心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

世界遺産 古代都市ポンペイ

2023年05月31日 | 雑感・愚見

 

1998年 イギリス・ロンドンで死体を盗み

それを土台にして石膏像の創作を繰り返していた

彫刻家が逮捕されました。

 

 

この事件について書かれている他の記事を

少し探してみたのですが発見できなかったので

実際に有ったのかどうかはちょっと弱いかな。

 

この事件の記事を読んで思い出したのが

世界遺産のイタリアの古代都市ポンペイ

 

西暦62年にポンペイ地震が発生し、

西暦79年にイタリアのナポリ近郊の

ヴェスヴィオ山が大噴火し発生した火砕流で

地中に埋もれた古代都市のポンペイ

1748年に再発見され当時の建造物や壁画等を

明らかにするために発掘作業が行われました。

 

古代都市のポンペイには

西暦62年の地震が発生するまでは2万人程暮らしており、

地震後も何らかの理由で街に留まり暮らしていた人達のなかで

西暦79年に発生した火砕流から

逃げ遅れた約2千人が犠牲となったとされています。

 

古代都市のポンペイの発掘された火山灰の中は、

遺体部分だけがなくなり空洞が出来ていて

考古学者達は、その空洞に石膏を流し込み

母親が子供を覆い隠す様子、

飼われていた犬がもだえ苦しむ様子等、

街を火砕流が襲い市民が逃げ惑う最後の瞬間が

生々しく再現されました。

 

 

 

上の様な石膏像を見ると諸行無常を感じさせる遺跡とは違う

火砕流に襲われた人達の苦しさや恐怖等が

どうしても感じられて心が痛くなります。

 

また西暦62年とか西暦79年とかなると

イエス・キリストが存在した近くの時代に存在した人々の姿が

発掘され目に見えるような形で現わされると

殆ど神話のような時代と現代との間にあった

長い長い時が取り払われて繋がり

タイムスリップしたような不思議な感覚にもなります。

 

 

199X年 世界は核の炎に包まれた!

海は枯れ、地は裂け、あらゆる生命体は絶滅したかに見えた。

しかし、人類は死滅していなかった!

 

このような自然の大災害自体を防ぐことは、

今の私達人間にはどうすることも出来ませんが、

愚かなたった一人の指導者が引き起こす核戦争によって

世界の人々がポンペイの人々のようになることは

絶対に避けることは出来るはずです。

 

 

 

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確かめたくて

2023年05月29日 | 雑感・愚見

 

1957年 東京の有楽町の交番に

「私は、指名手配されていますか?」

と尋ねてきた24歳の男が捕まりました。

 

この男は、広島で集金した25万円を

持ち逃げしていました。

 

 

犯罪を犯してしまうと逮捕されるのではとの

不安に苛まれるようになるのが人の常です。

 

余程ふてぶてしい人間でない限り、

街を歩いている時に警察官の姿を見かけたりすると

職務質問を受けないようにと

不自然な回避行動をするだろうし、

電車内でスーツ姿の男性と目が合ったら

もしかしたら自分を尾行、監視している刑事かもと

不自然な行動をするかも知れません。

 

逃げることに疲れ果てたと自首する犯人等は、

実際に警察に自宅に踏み込まれて

テレビドラマさながらの一歩違いで

逃げるようなことが繰り返されなくても

逮捕されるのではとの緊張と不安の日々を

過ごすことに疲れ果てるのでしょう。

 

また、安心感を求めたくなって

警察の手が自分にどこまで及んでいるのか

少しでも情報を得ようとして犯行現場に戻ることがあります。

犯人は現場に戻るなんて言われていますよね。

 

一番手っ取り早いのが警察に直接聞くことですが、

まあ普通は一番危険なことに近づくことになるので

やらないものですが、上の犯人はやっちゃったようです。

しかも、文明の利器、電話で問い合わせではなくて

直接赴いて聞くって………。

 

これ一見、お馬鹿な犯人のようにも思えますが

おそらく逃げることにかなり疲れ果てて

もう終わりにしたかったのかなと思うんですよね。

ちょっと形の違う自首かなと。

 

人間、なんか後ろめたいことをしでかしたり、

自分が欠点だと思っていることを

他人に馬鹿にされる恐れや不安感から

先に自分から自分の欠点や不安を暴露して

ショックを和らげようとする

防衛的露出行動というのがあるようで、

上の犯人にこのような心理も働いた可能性があります。

 

浮気をした旦那が罪悪感から隠し切れなくなって

妻に自分から暴露してしまうのも一つだろうし、

 

少し違うかと思いますが

バレることを隠そうとしてなのか、罪滅ぼしなのか、

バレる前に沢山の喜びを体験してもらうことで

バレた時の妻の怒りを少しでも

軽減しようとしているのか分かりませんが、

 

普段とは違って急に優しくなったり気遣いをして

バレる危険性を高めるようなことをするのも

不確実なことを少しでも把握しておきたい

心理の表れかも知れません。

 

以前、強迫神経症の方が

7~8年前に車で人身事故を起こしたような気がして

毎日が不安でしようがないと話していたので

不確かなことから起きている不安な気持ちの一部を

潰すことで少しでも負担が軽くなればと

警察に一緒に確かめに行ったことがあるのですが

 

自分が指名手配されているかどうかを確かめに行った

上の犯人の男性は、実際に犯行に及んでいることは

はっきりと自覚しているのですから全く意味が違いますね。

 

 

 

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京都 西本願寺Ⅱ

2023年05月27日 | 名所めぐり(京都)

 

今回の京都巡りは、

西本願寺の書院、飛雲閣の特別公開に来たようなものなので

虎の間玄関の前に出来た列に並んでいる間も

開始時間を今か今かと胸の高まりが止まりません。

 

吊り橋効果で手当たり次第に恋をしてしまうかも。

 

 

 

西本願寺 虎の間玄関【重要文化財】

 

書院へは、この虎の間玄関から入場します。

 

特別公開は、書院から拝観するのも良し、

飛雲閣から拝観するのも良しで

どこから始めるのかを自由に選ぶことが出来て、

しかもこれまた無料なんですよね。

 

私の気持ち的には、撮影禁止の書院よりも

撮影が出来る飛雲閣が主役なので、

今回の特別公開のトリを飛雲閣に飾ってもらおうと

まずは書院の列に並びました。

 

建物内は撮影禁止なので画像は、西本願寺のHPの画像です。

 

 

 

西本願寺 書院 対面所【国宝】

 

書院の虎の間玄関から建物内に入って直ぐに

壁?襖?に虎が描かれている広い室内がお目見えし、

もう圧倒され、いくつかの部屋を通り抜けての対面所

 

対面所は、主室の透彫りの雲とコウノトリの欄間から

『鴻の間』と呼ばれていて

広さは下段のみで162畳、上段を含めると203畳となり

天井は、格天井となっています。

 

天井から柱から欄間から襖絵から

何から何まで全てが一級品。

 

 

 

西本願寺 書院 雀の間

 

 

 

西本願寺 白書院【国宝】

 

手前が白書院三の間(孔雀の間)、その奥が二の間で

さらに奥に三の間(紫明の間)があります。

 

特別公開日の白書院の各間に置かれた行灯の柔らかい灯りに

襖絵や欄干が照らされていて

白書院の雰囲気を一層素晴らしいものにしていました。

 

 

 

西本願寺 白書院一の間(紫明の間)

 

二条城の二之丸御殿だったか他の所で見たのか、

殿様が座る上の間の右横の襖の奥には、

警護の侍が控えている部屋の造りと同じ雰囲気があるんですよね。

 

 

 

西本願寺 書院 虎渓の庭【特別名勝】

 

虎渓の庭は、大きな庭ではなく画像で見る限りでは

特別名勝に指定されるだけの魅力を感じてなかったのですが、

実際に肉眼で見た虎渓の庭は、いや~素晴らしかった。

 

庭園の存在感が半端なく凄くて

さすが特別名勝に指定されているだけのことがあるなと。

 

それと書院の建物の全体の造りや装飾が

寺院的じゃなくて武家的で、

特別名勝の虎渓の庭には、確か桃山時代前後に

大名、武家庭園で好まれた蘇鉄が多くみられます。

 

多くの僧兵を要して織田信長の軍勢と張り合っていた

石山本願寺の頃ならまだ分かるのですが

豊臣秀吉の軍門に下って現在の西本願寺の地に移ったのですから

あのような無骨さを感じる造りは、不自然な感じがします。

 

なので豊臣秀吉の伏見城の遺構と言う説があるのも理解できます。

伏見城の遺構でなく西本願寺が建築したものなら

自分達が使用することを目的にしたのではなくて

皇室関係や豊臣秀吉が訪れた際に使用するためにと

西本願寺が自らが建築したのか

 

散々戦ってきた本願寺の中に

豊臣秀吉の存在をドーンと入れ込んで

誰が上なのかを知らしめておくために

豊臣秀吉が命じて建築したようにも思われます。

 

とにかく凄かったし良かったあ。

写真画像で見る書院よりも実際に肉眼で見る書院の方が

圧倒的に素晴らしく大満足の書院拝観となりました。

 

 

 

 

大感動、大満足の書院を出て、飛雲閣の拝観の前に

唐門へと向かいます。

 

 

 

西本願寺 中雀門

 

 

 

西本願寺 唐門【国宝】

 

西本願寺の唐門は、書院(対面所)への正門で

20年に一度修復される唐門の直近の修復は1,2年前らしく

西本願寺初拝観の際に拝見した時と比べて

明かに鮮やかさと輝きが違っていました。

 

この唐門は、華麗過ぎるので伏見城の遺構とか、

豊国社から移築されたものと言われたりしているようですが

どれも確証はないようです。

 

 

 

 

西本願寺の唐門は、特別公開でなくても通常に拝見できるので

西本願寺の拝観の際に見過ごしてしまうのはもったいないかな。

 

 

 

 

有名な二条城の唐門と肩を並べそうな位に

絢爛豪華な装飾がされています。

 

 

 

 

 

 

西本願寺 特別公開 飛雲閣拝観入り口

 

今回の特別公開では、摘翠園と飛雲閣の外観が

ネット情報では撮影可能となっていたからこその

西本願寺の拝観ではあるのですが、

 

これまでネットの情報と

実際が違っていることも多々あったので

ドキドキの入場となりました。

 

結果は、有難いことに撮影OK!

 

これで今回の京都名所巡りの主たる目的、

願望、期待が叶ったので

ここを終えたら神戸に帰っても良い位の達成感。

 

 

 

西本願寺 飛雲閣【国宝】

 

滄浪池(そういろういけ)を中心とした庭園、

『滴翠園』(てきすいえん)【国指定名勝】の中に

飛雲閣(ひうんかく)【国宝】は建てられています。

 

飛雲閣は、西本願寺に残る文書に

豊臣秀吉の遺構だと記されていることから

聚楽第の遺構だとも言われていますが確証はないようです。

 

 

 

 

全体的に柱が細く、多くの障子の白色から

空に浮かぶ雲のようだとして飛雲閣と名付けられたこの建物は、

金閣(鹿苑寺)、銀閣(慈照寺)と並んで京都の三閣と呼ばれています。

 

金閣寺、銀閣寺、銅閣寺(大雲院)の括りは、

また違う括り方なんでしょうね。

 

 

 

摘翠園 黄鶴台【重要文化財】

 

飛雲閣から渡り廊下で結ばれている黄鶴台(おうかくだい)

黄鶴台の別棟には唐破風をもつ蒸風呂と鉄釜の浴室があります。

 

 

 

 

 

 

 

詳しいことは何にも知らず、事前調べもせずに訪れた

西本願寺の初拝観の際に、

たまたまタイミング良く開いていた扉の向こう側に

西本願寺の他の建物とは異質な飛雲閣を発見したことを

友人に教えてあげようと名前を呼んでいたら

 

私に一人の僧侶が近づいてきて申し訳なさそうに

「ここは事前予約してもらった人のみだけ。」

と優しく言われて締め出されてしまったんですよね。

 

その時に活躍していたガラケーには

不鮮明な飛雲閣の写真画像が一枚だけ記録されていたのですが

今回ようやくあの時にやり残した続きが出来ました。

 

 

 

摘翠園 あずまや

 

 

 

摘翠園 鐘楼【重要文化財】

 

摘翠園を出て、再び休憩所で無料のお茶を頂きながら

しばし余韻に浸り、次の特別拝観が行われている場所へと向かいます。

 

 

 

 

西本願寺の阿弥陀堂門を出て、御影堂門の前の堀川通を渡ると

あるのが西本願寺の総門。

 

 

 

西本願寺 総門【重要文化財】

 

1711年に南総門として造られました。

 

 

 

本願寺伝道院【重要文化財】

 

1912年(明治45年)に

真言信徒生命保険株式会社の社屋として建てられたもので

現在は、僧侶の強化育成の道場『本願寺伝道院』となっています。

 

突き当りまで真直ぐと進んで

来た時には通らなかった東本願寺の北面を通ります。

 

 

 

東本願寺 内事門(長屋門)

 

何でだろう。今日の天候、気温の影響なのだろうか。

足腰の疲れというより身体が酷く疲れる。

たまらず内事門の石橋の欄干に腰を下ろして一休み。

今日は、いつもより一休みが多い。

 

 

 

 

ここまで来て、西本願寺の阿弥陀堂と御影堂に上がり

廊下や廊下からの境内の景観を観賞することを

完全に忘れていたことに気が付きました。

 

東本願寺の方は、あえて両堂には上がらなかったのですが

西本願寺の方は、大きなことをやり終えた所為なのか

完全に失念していました。

 

まあお陰で再び西本願寺に拝観する際の

楽しみが残ったことになるので良しとするしかありません。

 

 

 

東本願寺 十三窓土蔵(なまこ壁)

 

倉敷の美観地区を思い出させる東本願寺の『なまこ壁』。

 

烏丸線の五条駅から鞍馬口で下車して

えっちらおっちらと歩いて次の目的地に到着しました。

 

 

 

京都 妙覚寺

 

妙覚寺は、安土桃山時代に本能寺と共に織田信長の宿舎となっていて

本能寺の変の際には、妙覚寺には信長の嫡男・信忠が宿泊していました。

 

ただ1583年に豊臣秀吉の命によって

現在の場所に移っているので

織田信長らが宿泊した妙覚寺とは別物かなと思っています。

 

 

 

京都 妙覚寺 大門

 

なので私的には、織田信長らが宿泊したお寺としての

歴史的価値は感じられないのですが、

綺麗な庭園があるとのことなので

前々から一度位は拝見させて頂こうと思っていました。

 

実は、この妙覚寺の大門の前に立つのは2回目で

応仁の乱に関係する箇所を色々と巡る際に

妙覚寺の前を通ったので立ち寄ったのですが

庭園がある区域は、通常は非公開だったようで

お目当ての庭園を拝むことは出来なかったんですよね。

 

 

 

 

で本堂前庭『法姿園』の特別拝観を実施しているとのことなので

烏丸線の鞍馬口からえっちらおっちらと歩いてやって来たのですが、

特別拝観の受付時間が終わっていました。

 

ああ何と言うことでしょう。私の勘違い。

最終受付時間だと思っていた15時30分は拝観終了時間で、

最終受付時間は、15時で、私が到着したのが15時15分。

拝観終了時間が早い~。

これで妙覚寺からの2度目の門前払い。縁がないのかなあ。

 

疲れた身体を奮い立たせながら

鞍馬口からおっちらおっちらと歩いてきての門前払いで、

今日の完全に名所巡り継続の気力が失せてしまったので

まだ少し時間が早いのですが、もう神戸に帰ります。

 

なので今回の京都名所巡りは、

東本願寺と西本願寺だけとなってしまうのですが

一番の目的だった西本願寺の書院・虎渓の庭・飛雲閣を

拝観できたことだし、念願の飛雲閣の撮影が出来たので

私的には満足な一日となっています。

 

今回も私の名所巡りにお付き合い下さり、

ありがとうございました。

 

まだまだ訪問したい所は数あるのですが、

次回の予定も拝観先も何一つ決まってはおりませんが、

その節にはまたお付き合いを願えれば嬉しく思います。

 

 

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京都 西本願寺Ⅰ

2023年05月26日 | 名所めぐり(京都)

 

東本願寺を出て七条通りを西におっちらおっちらと歩いて

堀川通まで来たら堀川通を北側へと少し歩けば

東本願寺のお隣さんの世界遺産の西本願寺です。

 

 

 

京都 堀川通

 

西本願寺の方は、のぼり旗が沢山立てられていて

慶讃法要を凄くアピールして特別感をだしています。

東本願寺も慶讃法要の期間中は、

同じ様にのぼり旗が沢山立てられていたのかも知れません。

 

 

 

西本願寺 御影堂門【重要文化財】

 

御影堂の正面にある御影堂門は、西本願寺の正門

 

正門にしては規模が小さいと感じるかも知れませんが、

東本願寺の御影堂門を見たことの影響を受けているだけで

なかなかどうして立派な門です。

 

 

 

 

正門の御影堂門から境内に入らず、一旦通り過ぎて

そのまま堀川通沿いを北へと少し歩いていきます。

 

 

 

西本願寺 阿弥陀堂門【重要文化財】

 

阿弥陀堂の正面にある立派な阿弥陀堂門のお目見えです。

 

 

 

 

西本願寺は、今回が二度目の拝観で

初拝観が2013年の6月の終わりか7月の初めの頃。

 

その日、東寺、西本願寺、二条城と巡ったのが

今に続く名所巡りの出発点となっていて

この阿弥陀堂門の前の石橋の欄干に寄り掛かり

写真を撮ったのが西本願寺での最初の一枚だったんですよね。

 

 

 

西本願寺 太鼓楼【重要文化財】

 

1760年に再建された太鼓楼は、北集会所と共に

幕末の際には新選組の屯所となっていました。

 

北集会所は、1873年(明治6年)に

兵庫県姫路市亀山の本徳寺の本堂として移築されています。

 

 

 

御影堂【国宝】と目隠塀【重要文化財】

 

通称『目隠塀』と呼ばれる一文字塀は、

大通りに面した格式のある神社や仏閣に設けられることが多く、

大通りから境内を覗かれるのを防ぐためのものです。

 

 

 

西本願寺 御影堂【国宝】

 

西本願寺の御影堂は、1636年に再建されたもので

南北62m、東西48m、高さ29m。

 

 

 

西本願寺 大銀杏【京都市指定天然記念物】

 

御影堂の前にある見事な枝振りの銀杏の木。

 

 

 

 

樹高は、それほど高くありませんが枝振りが見事です。

栄養が幹より枝に多くいっちゃったみたいで

私が知る銀杏の木って

こんなに枝が太くなって横に広がらないんですよね。

 

銀杏並木のやつは、枝を剪定しているからああで

自然の形は、こうなの………いや、違うよね。

 

 

 

 

 

 

西本願寺 手水舎【重要文化財】

 

 

 

 

西本願寺と東本願寺の手水舎手水鉢の形状も似ていて

違うのは龍の像だけのように感じるんですよね。

 

巨大な木造建造物の阿弥陀堂と御影堂の形状も配置もほぼ同じで

違うのは建物の名称が逆なだけ。

何だかセブンイレブンの隣にヘブンイレブンが有るって感じで

仲違いをして分立した東本願寺が

ここまで西本願寺に似せたのは何故なのか。

 

 

 

 

 

 

阿弥陀堂【国宝】(奥)と御影堂【国宝】(手前)

 

境内の隅々にまで法要の読経の声が届いています。

 

 

 

西本願寺 阿弥陀堂【国宝】

 

西本願寺の阿弥陀堂は、1760年の再建

南北45m、東西42m、高さ25m。

 

東本願寺の御影堂と阿弥陀堂は、重要文化財、

西本願寺は、国宝に指定されているんですよね。

 

 

 

西本願寺 経蔵【重要文化財】

 

重要文化財の経蔵は、1678年に再建。

経蔵には、あの天海僧正の開版された天海版一切経(大蔵経)

656函、6323巻が納められています。

 

 

 

西本願寺 安穏殿(ブックセンター)

 

安穏殿が建つこの場所には、

新選組が太鼓楼と共に屯所として使用していた北集会所がありました。

 

 

 

 

 

 

 

法要が行われている阿弥陀堂には、沢山の人が。

 

 

 

西本願寺 天邪鬼

 

西本願寺の建物には、

建設に関わった職人の遊び心がちらほらと見られ、

御影堂の正面の天水受けでは、天水受けを背中で支える

天邪鬼と呼ばれる二頭身の石像を見ることが出来ます。

 

仏教では天邪鬼は、人間の煩悩を表す象徴として

四天王等に踏みつけられている悪鬼なので

月に代わってじゃなくて四天王に倣ってお仕置きよ!かな。

 

 

 

御影堂門と目隠し塀

 

 

 

西本願寺 慶讃法要休憩所

 

西本願寺の特別公開の時間まで少しあるので

特別に設置されていた白洲休憩所で一休憩。

 

 

 

 

この休憩所では、ファミレスのドリンクバーのような装置で

温かいお茶か冷たいお茶を無料で頂けたのが有難かったあ。

 

 

 

西本願寺 龍虎殿

 

 

 

西本願寺 虎の間玄関

 

普段の西本願寺 虎の間玄関は、こんな感じでひっそりと、

今回の特別拝観の虎の間玄関は、沢山の人の列が。

 

 

 

西本願寺 虎の間玄関

 

午前の法要に参加した信者さん達や私のような一般の参拝者らや

バスガイドさんが引き連れた団体さんらが列に並びます。

 

今回の京都名所巡りは、

西本願寺の書院と飛雲閣の特別公開を目当てに来たので

これさえ拝見し終えたら神戸に帰っても良い位なんですよね。

 

五月は、他の場所を訪れるつもりだったのですが

西本願寺の書院、飛雲閣の特別公開を発見して予定変更。

 

しかも今回の特別公開では、公開されても撮影禁止の場合もある

飛雲閣の撮影ができると聞いたので

もう五月の京都名所巡りは、西本願寺を中心に組み直したんですよね。

 

 

 

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京都 東本願寺

2023年05月25日 | 名所めぐり(京都)

 

世界遺産の京都西本願寺では、

2023年に宗祖親鸞聖人が誕生して850年、

浄土真宗が開かれて800年を迎えることから

「宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要」

2023年3月29日から5月21日まで催され、

その法要に合わせて特別拝観が実施されます。

 

で、今回の京都名所巡りは、

その西本願寺の特別拝観をお目当てに京都に向かったのですが、

せっかくなのでと、これまで一度も拝観していなかった

西本願寺のお隣さんの東本願寺に少し立ち寄ることに。

 

烏丸線の五条駅から烏丸通りを真っすぐ南方向へ

えっちらおっちらと歩くと見えてくるのが

1911年(明治44年)再建された東本願寺の玄関門

 

 

 

東本願寺 玄関門【国登録有形文化財

 

西本願寺は、世界遺産に登録されているのですが

東本願寺は、世界遺産に登録はされていないんですよね。

 

その辺りの詳しい事情は全く知らないのであれですが、

主だった建築物が明治時代に再建され

比較的新しいのでということなんでしょうか。

 

でも明治の職人は、優れた仕事する人が多いんですけどねえ。

 

 

 

 

 

 

東本願寺 菊の門(勅使門)【国登録有形文化財】

 

徳川家康が寄進した勅使門は、

門扉に菊の紋があることから菊の門とも呼ばれています。

 

勅使門(菊の門)は、他の建物と同じく度々火災で焼失し、

現在の勅使門(菊の門)は、1909年に起工し、

1911年の2月(明治44年)に再建されたもの。

 

再建の際に門扉の菊の紋章について宮内庁に伺いをしたところ

江戸時代から門扉に菊の紋が使用されていたことが認められ

菊の紋の使用が特別に許可されました。

 

 

 

 

菊の門からもう少し烏丸通を南進すると

東本願寺の象徴とも言うべき御影堂門が右手に見えてきます。

 

 

 

烏丸通 御影堂門と京都タワー

 

東本願寺の御影堂門は、でっかいですよお。

 

 

 

東本願寺 御影堂門【重要文化財】

 

誰が言ったのか京都の三大門は、

知恩院の三門、南禅寺の三門、仁和寺の二王門。

 

東本願寺の御影堂門は、正面21m、側面13m、高さが27m

京都どころか世界最大級の木族建築の山門であるのですが

京都の三大門の一つには数えられていないのは何故なのか。

 

京都の三大門は何々と、誰が言いだしたのか

いつ頃に言われ出したのか分かりませんが、

この御影堂門は、1911年(明治44年)に再建された

比較的新しい門なので京都の三大門云々と言われ始めた頃の

元々の門は、ここまで大きくなかったのかもね。知らんけど。

 

 

 

 

東本願寺の御影堂門は、とにかくデカい。

なので歴史的価値や建築時期を考えなければ

京都の三大門の一つには

東本願寺の御影堂門が入るのは間違いないところです。

 

 

 

 

西本願寺から分立し西本願寺の後に建築された東本願寺の建造物は、

この御影堂門の他にも阿弥陀堂、御影堂なども西本願寺のそれらよりも

少し大きな建造物となっているのが面白いところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

巨大な門を支える柱の根元が傷まないように巻かれた柱根巻きに

装飾された32体の獅子の内一体だけ眠り獅子がいるようです。

 

東本願寺西本願寺宗祖は同じなので

「宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要」

2023年3月25日から4月29日まで行われていたようです。

 

 

 

東本願寺 鼉太鼓(だだいこ)

 

私が東本願寺を訪れたのは、

東本願寺の慶讃法要の期間がすでに終了しているはずの

5月の中頃だったのですが

まだ何かの行事が行われていたのでしょうか。

御影堂門の所に設置されていた鼉太鼓が撤収の最中でした。

 

龍の彫刻が施された三つ巴の太鼓は、すでに撤収済みで

ギリギリの滑り込みのタイミングで

二つ巴の太鼓を拝見出来たのは、運が良かったのか悪かったのか。

 

太鼓の周りを宝珠形で装飾された鼉太鼓は、

1000年以上前から伝承されている

世界最古の音楽文化として国の重要無形文化財にもなっている

雅楽や舞楽の演奏に用いられる太鼓で、

 

三つ巴の太鼓の周りを龍の彫刻で囲み、

頂上に金の日輪を飾る唐楽に用いられる太鼓と

二つ巴の太鼓の周りを鳳凰の彫刻で囲み、

頂上に銀の月輪を飾る高麗楽に用いられる太鼓とで一対を成します。

 

 

 

東本願寺 慶長撞鐘(けいちょうつきがね)

 

慶長撞鐘は、慶長7年(1604年)

徳川家康公から京都烏丸六条に寺地の寄進を得た教如上人が

同9年の御影堂の造営に合わせて鋳造したものとのこと。

 

 

 

 

高さ256㎝、口径156㎝で慶長以前の鐘としては、

全国でも5番目の大きさだったようです。

 

撞鐘の真ん中部分の池の間には、鳳凰図が描かれていて

鳳凰図の向かい側には飛天図が描かれています。

 

 

 

東本願寺 鐘楼【重要文化財】

 

現在の東本願寺の鐘楼は、

1894年(明治27年)に再建されたもので

撞鐘は、2010年(平成22年)に400年ぶりに新調されたもの。

 

 

 

東本願寺 手水屋形【重要文化財】

 

手水鉢の上に据えられた銅製の竜の口から水が注がれています。

再建は1895年(明治28年頃)とされています。

 

 

 

 

またこれも大きくて迫力満点の龍の像。

大きさと迫力で言えば、これまで観てきた中で一番かも。

 

 

 

 

 

 

阿弥陀堂【重要文化財】と御影堂【重要文化財】

 

右奥の建物は、東本願寺の御影堂で

宗祖の親鸞聖人の御真影を安置しています。

 

現在の建物は、1880年(明治13年)に起工して

1895年(明治28年)に再建されたもので

正面76m、奥行き58m、高さが38m

世界最大級の木造建築物で

2019年に国の重要文化財に指定されました。

 

 

 

東本願寺 阿弥陀堂

 

御影堂の南隣りに建つ阿弥陀堂は、

御本尊の阿弥陀如来を安置するお堂。

 

御影堂と同じく1880年(明治13年)に起工し

1895年(明治28年)に再建された阿弥陀堂は、

正面52m、奥行き47m、高さ29m。

 

 

 

東本願寺 阿弥陀堂門【重要文化財】

 

阿弥陀堂門は、1911年(明治44年)に再建されたもので

江戸時代中頃には、唐門として建てられました。

 

東本願寺の建物は、4度も火災に遭っていて

4度目の火災は、1864年の7月に起きた禁門の変によるもので

一条通りから七条通りの東本願寺まで広範囲にわたり延焼しました。

 

禁門の変で起きた大火災による東本願寺の被害が

どのようなものだったかは、

現在の東本願寺の多くの建造物が明治になってから

再建されていることから伺えます。

 

阿弥陀堂門から東本願寺の境内を出て西本願寺へと向かいます。

 

 

 

 

東西の本願寺は、主立った堂宇の姿と

その配置までもが似ているので西本願寺を拝観すれば

東本願寺も拝観したのと同じかなと思っていたので、

今回は、世界最大級の御影堂門と阿弥陀堂と御影堂だけを

軽く撮影をして西本願寺へのつもりだったのですが、

 

大同小異とでも言いましょうか、

以前に拝観したことのある西本願寺とは

境内の雰囲気が違っていたこともあり、

ついつい撮影箇所が増えて長居をすることになりました。

 

ただ御影堂と阿弥陀堂には、あえて上がらずに

次回に東本願寺に興味を持つ友人と

再訪した際の楽しみに残しています。

 

 

 

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微笑みに激高

2023年05月23日 | 雑感・愚見

 

2021年6月 イギリスで32歳の男が

滞在中のホテルで、フロント係の27歳の女性を

殴り殺して逮捕されました。

 

犯人の男は、警察の取り調べで

「微笑まれ、見下されていると思って殺した。」

と供述したそうです。

 

 

この男は、2020年12月にこのホテルを訪れ

数日間滞在していて宿泊費用は

両親が支払っていたようです。

 

男は深夜にフロントを訪れた際に

フロント係の女性が男に微笑みかけたことに立腹し

所持していたバリカンで

女性の頭部を複数回殴打して殺害。

 

男は、同ホテルに滞在する前に

別のホテルにも滞在していて

そこでも宿泊客2人を襲ったため

退去させられていたようです。

 

この犯人の男は、

2018年には母親に暴行した罪で、

2020年には3回の猥褻行為で有罪判決を受けて

一定期間拘留されているようで、

上の事件が起きる2ケ月前の

2020年10月に釈放されたばかりだったようです。

 

この男の裁判では、男は精神疾患を患っていて

責任能力が低下していると主張。

裁判官は、精神疾患と診断されうる人に対する管理の元、

無期限で拘留するよう言い渡したようです。

 

 

何一つ反省をしていないように見える

この犯人の男がしでかしたことが

性格破綻者の行動なのか、

精神疾患の影響なのかは分かりませんが、

 

社会生活をおくれる人物では

なかったということだと思いますし、

この人物に更生を期待することは

かなり難しいかなと。

 

裁判で弁護人が減刑目的で

精神疾患の影響だとする主張をよく耳にします。

 

被告に最大の利益をもたらされるよう

利用できるものは何でも利用するのが

弁護人の仕事だと理解もしているのですが、

あれってもうそれしか弁護することが

できないのでしょうね。そうとしか思えません。

 

私は、精神疾患があろうと

犯罪を犯さない人は、犯さないと信じているんで

裁判で精神疾患を前面に押し出し減刑を求めるのを

耳にする度に精神疾患で踏ん張っている人達に対して

悪い印象を与えてしまわないかと憤りを感じます。

 

一番危惧するのが精神疾患を理由に

短期で社会に復帰することを許すことで

さらなる被害者を生み出すことです。

 

精神疾患が原因との判断を下されようと

性格破綻者でしかないとの判断がくだされようと

被害者や親族にとっては同じことなので

 

現在の法律がどうなのか詳しくありませんが

拘留される場所が違うにしろ名目が違うにしろ、

社会から同じ期間だけ拘留、隔離することに

変わりがないような仕組みとなっても

良いのではと思ったりするのです。

 

優しい世界には賛成ですが

優し過ぎる世界には………

 

 

 

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大炎上

2023年05月21日 | 雑感・愚見

 

2021年 

アメリカで異国の地で結婚式を挙げた

新婚の二人が披露宴を無断欠席した男女に

披露宴の請求書を送り付けました。

 

この請求書は、SNSで拡散されて大炎上となりました。

 

 

自分達の披露宴を何の連絡もなしに欠席した

カップルに対してディナー代金として

総額2万6千円の請求書を送り付けました。

 

この請求書がSNSで拡散したのは

請求書を送り付けた新婚の二人で、

このことがメディアにも取り上げられたので

大炎上して賛否両論が湧き上がったようです。

 

請求書を送り付けた二人が言うには、

●僕達は、お金が欲しい訳ではない。

●彼らには4度も出席の確認をしたのにも関わらず、

何の連絡もなしに披露宴を欠席したことに傷ついている。

●一言『欠席する』と言って欲しかった。

 

何の連絡もなく披露宴を欠席されたことへの

しっぺ返しとして請求書を送り付けたのでしょうけど

これがやり過ぎなのか、妥当なのか、

やり過ぎの様にも妥当のようにも思えるし、

どうなんだろう………

 

本来、当事者同士で解決すべきことで

第三者がとやかく言うことでは無いと思うのですが、

その第三者に意見を求めたのが

欠席され怒り心頭の二人なんですよね。

 

気になるのは連絡もなく欠席した二人が

何故故にそのような行動となったのかが

謎のままなので気になる所です。

 

 

同じ大炎上でも

 

2021年9月 アメリカで恋人とレストランで

食事をしていた男性の元に自宅が燃えていると

近所の人から連絡が入りました。

 

レストランを飛び出して

男性は、恋人と自宅へ戻りましたが

時すでに遅し。

 

鎮火後に男性は、自宅の焼け跡から探し出した

婚約指輪を恋人に差し出しプロポーズ。

女性の返事は、イエスだった。

 

 

家は建ててまだ新しく1年と2週間しか

経っていなかったらしいのですが

火災発生から6時間後に鎮火し、

その焼け跡から探し出した耐火金庫の中に保管していた

婚約指輪を取り出してプロポ―ス。

 

近所の人達は、プロポーズが成功したことを

一緒に祝いたいけれども

本人の住宅が全焼しているしで

 

私が近所の人だったとしたら

最高と最悪のことが同時に起きている人に対して

一体どんな態度を取っていたのだろうか。

 

泣き崩れた時の涙は、

自宅が全焼して泣き崩れているのか、

プロポーズが成功して泣き崩れているのか

本人でも分からんだろうなあ。

 

絶対に記憶に残る披露宴やプロポーズをと

色々と派手にやる人達もいますが

結婚式の友人とのトラブルとプロポーズの際に自宅全焼。

この二つの出来事は、二人にとっては

まあ忘れられないものとなったのは間違いありません。

 

 

 

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エディプスコンプレックス

2023年05月19日 | 雑感・愚見

 

「もしママが裸だったら身体中キス出来たのに。」

 

フランスの文豪『スタンダール』は、

幼い頃に母親に恋をしていて、

ママを奪った恋敵の父親を憎んでいたようです。

 

 

エディプスコンプレックス

 

精神分析の創始者であるジークムント・フロイトは、

性は、思春期以降に発達し始めるのではなく

乳幼児の頃から見られ、

主に身体の特定の部分を通じて世界と関わると考えました。

 

●口唇期(0歳~1歳半頃)

触感覚の一つである口を用いて

空腹を満たすだけなく色々な物を口に含むことで

自分が存在する世界と関り、

授乳等を通じて母親との一体感を得ます。

 

●肛門期(1歳半~3歳頃)

排尿、排便によって肉体的快感を

得られることを学びます。

 

また養育者から不適切な対応を受けた場合に

頑固で他者に強く反発したり、

物を過剰にため込み離さなくなったり、

逆に金銭感覚にルーズで浪費する性格が形成されます。

 

男根期(3歳~5歳頃)

男児は、異性であり愛情対象者の母親を

独占しようとして競争相手の父親を敵視しますが

父親から攻撃され

性器を取り去られるのでは(去勢不安)との恐怖心から

母親への気持ちを諦め、父親と対立することを諦めて、

幼児的な欲求を抑圧し、自らを父親と同一化して

男性的側面を学んでいきます。

 

女児は、自分に男性器が無いことに気が付き、

男の子より自分は劣等であると信じ

男性器を欲しいと思います(男根願望)

 

自分に男性器を与えなかった母親に敵意を持ち、

父親に近づきたいとの願望を持つのですが

母親への嫉妬と敵意は、母親からの攻撃を招くので

それらの気持ちは、無意識に抑圧し

自らを母親と同一化して女性の側面を学んでいきます。

 

男児が経験する父親への敵意や去勢不安、

女児が経験する母親への敵意や男根願望等の

このような感情をジークムント・フロイトは、

エディプスコンプレックスと呼びました。

 

●潜在期(6歳~9歳頃)

性的エネルギーを性的対象者に向けることを止めて

勉強、スポーツ、友人関係等、非性的なことに使い始めます。

 

●性器期(思春期以降)

大人の性へと発達を遂げます。

 

心理の発達の一連の流れで抑圧された衝動は、

そのまま無意識に大人しく留まることもあれば

様々な迂回路を通り放出されたり、

別の行動で昇華されたりするのですが

収まりが悪いと時に、神経症等の症状として

表れることがあるとのことです。

 

上の様なエディプスコンプレックスを含めた

心理の発達の仕方や心の動きは、

私自身は、ただ記憶が無いだけなのかも知れませんが、

幼い頃にエディプスコンプレックスのような

心の動きを経験したという記憶が全くありません。

 

なので乳歯から永久歯へと生え変わるかの如く

大半の人間が自然に当たり前に経験することだとは

なるほどなあとは納得も実感できない自分がいます。

 

フランスの文豪『スタンダール』が幼少期の頃に

経験をした語った母親への愛情と父親への敵意は、

エディプスコンプレックスそのもののように思えますし、

このことをフロイトが聞いたとしたら

満足気に何度も頷くでしょうね。

 

母親と一体であった私達は、生まれ落ちて母親と分離し

生きるために授乳を求め母親を求めはしますが

それ以上に母親から切り離された私達が

無意識レベルで母親との一体感を強く求めるのは

元々、一体であったことからかも知れません。

 

 

余談になりますが

昔、何かで読んだギリシャ神話か何かの話で、

古代の元々の私達は、頭が二つに手足が4本づつあって

丁度、今の人間が背中合わせになったような姿で

丸い身体をしていました。

 

そして、その人間の姿は三種類で

男と男、女と女、男と女とが一体となっていて

神をも恐れぬ態度であったため

ゼウスによって身体を引き裂かれてしまいました。

 

それ以来、私達人間は、

かつての分身を探し求めるようになります。

こうして私達は、恋をするようになったのだとか。

 

 

 

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元禄文化

2023年05月17日 | 雑感・愚見

 

江戸時代前期の元禄年間(1688年~1704年)に

心中が大流行したため幕府は心中者の葬式を禁止し、

心中の際に、どちらか一方が生き残った場合は、

下手人として処刑される等の罰則を定めました。

 

 

このような考え方は、日本の江戸時代に限らず、

中世イギリスでも自殺は重罪に値し、

死体に対して侮辱刑が行われ、

自殺未遂者も罪に問われていたようです。

 

元禄年間では、自殺で死んだ者の財産は没収され

馬に死体を繋いで市中を引きずりまわされたり

杭を突き刺して晒しものにされ、

お墓には入れてもらなかったようです。

 

江戸時代の元禄は、元号の一つで元禄期には、

貨幣経済が浸透し経済活動の活発化によって

町人が豊かな経済力をつけてきた時代で、

京都や大阪等の上方を中心に絵画等の芸術作品、

文芸や学問と様々な分野で新しい文化が花開きました。

 

『奥の細道』の松尾芭蕉、

『浮世絵』の菱川 師宣(ひしかわ もろのぶ)等々も

この元禄期に生み出されたものです。

 

そして、近松門左衛門の人形浄瑠璃で

大流行した『曽根崎心中』の影響が

多分にあったのだと思うのですが

来世で二人の愛が結ばれることを誓った

心中事件が多発。

 

『曽根崎心中』は、

大阪堂島新地天満屋の女郎『はつ』21歳

内本町醤油商の平野屋の手代の『徳兵衛』25歳

曽根崎村の露天神の森で心中をした

実際の事件を題材にした人形劇。

 

これを重く見た江戸幕府は、

享保8年(1723年)より『曽根崎心中』の

上演、脚本の執筆や発行を禁止すると共に

心中者の一方が生存した場合には、極刑を申し渡し

双方生存の場合は、晒し者にした後に市民権を奪いました。

 

また心中死した遺体は親族に下げ渡さず

一切の葬儀を禁ずる等の厳しい処置を行いましたが

庶民の心中者を減らす明かな効果はなかったようです。

 

結婚は、親兄弟や友人等に祝福されてが

一番良いのは今も昔も違いありませんが

昔は、今の時代よりも親の許しが有るか無いかは

遥かに重要だったのだと思いますし、

 

あの頃は、命懸けで信仰を貫いたり、

信じる宗派のために命を懸けて戦に参加したりと

今よりも純粋と言うのか

宗派の教えを強く信じ込んでいた人達も

多かったと思われるので生まれ変われると

本気で信じていたのかも知れません。

 

しかし、ああいう教えは、

今を一生懸命に生き抜くことの大切さを教えるもので

現世が駄目だったらさっさと来世に向かおうなんていう

教えじゃないはずなんですよね。

 

なので生兵法は大怪我の元と言うように

宗派の教えの一部分のみを

自分なりに良いように解釈したことで

現世では無理でも来世なら

二人の愛が結ばれる可能性があるなんて

大きな間違いをしてしまったのだと思うのです。

 

なにもかもに満足して完璧な幸せって

そんなものはあるかもしれないし、

手に入れることも出来るのかも知れないけれど、

大抵は、そんな大きな世界に固執せずに

小さな世界で手に入れるものじゃないかと

思ったりしています。

 

その二人の愛が何よりも大切だったのなら

あれもこれも欲しがることを止めて

親が悲しむ世界、親が怒る世界を切り離せば、

残りの自分達の世界で

幸せを手に入れることが出来るだろうし、

 

全ての人に愛されたい、認められたい、求められたい、

羨むような生活をしたい、称賛を受けたい、

と言う気持ちも、小さな世界観を持てば

もっと生きるのが楽になると思うんですよね。

 

絶対に必要と思っていることが

実は、ただ欲しがっているものでしかなかったりします。

 

 

 

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1ドルの課税

2023年05月15日 | 雑感・愚見

 

1959年 アメリカのペンシルバニア州の

マリービルズ市が男子が髭を剃る度に、

女性はマニュキュアをする度に

1ドルの課税をすることに決めました。

 

そして、これによる税収は、

マリービルズ市制50周年の行事に使われました。

 

 

何月何日に私は、髭を剃りました。

私は、マニュキュアを塗りましたって

自己申告制なのかな。

 

これって本当の話なんでしょうけど、

本当の話とは俄かに信じ難い話なんですよね。

 

課税額が1ドルで負担が少ないと言えども

1ドルを納める手間を考えると

わざわざ申告する人ってどれ位だったのだろうか。

 

市制50周年を祝う行事に充てるためならと

男性は髭を剃らずとも、女性はマニュキアを塗らずとも

喜んでと1ドルを複数回納める人もいたと思われるし、

税の納入手続きがめんどくさいとして

申告などしなかった人もいたと思うんですよね。

 

交通違反の罰金を無視する人に対して

強制徴収したり逮捕したりするのと同じ様に

自己申告をしなかった人に対して

何らかの罰則を科すのは

それはちょっと行き過ぎな感じがするので

喜んでと1ドルを納める人達だけで良しと

していたのかも知れません。

 

日本の各地域で実施される花火大会や

我が神戸のルミナリエのように

地元企業や市民に寄付を募った方が

早いような気がするし、スッキリする気がするんですが

市民の意見がどうだったんでしょうかね。

 

もしかしたら1ドル徴収することが目的ではなくて

市政50周年の行事を市民全員で盛り上がるために

市民に広く広報するためにと

1ドル課税というユニークな方法を考え出したのかもね。

 

そこで私の頭に浮かぶのが

海洋ゴミ問題のためという名目で始まったレジ袋有料化。

でもちょっと待って欲しい。

 

来日外国人が驚く無料ポケットテッシュと同じ様に

市場原理が働いてレジ袋が無料となっていたものが

海洋ゴミ軽減のためとの名目で

政府主導で始まったレジ袋有料化。

 

そもそも日本は殆どの市民の協力の元

事細かくゴミの分別化が行われ

日本を訪れた外国の人の間で話題になる位に

環境問題に取り組んでいたはず。

 

そして、ゴミ箱が設置されて無いのに

日本のどの街も道路にゴミが散乱しておらず

綺麗なことを驚いていたように

殆どの国民に環境への意識は行き渡っています。

 

そんな状況でレジ袋を有料化して

レジ袋の使用料が幾らか減ったとして

はたして日本の環境問題に、

どれほどの効果があるのだろうか。

 

タバコのポイ捨てのように罰金制にする方が

筋道が通っているのではと疑問を感じていたら

 

途中から効果が無いことが明らかになると

あれは海洋ゴミ軽減の意識づけのためだと

案の定言葉が変わった。

 

レジ袋が無料であったのは

小売業者の戦略や努力で

レジ袋が無料になっていただけなので

今のレジ袋が有料化であることの方が

本来の姿かとは思うのです。

 

なので有料化に不満を感じる多くの人達は、

有料化そのものに不満をもっておらず

なんかスッキリとしない部分に

不満や違和感じているのではと思ったりしています。

 

今や小売業が、ただ利益を得るだけに

なってそうなレジ袋有料政策。

 

税収を増やすためならレジ袋税とする方が

税収増の為には効率が良いと思えるし、

そう言ってもらえた方が

ちゃんとした不満を感じられるし、

 

ええかっこをしたかったというのなら

愚かな議員にちゃんと文句や怒りを持てて

気持ちの良い不満や怒りを持てるのだけれども

 

少し捻くれている私なんかは、

聞き触りの良い名目のベールの下に

本当の姿や名目を隠している卑怯さや卑しさが

有るような無いようなむずむずとした

気持ち悪い感じがぬぐい切れないんですよね。

 

真の目的を隠したいのであるならば

頭の良い人達が集まっているはずなのだから

もっと上手な名目を立ててもらって

もっと綺麗に隠しきってもらいたいなと思ったりもします。

 

環境への意識を高めるための広報だとするなら

1959年のアメリカの男子が髭を剃る度に、

女性はマニュキュアをする度に1ドルの課税のような

期間限定課税の方が遥かに面白いやり方かと

思ったりするんですよね。

 

 

 

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