心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

毒を持って毒を

2014年04月29日 | 心理カウンセリング




私は、自分を決定的に打ちのめすのが

自分が自分に行う強烈な負の烙印だと考えてます。



そして、

それら負の烙印は、


「情けない人間だ。」「駄目な人間だ。」

「劣った人間だ。」「価値が無い人間だ。」

「魅力が無い人間だ。」「嫌われる人間だ。」

「自分には才能などない。」

「頭が悪い人間だ。」


と言ったように、

何にでも貼りつけようと思えば、

貼りつけることが出来ます。



しかしです。

情けない人間とは

どのような人のことなのでしょうか。

駄目な人間とは

どのような人のことなのでしょうか。



仮に、

多くの人が成功するようなことを

失敗をした人間を言うのだとすると

イージーミスをした人全てが

情けない人間であり、駄目な人間となります。



これが正しいとすると

殆どの人が何らかのことで

イージーミスをした経験があると思いますので、

自分も、あの人も、

この世の全ての人が

情けない人間であり、駄目な人間となります。



すると、全ての人がそうであるのなら、

情けない人間や駄目な人間は、

別の言い方に置き換えることが出来ます。



つまり、ごく普通の人間です。



さらに言うと

それが、あのことが

自分の思うように上手く出来なかった。

と言う事と

駄目な人間、情けない人間とは

全く意味、質が違います。



何かが上手く良かった時に、

「チクショ―!なさけねえ。」

「クソッタレ!」

と言うような気持ちになるのは

悟りを開いていない人間としては

ごく自然なことかもしれませんが、

その気持ちに人間のついた負の烙印を

押してしまうと全く別なものになってしまいます。



誰かと喧嘩して嫌われたとすると

「誰々に嫌われた。」は、あっても

そのことをもって

「嫌われる人間だ。」は、あり得ません。


「何々について才能が無い。」は、あっても

「全てにおいて才能が無い。」は、あり得ません。



人間が付いた負の烙印は、

現実には存在せず、空想の世界にだけ存在します。

龍、麒麟、鳳凰、かっぱと同じ。



その空想の世界にしか存在しないものに、

つい手を伸ばしてしまうのは、

自分の中から湧きあがる

強烈な不の感情や感覚を消してしまおうとする

防御的な行為からです。


その一つは、

「愚かな人間だと見なされかねないことをしたことを

自覚できないような真の愚かな人間ではない。」です。


あるいは、

「愚かな人間だと認めることで

許され、受け入れられ、愛される。」とかです。



このような行為は、

毒を以て毒を制する行為と言えるかもしれませんが、

度々にそれを繰り返すことで、

毒を制するための毒によって

深刻なダメージを被ることがあるので

リスクが高い方法だと言わざるえません。



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可愛げ

2014年04月28日 | 雑感・愚見




前回、可愛げについて

ちょこっと書かせてもらいましたが

その後で、

可愛げのある人、憎めない奴、

許される人って考えてみたのですが、



私の周りにもいましたし、

今の友人達もそうですし、

(友人については、私にとってそうですが

他の人にとってはそうではないかもしれません。)

現実の世に実際に存在するのは

間違いありません。



でも、それがどんな人なのか

言葉で定義するとなると難しい。



裏表が無い。素直な人。謝れる人。

計算高くない人。

そのままの自分を楽しめている人。

等など、

今まで接してきた可愛げのある人を

思い起こしながら考えると

次から次と出て来て、

短い言葉で表すことが

今の私には出来ないようです。



ただ、人間関係を壊してしまう

強烈なコミュニケーションの一つに

「あなたは(お前は)何々の人間だ。」

と人間を付けた負の烙印を放ってしまうことです。



「洗いもの手伝ってくれる。」

「ああ好いよ。」

「あっ何してるの。普通、そんな洗い方はしないでしょう。

もう良いから、私がやる。」


(普通の人ではないといった人格攻撃の意味が含まれます。)


「今日は、これで帰ろう。」

「ええ、もっと一緒にいようよ。」

「ごめん。ちょっと最近仕事が忙しくて

疲れ気味で。」

「え~。もうちょっとだけ。」

「ごめん。帰ろう。」

「あなたって人は、思いやりの無い人ね。」


(思いやりの無い人にも人格攻撃の意味が含まれます。)


人格を否定されると、

自分の全人格を否定されたような気がしますし、

行動は、直ぐに変えようと思えば

変えることは出来ますが、

人格を直ぐに変えることは

とてつもない要求になります。



自分に向けられたそのコミュニケーションを

素直に受け取ると酷く落ち込むか、

凄く怒りを感じる可能性が高まることになります。



だから、可愛げのある人、憎めない人、

許される人は、このようなコミュニケーションを

取らない人だと思うのです。



仮に、それを言葉にしたとしても

その言葉と同時に示されている非言語(気持ち)は、

言葉とは全く違うものであるはずです。



その他にも、

あなたは酷い人だと相手を否定するのではなく、

自分が困る、悲しむ、嫌だと言う

コミュニケーションをする等があげることが

出来るのではないでしょうか。





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もう負けでよろし

2014年04月26日 | 雑感・愚見




ちょっと良く分からない

判決のニュースがあったので

混乱しています。



情報不足の所為なのか、

法律の知識不足、理解不足の所為なのか、

「おや。」と言う感じです。



それは、

店内で客を無許可で躍らせたとして

風営法違反で摘発した事件への無罪判決です。



ダンスを規制することについては

考えるところがあるのはあるのですが、

その規制の良し悪しは別にして



とにかく現行の法律では

許可無く躍らせることを規制されているのですから

それをやれば摘発されても仕方がないとは思うのです。



そして、その判決は無罪???

なんか司法が法を否定した印象を受けたのですが、

そんな無茶苦茶なことであるはずがないので

法律の隙間を突いたのでしょうか。



したことを無罪として戦う前に

法改正で戦うことが先であり

筋なような気が。。。



そして、もう一つ。

飲酒検問で小学校の女教諭から

アルコールを検知したけれども

教諭の飲酒を裏付ける証拠が得られなかったので不起訴。


まさか、

体内で藻のようにアルコールが作られた

可能性があるという判断?


本人が意識を失っている時に

誰かが飲ませた可能性があるという判断?


それとも、

ドラえもんが飲ませたと

屁理屈をこねる剛腕弁護士が現れて

ややこしくなったからなのか。


情報が少なすぎて

これこそ意味が分からないぞ~。



話しは変わりますが、

一度たりとも過ちを犯さないのも

ちょっと無理っぽいし、

一人として怒らせない生き方をするのも

無理でしょう。



ましてや、

自分の価値観を信じたり、

自分の思いを大切にしたりして、

ちょっとした頑固さを持ち合わせていると

尚更です。



誰かを怒らせるような結果となった時に

「御免なさい。」と

謝罪する強さを持つことも大切ですが、

「うんにゃ!」と

自分の想いを貫き通す強さも

持ち合わせていたいものです。



「うんにゃ!」と

自分の想いを貫き通そうとする場合、

互いが納得するような

良い着地点に到達できるとは限りません。



そんな時に

相手から断絶、拒絶を意味する

「もうそっちの勝ちで良いよ。」

ではなく



譲った相手が笑いながら

「もうそっちの勝ちで良いよ。」

と言ってもらえるような

可愛げのある態度を取れるような

人間でありたいなあと思ったりするのです。



例えばですが、

立ち読み禁止と張り紙をしたのに、

だったら、

座って読めば大丈夫だろうときて、



立ち読みも座り読みも禁止とすると、

寝転んで読んでいるから大丈夫だろうときて、


ならばと、立ち読みも、座り読みも

寝転び読みも禁止とすると、


逆立ち読みなら大丈夫と

逆立ち読みをする。



ここまでくれば、

私なら、笑ってしまって

赦してしまうに違いありません。


私的には、可愛げのある奴とは

そんな奴のことなんです。



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烙印

2014年04月25日 | 心理カウンセリング




負担にしかならない

心や身体の反応が大きくなると

受け止めきれなくなります。



この時、

避けなくてはいけないこととして

自分や誰かや何かに対して

負の烙印を押すことです。



自分に

「駄目な奴だ。」「存在価値が無い。」

誰かに

「自分を嫌っている奴だ。」「酷い奴だ。」

何かに

「とんでもなく恐ろしいものだ。」



何かが出来ないことと

駄目な人間とは全く意味が違うのですが、

烙印を押すと、

そのように見えてしまうし、

思えてしまいます。



誰かや何かに付けた烙印は、

その誰かや何かを攻撃しなければ

思い切って関係を断ったり

離れてしまえば良いのですから

問題を大きくしない道があります。



しかし、

自分に付けた烙印は、

関係を断つ訳には行きませんし、

離れてしまう事も出来ません。



しかも

最初は怖いや不安といった反応であったものが

烙印によって、別の意味へと変わり、

持つ感情も別の感情になります。



そして、

その言葉の意味が

心の中でじわじわと広がっていきます。



強い怖さや不安に絡みつき

気分を落ち込ませる力となります。



強く大きな負のエネルギーが

「自分には存在価値が無い。」

「自分は駄目な奴だ。」の世界に引き込みます。



強い緊張や不安は、

心の地震だとすると

烙印は心の地割れを起こします。



そして、

自分の持てる可能性を限定したり、

力をそぎ落とすだけでなく

最悪の結果を招きかねません。



怖いにしても不安にしても怒りにしても

凄く怖い。凄く不安だ。腹が立つ。

のように心の反応で留まらるのも、

それらに負の烙印をつい押してしまい

重篤な状態に陥ってしまうことにも

心の規則が関係しています。



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反応の強化

2014年04月22日 | 心理カウンセリング




成長段階で学んだものを

生き抜くための心の規則として

内在化することで

本能的反応に近い反応をするようになるのですが、



その後の体験によっても

その反応を強くしてしまうことがあります。



例えば、

経験済みのこととは違って

誰もが未知のものと接した時には

その先がどうなるのか予測しずらく

少し強い不安や緊張を持っても

不思議ではありません。


この時、


家庭の中で何か失敗をすると

酷く怒られた子供が、

失敗することは悪であり

してはいけないことだのような学びをしていたり、

自分は駄目な人間だとか

自分は劣った人間だとかの学びをしていたりすると、



結果がどうこうよりも

この心の反応や身体の反応を

受け入れることが出来ません。



強い不安や緊張は、

隠しておきたい自分の自信の無さであり

駄目な自分が現れている姿だと理解して、

その反応を周りに気付かれないようにと



この時の不安や緊張を意志や理性で

抑え込もうとしますが、

抑え込もうとすればするほど

不安や緊張に気持ちが向くことになり

反応が強くなります。



そして、あのような状況では

また同じようになるのではと

不安や緊張に気持ちが益々向き

反応を強くしてしまいます。



一方、その強い緊張や不安を

そのまま受け止めることが出来る人は、

経験力が働いて反応が弱くなっていきます。


つまり、慣れていくのです。



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感情と規則

2014年04月18日 | 心理カウンセリング




現代で欠かせない車の機能で

一番重要なのはしっかりと止まれる事、

すなわちブレーキです。



それと同じように私達も

ブレーキの効きが一番重要です。



イドから発動される生きるための衝動を

コントロール出来なければ

大変なことになります。



チャンスは何度も訪れますが

命を失えば、何もかも終わりですから

当然と言えば当然です。



つまり、

私達は、生まれた時から

ネガティブな傾向を持っていることになります。



喜びを得ることよりも悲しまないことを、

褒められるよりも叱られないことを、

成功よりも失敗をしないことを

繋がることよりも拒否されないことに

得たものより、失ったものに


気持ちが注目するのも

それは危険を避けながら

最大限の喜びを手に入れ、

生き抜くためにごく自然な事です。



危険に近づかないように、

もう近づいていたとしたら、

即刻、その危険な状況から離れるように

不安や恐れ、悲しみの感情で

それを強制的、瞬発的に実行させようとします。



そして、同じ体験をしないように

その体験を記憶に深く刻み込みます。



得た安心感や満足感が薄れて行くのも

それから考えると

身を守ることにとっては油断であり、

油断は生き抜くことにとって害悪ですし、

満足感は、

最大益を求めることの放棄に繋がるので

ネガティブな傾向であることは

自然なことだと言えます。



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個性と規則

2014年04月15日 | 心理カウンセリング




私達がある時に定めた心の規則は、

その後の私達の感情、

行動、思考や認知の仕方に

大きな影響を与えます。



私達は、DNAの違いはあれど

誕生した時には、

一人一人に大きな個性の違いはありませんが、

やがてハッキリとした違い(個性)を

見て取れるようになります。



精神分析を創始したフロイトは、

その成り立ちを3つの段階で説明しています。



イド

本能的欲求衝動の源で

睡眠欲、食欲、性欲、悲しみ、怒り、喜び等が、

ここから発動され、

乳幼児は、この塊と言えます。



機能の目的は、

欲求を満たし不快を解消することを目的にしています。

そして、道徳、倫理、秩序等を考慮することなく

衝動を発動します。


すこぶるシンプルな

人が生きるための力です。



自我

乳幼児は、自分の欲求が必ずしも直ぐに

満たされるとは限らないことを体験から学び、

欲求を満たしてくれる対象を探したり

対象にアピールしたり、

行動を起こすようになります。



そして、

自分の欲求を最大限に満たすための

判断が加わるようになります。


今、直ぐに欲求を満たす。

今は我慢して後の大きく満たせる方を選ぶ。

欲求が満たすことが出来ないから我慢する。



おもちゃ売り場の前で

どうしても買ってもらいたいと

泣きながら駄々をこねる。

(欲求を直ぐに満たそうと)


母親に

「言う事を聞かない子は、もういらない。

誰か他の人にもらってもらうよ。」

と言う言葉を、

言葉通りに受け取ってしまい


「欲しい気持ちを素直に出すことは

凄く恐ろしいことになる。」

と感じて

自分のストレートな気持ちを

常に抑圧するようになったとしたら

心の規則を持ったことになります。



超自我

この段階では、私達が生きて行く社会の

ルールや倫理や道徳を学び取っていきます。


これらを最初に

誰から学び取るのかと言うと

養育者から学び取っていきます。



昔から

子供は親の背中を観て育つと言われますが

養育者からの言葉だけでなく

非言語からも自然と学び取ることになります。



養育者から

社会で生き抜くための方法を

学ぶことは自分の為にも有益ですが、

それ以上に

求めてやまない養育者からの愛情を

失わないように、もっと感じるために

学び取ります。



この時の養育者から学ぶ

社会で生き抜くためのルールや道徳観は

養育者の色が付いたものです。



こうして、

いくつもの個人の心の規則を

内在化していきます。



そして、

内在化した心の規則は、

個人の感じ方、考え方、行動の仕方、

認知の仕方、判断の仕方、

発想の仕方など、

様々なものに影響を及ぼし、

それが個性となって表れます。



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心の癖

2014年04月11日 | 心理カウンセリング




しない方が良いと分かっているのに

してしまう。



過度な緊張や不安や恐れ。

やってはいけないと思いつつも

我慢できずにしてしまう。



このようなパターンが

何故、自分に起きてしまうのか、

簡単に言うと心の癖です。



急にどこからかボールが飛んできたら

考えるよりも先に

身体が反応するのと同じです。



このような反応を本能的な反応?

いや、もしかすると幼少期に

類する体験をしたことによるものかもしれませんが、

とにかく本能的な反応とします。



これを変えようとすると

(本来は変えるべき反応ではありませんが)

ちょっとやそっとでは変えることが出来ません。



この本能的反応レベルに近いものとして

心に内在化しているので

考えでやめようとしても、

心の規則を優先して

身体や心が反応してしまいます。



本能的な反応は、

変えるべき反応ではなく、

変えてはいけない反応ですが、

(変えることによる利益よりも

遥かに大きな損失が見込まれる。)



しかし、本能的反応にプラスされた

学習による反応は、

変えても良い反応であり、

変えることが出来る反応です。



ある時に、学習し設定したそれは

その時の最良の学習であり、

その最良の学習の名残です。



しかし、その当時において

最良の学習であったものだとしても

今の自分にとって

最良のものではないとするならば

変えることに汗を流すだけの

価値は十分あるのではないでしょうか。



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変わるためには

2014年04月08日 | 心理カウンセリング




以前にも同じような事を

書かせて頂いたので恐縮ですが

私達の問題や悩みは、

現実的なものと

心理的なものがあります。



例えば、

飲み会の帰りにタクシーに乗って

しばらく走った後で

財布を確認してみたら

あるはずの所に無い。


のような時に、

何らかの感情や気持ちを持ったり、

その対処の仕方について

考えを巡らしている状態が

現実的な問題や悩み。



そして、

財布が無い事に気が付いて気絶!とか

パニックになって

走行中のタクシーから飛び降りた。とか、

またやってしまったと酷く落ち込んで

次の日になっても

仕事に行く気になれないで

会社を休んでしまった。


となるのを

心理的な問題や悩みとすると、



現実的な方は、

先ほどの失敗の時に限らず、

生きていると数え切れないほどあって

避けては通れないものですし、

困難への対処のための

した方が良い有益な悩みで、



心理的な方は、

現実的でない理解や判断によって

本当なら経験しなくても良いものを経験し、

それによって

問題や苦しみを大きくしてしまいかねない

しない方が有益になる悩みです。



このような問題や悩みの状態を

解決するためには

乱暴な言い方をすれば

答えはシンプル、

しない方が有益になるのですから

していることを止めるだけです。



しかも、

していない何かをするようにするよりも

している何かを止める方が

もっと簡単なはずなのですが、

非常に難しいものとしているのが

ある時に心に定めた規則が原因です。



止めることは、

その規則に反する行為であり、

規則に反する行為は、

自分の身に大いなる危険や災いをもたらすものと

定めているからです。



この規則を変えてしまわなければ

苦しみや辛さが軽減したとしても

一時的な解決や一時的な対処としかならず、

根本的な解決には至らないのです。



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バランス力

2014年04月05日 | 見方、捉え方




今回の捕鯨についての裁定のニュースで

正義ってなんだろうと考えてみたのですが

数学の問題を解くように

一つの答えをスパッと導きだせたら

カッコイイのですが、

そうはなりませんでした。



その答えが見つけられなかったで

終わらすことは簡単すぎるので

ぐちゃぐちゃした流れを

恥ずかしげもなく書くことに。



正義のままだと難しいので

平等を乱す行為、又は乱そうとした行為を悪で

乱された側がそれを正したり、

それを防ごうとする行為を善であるとしたのですが、

平等、これがまたややこしい。



理由もなく殴られたので

殴り返したとか、

泥棒を見つけたので

ボコボコにして捕まえたと言うのも

最初に殴った方や泥棒の方が悪で、

被害を受けた方が善と言うような

分かり安い平等も

社会正義の枠を外せば

はたしてそう言えるのかどうなのか。



まったく勝手な個人の判断でしかないけれども

やられる前にやったなんて言う

自分の身を守るための正義を

持っていると考えてみたり、



泥棒の場合も就職が叶わず、

嫁、子供を餓死から護るため何て言う

その人なりの正義の言い分があったとしたなら

互いの個人の枠だけで考えると

正義と正義の旗が互いに立つことに。



時間さえも平等に与えられていないので

始めから平等は崩れていて

時間を与えるのは神だとすると

神は悪だとなって変なことになって、



正義も平等も何らかの枠で考えると

わりと簡単になるのですが、

その枠がなければ

途端にややこしくなってしまいます。



大昔の風土や風習や文化を同じくする者同士でさえ

違う枠組みで交差して、

大なり小なりの正義と正義がぶつかり

トラブルが発生するのですから



交通網、情報網が発達した現在では、

違う風土や風習や文化を持った人達とも

実際的に、情報的に

交差する機会が多くなったなかで

正義や平等が保たれていると感じられている時が

あったとしたなら

絶妙で繊細なバランスを保っている

状態なのかもしれません。



であるなら、

完全なる正義や平等はないと考えた時、

この世に存在しないものを

追い求め過ぎると

ちょっとした傾きにも

気持ちが反応するだろうし、



無いのだから、

ある程度の理不尽だと感じることや

不平等さに触れることがあっても

なんらおかしくは無いと考えた場合、


ちょっとした傾きがあったとしても

ヤジロベエの如く揺ら揺らと揺れるだけで

気持ちは動じないだろうから、

多くの時間を気持ち良く過ごすためには

後の方のあり方がより良いように思うのです。



とは言え、頭で考えたことを

そのまま自分のあり方に出来るような

心境には至ってはいないので

ハンドルをそちらにきり、

少しずつでも近づいて行こうかと思ったりします。



その心境に到達した時には

バカボンのパパの「それでいいのだ。」のセリフが

心から自然と言える魅力的な人物に

なれているような気がするのです。



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