1996年11月 東京都内のマンションの一室で
家庭内暴力に悩み苦しむ父親が
14歳の長男を金属バットで殴り殺すという事件がありました。
両親は、長男に対して厳しく育てなかったと言うより、
甘く育てたようです。
長男は、小学校では「甘えん坊のところ有り。」
中学校では「集中力や我慢強さに欠け、我儘な面が有り。」
という評価を受けていたようです。
我慢強さに欠け、我儘な一面が
やがて母親に、そして父親にまで暴力を行うまでになり、
毎日のように繰り返される暴力に耐え切れなくなった父親が
長男を金属バットで撲殺することになります。
父親が精神的に追い詰められるまで我慢したのは
本人の弱さや考えだけでなく、
「無抵抗でいることも子供をよくするための
ひとつの技術だと思ってください。」
と無抵抗を勧める精神科の医師からの後押しがあったことも
大きな要因となったようです。
私は、子供を厳しく育てることが是で
甘く育てることが非であると考えてはおらず、
また逆に、甘く育てることが是で、
厳しく育てることが非であると考えているわけではありません。
どちらの育て方をするにしても
子供がどんなにゴネようが、愚図ろうが、癇癪を起こそうが、
両親は子供に絶対に超えてはいけないラインがあること、
「ダメなものはダメ。」「やってはいけないものはやってはいけない。」
を子供に示さなくてはなりません。
子供が助けを求めても、やることを拒んでも
子供自身の努力による成功体験を持たすことや
やりたくなくてもやらなければならないこともあることを
示すことも必要です。
このラインの引き方はこうであるというような
絶対的なものがないので
難しいところではあるのですが。
子供に怯えや窮屈で息苦しさを感じさせるものであったり、
両親が絶対的君主であり何でも許されていると
誤解させるようなものであってはなりませんし、
子供が家庭の中で君主であると
誤解させるようなものであってもなりません。
子供は、
時に自然に、時に怒りで、時に悲しみで、
両親の反応を試すように確かめながら、
自分の領土を広げるようとします。
両親が子供の要求のまま許したり、
欲求を満たしてあげることを繰り返すと
自分の欲求、要求は許されることが当たり前であり、
満たされることが当たり前だと感じるようになるかもしれません。
自分の欲求を自分で満たすことができない場合には
自分以外の人が、それを提供してくれることが
当然だと感じるようになるかもしれません。
結果、子供の欲求不足の耐久性が脆弱になることや
自分の欲求を満たすために、自分を省みて、
足らず分を自分の努力によって埋め、
成功体験を持つことよりも
提供を求めるという楽な方を選びがちになります。
欲求不満の状態を自分が受け止めきれないことで
手段を厭わず欲求を満たそうとしたり、
欲求を満たしてくれない周りの誰かや社会に対して
怒りを向けることになるかもしれません。
欲求が満たされない自分は、不幸な被害者であり
それを満たすことに協力しない誰かや社会は加害者であると
認識するようになるかもしれません。
もしかすると、それは心からそう思っているのではなく
成功体験の積み重ね不足からの空っぽな自分、
自分の劣等性に触れることへの不安や恐れから
自分を省みることを拒絶しているのかもしれません。
また、人はどこかで自分を見守ってくれたり、
支えてくれる強い人を求めていたりしますので、
変な話ですが、
次から次へと自分の要求を認めてしまう両親は
弱い存在であり、強い存在を失うことに継り、
本人の不安を高めることになるかもしれません。
また、怒られることもなく、叱られることもなく
理不尽な要求でさえも受け入れる両親の態度は、
自分は愛されていると感じさせる以上に、
「自分を無視している。」
「自分をどうでも良い存在だと思われている。」
「相手にされていない。」と、
愛されていないと感じることの方を
強くしてしまうことがあります。
これを書いていて、今、ふと思ったこととして、
政治家の犯罪がなあなあと処理されたり、
官僚や企業が負わなければならない
社会的責任を取らされることが弱かったり、
人権派と言われる人たちによって
被害者の人権よりも
加害者の人権を擁護することが正義かのような
話が語られていたり、
外車を乗っているのに給食費を滞納したり、
学級崩壊の原因となる生徒に対して
学校側が効果的なことは何もできず、
まるで自分が勇者かのように
バイト先で冷蔵庫に入った写真、
食品を口にくわえた写真をアップしたりと
私の感覚的なものでしかないのですが
このような昔では殆ど無かった様な出来事が
増えてきているのも
「ダメなものはダメ!」「やってはいけないことはやってはいけない。」
の社会全体のラインが緩んで無秩序側へ次第に広がってきていることを
示しているのかもしれません。
ですが、それでも、まだまだ日本の民度は、
世界の人たちに賞賛されています。
まだまだ、日本社会には、日本的な
「やってはいけない当たり前のこと。」
「やらなくてはならない当たり前のこと。」
が朽ち果てずに息づいています。
これ以上、日本の社会的感覚、価値観が崩壊してしまわないように
何もハラキリをさせる必要はありませんが、
しっかりとした歯止めを
効かせる時期に来ているようにも思います。
このようなことは、
割れ窓理論やアリの一穴のように
昔から言われていることなんですよね。
そして、
第一の社会的ラインをちょくちょく超えてしまう人は、
自分の素直な気持ちに気がついていないとか、
素直な気持ちに背を向けているのかもしれません。
だとしたら、
どんな理由があろうとも、どんな言い訳を言おうとも
見過ごしてもらえない社会的ラインを超えてしまう前に
「誰か私を愛してよお!」
「私は寂しいよお!」
「私はここに居るよお!」
「許さんぞお!」
なんて、
一人カラオケに行って、音楽をガンガンにかけた車の中で
布団に頭を突っ込んで叫んでみると
自分にピッタリとした気持ちを発見することが
できるかもしれません。
鎧を着たままでは、痒いところを掻くことさえ
できないのですから。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計