



質問2

人に迷惑をかけない人って、人に好かれる人って、

一体どんな人でしょう?



質問の1の答えとして、

ノーベル賞を受賞するような人。

イチローのように有名な人。

会社を興し成功し高収入を得ている人。



何て言うようなことを浮かべた人は、

自分も同じような結果を得れない内は、

偉い人でも立派な人でも尊敬される人では無いと、

判断してしまうかもしれません。



そして、

そうでない自分を十分に受容し認めることが

出来なくなるかもしれません。



自分を受容し認め、

自分を好きだと感じたいがゆえに、

自分のケツを叩き自分を追い立てます。



それで、何らかの結果を得られる人はまだマシですが、

それらは、やすやすと手に入いらないものです。



そして、不安を感じ恐れを感じ続け、

そのネガティブな感情を打ち消すために

最後に残された手段、

自分を責めることに行き着きます。



さらに言うと、

これらについて明確な基準はありませんから、

基準の無いものは幻と同じで到達点はあやふやですから、

逃げ水に追いつくことが出来ないのと同じで、

追い続けることになりかねません。



質問2の

人に迷惑をかけないような人、

人に好かれるような人も同じ、

それってこんな人であると言えるような

明確な答えはありません。



しかも、自分ではなく人の気持ち次第で

結果はコロコロ変わります。



このような、

あやふやなものを自分の足場として求めると、

いつまでもいつまでも不安と恐れが付きまとい、

最後の手段へと行き着く可能性があります。



と言うことは、

そんなことは『クソ喰らえ!』かと言うと、

それもまたどうかと思うんです。



これは私がただ想像しているだけなのですが、

歴代のノーベル賞を受賞した方等は、

賞を取るために何十年もその道に励んできたのではなくて、

自分がのめり込めるものに

自分の身を置いただけではないかと思うんです。

その結果、賞へと繋がった。



前述のことだけを追い求め、

仮に結果を得たとしても、

それは張りぼての人生となるのではないかと思うのです。

だから、前述の言葉には大事なことが抜け落ちている。



もしかしたら、それを伝えた人は、

言葉を省略しているだけなのかもしれません。

そして、その省略された部分が実は大切で、

何を成し遂げるにしても、

それ有ってのもののような気がするんだけどなあ。



『仏作って魂いれず。』『餃子包んで具いれず。』



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