心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

他人の恋路

2024年04月30日 | 雑感・愚見

 

2019年 

トルコで23歳の男が交際していた20歳の女性に

別れを切り出されたことに逆上して女性の顔に酸をかけて

片目の視力の70%を損失させました。

男は、逮捕され懲役13年半を言い渡されました。

 

 

この女性は、片目の視力の70%を損失しただけじゃなくて

恐らくですが顔の皮膚や筋肉に受けた深刻なダメージを

一生抱えて過ごすことになり、

 

犯人の男は、刑期を満期で終えたとしても

36歳の若さでの出所。

その後、いくらでも新たな人生を始めることができる。

懲役13年半の刑罰が妥当なのかどうなのか。

 

しかし、これには信じられないような続きが………

 

 

2021年 

コロナ禍で法律が変わったことで服役中だった男は、

2022年の5月まで出所できることになり、

その出所期間中に酸をかけた女性に求婚をして受け入れられ、

二人は年末に結婚をしました。

 

 

こんな展開って小説やテレビドラマの世界の話だけで

実際にそんなことってある?

酸をかけた女性に求婚するってどの面下げてって、

もうぶっ飛んでいるとしか思えないけれども

その求婚を受け入れた女性もぶっ飛んでいるのか………。

 

男女の関係は第三者には分からないと言いますよね。

それらには互いの肯定的な本心が隠れている場合もあるし、

否定的な本心が隠れている場合もあるので

このケースは、第三者が介入してあげた方が

良いように思うんですよね。

 

求婚される前に2人が最後に会ったときに

女性が強い意志を持って別れを切り出していて

その別れたい気持ちが男に強烈な酸を顔にぶっかけられて

「私はこの人のことを愛していることに気が付いた。」

なんてことにはどうやってもならんと思うんですよね。

 

なってしまうこともあるのかなあ?

なってしまうこともあるとするなら

もう私なんかには男女の恋愛心理は、到底理解できん。

 

別れ話をしている時に拳銃強盗にあって

男が強盗が放った銃弾を身を挺して女性を護ったのなら

まだワンチャンひっくり返る可能性もあるんでしょうけど。

 

なんか暴力を振るわれた後に

「ごめんよ。ごめん。痛い想いさせて本当に御免なさい。

君を愛している。二度としないと約束する。」

なんてことが何度も繰り返されても

離れないような心理に似ているような………

 

救いが無いけどまだ救いがある共依存関係ならまだしも

求婚を断ったら何をされるかも分からないっていう

強烈な恐怖に支配されてしまっていることの表れのような。

 

何故故にトルコの裁判所は、

男に接近禁止命令を出さなかったのか、

こんなん出さなければいつ出すのって思ったのですが

接近禁止命令どころか懲役13年半なんですもんね。

出さないかあ。

 

このような腐食性物質(酸)で襲撃する卑劣極まりない事件

イギリスの国内では2017年には941件をピークに

減少してましたが2022年から再び増加しているとのことです。

 

イギリスが個人の権利や人権を訴える急先鋒かどうか知りませんが、

最近のイギリスって乱れていますよね。

 

LGBTQ関連では俺は女性だと宣言して

生物的に男性である人が女性の競技に参加して無双。

環境活動家の連中は、道路を遮り交通を邪魔して

有名絵画に液体をぶちまけるとか、

採食主義活動家の連中は、

マクドナルド等の飲食店に突入して営業を妨害したり、

購入した人に対して罵倒したりと、

 

どの主旨も間違っちゃいない考えだとは思いますが

やり方が極端で過激過ぎる連中の様子を見ると

なんかこう変な宗教に洗脳されているヤバい奴らと

同じ様に見えてしまうのは、私だけなのでしょうか。

 

 

 

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水責め椅子

2024年04月28日 | 雑感・愚見

 

18世紀のイギリスでは、

罰当たりな言葉を吐いた男や近所迷惑に騒ぎ立てる女には、

椅子に縛られてから水に浸けられるという水責めの刑が

科せられることがありました。

 

 

懲罰椅子は、

中世から近世初期のイングランドやスコットランドにおいて

隣人と見境なく喧嘩を起こして騒ぎ立てる人物や

私生児を生んだ女や売春婦等のふしだらな女性や

悪徳商人等を懲らしめるための恥辱刑に用いられた刑具で

男女共に用いられていたそうです。

 

この刑罰の多くは、単に受刑者を縛り付けて家の前や

犯行現場に置いた単なる椅子だったようですが

中には車輪を付けて村中を引き廻したり、

受刑者の水責めに用いられたりもしたようです。

 

水責め椅子の場合は、

頭の先まで水の中に浸けると言うような

過激なものではなかったようですが

時に受刑者が怪我を負ったり

ショック死を起こすこともあったようです。

 

1664年にイングランド領となったニュージャージは、

アメリカ合衆国となりニュージャージー州となり、

1972年に判決で放棄されるまで

懲罰椅子は、有効な刑罰だったようです。

 

日本で恥辱を与えることを目的にした刑罰としては、

日本の時代劇で聞き覚えのある市中引き廻しのうえ獄門とか

晒しの刑罰のことが思い浮かびますが

あれは死罪以上の判決を受けた罪人への付加刑罰であったので

迷惑行為や不道徳行為や悪徳な商取引を理由にして

恥辱刑罰を与えられることは無かったと思われます。

 

昔の日本の場合、名誉を傷つけられることは

かなり重い意味を持っていたのかも知れません。

 

このような恥辱刑罰は、懲罰的な意味合いの方が強くて

更生を求めたものではなかったのかも知れませんが、

その人のその後の生活態度を改めることに繋がらなければ

何の意味もないし、意味がないどころか反発心をより強くして

問題を大きくしてしまうこともありそうです。

 

 

人権、人権と叫ばれるようになり

加害者の尊厳を守るためとして加害者の扱いの配慮も強くなり、

刑罰もまた優しくなっているように感じる昨今、

 

厳しい刑罰を与えていた昔と比べて社会が良くなったとも思えず、

自分勝手であまりにも酷いと思われる犯罪であるとか、

犯罪行為と迷惑行為の境目のような行為であるとか、

身勝手な自己主張をするような人達が

目立ってきているように感じます。

 

だからと言って加害者へ厳しい懲罰を与えていた

昔の社会の方が明らかに良かったとも言えず、

つまりはダークサイドに両足を踏み入れた人達には

どうであれ抑制効果や更生効果は期待できず、

ダークサイドの境目で踏みとどまっている人達には、

どうであれ抑制効果や更生効果が期待できるということかもね。

 

なので明らかにどっぷりとダークサイド側にいる加害者と

踏みとどまっているであろう加害者とを分けずに

同じような処罰を与えているかのような判決を散見する度に

如何なものかと歯がゆい想いを持ったりするんですよね。

 

ケーキ、おしるこ、果物、甘さは正義ではありますが

甘さに潜む危険もあるのと同じかな。

 

 

 

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耐え切れずに

2024年04月26日 | 雑感・愚見

 

イタリアで薬物犯罪で自宅軟禁処分を受けていた30歳の男が

警察に駆け込み訴えました。

「妻との生活に耐え切れないので刑務所に入れてくれ!」

 

その男の願いは叶えられ収監されることに。(2021年)

 

 

当然ながらイタリアの法律に詳しくないのであれですが

薬物犯罪で自宅軟禁ってのはなんじゃらほい。

保釈期間は自宅から外出してはならない的な感じなのかなあ。

 

しかし、自宅の方が刑務所より居心地が悪いって………

それまで結婚生活を営んできたんじゃないのって思うので

一体どのような状況だったのか興味あるところです。

 

奥さんから薬物犯罪で処分を受けたことについて

四六時中、薬物犯罪の尻尾を掴まれたドジな奴として

罵られ詰られていたのか。

 

薬物犯罪に手を染めていたことを知った奥さんから

さんざんに責められ説教されていたのか。

 

いやいや薬物犯罪とは全く関係なく

元々、奥さんが強烈な鬼嫁で

地獄の如く辛い毎日を過ごしていたのか。

 

私が読んだ記事では情報が少なくて

犯人の夫が自宅軟禁よりも刑務所の方を望んだ理由について

詳しいことは分かりません。

 

どのような理由であれ自ら望んで刑務所に入ることで

奥さんとの生活から緊急避難が出来るし、

後先考えずに自宅から逃げ出してしまうと

自宅軟禁処分違反による刑罰を加算されそうなので

犯人の夫からすると一挙両得の良い判断だったかも。

 

で、そこまで奥さんとの生活に耐え切れないのなら

刑務所の中から離婚を申し出そうなものですが

どうなんでしょうかね。

 

自宅軟禁になってそれまでの何倍もの時間、

顔を突き合わせることで奥さんもストレスが増えて

鬼嫁度がマシマシになっていた?

 

自宅軟禁処分を受けていた夫の方も

マシマシの鬼嫁ぶりを受け止めきれなくなっただけで

刑期を終えて元の生活リズムに戻れば大丈夫だと

離婚なんてのは全く考えていない?

 

 

夫婦関係に限らず男女の関係は、

第三者の尺度では推し量れないもので

頼りない馬鹿な夫を奥さんが四六時中𠮟りつけて

互いに癖癖しているだろうから

早いこと離婚した方が互いの為だと外側から見えても

その実、奥さんは夫の可愛さにベタ惚れだったり、

奥さんから叱られることに喜びを感じていたり、

 

夫の方もよく観察すると

子供が母親から愛情ある関心を引こうとするかの如く、

奥さんを軽く怒らせるようなことをあえて言ったりしたりいて

夫婦の間では、第三者には感じ取れない心地良いリズムが刻まれていて

芸人で言えば相性の良いコンビのボケとツッコミ的な感じ。

 

上の刑務所に入ることを希望した夫と妻との関係性は、

はたして………

 

 

 

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我が子を一目

2024年04月24日 | 雑感・愚見

 

2021年 アメリカの28歳の女性が

陣痛誘発剤を使用し出産を早めようとしましたが

回復の見込みが薄い病の夫の容体が急変したため

急遽、帝王切開で出産しました。

 

夫は、誕生直後の息子を胸に抱いて息を引き取りました。

 

 

自分を愛してくれて、ここまでしてくれる妻、

その妻との間に授かった我が子を残して

天国へと旅立つのは無念極まりないだろうなあ。

 

もし神様がいるのだとしたら

これほど愛情深い人から愛する夫を

容赦なく奪い取る所業の意味は何なんだろう。

 

ご丁寧にも目の前に大きな幸せをちらつかせてから

容赦なく深い悲しみへと突き落とす。

その振り幅が大きければ大きいほど悲しみが大きくなる。

普通に考えると、こんなの神様の行いじゃなくて

悪魔の所業でしょう。

 

でもなあ神様と言えども誰一人として洩れることなく

幸せを授けるために1から10まで面倒を見れるとは思えず、

幸せになるための種とか機会を与えてくれるまでかもね。

 

幸せの種、機会は授けたよ。後は君次第。

また様子を見に来た時に上手くいっていないようだったら

また種と機会を授けよう。何度もね。

しかし、目を離している時の魔物には注意な。てな感じかな。

 

なので神仏を尊んだり、頼ったりするのは良いとしても

他力本願し過ぎたり、人生を丸投げしたりするのは

間違いなく悪手で、もしそのような精神状態に陥っていたら

それはもう神や仏を語る魔物に憑りつかれている状態なのかもね。

 

私は、神様はいるって信じていると言うか、信じたい。

食事が出来て、美味しく感じられて、

その都度、ああ私の傍に神様がいるって思ったりする。

だってその方が素晴らしいし、楽しいからね。

 

 

 

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高台寺 塔頭『圓徳院』

2024年04月22日 | 名所めぐり(京都)

 

高台院(ねね)は、秀吉の菩提を弔う寺院の建立を発願し

それを徳川家康も支援したことで高台寺が建立されました。

 

高台院は、高台寺の西側に自らの屋敷(高台院屋敷)

甥の木下利房の屋敷を造営し、

伏見城にあった北政所化粧御殿とその前庭を移築します。

 

高台院は、高台院屋敷から高台寺に日参して

秀吉公の菩提を弔い、秀吉公を偲んでいたそうです。

 

1624年9月6日に高台院は、

19年間過ごした高台院屋敷でその生涯を終え、

1632年高台院屋敷は、木下利房によって

高台寺の三江紹益を開山として高台寺の塔頭・圓徳院に改められます。

 

 

 

圓徳院 長屋門

 

高台寺塔頭の圓徳院は、

高台寺の境内へと通じる台所坂の真向かいあって

拝観入り口長屋門は、やや南側にあると言っても

まあほぼ真向いと言っても良いかな。

 

圓徳院の正門は、警護の侍の詰め所が付属する

武家屋敷様式長屋門となっています。

 

長屋門寺院の正門に用いることはありませんが、

これは高台寺の塔頭『圓徳院』となる前の

高台院の邸宅だった頃の名残です。

 

 

 

庫裡と前庭

 

京都の多くの寺院は、施設内の拝観入り口は、

庫裡のことが多いのですが

圓徳院も高台寺と同じく施設内の拝観は、

方丈からとなっているのは、何か意味があるのか無いのか。

 

 

 

唐門

 

唐門の扁額には『圓徳』の文字が掲げられています。

 

因みに何度か名前が出ている木下利房は、

高台院(ねね)の甥で関ケ原の合戦の時に西軍で戦い敗北し、

処刑される所を高台院が徳川家康に働きかけて

無罪放免となった人物で、圓徳院の寺号は、

木下利房の戒名の院号『圓徳院』を寺号としています。

 

 

 

圓徳院 方丈

 

圓徳院の方丈(本堂)は、

1605年に木下利房により客殿として建てられたもので

1632年に高台寺の塔頭となった際に方丈とされました。

 

高台院の屋敷には、ねねを慕う多くの大名や夫人、

禅僧、文化人らが訪ねて来ていたようです。

高台院は、訪ねて来た客人を客殿(現方丈)に招き入れて

積もる話を楽しんでいたとのことです。

 

 

 

南庭

 

南庭は、1994年の方丈の解体修理の際に

現代の作庭家 森蘊(おさむ)氏の指導、北山安夫氏の監修により

奥村宗悦氏が作庭したものなので、かなり新しい庭ですね。

 

 

 

 

2024年は、高台院(ねね)の没後400年を迎える年で

2024年限定の装飾が施された南庭の白砂には、

銀閣寺の向月台のような周りに砂紋が描かれ

方丈縁側の緋毛氈に合わせた赤色の市松模様の飾り物が配置。

 

 

 

 

高台寺と比べると拝観者の数が少ないからなのか

高台寺の方丈では腰を下ろすことは禁止されていましたが

圓徳院では、問題なし。

 

なので方丈の縁側に腰を下ろして

2024年限りの南庭の装飾をじっくりと観賞することが出来ます。

 

 

 

 

1994年頃に南庭が作庭される以前、

この場所には何があったのだろうか。

 

 

 

上間の間 襖絵・雪月花

 

秀吉好みの色彩で描かれた襖絵は、

歴史が刻まれたものではなく近現代に描かれた襖絵。

 

 

 

 

部屋の前には、立ち入り禁止とは書かれていましたが、

有難いことに撮影は禁止ではないようなので

見事な襖絵を撮影させてもらうことが出来ました。

 

 

 

下間の間 襖絵・松竹梅

 

 

 

 

 

 

展示物 襖絵

 

初拝観の時、この場所には圓徳院で有名な

長谷川等伯筆『山水図襖絵(冬の絵)』の襖絵の複製が

展示されていたように記憶していたのですが………

 

 

 

展示物 掛け軸

 

高台寺の霊屋には、秀吉公と高台院の座像が、

圓徳院には、掛け軸に描かれた秀吉公と高台院が並んでいます。

 

 

 

方丈裏の坪庭

 

圓徳院の坪庭は、

南庭と同じ北山安夫氏によって整備されています。

 

 

 

渡り廊下

 

 

 

 

渡り廊下は、方丈と北書院を結んでいて、

渡り廊下から下を眺めると、石堀小路とねねの道を結んでいる

ねねの小路と呼ばれる道が通っています。

 

 

 

無尽蔵

 

渡り廊下の突き当りにある『無盡蔵』と書かれた土蔵があり

扉の奥が展示室になっていて蔵内に入ることは出来ますが、

土蔵内は、撮影禁止となっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北書院・北庭

 

元々の北書院は、

1605年に伏見城の北政所化粧御殿を移築したものでしたが

現在の北書院は、

1795年に北政所化粧御殿高台寺の小方丈として

高台寺に移築された後に新たに建てられたものになります。

 

 

 

 

圓徳院の北書院の『北庭』【国指定名勝】は、

伏見城の北政所化粧御殿の前庭であったものを圓徳院に移設したもので

賢庭による作庭といわれ、のちに小堀遠州の手が加えられたとのことです。

 

伏見城にあった時には、池泉回遊式庭園であったものを

この地に移設する際に枯山水庭園に変更しています。

 

 

 

 

200石以上の庭石が配置された圓徳院の北庭は、

私のお気に入りの庭園の一つです。

 

綺麗だとか、華やかだとかもそうではあるのですが

何より落ち着くんですよね。

 

 

 

 

私の隣に微笑む高台院が着座していて

高台院(ねね)と一緒に景観を眺めているのを想像すると

何とも言えない気持ちになるんですよね。

 

 

 

 

亀島と鶴島が配置されている所を良く見ると

窪みの中に亀島と鶴島が配置されているのが分かります。

 

伏見城時代の池泉回遊式庭園であった時には、

この窪みに水が湛えられていたと思われます。

 

 

 

 

北書院の静寂を破るちょっとした出来事が起きました。

 

外国人観光客が連れていた一人歩きをし始めた位の幼い女の子が

北書院の淵から柔道の背負い投げを喰らったかの如く、

綺麗に一回転して転落して姿が消えました。

 

その時北書院にいた全員が驚いて声を上げて心配しましたが

両親に引き上げられた女の子は、泣きながら母親の胸に飛び込み、

何故だか心配した父親が近付くと怒って叩いていました。

 

母親には素直に甘えて、父親には天邪鬼な甘え方、

父親は、理不尽な怒りを向けられて少し困惑気味でしたが

大きな愛情で優しくなだめてあげていた姿が微笑ましかった。

 

父親も母親と同じ様に

素直に甘えて欲しかったのではとも思いますが、

どっちの甘え方も可愛かったなあ。

 

 

 

桧垣の手水鉢

 

桧垣の手水鉢は、

宝塔の笠石を横にした面を凹字型に切り取ったもので

珍しい形の手水鉢です。

 

 

 

三面大黒天

 

京都御苑から移築された堂宇には、

豊臣秀吉の念持仏であった三面大黒天像の写しが祀られています。

 

三面大黒天とは、三つの顔を持った大黒天のことで

正面が大黒天(福の神)。右顔が毘沙門天(勝利と子宝の神)。

左顔が弁財天(学問と教養の神)。

 

 

 

歌仙堂

 

歌仙堂は、圓徳院を創建した木下利房の異母兄の

和歌の天才と謳われた木下勝俊(木下長嘯子)をお祀りしています。

 

 

 

ねねの道

 

圓徳院の拝観を終えた頃、ねねの道を照らす陽は、

赤い色を帯び始めています。

 

この僅かな時間帯のちょっと寂しげな雰囲気って

寂しがり屋なくせに割と好きなんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祇園下河原『 ひさご』

 

神戸に帰る前に事前に調べておいた

親子丼が美味しいとの『ひさご』で夕食をと立ち寄ったんですが、

定休日じゃないはずなのに暖簾が出ておらず何やら様子が変………

 

 

 

 

急ぎ携帯で調べてみたら、営業時間が午後4時まで。んが。

 

これからの稼ぎ時の前に営業が終了するとは夢にも思わなかった。

こうなると『ひさご』を訪問するのは、

高台寺の小方丈お披露目の1年半後になりそう。

 

 

 

 

もう少し桜の見頃は続きますが、

今年の桜は、おそらくこの桜で見納めとなります。

 

 

 

神座 祇園四条駅前店

 

阪急河原町駅に向かって歩いていると、

あの有名な大阪発祥の『神座』を発見。いつできたのだろうか。

東京で食べて以来の毎日食べても飽きがこない神座。美味かったあ。

 

後から私の隣の席に座った外国人が

店員に一言話した日本語の発音が良かったので

日常会話がぐらいは出来ると思ってパリクソ日本語で話しかけたら

日本語が全くダメだと分かった時は、終わったと思いました。

 

でも不思議なもので、

京都は3日目で神座に3回来店しているとか、

餃子を一つどうぞと勧められたり、

京都人なのかと聞かれ神戸からと言うと

オー神戸ビーフと目を輝かせたり、

 

ちゃんとしたお箸の使い方を教えてくれとか、

それでいて教えることが出来たりと

日本語と英語の会話が何となく成り立つという

何とも不思議な時を過ごしました。

 

 

今回も私の趣味、名所巡りにお付き合い下さり

ありがとうございました。

次回は、いつになるのか未定ではありますが

その際には、またお付き合い下されば嬉しく思います。

 

 

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京都 高台寺

2024年04月21日 | 名所めぐり(京都)

 

高台寺は、十年ほど前の初拝観で十分に堪能していたので

ねねの道を通り高台寺に通じる台所坂が目に入ったとて

せっかくなのでと高台寺の拝観に舵を切ることはなかったのですが

今回は、この季節にだけ見ることの出来る風景を観賞するために

高台寺を訪れることにしました。

 

 

 

高台寺 鐘楼

 

 

 

高台寺 湖月茶屋

 

今日は、空が晴れ渡ったり雲が覆ったりと

空模様は安定しておらず朝早くは肌寒さも感じましたが

次第に気温は上昇中です。

 

高台寺の主だった堂宇がある敷地内へと入る前に

茶屋にお邪魔して一休憩。

 

因みに湖月茶屋の店名は、

高台院の法名『高台院湖月心公』に倣ってかと思われます。

 

 

 

高台寺 天満宮

 

高台寺天満宮は、

1606年に高台院(ねね)が崇拝していた網敷天満宮から

御祭神の菅原道真を勧請して鎮守社としたものです。

 

 

 

なで牛

 

高台寺天満宮の前に鎮座する小さくて可愛い『なで牛』は、

沢山の女性の参拝者に人気があるようで

先ほども綺麗な女性達に沢山撫でられていたので

御満悦な表情を浮かべています。

 

ああ生まれ変わったらなで牛に生まれたい。

 

 

 

高台寺 庫裡

 

高台寺庫裡の玄関前は、なにやら工事中。

京都の多くの寺院は庫裡の玄関口に参拝受付があるのですが、

高台寺は、庫裡建物の西側の参道に参拝受付があります。

 

 

 

高台寺 景観

 

参拝受付を終えて参道を奥へと進むと遠景に大雲院・祇園閣が見えます。

高台寺の初拝観の時に「絵になるなあ。」と興味津々に眺めていましたが

大雲院・祇園閣の拝観を体験した後に見ると印象がまた違います。

 

 

 

茶室・遺芳菴(いほうあん)

 

大きな丸窓が特徴の田舎家風の茶室『遺芳庵(いほうあん)』は、

明治41年に京都市上京区の灰屋紹益氏の旧邸跡から移築したもの。

 

豪商であり諸芸に通じていた灰屋紹益氏が、

夫人の吉野大夫を偲んで建てたものとも言われていますが、

今は、建築様式の点から後世の人が

二人を偲んで建てたものと推定されています。

 

 

 

 

壁一面の大きな丸窓、このような窓を吉野太夫に因んで

吉野窓というようです。

島原の花魁だった吉野太夫は、知性と美貌を兼ね備え、

別格の存在だったようです。

 

 

 

高台寺庭園 開山堂と偃月池

 

高台寺庭園【国指定史跡・名勝】は、小堀遠州の作庭と伝わります。

 

庭園の中心に開山堂【重要文化財】を配置して

開山堂の西側の苑池『偃月地(えんげつち)』

開山堂の東側の苑池『臥龍地(がりゅうち)』からなる

桃山時代を代表する池泉回遊式庭園です。

 

 

 

高台寺庭園

 

偃月地には、開山堂に楼船廊が渡されていて

楼船廊から北側の偃月地には、亀島が配され

南側には、鶴島が配されています。

 

また楼船廊の中央に設置されている観月台【重要文化財】は、

高台院(ねね)により伏見城から移築されたもので

亡き秀吉公を偲びながら観月台から月を眺めたそうです。

 

 

 

方丈『波心庭』 勅使門と枝垂れ桜

 

今回の高台寺の二度目の拝観は、

高台寺方丈庭園『波心庭』の枝垂れ桜を観賞することが目的です。

 

私は、桜の開花を待ち焦がれるほど好きという訳じゃありませんが

昨年の東寺の五重塔と不二桜のように

風情ある建物や自然と桜が溶け合った風景は、堪らなく好きです。

 

 

 

唐門と枝垂れ桜

 

高台寺の方丈庭園『波心庭』の勅使門、唐門の白壁、

白砂、苔の緑色、そして、一本の枝垂れ桜。

 

どれもが主張し過ぎず全てが溶け合っていて

身体が打ち震える位に美しく感じます。堪らんなあ。

 

 

 

 

私的には、枝垂れ桜が加わった方丈庭園『波心庭』は、

国指定名勝の高台寺庭園から主役の座を奪っています。

 

 

 

 

方丈庭園『波心庭』の主張し過ぎていない苔と岩組も

品があると言うのか、雅と言うのか。

 

贅沢を言わせてもらうと

先ほどまで青空が広がっていたのに

あれよあれよと一面雲に覆われてしまったんですよね。

 

 

 

 

 

 

重関門・中門

 

 

 

開山堂【重要文化】

 

開山堂は、1605年に高台院(ねね)によって建立されました。

元来は、高台院の持仏堂でしたが

その後、中興開山の三江紹益の木像を祀る堂となりました。

 

開山堂内へ立ち入りは可能なので

秀吉公の御座舟の天井高台院の御所車の天井を用いて造られている

開山堂の天井は、経年劣化で色落ちはしていますが

それでも首が痛くなるまで観賞しても良いかもね。

 

 

 

臥龍廊

 

臥龍廊(がりゅうろう)は、開山堂と霊屋を結ぶ屋根付きの階段で

長く伸びた瓦屋根が龍の背に似ているところから

臥龍廊と名付けられています。

 

高台院(ねね)は、毎日この臥龍廊の石階段を通って霊屋に通い

亡き秀吉公を偲んでいたようです。

 

ねねと秀吉公は、人目をはばからずに度々喧嘩をしていたようですが

秀吉公は、高台院に心より愛されていたんですね。

 

それはそうと臥龍労の石階段の幅が、

踵がはみ出てしまう位に狭いのは何故なんだろう。

 

 

 

臥龍池

 

 

 

開山堂臥龍池

 

 

 

 

 

 

霊屋(おたまや)

 

霊屋【重要文化財】は、

開山堂と同じ1605年に高台院によって建立されました。

 

霊屋の内部には、中央に大随求菩薩像が安置されていて

その向かって右側には、豊臣秀吉公の座像

左側には、高台院(ねね)の片膝立ちの木像が安置されていて

高台院は、高台院の像の約2m地下に埋葬されています。

 

 

 

臥龍廊

 

今回の拝観では霊屋内部に入ることが出来ませんでしたが

初拝観の時には、確か入ることが出来たと記憶しています。

 

この霊屋に安置されている秀頼公の座像は、

安置する前に高台院が確認をしているはずなので

実際の秀吉公に一番似ていると思われます。

なのでもう一度、肉眼で観ておきたかったんですが叶わずです。

 

 

 

 

今回の高台寺の拝観は、霊屋までと思ったりもしましたが、

折角なのでとあと少しの石段の参道を登ります。

 

 

 

茶室・傘亭

 

茶室『傘亭』【重要文化財】の正式な名称は、安閑窟。

 

高台院により伏見城から移築されたものとされていて

茶室内部の竹で組まれている天井の形が

唐傘に似ていることから傘亭とも言われています。

 

 

 

 

 

 

土間廊下

 

土間廊下【重要文化財】は、

茶室『傘亭』と茶室『時雨亭』を繋ぐ屋根付きの廊下で

高台院が二つの茶室を現在の場所に移築させた時に付加されたもの。

 

 

 

茶室・時雨亭

 

茶室『時雨亭』【重要文化財】は、傘亭と同じく

高台院により伏見城から移築されたものとされていて

茶室としては珍しい2階建てになっています。

 

 

 

 

なかなかの下り坂の参道の先には竹林があります。

 

 

 

竹林

 

初拝観の時には、方丈庭園と竹林に色とりどりの和傘が

飾られていましたが、今回は見当たりません。

私的には、方丈も竹林も余計な装飾が無い方を好みます。

 

 

 

 

竹林を通り抜けていく風の音と木漏れ日だけで

竹林の装飾は、十分かな。

 

 

 

龍頭

 

初拝観の時にも見かけたこの龍の頭について少し調べてみたら

2012年に方丈庭園『波心庭』で行われた

夜間特別拝観のために専属の庭師に依頼して製作したものらしく

かなり新しいものです。

 

初拝観の時にもこの場所に龍の頭は置かれていたのですが

『恋人達の聖地』と記された立て看板が新しく加わっていました。

高台寺は、高台院(ねね)と秀吉公の聖地とも言えるので

恋人たちの聖地としては相応しい場所ですね。

 

 

 

高台寺 臺所門(だいどころもん)

 

高台寺の拝観を終えて台所門から台所坂を下ります。

 

高台院(ねね)がこの道を通って高台寺に日参し、

そして、使用していた台所に続く道であったことから

石段の坂道が台所坂門が台所門と呼ばれるようになったとのこと。

 

 

 

台所坂

 

高台寺の創建当初の小方丈が焼失した後に

塔頭の圓徳院の北書院(伏見城の北政所化粧御殿)

小方丈として移築しましたが1863年に放火で再び焼失

 

現在、進行している小方丈(北政所化粧御殿)の再建計画

順調に進めば、なんと2025年9月30日頃に完成し、

翌月の10月1日にお披露目予定とのことです。来年っす。

 

なので初拝観から二度目の拝観には十年の月日が流れましたが

三回目の拝観は、割と早くなりそうです。

 

高台寺の拝観を終えると、やっぱ圓徳院にも立ち寄らなければ

なんかこう中途半端な感じがするので、次に圓徳院に向かいます。

 

 

 

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高台寺『利生堂』・霊山観音

2024年04月20日 | 名所めぐり(京都)

 

二軒茶屋での軽めの昼食を終えて石掘小路を通り抜けてねねの道へ。

 

以前、石堀小路での撮影は可能でしたが

現在は、撮影禁止となっています。

 

石堀小路は、

明治末期から大正初期にかけて造られた風情ある場所で

貸席を兼ねた高級貸家街の間を縫うように通る細い路地の

石垣を高くし、石畳が敷き詰められています。

 

京都の風情が感じられる場所として石堀小路が話題になったことで

撮影をする観光客が押し寄せたことで観光被害が起き、

通り抜けは今も出来ますが撮影は禁止となっています。

 

石堀小路以上に有名な花見小路の私道は、

日本人と外国人観光客がわんさかと押し寄せたことで

私道の撮影どころか通行も禁止するとか言われていましたが

どのような結論になったのだろうか。

 

建屋から出てきた舞妓さんを強引に呼び止めて

撮影を強要するなんてことはもっての外ですが

然程問題ではなかったはずの行為も人の数が増え過ぎると

観光被害と言われるレベルに………

 

外国人観光客の人達が古き良き日本の風情の良さを

日本人の私達と同じ様に感じてくれるのは嬉しい限りですが

難しいところです。

 

 

 

ねねの道

 

石堀小路を通り抜けてねねの道に出ると多くの観光客の姿が。

八坂の塔がひょっこりと顔を出すねねの道沿いには、

高台寺公園の土手の桜並木。京都風情を楽しめる良い場所です。

 

これから高台寺に向かうのですが

一般的な台所坂からではなくて展望所から拝観に向かいます。

 

 

 

高台寺 石標

 

この立派な石標、高台寺って刻まれているのですが

高台寺って読めますぅ。二文字目がなあ。台より室に近いっす。

 

なので最初にこの立派な石標を見た時は、

この周辺に高台寺の他にも立派な寺院があるんだと思って

地図を何度も確認したり眼を見開いて周辺を見渡したりと

そこそこ時間をかけて探したりもしたんですよね。

 

 

 

高台寺 展望所

 

この瓦屋根が並ぶ遠景には八坂の塔が見えます。

 

この風景の中に八坂の塔が有る無しで、

またコンクリートのビルの姿が有るか無しかで、

美しさも満足度もかなり下がってしまうだろうな。

 

 

 

高台寺 利生堂

 

高台寺礼拝聴聞室『利生堂』は、

2016年12月17日に落慶を迎えた比較的新しい施設で、

死から逃げることなく命を直視して静かに瞑想をし、

心の安らぎ得るための場所となることを望んで建立されたもの。

 

 

 

 

 

 

利生堂 天井画

 

利生堂の天井と壁一面には、高台寺所蔵の南北朝時代に描かれた

八相涅槃図を写し撮ったものが描かれています。

 

八相涅槃図とは、お釈迦様が入滅する場面の周りに

下天託胎・誕生・競試武芸・四門出遊・出家・山中苦行・

降魔成道・初転法輪が描かれています。

 

 

 

利生堂 大涅槃壁画

 

堂内での撮影は、フラッシュを使用しなければOK。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

霊山観音 山門

 

無宗派単立の霊山観音は、

昭和30年に第二次世界大戦戦没者の慰霊の為に

帝産グループ創設者の石川博資氏によって建立されました。

 

本堂内に十一面観音と仏舎利、

観音像胎内には十二支の守り本尊が安置されています。

 

 

 

霊山観音像

 

東山を背景にして鎮座する高さ24mの巨大な観音像は、

彫刻界の元老・山崎朝雲氏に原型が作成され昭和30年に開眼。

本堂は、この巨大観音像の台座部分。

 

この巨大観音像がある霊山観音には今回、初めて訪れたのですが

境内の雰囲気が日本の一般的な寺院とは違うんですよね。

なんかこう遊園地のような、何と言うのか………

 

 

 

鏡池

 

この鏡池も真ん中辺りに噴水があってもおかしくない感じ。

これ以上好き勝手に言うと怒られそうな気もしますが、

感じたままの素直な気持ちなんですよね。

 

 

 

 

 

 

手水鉢

 

 

 

願いの玉

 

この如意宝珠の玉に触れて心の中で願い事を念じながら

周囲を回ると願い事が叶うとされています。

 

 

 

護摩堂

 

霊山不動尊を御本尊に安置して毎月8日、18日、28日に

本山修験宗山伏達によって国家隆盛、交通安全、家内安泰の

護摩焚きが行われています。

 

 

 

高射砲二十二連隊戦友の碑

 

 

 

十八期の碑

 

 

 

 

高台寺の近くにある霊山観音には、

巨大な観音像があることは知っていましたが、

巨大観音像は、写真や映像から

鉄筋コンクリート製であることは分かっていたので

高台寺拝観の流れで一度位は拝観できたらと思っていました。

 

今回も特に拝観の予定はしていなかったのですが、

数ある京都の寺院の中で異彩を放つ霊山観音の山門が

利生堂前の広い駐車場に隣接していたので

せっかくなのでと拝観することにしました。

 

次は、高台寺の主だった堂宇がある敷地に足を踏み入れます。

 

高台寺の拝観は、今回で二度目の拝観で

前回の初拝観がいつ頃だったかと見返してみたら………

なんと2014年11月前後で驚きの十年ぶりで

感覚的にはそんな前ではないんだけどなあ。

 

 

 

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黄台山 長楽寺

2024年04月19日 | 名所めぐり(京都)

 

次の目的地の黄台山 長楽寺は、

大谷祖廟の北門を出ると直ぐ右側(東方向)に続く参道があるので

その参道を少し歩けば長楽寺に到着です。

 

長楽寺のお目当ては、相阿弥作の苑池

室町時代に相阿弥が室町幕府八代将軍の足利義政の命により

銀閣寺の庭を作る時に試作的に作庭したと伝えられています。

 

本工事に入る前に建築模型を造ることは現代でも見られますが、

次の本番の銀閣寺の庭は、こんな感じの庭と

模型ではなく実際に試作の庭を作庭するなんてことは

経費を使い過ぎじゃないのって思ったりしますが、

たまたま同じ時期に長楽寺から庭の作庭を依頼されていたのかも。

 

足利義満金閣寺の舎利殿を建立する際に

参考にしたのが鹿王院の舎利殿と言われています。

 

鹿王院の舎利殿は、金閣寺の舎利殿の試作として

建立されたものではありませんが、

足利義政は、足利義満に憧れていたので

義満の手法を参考にしていたのかも知れません。

 

 

 

黄台山 長楽寺

 

長楽寺は、西暦805年に桓武天皇の勅命によって創建されたお寺で

安徳天皇の生母である建礼門院(平徳子)が壇ノ浦の戦いの後に到来し、

当寺の法然の弟子について出家しました。

 

長楽寺の元々の敷地は広大でしたが

徳川幕府第8代将軍の徳川吉宗が1万坪の境内地を没収し、

隣接する先ほど拝観した大谷祖廟に寄進されました。

 

さらに明治4年、境内の大半が明治政府に没収され

明治14年に円山公園に編入されます。

 

 

 

長楽寺 山門

 

 

 

長楽寺 本堂

 

山門の前から続く長い石段の先にあるのが本堂。

本堂は、安土桃山時代に建てられた伏見城の御殿の一つとのこと。

 

天井板(血天井)に使用している板は、

伏見城が落城した際に戦死した武士たちの血の跡が付いた板とか、

京都でも兵庫でも伏見城から移築されたものとか良く聞くのですが、

 

伏見城の多くの建造物は、戦いの中で

かなり破壊されたり燃やされたりもしたはずなので

残された物を移築して再利用するにしても

損傷程度が軽度な建築物が多すぎる感があるのですが、

どうなのか。

 

 

 

 

 

 

本堂・鐘楼

 

 

 

建礼門院御塔

 

中央の十三重の石塔『健礼門院御塔』は、

安徳天皇の生母『健礼門院』の毛髪が埋められているとされています。

 

 

 

平安の滝『名水 八功徳水』

 

相阿弥の築とされる平安の滝

流れ落ちる水が相阿弥の苑池に流れ込むようになっていて

滝石組みの一部には石仏が使われているようです。

 

苑池の水に僅かでも流れがあると

その分だけ夏場に蚊等の発生を抑えられますからね。

 

 

 

収蔵庫

 

長楽寺の収蔵庫は、一度火災にあっていて

その際、懸命の働きで

全ての寺宝は運び出されて無事だったそうです。

 

 

 

 

で、長楽寺のお目当ての相阿弥の庭苑ですが、

………御覧の通り書院も客殿も何も無し

住職から説明を聞いて解体修理中であることが判明しました。

 

長楽寺の堂宇の殆どが解体修理中であっても

相阿弥作の苑池と書院が健在ならば満足できましたが

なかなか訪れるようにならなかった長楽寺の拝観を

ようやく実現したと思ったらこれですわ。

私が小学生の頃ならもう間違いなくグレてますね。

 

 

 

 

相阿弥の苑池が解体修理中であることを知った時に、

世界から色が失われ、音さえ消え失せて

長楽寺の山門まで戻ったのかの記憶がない位に

私は、落ち込んでいたようですが参道辺りで、

そこまで凄い庭園じゃないからと自分に言い聞かすことで

全てを取り戻したので、次の目的地へと朗らかに向かいます。

 

 

 

レンタルきもの 岡本

 

次の目的が着物で京都東山を散策する訳じゃなくて

レンタルきもの 岡本の敷地に目的の建物があります。

 

 

 

芭蕉堂

 

芭蕉堂は、江戸時代中期から後期の俳人『高桑蘭更(たかくわらんこう)』

松尾芭蕉を偲ぶために建てたもので、堂内には松尾芭蕉の像が祀られています。

松尾芭蕉を祀る祠のようなものと考えて良いのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

西行庵

 

西行法師は、平安時代末期の僧侶で新古今和歌集の代表的歌人の一人。

鳥羽上皇の北面の武士でしたが出家して諸国を旅し

全国の風光明媚な自然を和歌で詠みました。

 

西行庵のあるこの地は、西行の終焉の地であったと伝えられていて

建物は荒廃していましたが明治26年に

富岡鉄斎らの働きかけにより再建されました。

 

 

 

 

西行庵は、母屋『浄妙庵』と茶室『皆妙庵』からなり、

茅葺きの母屋『浄妙庵』は、大徳寺塔頭『真珠庵』の別院を移したもので

もう一つの建物『皆妙庵』は、北野の久我別邸より移されたもの。

 

 

 

 

こちらの建物が『皆妙庵』だと思うのですが………

 

 

 

双林寺 花月庵

 

 

 

花月庵

 

花月庵は、室町時代初めの頃に西行法師像を祀るために建立されたもので

現在の花月庵は、1731年に大阪府池田の李孟寺の天津禅師によって

再建されたもの。

 

 

 

 

松尾芭蕉は、西行法師を心の師として

西行法師を慕って諸国を旅をしたと言われているくらいなので

かなり有名な方のようですが、例によって私は全く知らなんだあ。

 

 

 

八坂神社 石鳥居

 

八坂神社の正門の南楼門まで戻ってきました。

 

 

 

八坂神社 南楼門

 

何故ゆえに戻って来たのかと言うと、

南楼門前にある二軒茶屋で提供されている田楽豆腐を食べるためです。

 

前々から二軒茶屋の田楽豆腐を食べてみたかったんですよね。

これまで八坂神社には午前中に立ち寄ることが多くて

二軒茶屋の営業が始まる頃には、別の名所の拝観へと向かっていて

これまで食べることが出来ていませんでした。

 

 

 

二軒茶屋

 

その昔、八坂神社の表参道に二軒の茶屋が向かい合い

『二軒茶屋』と呼ばれて慕われてきました。

 

最初は、茶屋として営業をしていましたが

参拝者らに軽い食事を提供するようになり

次第に本格的な京料理のお店『中村楼』へと発展していきます。

 

当時、二軒茶屋で提供されていた田楽豆腐(祗園豆腐)は評判が良く

京都を訪れた武士や商人らが、せっかく京都に来たのだから

八坂神社(祗園社)田楽豆腐(祗園豆腐)を食べないで

帰る訳にはいかないと言う程、京都の名物となっていたようです。

 

 

 

祗園豆腐

 

当時は、お砂糖が手に入れにくく高価でもあったので

お味噌の甘味をお砂糖の代用にしたとのこと。

豆腐の上の味噌は、確かほうれん草だったか入っています。

 

 

 

鯛茶漬け+おばんざい

 

この先、さすがに昼食が田楽豆腐だけでは燃料切れになるので

贅沢であるけれども鯛茶漬けも一緒にご注文。

 

現在の二軒茶屋では、軽い食事以外にも

あんみつや抹茶はもちろんのこと珈琲やパフェ等も提供されているので

喉を潤したい所ではあるのですが

 

八坂神社の門前にあるお店ということもあってか

ちょいと値段がお高め感がありこれ以上の注文をするとなると

庶民の私としては踏み切れなかったあ。

 

 

 

 

昔のままの製法で作られている田楽豆腐(祗園豆腐)は、

正直、そこまで美味しくは感じませんでしたが

美味いかどうかは問題ではなくて

昔の武士や商人らが食べたものと同じものを食べるのが

第一の目的なので歴史を隠し味にした田楽豆腐を堪能しました。

 

美味しさだけで言うと鯛茶漬けが旨かったあ。

 

使われている鯛は、安っぽい感じが無く

料亭『中村楼』で提供されているのと同じだと思えるほどで

御飯の上に隠し味程度に添えられたお味噌に注ぐ

出汁との相性が抜群でした。

 

そして、隣の席の兵庫県から京都に嫁いできた女性と話が弾み

楽しい時間を持てたことも良かった。

 

その女性曰く、京都の人は案外と京都の名所を訪れないし、

よって一度も訪れたことが無い所もかなりある人が多いようです。

 

私もかなり多くの名所を訪れていますが、

その女性は、兵庫出身なので数多くの京都名所だけじゃなくて

全国各地の名所を巡っているようで四季折々の京都の名所だけでも

訪れていない所はないんじゃないかって思う位に

巡っていたので名所巡りの大先輩ですね。

 

 

 

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祗園しだれ桜

2024年04月18日 | 名所めぐり(京都)

 

今年のちょいと遅めの桜の開花が始まったので

どうしても見ておきたい二つの桜を観賞するために

早朝に神戸を出発して京都へと向かいました。

 

前回、京都を訪れたのが昨年の5月なので

なんとまあ一年近く遠ざかっていたことになります。

感覚的には納得していないのですが………

 

 

 

祇園白川

 

祇園白川の桜は、今回のお目当ての桜ではないけれども

道中にあるので、せっかくなのでと立ち寄ることに。

 

京都の桜の名所の一つに上げられている祇園白川は、

早朝にもかかわらず多数の人が桜を撮影していました。

 

 

 

 

祇園白川は、京都での私のお気に入りの場所です。

 

祇園白川の桜の風景がお気に入りということではなくて

祇園白川を初めて訪れた時に見た京都らしい町並みと

白川沿いを彩る柳の枝が風に揺れる風景が凄く良かったんですよね。

 

 

 

八坂神社

 

八坂神社でお参りを済ませて

お目当ての桜がある円山公園にあります。

 

 

 

円山公園 祇園枝垂れ桜

 

この桜が今回の目的の一つ目の桜です。

円山公園の他の桜よりも一足早く咲き始める祗園しだれ桜

樹高12m、幹回り2,8m、枝張り10m。

 

祗園しだれ桜の満開情報が出てから僅か数日後に訪れたので

最高の状態を見られるに違いないと

物凄く楽しみに、そして期待もしていたのですが

 

強い雨が降ったのか、強い風が吹いたのか、

早くも桃色の中に混ざって緑色の葉が見える散り始め状態で

祗園しだれ桜の荘厳さを感じられるギリギリの感じだったかと。

 

散り始めるには早すぎるとネットの満開情報を疑って

「これまだ満開前ですか、それとも散り始めですか?」

と近くにいた地元の人に確かめずにいられなかった位です。

 

 

 

 

昨年に観賞出来た満開状態と思える東寺の不二桜は、堪らなく美しかった。

なので円山公園の祗園枝垂れ桜の絶対的な満開状態を観賞して

これが祇園枝垂れ桜なんだと写真と脳裏に記憶として残しておきたいんですよね。

なので再度訪れようかと思っていますが、どうなるか。

 

 

 

円山公園 日本庭園

 

円山公園の他の桜は、満開。またはこれから満開を迎える感じです。

早朝故か人の姿は、疎らです。

 

円山公園に池泉回遊式庭園が作庭され

現在の形に整えられから約110年ほど経過しているので

醍醐寺のように目立つ大きな桜が複数あっても良いように思うのですが

祇園枝垂れ桜だけなのは何故なのか。

 

 

 

 

 

 

大谷祖廟 参道入り口

 

東本願寺の飛地境内の大谷祖廟は、親鸞聖人の御廟所(墓所)で

本願寺の歴代、全国各地の寺院、門徒の方々の遺骨が納められています。

 

 

 

 

これまで気になりつつも何度も通り過ぎてきた大谷祖廟ですが

今回、初めて訪れることが出来ます。

 

 

 

大谷祖廟 総門

 

石畳の長い参道の奥には、立派な総門が建立されています。

 

 

 

 

まだ多くの寺院の拝観開始時刻にはなっていない朝早い時間で

拝観に訪れる人の姿もまばらです。

 

この時期の大谷祖廟は、お釈迦様と親鸞聖人の御生誕を祝う仏事として

色とりどりの草花で飾った花御堂を本堂前に設置し、

その中にお釈迦様の像(誕生仏)を安置しているようです。

 

つまりは、お花まつり期間中なので

これからの時間は、拝観に訪れる門徒の方で境内が込み合いそうです。

 

 

 

庫裡

 

 

 

庫裡・本堂

 

大谷祖廟は、基本墓所なので庭園は、

本堂と庫裡の前に小規模の庭園があるだけです。

 

 

 

本堂

 

 

 

花文字伝道

 

親鸞聖人の御廟に供えられた仏花を用いて作成された花文字。

 

 

 

 

 

 

親鸞聖人 御廟

 

朝早い時間帯なので拝観に訪れる方も少ないので

御廟前の拝所でお参りを済ませてから他の拝観者が途切れた時に

御廟の撮影をさせてもらいました。

 

大谷祖廟の次は、此処大谷祖廟の近くにある

前々から気になっていたけれども

これまで拝観出来ていなかった寺院に向かいます。

 

 

 

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自転車泥棒

2024年04月16日 | 雑感・愚見

1952年 

「盗まなかったのは郵便局の赤い自転車だけ。」と言う

5人組の自転車泥棒が埼玉県草加署に逮捕されました。

 

5人組の男らが日本列島を縦断しながら

盗んだ自転車の総数は、1万台を超えていた。

 

 

この5人組の自転車の窃盗集団は、

日本列島を縦断して1万台以上かあ。凄い。

当時は、5人がかりで自転車を盗んでも

1人当たり納得できる位の実入りがあったんでしょうね。

 

ああいう奴らって蛇の道は蛇なんでしょうけど

盗品を売り捌けるルートをどうにか見つけるんですよね。

 

 

今の時代、

プロ又は準ずる人達の御用達だと思うのですが、

価格が100万円を超える高級自転車も販売されているようですね。

 

でもなあ、それらの人達は所属しているチームから

特別仕様のヤツを与えれるイメージなので

やっぱ一般の人用に販売しているのかもね。

だとしたらそのような高級自転車を

購入する人がいるということにビックリします。

 

そんな高級自転車を購入する人多数で

路上駐車している自転車の中にもよく見かけるとは思えず、

庶民の私達は、頑張って電動自転車を購入するか、

2~3万円前後の普通の自転車が圧倒的に多いはず。

 

なので今の時代は、新品価格数万円の自転車を専門に狙って

盗みを繰り返しても一台の買取価格は、数千円だとすると

労多くして功少なしでさすがにいないのではないかと。

 

今の時代も自転車の窃盗は多いようですが、

あれって本気で自転車の窃盗をするというより、

歩いて帰るのが面倒臭くて

無防備にも置かれていた自転車を無断でちょいと拝借して

自宅の近くまで使用して放置するパターンが

多いのではないかと思います。

 

最近の犯罪は、知らぬ者同士を繋げるSNSの関係か、

白昼堂々、人の目も気にせず、

しかも人を傷つけることさえ厭わずに

民家や高級時計店や貴金属店に押し入り、

きわめて乱暴な手口で犯行する。

ATMを重機でぶっ壊してお金を強奪する。

 

日本的じゃないなあと。

昔の日本は、お金目的で強盗で押し入っても

極力人を傷つけずに

人目に付かないように美しくプロ的なものを

少しは感じ取れる犯行が多かったように思うのですが、

 

拝金主義が染みついた人間の結果なのか、

最近の犯行は、荒っぽく乱暴の一言で

節度も美しさも品も感じられず、

あげくに人間味すら薄すぎて感じられず、

 

外国の容赦ない酷すぎる犯人達と似た人間を

SNSでリクルートそれば応募がくる時代に

日本も突入しつつあるのが悲しい。

 

どこかの国のリーダーは、

何十億もするクルーザーを10隻以上所有して

広大に敷地に宮殿のような住いを建築。

 

人間の欲と言いましょうか、

特別感をアピールしたい欲とでも言いましょうか、

底無しの欲を持つ人間が存在することが分かるし、

 

本人の欲を満たし優越感や幸福感を感じるために

あれだけのことを必要だったのだとしたら

あまりもあまりにも効率が悪すぎるし、

もはや餓鬼。そんな人間がリーダーとなるべきではない。

 

絶対、その先には真の幸福があるはずがない。

 

 

 

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