2018年 アメリカ・オレゴン州の裁判で
未成年の女性の愛犬を殺し、その女性をレイプした男性に
懲役50年の判決を言い渡しました。
しかし後日、女性の愛犬の無事が確認されたことで
女性の証言が狂言だったことが判明して
収監されていた男性は、即座に釈放となりました。
これって即座に釈放で終わりじゃないですよねえ?
卑劣な女性への怒りは、ドッキリの看板が登場しても
治まらないでしょう。こんなのは。
人生五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり
ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか
懲役50年は、下天からすれば夢幻なんでしょうけど、
私達にとっては、夢まぼろしだからこそ貴重な時間です。
それを口先一つで丸々奪い潰そうとした上のオレゴン州の女は、
肛門から手を突っ込んで奥歯をガタガタいわしてやろかあ。
女が気に食わないことを男性がしたのだとしても
男性を警察に逮捕、収監させるには
女は嘘をつかなければならなかった。
つまり、男は犯罪と言えるようなことを
していないことになりますよね。
女の嘘が発覚した後、女がどのような処罰を受けたのか、
まさか書類送検とか注意を受けた程度で終わりませんよね。
私は、女に懲役50年とまで言いませんが、
それ相当の処罰を受けさせるべきだと思うのですよね。
なんたって仮病を装うレベルで卑劣な嘘を言う女だと思うので
しっかりとお灸をすえておかなければ、
またやりますからね。この女は。
しかし、女性の嘘を丸っと信用したかのような
警察の捜査姿勢についても咎められるべきです。
公権力は、法の下の平等や公平を実現するための扇の要として
機能し続けるからこそ社会に一定の信頼や安心が育まれるのであって
今回の様な犯罪に手を貸すような事態が度々あっては
社会に疑念の空気が蔓延してしまいます。
優秀なアメリカの警察の人達、どうしちゃったの。
日本でも一時期、女性の言うことを丸っと信じる
捜査手法によってお金目的やストレス発散目的の女が
複数出現して痴漢冤罪事件が発生!まさか今も絶賛発生中?
警察にお願いします。女性が言うことは信用して、
男性の言うことは信用しないかのような捜査姿勢は、
最近は少しマシになったような報道を耳にしますが、
どうなんでしょう。どうか公平で頼んます。
司法において男女公平は賛成と言うより当然ですが、
日常生活においても公平であるべきであって、
男性と女性の関係も公平であるべきで、
で完璧な公平とは………むむむむむ?
それはです………え~と………あれ?
最近の社会の風潮だと、男らしく女らしくとか、
男性なんだからとか女性なんだからと言うのは、
男女差別、セクハラのようなので、
もっと大きな枠だったら良いのか?
人として~。人間なんだから~。
なんだか「相田みつお」的になってないか。
男女の違いや境界をあまりにもぼんやりさせるのは、
心理学的には、はたしてどうなんでしょうか。
家族システム論には、家族構成員には個人の境界があり、
その下に夫婦、子供達、男性家族員、女性家族員と言ったような
サブ・システムが有ると言います。
この境界には適度な透過性と柔軟性が必要で
境界があまりにも硬すぎると
各個人は家族の中で決まった役割しかとれなくなりますし、
決まった役割を取るよう有言無言の圧力もかかります。
家族の構成員が年月と共に成長するにつれて
家族構成員の交流パターンも変化していくのが理想です。
この境界が硬すぎると、
父親は、外で仕事をして稼いでいれば100点、
母親は、家事や育児さえしていれば100点、
そして、子供はいつまでも無力で無能な子供のままでいるような
眼に見えない圧力を感じてその役割を果たします。
家族構成員の交流が乏しいと
子供は成長に合わせた家庭内の仕事を与えられず、
責任を持たされず果たせないまま育つことになり
自分の考えや判断で行動することが苦手な人となる可能性があります。
また逆に、境界があいまいで複数の家族構成員が密着、
または一体化しているかのような状態を纏綿状態と言います。
例えば親が子供の個人的境界に大きく入り込んで
適度なプライバシーや個人の権利や気持ちを尊重せず、
「画なんかいくら書いても何の役にも立たない。」
「あんな子と付き合うのはやめなさい。」
「あの学校に進学しなさい。」
もっと強烈になると
子供が自分の考えや感情を持つことも許されなかったりします。
隠されたメッセージは、
「親の言うことを聞くならあなたを愛してあげます。
聞かないなら愛してあげません。」かな。
そのような非機能的な環境で育った子供は、
個人の境界を構築することが困難となり、
他人の感情や不幸を自分の責任であるかのように取り込んだり、
自分と同じ考えや行動をすることを
他人に強く求めたりする可能性が高くなると言います。
その逆で境界が硬すぎると表面上は社交的であっても
真に親密な関係とはなれずに心では孤独を感じることになります。
硬い境界によって人から傷つけられる危険性から
自分を遠ざけることが出来ますが
孤独と共に生きることになります。
なので適度な境界を築くことが大事ではあるのですが、
全く駄目な場合は分かりやすいですが、
どの程度築くことが正解なのか合格なのかは
簡単に言うことが出来ないですし
理解することも簡単ではありません。
そうだとしても
ざっくりとした家族システム論の概念を持っているだけでも
機能的な家族システムを構築する助けにはなるかと思います。
男性と女性の境界が完全撤廃することが善であるかのような
風潮が一層強まることは社会が纏綿状態化することを
意味するのではと危惧する私がいます。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計