心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

紅葉の永観堂

2018年11月29日 | 名所めぐり(京都)

 

今回の月に約一回の名所巡りは、

名所巡りとしては充実、満足の一日ではあるのですが、

京都紅葉の名所巡りとしては不完全な一日で、

 

特に圓光寺は、紅葉真っ盛りの庭園を

鑑賞したかったので不完全燃焼感が半端ありません。

 

ですが、ネットの紅葉情報でも見頃マークが付いていた

永観堂のライトアップが

最後の頼みの綱として残っています。

 

特に、永観堂の放生地が写し鏡となって

周りの紅葉を写し出す景観が楽しみです。

 

 

 

禅林寺 永観堂

 

平安神宮からは、永観堂まで徒歩で

15分~20分で到着で、

永観堂は、今回で2回目の訪問になります。

 

モミジの永観堂と二つ名を持つ

永観堂のライト・アップは、午後5時30分からで

私達が到着したのが午後5時20分位。

 

昼の拝観者とは入れ替え制なので

入れ替えが終了する10分程度待てば

拝観できると思って

拝観受付所に歩いて行ったのですが。。。

 

 

 


 

「えっえっえっーーーーーーー?」

 

混雑時の東京ディズニーランドの

人気アトラクションの如く、

とんでもない行列が。。。

 

どこまでも続く行列を辿り、

行列最後尾の看板を持っていた係員に尋ねると、

今から並ぶと永観堂敷地内へ入れるのが

1時間30分位との回答をもらいます。

 

仮に係員の見立て通りになったとして、

拝観開始が午後7時頃、

私達が拝観を終えるのが午後8時を過ぎて、

 

永観堂から私が神戸、

神戸のさらに先まで帰る友人のことを考えると、

永観堂のライトアップを断念することに。

 

なので、主要な伽藍がある敷地の外からですが、

ライトアップの様子を撮影して帰ることに。

 

 

 

 

 

 

 

非常に限定的なライトアップの光景となりますが、

凄く綺麗です。

 

外だけで、これですから中に入ると超絶の光景が

境内の敷地に広がっているに違いありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

永観堂の紅葉のライト・アップの人気を

完全になめていました。

 

恐らくですが行列の先頭の人は

午後5時30分のスタートに合わせて、

1時間から2時間前には

永観堂に来て待っていたのではないでしょうか。

 

永観堂から地下鉄東西線の蹴上駅へ向かう道中、

南禅寺を通り抜けたのですが、

そこでも南禅寺の塔頭・天授庵の

ライト・アップを拝観する人の凄まじい行列が。。。

 

永観堂の敷地は広いのであれですが、

天授庵の敷地は、そんなに広くないので

あの人数は大丈夫なのかと余計な心配までしました。

 

一度、頭の中をリセットして

今後のライトアップ拝観について思案中です。

 

 

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フェミニズム

2018年11月28日 | 雑感・愚見

フェミニズム(女性主義)とは、

性の違いによる差別を廃止して

女性の権利を拡張しようとする思想や運動のことで、

フランス革命後に始まったと言われています。


この思想や運動が始まった1800年頃以前は、

家庭の主は、夫である男性で、妻である女性は、

主である夫に従うものであるとか、

女性は家事や子育てをするものであるといった

風習が強くあった古き時代です。


このような風習を、男尊女卑の言葉を使う人もいますが、

生物の種の保存、繁栄の面で考えると、

女性は男性より遥かに大切な存在なので、


戦争はもちろんですが、仕事等で他者と丁々発止と渡り合い、

身も心も疲れ、傷を負うことから女性を遠ざけるために

自然と生まれた風習かと思っています。

 

女性を護るために自然と生まれた風習であるはずなのに、

それらの風習を思い違いしたり、増長したりして、

女性を拘束し自由を奪い、女性を従属化させる等の

問題外の男性が現れます。

 

そのような男性から、

そのような扱いを受けたからなのか、

そのような父親の元で育った影響なのか、

フェミニズムを唱える女性の一部に、

行き過ぎた主張をする女性が現れてきます。


男女同権の旗を掲げ、

実質は女尊男卑を主張する女性主義の集団です。

(男性を敵扱いし踏みつけようとしているかのような集団)


すると、1970年代になると今度は、

その集団に対抗するように

マスキュリズム(男性主義)と言われる

男性に対する性差別の撤廃を目指す思想や運動が台頭します。

 

女性専用車両の撤廃を求めて運動している人達も

このマスキュリズムの一つに入るのでしょうか。

 

そして、マスキュリズムの集団にも

過激な主張をする似非マスキュリズムの集団が現れます。

※女性専用車両撤廃運動の人達が

そうだと言っているのではありません。


私は、男女同権、男女平等には賛成の立場ですが、

男女均一化には違和感を感じる人間で、

男性には重要な男性の役割やポジション、

女性には重要な女性の役割やポジションがあり、

互いの得手不得手を補いながら

尊重し協力することが大切なことのように思います。


私達は、人と人が団結をし強力することで

安定した社会を形成し繁栄をもたらすのであって、

行き過ぎた分断や対立は、その社会の力を削ぎ落し、

発展の停滞どころか混乱を招き、

それまで築いてきたものを

ズタズタにしてしまいかねません。


フェミニズムと似非フェミニズムとの線引きを

明文化することは非常に難しく思えるので、

声が大きい人達の声が聞こえなくなることは

まだまだ先のことになりそうです。


さてですが、

アフリカ西部のギニアビサウ共和国の

人口が2,000人の島では、

女性だけに愛の主導権が与えられていて

男性は、完全に受け身でいなければならず、

と、一人の女性に気に入られて、

求婚されたら男性に拒否権はないそうです。

※ちなみに結婚式と披露宴は、平安神宮で行うのも一興です。


ギニアビサウ共和国のこの風習は、

過去にフェミニズム(女性主義)の集団が

完全勝利した結果ではないとは思いますが、


こうした風習が古くに生まれた背景には、

この地域独特の、なるほどの理由があったはずなので、

その理由に、ちょっとばかし興味が惹かれます。


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平安神宮

2018年11月27日 | 名所めぐり(京都)

 

叡山電鉄の出町柳駅のロッテリアで

ハンバーガーを食べながら

曼殊院門跡の後の訪問計画を相談した結果、

友人が強く推した平安神宮に決定しました。

 

私は平安神宮を訪れるのは、

今回で5回目か6回目になるので

京都で一番多く訪れた場所になります。

 

平安神宮の神苑の存在を知ったのは、

随分と前のことではあるのですが、

神苑の拝観を目的に訪れたのは、

数年前の前回が初めて。

 

その時は、神宮を訪れた時間が想定より遅くなって

神苑の拝観受付終了時間に間に合わず、

今回、ようやく平安神宮神苑の拝観が出来ます。

 

 

 

平安神宮 応天門

 

平安神宮は清水寺や金閣寺と並ぶ京都の観光名所の一つで、

平安遷都1100年を記念して明治28年(1895)年に、

建てられた比較的新しい神社だと知った時には、

ちょっとした驚きがありました。

 

 

 

 

社殿は、社殿は平安京の大内裏の正庁である

朝堂院(八省院)を約8分の5に縮小して復元したものです。

 

 

 

手水舎

 

 

 

中央の大極殿と白虎楼(左)と蒼龍楼(右)

 

応天門をくぐると現れる

南内庭の凄く広い贅沢なスペースには、

いつも圧倒されます。

 

 

 

大極殿(外拝殿)

 

御祭神は、都を奈良の平城京から京都の平安京に遷都した

第50代天皇 桓武天皇と明治維新の基を開かれた

第121代天皇 孝明天皇。

 

 

 

太極殿(左)と蒼龍楼(左)

 

 

 

白虎楼

 

白虎楼の右手に神苑の参拝受付所があります。

神苑は、南神苑、西神苑、中神苑、東神苑の4つの神苑で

構成されています。

 

 

 

平安神宮神苑 日本国指定名勝の石碑

 

神苑拝観受付して神苑内に入ると、

直ぐ左手に国指定名勝の石碑が建てられていました。

 

 

 

チンチン電車

 

日本最古の電車で、

走行の際「チンチン」とベルを鳴らすことから、

チンチン電車の愛称で呼ばれていました。

 

説明書きを読むと1961年の7月に

北野線が廃止されるまでとなっているのですが、

私の子供の頃にはもう廃止されていた

「チンチン電車」の呼び名を

何故かよく耳にしていたので馴染みがあるんですよね。

 

 

 

南神苑(平安の苑)

 

 

 

南神苑と西神苑の境にある藤棚

 

 

 

西神苑 白虎池

 

 

 

 

 

 

林道

 

神苑の北面には、西神苑から中神苑へと向かう林道に沿って

小川が流れています。

 

 

 

中神苑 蒼龍池

 

 

 

中神苑 蒼龍池の臥龍橋(がりゅうきょう)

 

臥龍橋は、蒼龍池に架かる飛石の橋で、

龍が臥(ふ)した姿を象り名付けられたもので、

豊臣秀吉が造営した三条大橋、五条大橋

橋脚だったものを再利用しています。

 

 

 

 

臥龍橋を渡ってみようかと思ったのですが、

何故か風雲たけし城のことを思い出し、

石のどれかに乗るとズボッ!と沈む罠が

仕掛けられている気がして渡ることを止めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東神苑 尚美館(しょうびかん)

 

東神苑の栖鳳池(せいほういけ)の畔に立つ建物は、

尚美館(しょうびかん)、または、貴賓館(きひんかん)と言い、

大正元年に京都御所から移築されたものです。

 

 

 

 

 

 

泰平閣(たいへいかく)または、橋殿(はしどの)

 

平安神宮神苑と言われて思い浮かぶイメージは、

私の場合は、写真で見た尚美館と泰平閣でした。

この二つの建築物は、どちらも大正元年に

京都御所から移築されたものです。

 

私は、この時代の優美さが感じられる建築物が

かなりのお気に入りなこともあり

東神苑の景観は絶品です。

 

 

 

泰平閣

 

 

 

泰平閣内部

 

泰平閣内部を通行出来るだけでなく、

腰を下ろして神苑の景観を眺めることが出来ます。

 

 

 

平安神宮会館(披露宴会場)

 

泰平閣の南側に見える灯りは、

平安神宮会館(披露宴会場)で、

見える窓から披露宴らしき様子が見えました。

 

 

 

尚美館

 

 

 

尚美館前の庭園

 

 

 

斎館(さいかん)

 

斎館(さいかん)とは、神職などが神事に携わる前に

心身を清めるため籠る建物。

 

 

 

 

もう一度、泰平閣の優美な姿を撮影。

 

 

 

石柱

 

中神苑の臥龍橋(がりゅうきょう)に再利用されていた

石柱と同じものです。

 

京都迎賓館でも依水園でも再利用されたものが

あったことが思い出されます。

 

日本では資源が乏しい所為なのか、

勿体無い精神からなのか、

それとも良いものを破棄せずに後の世代まで

残そうとしているのか分かりませんが、なんか良いですね。

そしてまた使い処が上手いっス。

 

 

 

平安神宮 蒼龍楼

 

平安神宮神苑は、西の白虎楼の横から入り

東の蒼龍楼の横から出てきます。

 

long long time agoに

「平安神宮って大きいだけで面白味がないよね。」

何て話していたら、

 

その場にいた大人の誰かに

「平安神宮の良さは、神苑を拝観しなければ分からないぞ。」

って教えてもらったんですよね。

 

あれから随分と月日が流れましたが

ようやく神苑を拝観することが出来ました。

 

仙洞御所もそうでしたがこれだけ広い庭園は、

もはや庭園ではなく公園じゃないの?と思ってしまいますが、

庭園と公園の違いを感覚的には

何となく理解しているのですが、

 

私には不明瞭な点もあって

違いの説明は、私にはちょっと難しいので、

ここは降参しておきます。

 

 

 

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語彙

2018年11月26日 | 心理カウンセリング

藤井聡太七段が、対局後のインタビューで

僥倖、白眉、望外、茫洋等の言葉を使い

話題になっていました。


私の語彙量なんて高が知れているので

僥倖、白眉、茫洋何て言葉を

教科書で習った記憶が見事に無いので

いったいどこであのような言葉と出会ったのかと

感心するばかりです。

 

心理カウンセリングにおいては、

僥倖、白眉、茫洋の言葉の存在や意味を知っていたとしても、

僥倖と話すよりは、思いがけない幸運。

白眉と話すよりは、最も優れたもの。

茫洋とはなすよりは、広くて見当がつかない。

と、話すことの方が良いとされているので、


あのような言葉を知らないから使っていなかった

私の結果は同じで、利運に恵まれています。


言葉は、コミュニケーションの道具の一つなのですから

相手に伝えようとする意味や意図や気持ちが

伝わらなければ、仏作って魂入れずになります。


例えば、姑息と言う言葉は、

本来は、一時しのぎと言う意味ではありますが、

本来の意味を知っていても

卑怯なと言う意味で使用したり、

卑怯な意味として受け取ってしまいがちです。


と書いておいて直ぐにあれなんですが、

「姑息」と言う言葉は、

私の場合、時代劇やドラマで聞いたくらいで、

実際に使ったことも、言われた記憶も全くないんですよね。


心理カウンセリングの場は、

クライアントの非言語の様子等から、

使われた言葉で、伝えようとした意味や気持ちを

ちゃんと受け取ることが大切なのであって、

伝えようとした意味や気持ちが

正しい言葉で伝えられているかどうかは

二番手、三番手の話になります。


曼殊院の石標の「つ」も、そういった意味では

いくら達筆で書かれた美しい石標であっても

意味が伝わらなければ、ではあるのですが、

 

曼殊院の石標の場合は、

例え「殊」の所に「Œ」。「院」の所に「Ƣ」と刻まれ、

「曼 Œ Ƣ つ 跡」とされていても、

曼殊院門跡と書かれているんだろうなと推察でき、

伝わるのでになるのかなと思います。


でもこれは行き過ぎかな。

謎過ぎて混乱を呼び起こすだけになるかも。


また逆に、うんざりする位に興味のない話や

説教をごちゃごちゃと言い続ける

相手の口を止める手段の一つに、

「なるほど、和顔愛語が大切ということですね。」

なんて相手が直ぐに理解できない言葉を発すると、

理解しようとして言葉が止まります。

 

その間を捉えて、話を変えたり、

その場を離れるような手段があります。

 

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曼殊院門跡

2018年11月25日 | 名所めぐり(京都)

次に私達が向かったのは、

圓光寺から徒歩で15分ほどの距離にある

曼殊院門跡です。

 

曼殊院門跡は、京都紅葉の名所というだけでなく、

国指定名勝を受けている書院庭園があります。

 

寺院の名前に門跡が付いている寺院は、

過去に皇族や公家の方々が

かつて住職であったことがあり

皇族や公家との関係が深いことを示しています。

 

ちなみに京都には13の門跡寺院があり、

私は、その内の5つの寺院しか

拝観出来ていないんですよね。

 

 

 

曼殊院門跡 石標

 

石標に刻まれた文字「曼と殊と院」と「跡」は読めますが、

その間に刻まれている文字、

上の「曼殊院」と「跡」に挟まれているので

「門」だと思うのですが、

私には「つ」としか読めないんですよね。

 

この一文字だけを紙に写し取って、

この文字は何と読むと問うて「それ門だね。」

何て答える人が現れたら、私はその人に向かって、

「嘘だろう、お前!」って言うに違いありません。

 

 

 

曼殊院門跡 勅使門

 

勅使門は、その名の通り天皇の使者だけが通る門なので

普段は閉鎖されています。

 

 

 

天皇皇后両陛下行幸啓の石柱

 

行幸は、天皇陛下が曼殊院門跡を訪問されたことを意味し、

行啓は、皇后陛下、皇太子が訪問されたことを意味します。

 

 

 

築地塀の紅葉

 

曼殊院門跡の築地塀の紅葉は、名所の一つです。

ここも同じように、まだ色付き始めです。

 

 

 

拝観受付所がある北通用門

 

 

 

庫裡

 

曼殊院門跡の建物の内部は撮影禁止のため、

写真を残せていませんが、

ここ庫裡には、「かまど」であるとか、「お膳、器」等が、

当時のまま置かれていてタイム・スリップした感覚になれます。

 

 

 

中庭

 

 

 

護摩堂と宸殿再建予定地の梅林

 

明治初期に明治政府に上納して

取り壊された曼殊院門跡の宸殿の再建計画が

現在、進められているようです。

 

宸殿とは、門跡寺院特有の建物で、

宸殿の「宸」の文字は天子(天皇)を意味し、

有縁の天皇及び歴代門主の御尊牌をお祀りし、

主要な法要を行う建物のようです。

 

 

 

大書院(本堂)と国指定名勝の書院庭園

 

海に見立てた白い砂を敷き詰めた枯山水の広い庭園に

二つの島、鶴島と亀島が造られています。

 

 

 

大書院 手水鉢

 

 

 

書院庭園 鶴島

 

樹齢400年と言われる五葉松で

鶴を象っている鶴島。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大書院と小書院との境

 

 

 

小書院

 

小書院の建物は、海に浮かぶ船を象っているとのこと。

 

 

 

書院庭園 亀島

 

 

 

小庭園「梟の手水鉢」

 

最初に観た時は、

「何で、ふくろう?これは、亀でしょう。」

と思ったのですが、

丸い器に4つの出っ張りの部分に

梟の造形が施されているようです。

 

 

 

小書院から観る亀島

 

 

 

 

奥に見える石橋の右に立つ背の高い石が滝石で、

滝石から流れ出る水が左手奥から枯山水の海に流れ込み

その海に鶴島と亀島の二つの島が配されています。

 

 

 

 

右に見えている屋根は、大書院の屋根です。

 

 

 

小書院 中庭

 

 

 

小書院 中庭

 

門跡寺院の独特の雰囲気に

物足りない紅葉のことを忘れて庭園を楽しんでいました。

 

曼殊院門跡を後にして、

近くの修学院離宮を参観するために立ち寄りましたが、

当日の申し込み枠の午後1時30分と午後3時の定員は、

午前11時には満員御礼の締め切りとなったようで、

修学院離宮の観覧は出来ませんでした。

 

受付の人に聞くと、

紅葉の時期は、事前予約申し込み定員が早く満杯となり、

事前申し込みで参観予約を取れなかった人たちが、

当日の参観申し込み枠を求めて

連日、朝の9時には長い行列が出来ているそうです。

 

仕方ないので一乗寺周辺から離れることにして、

出町柳駅まで戻ることに。

 

 

 

叡山電鉄 出町柳駅のロッテリア

 

出町柳駅のロッテリアで遅めの昼食を取りながら、

こういうこともあろうかと、

事前に候補にあげていた目的地の中から

この後の訪問計画を相談。

(何年かぶりに食べたロッテリアのハンバーガー美味かった。)

 

 

 

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圓光寺

2018年11月23日 | 名所めぐり(京都)

詩仙堂から歩いて数分の圓光寺に向かいます。

 

圓光寺は、詩仙堂と同じく初めての訪問で

圓光寺の書院前の十牛の庭を

敷居と柱を額縁代わりに眺める「額縁紅葉」が特に素晴らしく、

私の一度は観ておきたいランキング上位の寺院です。

 

 

 

圓光寺 山門

 

圓光寺の山門の佇まいが素晴らしく、

これからの拝観に大いに期待してしまいます。

 

 

 

圓光寺 参道

 

拝観の受付を済まして、

山門前から続く石畳みの参道を奥へと進みます。

 

石畳みの白、参道の両側の松と苔の緑の組み合わせが素敵です。

 

 

 

奔龍庭(ほんりゅうてい)

 

私達を最初に出迎えてくれるのが、

白砂を雲海に見立て、天空を自在に奔(はし)る龍を

石組であらわした平成の枯山水の庭園、

奔龍庭(ほんりゅうてい)。

 

 

 

奔龍庭(ほんりゅうてい)と講堂(瑞雲閣)

 

奔龍庭と敷き石の通路とを仕切るものが無いので、

奔龍庭の中を直に歩いているような感じになります。

(足元の砂紋を踏まないよう少し緊張もします。)

 

 

 

 

龍を表現した石の横の角立った石柱は、

龍の周囲で光る稲妻を象っているそうです。

 

 

 

 

 

 

圓光寺本堂 玄関

 

玄関階段の下段に一本の竹(結界)が渡されて

私達一般の参拝者は、それを理解して実行します。

 

参拝者が主催側の気持ちを尊重し、

主催側も参拝者を信頼する素敵な関係を

たった一本の竹が現わしています。

 

 

 

玄関 襖絵

 

白色と灰色と黒色が多くを占める空間に

本堂の玄関の色彩鮮やかな襖絵は、

ひと際輝いて見えます。

 

 

 

講堂「瑞雲閣」・「宝物殿」

 

 

 

 

奔龍庭(ほんりゅうてい)に面した

講堂「瑞雲閣」・「宝物殿」では、

展示されている寺宝を鑑賞するだけでなく、

軒先に座って書院からとはまた違った

十牛の庭を鑑賞することが出来ます。

 

本殿玄関横の中門を通り抜けて

いよいよ「額縁紅葉」と呼ばれる景観を鑑賞できる

圓光寺の書院へと向かいます。

 

 

 

水琴窟

 

書院玄関前にある水琴窟は、

手水鉢の横に立てられた二つの竹に

耳を当てると音を聞くことが出来ます。

 

この水琴窟は、ちょっと不思議で、

水を撒く柄杓もなく、

手水鉢から水が滴り落ちている風でもなく、

人の手が加わらなくても二本の竹の奥から

音が響き続けます。

 

しばらく観察していたのですが

謎は謎のままで終わりました。

 

 

 

書院と十牛の庭

 

詩仙堂の様子から覚悟はしていましたが、

圓光寺の十牛に庭の紅葉も色付き始めで、

最高潮の絵が観れそうにありません。

 

 

 

 

 

 

書院から十牛の庭

 

 

 

 

十牛の庭は、紅葉真っ盛りでなくても

十分に堪能できる美しい庭ではあるのですが、

圓光寺の拝観が紅葉真っ盛りと合致したら、

次のような絶景を見れるのですから

どうしても求めてしまいます。

 

 

 

 

残念ですが仕方ありません。

そして、再び圓光寺に来る理由が出来ました。

 

 

 

書院内の鹿の置物

 

背中の穴からすると香炉かもしれません。

 

 

 

書院裏の庭園

 

書院を出て、十牛の庭の散策と

他の見所へと向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

紅葉を別にしても見応えのある

綺麗な庭であることは間違いないんですよね。

 

 

 

座禅堂

 

 

 

 

 

 

鐘楼

 

 

 

応挙の竹林

 

円山応挙がこの竹林を良く訪れて、

後に「雨竹風竹図」として描き残したそうです。

 

円山応挙は、江戸時代の有名な絵師で、

その名前は、「なんでも鑑定団」でよく耳にします。

 

 

 

圓光寺 東照宮

 

圓光寺には徳川家康公のお墓があるようで、

家康公の歯が納められているそうです。

こういう場合は、納骨ではなくて何て言うんだろうか。

 

 

 

圓光寺 東照宮の鳥居

 

 

 

徳川家康公の墓

 

 

 

東照宮「東照宣」

 

 

 

圓光寺 東照宮の高台からの景観

 

圓光寺の十牛の庭を上から眺めると、

(写真左・上の建物「宝物殿」と下建物「座禅堂」の間)

かなり紅葉が進んでいるように見えます。

 

詩仙堂の木もそうでしたが、

紅葉は、木の全体の葉が徐々に紅葉するのではなくて、

上部の葉から始まるのかも知れません。

 

 

 

 

徳川家康公にお参りをすませて、

応挙の竹林の中の参道を降りていきます。

 

 

 

栖龍池(せいりゅうち)

 

圓光寺の十牛の庭が、

今の様な素晴らしい庭になったのは平成のことのようで、

それまでは写真の栖龍池(せいりゅうち)も

すっかりと埋まってしまっていて

庭園には雑草が生い茂っていたそうです。

 

 

 

 

紅葉真っ盛りの圓光寺の十牛の庭を

一度もこの目で観たことの無い私が言うのも変ですが、

ひょっとすると京都の紅葉の景観ランキングで

トップクラスの景観かもしれないと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わらべ地蔵

 

苔庭に、ちょこんと置かれている「わらべ地蔵」は、

京都・三千院だけで見ることが出来るものと思っていましたが、

詩仙堂、そして、ここ圓光寺でも見ることが出来ました。

 

わらべ地蔵を私は幸運にも発見して

写真に収めることが出来ましたが、

その大きさは、マグカップ程度の大きさなので、

つい見逃してしまうかもしれません。

 

実際、一緒に行った友人は、

写真を200枚近く撮影したのですが、

詩仙堂と圓光寺とも「わらべ地蔵」を、

完璧に見逃してしまっていたようです。

 

 

 

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京都 詩仙堂

2018年11月21日 | 名所めぐり(京都)

 

例年、京都の紅葉真っ盛りになる日には、

ちょっとばかり早いのですが、

ネットの紅葉便りに掲載されている寺院の

ほぼ7割に見頃サインが出たので

待ち切れずに出発しました。

 

少しばかりの不安を感じているのは、

京都紅葉の便りのサイトに、

今回、私達が紅葉の名所巡りとして選んだ洛北の寺院が

掲載されていないので情報が全くないまま見切り発車の

出たとこ勝負になることです。

 

 

 

叡山電鉄

 

出町柳駅で叡山電鉄に乗り換えて、一乗寺へ向かいます。

 

一乗寺よりさらに北上すると、

叡山電鉄の有名な紅葉のトンネルを体験出来るのですが、 

今回の目的は詩仙堂なので一乗寺で下車します。

 

 

 

一乗寺 中谷

 

一乗寺駅から詩仙堂へ続く一直線の経路に

和菓子・洋菓子の中谷があります。

 

 

 

中谷の絹ごし緑茶てぃらみす

 

ここ中谷は、和菓子「丁稚羊羹」の老舗なのですが、

現在は、和菓子店と洋菓子店が同居していて、

テレビでも紹介された「絹ごし緑茶てぃらみす」が

もう一つの中谷おススメの商品のようです。

 

 

 

絹ごし緑茶てぃらみすセット

 

「絹ごし緑茶てぃらみす」に、

飲み物(珈琲or紅茶or抹茶or煎茶)付きを注文。

 

今日の肌寒い天候が影響したのかも知れませんが、

ここで飲んだ抹茶が和洋菓子の美味しさに

負けず劣らずの美味しさで、

今まで京都で飲んできた抹茶の中で一番かもです。

 

 

 

一乗寺 下り松

 

剣豪・宮本武蔵が吉岡道場一門と決闘したのが

この下り松の場所だと言われています。

(現在の松は、4代目だそうです。)

 

宮本武蔵が吉岡道場一門との決闘に向かう際に

神頼みをしようと神社に立ち寄りますが、

本殿の前に立った時に神仏に頼ろうとした

自分の弱さに気が付いてお参りをせずに

決闘に向かいます。

 

「我、神仏を尊んで神仏を恃まず。」

 

その宮本武蔵が立ち寄ったとされる

八大神社も詩仙堂の近くにあります。

 

 

 

凹凸窠(おうとつか)詩仙堂 

 

ここ詩仙堂は、正式には凹凸窠と言い、

詩仙堂は、凹凸窠の中心にある

建物の一室の名称なのだそうです。

 

 

 

詩仙堂 参道

 

私の友人が、写真奥の首長龍のような影を発見して

「恐竜がいる!恐竜がいる!」と、

前に進むことを躊躇しています。

 

 

 

老梅関(ろうばいかん)

 

凹凸窠の中心の建物「詩仙堂(書院)」の前には、

老梅関(ろうばいかん)と呼ばれる小さな門があります。

 

 

 

詩仙堂(書院)の雲形の窓

 

 

 

凹凸窠門

 

 

 

老梅関(ろうばいかん)裏手

 

拝観受付をすまして詩仙堂内へと入ると、

ご本尊が祀られている仏間があり、

その仏間の先にあるのが、詩仙の間です。

 

 

 

詩仙の間

 

詩仙の間の壁には、

獅子が子を谷に落とす図のある扇形の壁間窓と、

その上方に中国の詩人三十六人の画像および詩の額が

四周に掲げられています。

 

拝観受付で建物内部の写真撮影は、

ご遠慮下さいと言われていたので、

それらの画像は残せていません。

 

 

 

詩仙の間の書院南庭

 

 

 

 

 

 

書院広間から書院南庭

 

詩仙堂は、書院南庭に配された丸く刈り込まれたサツキが

一斉に開花する5月~6月頃と、紅葉の時期が特に美しく、

その時期は、拝観する人で賑わいます。

 

 

 

 

私達が訪れた日は、葉が赤く色付き始めた頃で、

拝観に訪れている人は、それほど多くありません。

 

紅葉真っ盛りの詩仙堂・書院南庭は、

どのような姿を見せてくれるのだろうか。

 

でも思うのですが、この庭の紅葉は、

今日の程度でも十分に美しく感じますし、

もしかすると一番似合っているような気もします。

 

 

 

読書の間から書院南庭

 

詩仙の間の東隣の部屋、読書の間からの書院南庭。

右の建物は、先ほどまで居た書院の広間です。

 

 

 

土蔵

 

 

 

膏盲泉(こうこうせん)

 

膏肓とは、薬も効かぬ所という意で、

深い井戸のことのようです。

 

 

 

嘯月楼(しょうげつろう)

 

書院の屋根の上には、

嘯月楼(しょうげつろう)と言われる建造物が見えます。

 

 

 

詩仙堂・百花塢(ひゃくかのう)

 

書院南庭から石段を下りると、

百花塢(ひゃくかのう)と呼ばれる庭園が広がっています。

ここに百花を配したので百花塢と言い、

塢とは土手の意だそうです。

 

 

 

 

この辺りの木は、

上部の葉は赤く色付いていましたが、ほぼ青葉です。

 

 

 

千両の花

 

千両の木があるなら万両の木もあるはずと、

少し探してみましたが発見には至らず。

 

 

 

茶室 残月軒

 

 

 

わらべ地蔵

 

 

 

座禅堂「十方名峰閣」

 

 

 

座禅堂前庭 九重の塔

 

詩仙堂の書院南庭は、平庭に白砂が敷き詰められ、

丸く刈り込まれたサツキが配された小さな庭で、

今まで鑑賞してきた庭と比べると、

特に何でもない小さな庭のはずなんですよね。

 

ところが、その何でもない小さな庭から

他の寺院の立派な庭と比べても

遜色のない輝きを感じるのが不思議です。

 

 

 

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えっ?

2018年11月19日 | 雑感・愚見

世の中には、悪人なんぞはおらず、

悪い行いをする人がいるだけなのだそうです。


2018年の6月、アメリカのオハイオ州で

銀行強盗が現金を強奪した後に、

ATMの中の現金も出せと要求し、

行員に機械の中から現金を出すには

運転免許証が必要と言われ、素直に提示。

後日逮捕されたそうです。

 

まさかまさかの免許証提示。

この強盗、大バカ者なのか、素直なのか、

要求した行員も免許証を提示されて

心の中で、「えっ?」


後日、銀行強盗の成功を喜んでいた男の家に、

警察官が突入して、犯人の男は「えっ?」


時間が無いのに欲張ったことで

焦ってはいたのでしょうが、

行員が、とっさに放った見過ごしようのない

あまりにも大きな落とし穴にすんなりと落ちた強盗。


この強盗、悪い行いをしちゃった人ですが、

私には、根っからの悪人とは思えないんですよね。


この素直さを持ちながら犯罪人生を続けるのは、

下駄をはいて陸上競技をするようなものですから、

これを機会に改心するしかないことに

気が付いて欲しいものです。


そして、

次の人は、ただの間抜けな男が起こした事件。


2006年、オーストリア南部で、

一人の男が銀行の建物と間違えて、

町の公会堂に押し入ったものの、

空気銃で脅した女性に間違いを指摘されて

「えっ?」

何も取らずに逃走。


フィンガーボールの水を飲んでしまう以上の

罰の悪さですね。これは。

 

そして、最後は、やっぱり悪いことは出来ないって話。


1979年の福岡市で、

留守の家に侵入し、盗んだ貯金通帳と印鑑を持って

お金を引き出しに郵便局の窓口へ、

窓口で対応した郵便局員は、

その貯金通帳と印鑑の本来の持ち主。

 

即通報で駆け付けた警官に取り囲まれて、

犯人は、「えっ?」


裸の二人が汗まみれで、くんずほぐれつの写真と言われ、

スケベ心で購入して家でウキウキして封筒を開けてみたら、

大相撲の取り組みの写真だった時の心境?

 

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花の御所

2018年11月17日 | 名所めぐり(京都)

山名宗全邸宅跡から大聖寺を目指して

上立売通と烏丸通りが交差する所まで来ると、

辺りが同志社大学で一杯になります。

 

 

 

 

 

 

大聖寺

 

同志社大学の近くと言うより、並びにある

大聖寺は、天皇家ゆかりの尼門跡寺院で、

足利将軍邸内の岡松殿を寺にしたものです。

(大聖寺は非公開)

 

将軍邸の規模は、敷地だけでも

御所の2倍にも及ぶ大規模なものでした。

 

鴨川から庭内に水を引き、

四季折々の花木を配置したことから

「花の御所」と呼ばれていました。

 

 

 

大聖寺 境内

 

大聖寺の境内には、

この場所に足利将軍邸があったことを示す、

石碑が建っています。

奥に見えるレンガ色の建物は、同志社大学の寒梅館です。

 

 

 

花の御所 石碑

 

大聖寺には、この石碑を目的に訪れました。

平清盛が神戸福原に建築したのが「雪の御所」。

足利将軍家の邸宅が「花の御所」。

 

私の実家は、庭に橙の木が植えられていたので、

今回の京都巡り後に、二つの御所に習って、

「橙の御所」と密かに名付けました。

 

花の御所も相国寺と同様、

応仁の乱では激しい攻防戦があった場所です。

 

応仁の乱は、11年も続いた合戦なのに、

合戦で命を落とした主だった武将は、いないようですし、

乱の終息後、大きな罰を受けた主だった武将もいないようです。

 

私なりに書かせてもらった応仁の乱ですが、

なにしろ規模が大きくて、登場人物が非常に多くて、

一番厄介なのは複雑なので、

間違っている部分があるかもしれないので、

ご容赦を願います。

 

 

 

室町通り

 

足利将軍邸が、室町通りに面して建てられ、

室町通りに正門が設けられていたことから

室町殿と呼ばれていました。

 

そのようなことから

足利家が政治の中心にいた時代を、

誰が決めたのか室町時代としています。

 

今回の京都巡りの行程は、錦天満宮と相国寺以外は、

どちらかと言えばマイナーだと思いますし、

後は、石碑2か所と普通の交差点なので、

応仁の乱に興味がない人にとっては、

あまり面白味が無いものだと思います。

 

私の興味惹かれるものに、

いつも同行してくれる友人を

丸一日付き合ってもらう訳にもいかないので、

今回は、単独での京都訪問となりました。

 

今日の京都訪問の最後は、河原町まで戻り、

疲れた身体に甘いものを補充してから帰ります。

 

 

 

幸せのパンケーキ

 

見た目の通りで、ふわふわで美味しかった。

口の中に入れると溶けていく感じです。

添えられているアイスのような白いものを少しすくって、

一緒に食べるとひと味違った味になります。

 

私が、これまで最高に美味しいと思った

東京帝国ホテルのパンケーキとは、

また違った美味しさでした。

 

どちらも同じパンケーキだけどジャンルが違う感じ。

洋楽と邦楽の違い、ロックとジャズの違い、

広島と大阪のお好み焼きの違いのように、

どちらの方が美味しいと言い難しです。

 

河原町には、幸せのパンケーキと路線が同じものが

他にもあるようなので、機会を作って訪れてみようと思います。

 

 

 

夜を迎える錦天満宮

 

天満宮入り口の提灯に火が灯り、

朝とは違った天満宮がありました。

 

 

 

ロンドン焼き

 

機械と職人さんとの合作のロケット焼き。

店頭のガラスの向こう側で、

ロケット焼きを作っていた若い職人さんに

写真の許可を頂いて撮影。

 

見た目は小さい今川焼のようですが、

味とか食感が違うんですよね。

ちなみにですが、

私の地元では、今川焼のことを回転焼きって言うんですよね。

(作る工程に何一つ回転しないのにです。)

 

ロンドン焼き、お土産にちょっとだけ買って帰ります。

 

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激戦地と山名宗全邸宅跡

2018年11月15日 | 名所めぐり(京都)

裏千家、表千家の家元の邸宅から

ほんの少し歩いた所に、

応仁の乱の激戦地、百々橋跡があります。

 

 

 

百々橋跡

 

現在は、ごくごく普通の通りとなっていますが、

当時は、この地を南北に流れていた小川に

架かっていた小さな橋「百々橋」(長さ約7,4m、幅約4m)を

隔てて細川勝元率いる東軍と山名宗全が率いる西軍とが、

数度にわたり激しい合戦が行われました。

 

 

 

百々橋の礎石

 

現在は、小川は埋められ百々橋もなく、

当時の激戦の様子を知る礎石だけが残されています。

 

平家が落ち延びた四国の地の「祖谷のかずら橋」の場合は、

簡単に向こう側に攻め込むことは出来ないと思いますが、

百々橋の規模からすると、川も小さな川のようなので

橋も川も「そんなの関係ねえ!」のはずなんですよね。

 

関ケ原の合戦のような雌雄を決する合戦を

やろうと思えばやれたと思うのですが、

何らかの理由があってやらなかった?

それとも、やれなかった?

 

雌雄を決する合戦が行われなかったとすると、

この場所では、数度の小競り合いが起きた?

 

例え小競り合いだったとしても、

両軍合わせて25万を超える大軍の小競り合いですから、

物凄い数の武士達が刃を交えた激戦地と呼ばれても

何ら不思議ではありません。

 

京都を焼き尽くした応仁の乱の戦いは

京の都の地に留まらず、

全国に飛び火して全国の至る所で戦いが始まります。

 

 

 

旧百々御所 宝鏡寺門跡

 

百々橋跡に隣接して宝鏡寺はあります。

開山は、光厳天皇(こうごんてんのう)の

皇女、華林宮恵厳(かりんのみやえごん)禅尼で、

多くの皇女が歴代となり「百々の御所」の称号を賜っています。

 

 

 

人形塚

 

江戸時代末期に、揺らぎ始めた徳川幕府を、

朝廷の権威と幕府を結び付けることで立て直そうとして

孝明天皇の妹、和宮親子内親王と

徳川将軍、家茂公の結婚を推進しました。(公武合体)

 

婚礼には難しい諸事情があったけれども

幕府は必死になって何とか話をまとめ、

和宮親王が江戸へと向かう際の行列は、

沿道でその行列の全て見送るには

4日も要した凄すぎる花嫁行列だったそうです。

 

この花嫁行列の江戸までの道のりを、

警護しやすいとの理由から

東海道53次の方ではなく、1日中山道でもなく、

旧中山道を利用したそうです。

 

ここ宝鏡寺には、その和宮親子内親王が幼き頃、

宝鏡寺をよく訪れすごろく、貝合わせをしたり、

遊んでいた庭があるようです。

 

そして、

応仁の乱の主要人物として外せない

将軍、足利義政の妻の日野富子が後に出家して、

宝鏡寺に隣接する大慈院に入寺し、

現在、大慈院は宝鏡寺に受け継がれています。

 

ですので、この宝鏡寺も

応仁の乱と無関係ではありません。

 

 

 

本堂

 

宝鏡寺も普段は非公開なので

たまたま開いていた表門から敷地内へお邪魔して、

写真撮影していると、

白地の小さな看板に「拝観拒絶」の文字が、

言葉が強すぎる。。。何があったのだろうか。

 

そんな宝鏡寺は、11月1日より特別公開で

参拝可能となるようです。

 

 

 

堀川通

 

堀川通を渡って西軍の中心人物の住居跡へ向かいます。

この通りを少し南に下ると二条城がある通りになります。

 

 

 

山名宗全邸宅跡の石碑

 

 

 

 

 

 

 

応仁の乱の西軍の中心人物だった山名宗全の邸宅跡です。

応仁の乱は、この人と東軍の中心人物だった細川勝元が、

政治への影響力を争ったことで大きくなり、

その二人が亡くなったこと(戦死ではありません。)によって

終息に向かいます。

 

相国寺から山名宗全邸宅跡まで歩いてみて実感するのが、

山名宗全の邸宅跡や西陣跡の石碑がある場所と

細川勝元の邸宅や相国寺との距離が

本当に近いんですよね。

 

東軍が16万、西軍が11万とも言われている大軍が、

私の足で歩いて20分程度の狭い土地に

存在していたことになるのですが、

 

私の感覚では、

互いが陣を敷くなんて悠長な距離ではなく、

互いの軍が雌雄を決するために

全軍あげて斬り合っている距離なんですよね。

 

ただ関ケ原の合戦の時代と違って、

優れた飛び道具の鉄砲が無い時代では、

両軍の陣地の距離は近くなるような気もしますし、

 

弓と刀と槍が武器の中心だった時代ですから、

弓を弾き続けるにしても、

重い鎧を身に纏い、重い刀や槍を振り回すにしても、

相当な体力が消耗しそうなので、

 

あれだけの大軍同士の合戦では、

そうそう決着がつくものではないのかもしれません。

 

山名宗全邸宅跡を後にして、

上立売通を通って、

今回の京都巡り最後の大聖寺に向かいます。

 

 

 

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